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第23話 不審者?

 森岡さんは長い間庭でしゃがみ込んで泣いていた。


 その涙はなかなか止まらなくて、アカガネを拭くために置いてあったバスタオルを手に取って彼女に渡すとそれをぎゅっと顔に押し当て、こみ上げてくるものがすべて出尽くすまで泣いていた。


 何があったのかわからないけれど、その肩はずっと小刻みに震えていて、ときどきうわごとの様に「怖い」と言っている。


 こんな晴れた日の昼間っから、どんな怖い目にあったんだろうか。

 もしかして不審者とかいたのかなと僕も少し不安になる。


 場合によっては警察に連絡する必要もあるだろう。山田さんたちにも言っておかなきゃならない。でもその前にまず、彼女から何があったのかを聞きたかった。


 僕は手早くアカガネの泡を洗い流してタライを片付けると、森岡さんに声をかける。


「あ、あの。……とりあえず、家に戻りません?」


 すぐに反応はなかったけれど、しばらく待つと森岡さんは泣きはらして腫れぼったくなった顔を上げた。そして、こくんと小さくうなずき返すとゆっくりとふらつきながら立ち上がる。


「あ、そのバスタオルで足拭いちゃっていいですよ」


 吐き出し窓から自室へ戻ろうとしていた森岡さんにそう声をかけると、


「……ありがとうございます。あとで……洗濯してお返しします」


 と、彼女は申し訳なさそうに言う。


「別にいいですよ、そのままで」


 もともとアカガネを拭いたらすぐに洗っちゃうつもりだったし。そのアカガネはというと、泡を流し終わったあとにプルプルと身体を震わせて自分で水気を飛ばしていた。すでに夏の陽気で毛はすっかり乾いてふわふわしている。バスタオルなんて要らなかったみたいだね。


 僕は庭にある簡易倉庫にタライをしまうと、玄関に回って家に入る。


 ドアを開けるとき、一瞬門の向こうを振り返って見たけれど、強く太陽が道路を照らしているだけで、不審者はおろか他の通行人すら見当たらない。


 森岡さんは一体何にそんなに怯えていたんだろう。

 首をかしげながら、家の中へ戻った。


 キッチンの電子レンジで温めたホットミルクのカップを、ダイニングテーブルに座る森岡さんの前にさし出す。はじめはコーヒーにしようかと思ったけど、初対面のときに胃が荒れるからと断られたことを思い出したからだ。


「はちみつとか入れます?」

「いえ……」


 彼女はカップを両手で包み込むようにして手で持った。なんだか暖を取っているように見えるけれど、いまは七月初旬で、ここキッチンにはエアコンがついていないので窓を開けていても結構蒸し暑い。


 でも、女性の彼女を僕の部屋に呼ぶのも微妙だし、逆もさらに微妙なので消去法でここしかなかったんだ。


 それに彼女はいま、自室から持ってきたカーディガンを羽織っている。よほど怖い思いをしたのか、まだ身体の震えが収まらないようだった。


 僕は自分の分のホットミルクを淹れると、森岡さんの向かいの席に腰掛ける。

 足元でアカガネが、「俺のはないのか?」と僕の足をひっかいてきたけど、森岡さんのいる前でどうやってアカガネに渡せって言うんだよ。


「あとであげるから、ちょっと待ってて」


 小声でそう足元のアカガネにだけ聞こえるように言うと、アカガネは「ふむ。仕方ないな」と伏せて寝てしまった。


 森岡さんはというと、カップを両手で掴んだままじっと視線をその白い面に落としている。


 彼女が話し出すのを待っていたらいつまでたってもこのままな気がしたので、僕の方から話を切り出すことにした。


「その……もしかして、不審者とかにでも出くわしたんですか?」


 すると、森岡さんは首を大きく横に振った。


「違うんです。アレは、不審者とかじゃなくて……」

「アレ……?」


 アレって何だろう。不審者じゃないとしたら、知っている人?

 疑問に思っていると、顔を上げた彼女は苦しそうに表情を歪めて吐き出すように言った。


「アレは……私でした。私が私を見ていたんです。今日だけじゃないんです。この前も、その前も! 私が海に行くと、アレが私を見に来るんです! 私と同じ顔をしたアレが、海の方から私をじっと見つめてくるんです!!!」


 彼女はいっきに捲し立てた。


「……え。ちょ、ちょっと待って。森岡さんが見たものって……森岡さん自身なんですか!? その……水面に映った自分を見間違えたとか、そういうんじゃなくて?」


「絶対に、そんなんじゃないんですっ! だって、アレは私に笑いかけてくるんですよ! 私が……私が笑ってるわけないじゃないですか!!!」


 彼女は立ち上がって、ダンとテーブルを叩いた。その拍子に、カップの中のミルクが揺れて零れる。それで彼女はハッと我に返ると、すとんと椅子に座りなおした。


「アレは、ドッペルゲンガーっていうやつだと思うんです。前に聞いたことがあります。ドッペルゲンガーを見るとその人は死んでしまうんだって。それを思い出したら、怖くなって仕方なくて……おかしいですよね、なんで私、怖くなるんだろ……」


 そう言って彼女は、どこか自嘲気味にも思える笑みで小さく笑う。

 その笑い方が、僕にはなんだかとても気にかかった。見た人を死に追いやるというドッペルゲンガー。そんなもの見たら、誰だって怖くて仕方ないのは当たり前じゃないのか?


 僕だって、きっと叫びだしたくなるくらい怖くなるだろう。

 でもなぜ、彼女はそんな風に笑ったんだろう。それが、心の中にもやもやといつまでも残っていた。





 そのあと、彼女にドッペルゲンガーらしきものを見た場所や時間を詳しく教えてもらった。いままでにソレを見たのは三回。いずれも場所は違うもののどれも海岸沿い。時間は夜中、明け方、そしてついさっき見たのは真昼間だ。


 彼女は僕に話してしまうとそれだけで少し落ち着きを取り戻したようだった。


「とにかく、海のそばでしか見ないんでしたら、もう海岸に近寄らないようにすればソレと出くわすことはないんじゃないですか?」


 当たり前すぎることだけどそう提案してみる。彼女はうつむき加減で少し考えたあと、「そうですね」と小さな声で返してきた。

 でもやっぱりまだ不安は拭えないようだ。


「この家にいる限りは、大丈夫ですよ、きっと。僕とか山田さんとか誰かしら家にいるし、もしソレが出てきたら僕たちで何とか追い返してみせますから」


 勝手に山田さんを巻き込んでみたけれど、彼ならこの話を聞けば快く同意してくれると思ったんだ。


 それにそのドッペルゲンガーが何なのかよくわからないけれど、おそらく何らかのあやかしの(たぐい)であることは間違いないだろう。


 となると、アカガネが住んでいるこの家に勝手に入ってくることはまず不可能だと思われた。入ろうとすればアカガネが気付くだろうし、もしかすると追い払ってくれるかもしれない。


 アカガネは僕の足元で伏せたままだったけど、耳を立てて僕たちの方に向けているからちゃんと話を聞いているのはわかっていた。


「ありがとうございます」


 森岡さんは、ようやく頬を緩ませてホッとした表情を見せてくれた。

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