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第24話 半夏生とハンゲ

 翌日。

 僕はアカガネを連れて、昨日、森岡さんがドッペルゲンガーを見たという海岸までやってきた。


 シェアハウスでは、今日は仕事が休みだという長澤さんがキッチンでお菓子づくりをしていたから森岡さんも不安じゃないだろうし、出かけるチャンスだと思ったんだ。


 海沿いの道をアカガネと一緒に歩いて行くと、潮の香りを含んだ海風が絶え間なく吹き付けてくる。


 でもしばらく歩くと、その潮の香りの中にドクダミみたいなアクの強い香りが混じりだしたことに気がついた。

 辺りを見回すと、海岸沿いの更地になっているところに白い花を咲かせた植物が群生しているのが見える。これが香ってるのか。


 緑の葉っぱに、くっきりとした白い花が咲いている。きれいだな。そう思って近くまで行ってみると、花だと思ったのは葉っぱだった。

 へぇ。面白い植物だな。葉っぱの一部が白くなってるんだ。しゃがみ込んで眺めていたら、


半夏生(はんげしょう)だな」


 隣にちょこんと座ったアカガネが言う。


「よく知ってるな、アカガネ」


「フン。これが白くなるころ、アイツがやってくるんだ」


「アイツ?」


 僕が聞き返したときだった。


「おうともよ。呼んだか? アカガネよ」


 アカガネとは違う低く掠れたダミ声が、予期せぬ方向から返ってきた。


「え?」


 驚いて顔を上げると、群生している半夏生の端、僕から数メートル離れた場所に、いつの間にか腰の曲がったおじいさんが杖を支えにして立っていた。


「……え、ええええっ?」


 驚いて僕は思わずしりもちをついた。

 いつから居たんだ!? このおじいさん。さっき辺りを見回したときには、そんな老人の姿なんてどこにも見えなかったのに。


「驚かせてしまったかの、若いの」


 ぼろ布のような衣服をまとったその老人は、杖を突きながらこちらに歩み寄ってくる。僕はしりもちをついたまま唖然としていたけれど、アカガネは落ち着いた様子でその老人に話しかけた。


「やっぱり来たか。久しいな。お前が出てくると、そろそろ夏も本格的になるころだとうんざりするよ」


 そう言ってアカガネは、言葉通り心底うんざりした顔をする。


「ほっほっほ。そう言うな、アカガネよ。ワシとて好きでこの時期に出てくるわけじゃないが、それがワシの役割じゃから仕方あるまい」


 老人は、どっこいしょっとハンゲの草むらに腰を下ろす。


「……この人も、あやかしなんだよな?」


 僕はこそこそっとアカガネの耳元に口を寄せて尋ねる。


 ご老人はぱっと見普通の腰の曲がった老人のようだけど、その身なりといい突然現れたことといい普通の人間だとはとても思えなかった。そもそもアカガネと親しげに話していることからしても、普通の人間であるはずがない。


「ああ。こやつは、ハンゲという。この時期にだけ出てくるあやかしよ」


 そう、アカガネは教えてくれた。


「……この時期だけ?」


 僕たちの話を聞いて、老人……いや、ハンゲは歯の抜けた顔でほっほっほと笑う。


「いつもこの半夏生が白く色づく季節にしか出てこん。そして七夕のころになると再び眠りにつくのよ」


 え、そんな短い季節限定のあやかしなんているんだ。

 驚いていると、ハンゲは目元のしわをさらに深めた。


「ワシはな。この時期までに田植えを終えるように警告してまわるんが仕事なんじゃ」


「警告……ですか?」


「ウム。半夏生は百姓にとっては大事な節目。この時期から七夕のころまでは、空から毒気が降ると昔から言われとってな。本当のところはこの時期、大雨が降ることが多く、食い物も腐りやすい。だもんで、この時期が来る前に田植えを終えとらんと後々の作業にも障りが出る。それを警告してまわるんがワシの役目じゃ。さて、もうひと踏ん張り頑張って、あっちの方もみまわってくるかな」


 ハンゲは、よっこらしょと杖を支えに腰をあげた。

 元から老人の姿をしているあやかしなのか、それとも長年生きてきて年を取ったからそういう姿になったのかはわからないけれど、杖を突きながら歩き回るのは大変だろうな。

 そんなことを考えていたら、ふとあることに思い当たった。


「そうだ。神饌(しんせん)!」


「そういえば、そんなものも持っていたな」


 アカガネも今頃思い出したように言う。いやいや、これ本来お前の持ち物だろ。忘れるなよ。ジロッとアカガネを睨むと、アカガネは口角をあげてヘッと笑った。


「はて。神饌とな?」


 首をかしげるハンゲに、僕は背負っていたボディバッグから神袋とかいう金色の袋を取り出すと、中からつきたての丸餅のような神饌を一つ取り出してハンゲに手渡した。


「はい、どうぞ。食べると元気が出ると思いますよ」

「ほう。何やら良い香りがするが」


 ハンゲは歯のところどころ抜けた口を開けると、ぱくりと一のみに神饌を食べてしまった。

 ごくりと飲み込んだ瞬間、パッとハンゲの全身が一瞬光る。


「ほほぉー! これはどうしたことじゃ。まるで力がみなぎるようじゃ。これなら千里は走れそうじゃぞ!?」


 相変わらず腰の曲がったまま、それでも元気そうにその場で足踏みをしだすハンゲ。

 その様子を、アカガネは目を細めて眺めていた。


「そりゃそうだろ。豊受大御神、直々の神饌だからな」


 アカガネがそう口にしたとたん、ハンゲは持っていた杖でこつんとアカガネの頭を小突いた。


「痛てっ。なにすんだよ、このくそじじい!」


 途端に、最大サイズになって威嚇するアカガネ。

 しかし、ハンゲは怖がる様子もなく、今までと変わらず泰然とした様子でアカガネを見上げた。


「なぜお前が、豊受大御神の神饌なぞ持っとる。さては、盗みおったな?」


「違うわいっ。ちょっと前に、豊受大御神に神命を授かったんだよ! あちこちの弱っているあやかしや神たちに豊受大御神の代理として神饌を配らなゃならんはめになっただけだ」


 きゃんきゃん言い返すアカガネに、ハンゲはシワだらけの目を大きくする。


「なに! 神命とな! ほっほっほ。そりゃいい。散々、怠惰を尽くしたお前がよほど目に余ったんだろうの。せいぜい気張って務めりゃいい。そうすりゃ、元の姿に戻れるかもしれんぞ?」


「うるさい」


 アカガネは不機嫌そうに唸ると、しゅるしゅるしゅると子狼サイズに戻ってしまった。


 でも、アカガネの元の姿? 元の姿ってなんだろう。

 気になって口にしようとした、そのときだった。

 ビュンと僕の目の前を茶色いものが高速で横切る。

 え? と思ったときにはもう、僕の手にあった神袋が消えていた。


「バカ。しっかり持ってないから、トンビに攫われたぞ」

「あ!」


 視線を上空に向けると、一羽のトンビが飛び去って行くところだった。その脚にはがっしりと神袋が掴まれていた。

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