第35話 毛玉? 毛玉!
土砂崩れがあった場所はすぐに見つかった。
僕たちがいた山のすぐ裏手だったからだ。
もともと傾斜のきつい斜面が幅十メートル以上に渡って大きくえぐれ、土が露出していた。斜面の下側には、崩れた際に流された木や土砂が一体となって溜まっている。
幸い、このあたりは道路など通っている場所ではなかったから巻き込まれた人や車はなさそう。
ただ、
「声、まだ聞こえる?」
アカガネに乗ったまま、僕は尋ねる。
アカガネは三角の耳をぴんと立てて、注意深く音を探っているようだった。
「ああ。下の方だな。今も、ピーピー声が聞こえる。おそらく、仲間のあやかしが騒いでいるんだろう」
いま土砂崩れを起こしたばかりの傷跡にも、雨は容赦なく降り続ける。
僕もしばらく目を凝らしていると、ミナシのおかげだろうか少し雨が弱まってきたので、斜面の下の方に小さな黒いものが跳ねまわっているのがわかった。
「アカガネ、あそこ!」
「ああ、本当だ。騒いでたのはあいつらだったんだな。行ってみるか。振り落とされるなよ?」
「う、うん」
ぎゅっとアカガネにしがみつくと、アカガネは軽く斜面を蹴って、その小さく黒いものが見えた下方へ一跳びに大きくジャンプした。
急斜面をほとんど飛び降りるような角度で落下していくアカガネ。ジェットコースターに乗っているときのような浮遊感に僕はヒェッと身を縮めた。でもそれも一瞬で、アカガネは音もなく地面にフワリと着地する。
すると、すぐにアカガネの足元へ、バスケットボールほどの黒い毛玉がぴょんぴょんと集まってきた。全部で五、六匹はいるみたい。
よく見ると真っ黒な毛玉の中に、二つの目が見えた。細くて黒い手足も生えているみたいだ。
それにしても、いっぱいいるね。
毛玉たちは、ぴょんぴょんとアカガネの周りを飛びながら、
『助ける?』
『助けられる?』
『埋まった、埋まった』
『うるせぇな』
『まとわりつくんじゃねぇ』
口々に、キーキーとそんなことを言って跳ね回る。
伏せたアカガネの背から地面へ降りてみると、今度は僕の周りにも毛玉たちはやってきて足に絡みついてくきた。なんだろ、この毛玉。
『いっぱいいるね』
『はやく助けなきゃ』
『なんだろ、この毛玉』
えええええ!? もしかしてこの毛玉、僕の考えを読んでない!?
するとすぐに、二匹の毛玉が、
『もしかしてこの毛玉』
『僕の考えを読んでない!?』
僕が頭の中で考えたことを、そのまましゃべりだした。
「こいつらは、覚だな。相手の考えを読むんだよ。あんまり気にするな」
「う、うん」
『気にしない、気にしない』
『でもやっぱり、気にしちゃうよね』
あああああ、やっぱり読まれてる! 気になるってば!
でも、いまはこの子たちと遊んでる場合じゃない。
「誰か土砂に埋まってるの?」
黒い毛玉……いや、覚の一匹にそう尋ねてみると、覚たちは一斉に崩れた土砂が溜まっているところへぴょんぴょんと跳んで行った。
『ここ』
『ここ。埋まってる』
『埋まってる』
覚たちは土砂の山の一角を、跳ねながら二本の小さな黒い脚でペシペシとしきりに蹴る。どうやら脚で土砂を掘り返そうとしているようだったけど、覚たちは小さすぎてほとんど掘れていない。
「そこにお前たちの仲間が埋まっているんだな。どいてろ。俺がどうにかしてやる」
アカガネがそう言うと、覚たちは転がるようにその場を離れ、月見団子のように重なり合いながら遠巻きにアカガネを眺めている。
覚たちが離れるのを確認すると、アカガネは前脚でカッカッカッと威勢よく土砂を掻き始めた。さきほどの覚たちと違って、はるかに大きなアカガネの前脚はショベルのようにざくざくと土砂を掻きだしていく。
掻きだされた土砂がこんもりと山のように積りだしたころ、アカガネがピタリと脚を止めた。
「ここになんかいるぞ。だが、これ以上掘り進めると、一緒にこいつごと掻いちまいそうだな。あとは覚たちに引っ張り出させるか?」
見ると、アカガネが彫った土砂の穴の中に、ひょろっと小さな腕が一本生えていた。黒く細長い腕が、たすけてくれーと言わんばかりにひらひら揺れている。
多少なりとも動けるのなら、もしかして。
「アカガネ。ちょっと待って」
僕はそう言うと、アカガネが開けた穴の中へとずるずると降りて行く。ズボンの尻が泥まみれになったけど、もうとっくに全身ぐしょぬれなんだから気にしない。
「なんだ?」
「見てて、アカガネ。なぁ、これを食べてみてくれないかな」
土の中から突き出た黒い手にそう呼びかけると、僕は神袋から取り出した神饌を手渡した。黒い手はしっかりその神饌を掴んで感触を確かめるように数回むぎゅむぎゅと握りこんだあと、神饌ごとスポッと土の中に引っ込んだ。
そして数秒後。黒い手が引っ込んだ小さな穴の中から、金色の光が漏れ出したかと思うと次の瞬間、ボンと何か黒いものが土の中から飛び出した。
空中でくるっと一回転して地面に降り立ったのは、大きな覚だった。バランスボールくらいの大きさがある。そこに遠巻きに見ていた小さな覚たちが、キューキュー言いながら嬉しそうに飛びついていく。
もしかして親子なのかな。
その大きな覚は細長い腕いっぱいに小さな覚たちを抱きしめると、こちらに向かってぺこりと身体を倒すようにしてお辞儀した。
よかった、無事に会えてよかったね。
『よかった』
『よかった、よかった』
覚の子たちは、自分の言葉なのか、僕の心の声を読んでいるのかわからないけれど、しきりにそう口々に言う。
「もう、土砂崩れに巻き込まれないよう気をつけるんだよ」
再びアカガネの背に乗ると、手を振って覚たちと別れる。大きな覚は僕たちが見えなくなるまでお辞儀をし、その周りを小さな覚たちが嬉しそうにピョンピョン跳ね回っていた。
そういえば、ミナシはどうしたんだろう。彼の様子を見に山頂へ向かおうとして、先ほどとは様子が違うことに気づく。
あんなに全開のシャワーのように降り続いていた雨が、いつしか小ぶりになっている。
それに、厚く何重にも重なっていた黒雲にポッカリと穴が開き、穴からは青空が覗いていた。
そして、その雲間から見え隠れするのは、
「え……ミナシ……?」
体長が優に数百メートル、いや何キロかはあろうかという巨大な龍の身体だった。