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第28話 下呂温泉へ

 トモカヅキが出てから約一か月が過ぎた。


 森岡さんは、やっぱり海をみるとつらい時の気持ちがよみがえってしまうからといって、あのあとすぐに関東の地元へ戻って行った。


 山田さんと長澤さんは、二人で一緒に暮らすために市内のハイツへと移った。二人の結婚の気持ちが固まったから、より節制するために一緒に暮らすことにしたんだってさ。


 そのあと新しいメンバーが入ってきたりして、相変わらずシェアハウスの中はいつも賑やかだ。


 僕はというと、もともと鳥羽のシェアハウスは七月いっぱいの予定で借りていていたから、当初の予定通り次の場所に移ることにした。

 今度は、どこに行くことにしたかというと。


「下呂温泉行ってみない? ちょうど八月一日に龍神火祭りっていうのがあるんだ。一度見てみたくてさ」


 僕はスマホで動画をアカガネに見せる。

 そこには、半裸の男たちが巨大な龍の形をした神輿を掲げて激しく火花が散る中を勇壮に練り歩いている様子が映し出されていた。


「俺は別にどこへ行こうと構わんがな」


 相変わらず、こいつはどこへ行くかは僕任せらしい。それで本当に神命をやりとげられるのか? と僕の方が心配になってくるけど、まぁいいや。

 僕の好きなところに行けるのは願ったりかなったりだ。


 お祭りの日に引っ越すのは慌ただしそうなので、その二日前の七月三十日に僕は鳥羽のシェアハウスを引き払って岐阜県の下呂温泉へと移ることにした。





 鳥羽からは近鉄特急で名古屋まで行くと、そこからワイドビューひだで下呂駅へと向かう。

 下呂駅の可愛らしい屋根瓦の駅舎を出ると、『歓迎 下呂温泉』の大きな看板が出迎えてくれた。


 下呂温泉は飛騨川流域にできた温泉街で、川の両側にホテルや旅館が立ち並んでいる温泉街なんだ。

 有馬、草津と並んで日本三大名泉のひとつに数えらえるらしい。


 鳥羽や伊勢にも温泉はあったけれどこんな風に『温泉街』という感じではなかったから、すっかり旅館でおいしいもの食べてゆっくり湯治したい気持ちになってくる。


 けど、僕たちが泊まるのは旅館じゃなくてシェアハウス。


 それに、今日からしばらくは夏季休暇をもらったから休みだけど、それが終わったら仕事しなきゃならないんだよね。それを考えると少し興が覚めてしまうけど、仕方ない。


 いますぐにでも温泉に入りたいところをグッと我慢して、ひとまず予約していたシェアハウスに行ってみることにした。


 そのシェアハウスは温泉街からさらに飛騨川を少し下ったところにあるらしい。

 スマホの地図アプリを頼りに歩いて向かうと、目的の場所は川沿いの古い二階家だった。


 僕の部屋は二階の一室。古い建物だからか、部屋は少し広めだ。

 これならアカガネも、子狼サイズにならなくてもすむかな?


 窓を開けると、すぐそばの川が一望できる。建物のすぐ目の前に狭い道路が走っていて、その向こうが飛騨川だ。


 飛騨川は川幅は広いけれどあまり水深は深くないらしく、石がごろごろと転がる川岸の間をさらさらと清らかな水が流れている。


「川の水の流れってついいつまでも見てそうになるよね」


 僕がそういうと、成獣サイズに戻ったアカガネも窓から顔を突き出して、フンと鼻を鳴らす。


「なんぞ水鳥でもいれば獲って食おうかと思ったが、見当たらんな」


「……この部屋では食わないでね。てか、鶏肉食べたいんなら買ってきてやるよ。今日、水炊きでもする?」


 でも、僕の提案にはアカガネは不服そう。


「ハッ。人間はすっかり狩りの楽しみを忘れてしまったようだな。山へ行けばキジや鹿もいるかもしれんぞ。行ってみるか?」


 川よりさらに視線をあげれば、遠く連なる日本アルプスの山々が見える。

 あの高そうな山へ行くの? 本格的な登山の準備しないと登れなさそうじゃない?


 そもそも僕は東京の高尾山くらいしか登ったことないし、それでももう山は充分かなって思うくらいへとへとになった思い出がある。


「狩りは、とりあえずいまはいいかな……」


 アカガネが一人で行くなら止めはしないけど、僕は全力で遠慮したかった。




 その夜は近くの商店街でみつけたお肉屋さんで鶏肉を買ってきて、水炊きをした。なんだかんだ言いつつ、アカガネもパクパク食べてたっけ。


 そして翌日。

 さらさらと流れる川の水音で目を覚まして、一瞬、あれ? ここどこだっけと自分がどこにいるのか分からなくなったけど、窓の外の飛騨川を眺めて思い出した。そうだ、下呂温泉に来たんだった。


 昨日、水炊きをしたときに作ったオジヤの残りで朝ご飯を済ませたあと、僕たちは下呂駅の方へと歩いていく。


「今日は、温泉入りたいんだけど、いい?」


「俺は、別に風呂も温泉も変わらんと思うがな」


「なんか身体にいい感じするじゃん。それに、ずっと座って仕事してるだろ……肩とか背中が、かなりバキバキでさ」


 オフィスで働いてたときは、少なくとも通勤の行きかえりと昼休みに食事に行くときはそれなりの距離歩いたけどさ。


 家にずっといると、行動範囲限られてて、気が付くと一日数百歩しか歩いてなかったりするもんね。


 それで長時間パソコンに向かい合ってたら、肩や腰が凝るのはもはや職業病みたいなもんだと思うんだ。


 そんなこともあって、伊勢に鳥羽、そしてここ下呂と、考えてみたら僕は、温泉のあるところばっかりを渡り歩いていた。


 話しながら歩いていると、昨日見た風情ある下呂駅の駅舎が見えてくる。


 ガイドブックによると、下呂温泉は千年以上前から温泉が湧いていて人々が湯治に来ていたんだって。


 それでも、1265年にそれまでこんこんと湧き出ていた温泉が止まってしまったことがあったんだそうだ。


 けれど、その翌年に村人の一人が、毎日飛騨川の河原に舞い降りる一羽の白鷺がいることに気づく。不思議に思った村人がそこへ行ってみると、傷ついた白鷺が川べりに沸いた温泉で傷を癒していたのだという。


 その白鷺は飛び立つと薬師如来に姿を変えた。薬師如来は、人々に白鷺の姿で温泉の湧く場所を教えてくれたのだそうだ。それ以来、現在までずっと豊富な湯量を保ち続けているんだって。


 そしてありがたいことに、下呂温泉には日帰り入浴できる場所がいくつもあるらしいんだ。入浴料を払えば宿泊客じゃなくても温泉を利用できるホテルとか、旅館。それに公衆浴場もいくつかある。さすが、温泉街。温泉の入れる施設が豊富だよね。


 その中でも僕が一番行きたかったのは、『噴泉池』と呼ばれる場所なんだ。


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