第15話 僕の話を聞いてください
僕は川中さんの病室にとって返すと、彼に肉吸いのことを話した。自分が知っていることを全部。
前に川中さんが彼女と出会ったときに渡した鏡を彼女は今も大切に持っていること。それを返そうかどうしようか迷って塀の向こうからよく川中さんのことを見ていたこと。彼女はあやかしと言われるものの一種で人の肉を吸うこと。それも彼女の話だと『人の悪い部分、いらない部分』を吸うのだということ。
かなり、荒唐無稽な話だとおもう。自分で話していながら、こんなおとぎ話のような話だれが信じるんだろう。僕自身も彼女のことを頻繁に目にしていなかったら絶対に信じないだろうなんて思っていた。
川中さんは、僕の話を驚いたように目を少し大きくして黙って聞いていた。
そして僕の話が終わると、ほうっと小さく息を吐きだす。
「そっか……。あのときの、あの女の子か。たしかにその火を貸して、鏡を渡したのは私だ。ライターならタバコを吸うためにいつもポケットに入れていたから」
「あの……自分で話しておいてなんですが、彼女がどういう存在なのか僕にもよくはわかりません。何度か見かけて話したことがあるだけで。……彼女はアナタの肉を吸いたい、そうすれば病がよくなるからって言うんですが……僕はそれを薦めるべきなのか、阻止するべきなのかもよくわからなくて……」
僕の話を聞いて、川中さんがどう判断するのかはさっぱり見当がつかなかった。
いつも家の近くで彼のことを見つめていて、ずっと思いを寄せているあやかし。しかも、肉を吸いたいなんて言われたら、……かなり不気味に思われても仕方がない。
川中さんは天井を見つめたまましばらく考え込んでいた。
僕もそれ以上余計なことは言わずに、パイプ椅子に座ったまま彼の次の言葉を待っていた。
その沈黙が一分だったのか、五分くらいだったのか、もっとあったのか。時計を見たわけじゃないからわからないけど、彼はたっぷり考え込んだあと、ぽつりと言った。
「……肉吸いの話なら、私も知ってる。子どものとき、曾祖母から話を聞いたことがある。『火を貸してほしいといって近寄ってきても、火を貸したらあかんで。そうせな喰われてまうからな』、って。そう教えられたときは怖くて夜眠れなくなったものだったけど……そっか。あの子が肉吸いだったのか」
そして僕の方に顔を向ける。その表情は、どことなく優し気だった。
「あの子にもう一度会えるかな。会って、話がしたい。肉を吸ってもらうかどうか決めるのは、それからでもいいかな」
「はい。それでしたら、すぐ彼女を探してきます。ただ……」
僕はそばに座っているアカガネをちらと見た。アカガネが前に言っていたことを確認するように付け加える。
「いまは彼女は川中さんの家の敷地内や、病院には入ってこられません。それは、なんていうか家とかそういうところには自然の結界みたいなものがあって、あやかしはそこの住人が許しを与えないと自由には入れないそうなんです。なので、一度家や病室へ彼女を招き入れると、その後も勝手に入ってくる可能性はあります。本当は外で会った方が安全なんですが……川中さんはいま、そういうことができる状況じゃないですよね……」
「そうだね……」
川中さんは小さく唸ったけれど、すぐに。
「でも、いいよ。彼女をここに呼んでほしい。その、病を吸うとかそういうのも興味はあるけど。……それより私も彼女にもう一度会ってみたいなって、単純にそう思うんだ」
「わかりました。それでしたら、明日の面会時間までに探してきます。行こう、アカガネ」
椅子から立ち上がってドアへ向かいかけたとき、「そういえば」と川中さんが引き留めた。
振り返ると、彼は僕のことをじっと見ている。
「……今もなんだけど。ときどき、君の周りをさ。腰くらいの高さのところを何か赤いものが横切るのが見える気がするんだ」
それは、間違いなくアカガネのことだってすぐに分かった。
もともとあやかしの類が視えやすいタチなのか、それともあの肉吸いと関わるようになってから視えるようになってきたのかわからないけれど、僕の周りをうろちょろする赤い影なら、間違いなくアカガネだ。
いまも先に病室を出て、廊下で座って待っている。
僕は笑って答えた。
「僕もなんか変なあやかしに絡まれちゃって。ずっと一緒にいるんです。でも、悪い奴じゃないんですよ……たぶん」
川中さんは、「そうか」と小さく笑みを返してくれた。
「さてと。問題は、どうやって肉吸いを探すかなんだけどさ」
帰りは身軽だったので、最寄りの駅までバスで行ってそこから電車で帰ることにした。
バスに揺られて景色を眺めながら、僕はそのことばかりを考えている。
思えば、僕が肉吸いと何度も会えたのは彼女が川中さんを見るために家のそばに来ていたからだ。
川中さんが入院してしまって事務所にはいないと知った今、彼女はもうあの家の付近には現れないかもしれない。
そうなると、こちらから彼女を探す手段は皆無なのだ。
彼女がどこに住んでいるのかも、普段どのあたりにいるのかも僕たちは何も知らないんだから。
『……お前らにも迷惑かけてしもたな。……かんにんな』
そう掠れた声で言って去っていった肉吸いのほっそりした背中ばかりが思い起こされる。
あのとき、こうなることを予想してもっとうまく話をしていれば、すぐに肉吸いを病院に連れていけただろうに。そもそも彼女にあんな顔をさせることもなかったのに。
いまになってああすればよかった、こうすればよかったと思いなおすものの、もうどうしようもない。
はぁ、と思わず溜息をついていたら、前の席に座っていたアカガネがのっそりと顔をこちらにむけた。
「肉吸いなら、また近いうちにあの家の付近に姿を現すと思うがな」
「そうかな。川中さんはいないのに?」
「あの男の居所を知っているのは、俺らしかいない。あの男への想いが強ければ強いほど、俺らを頼ってくるほかに方法はないだろうしな。それに、もしかしたら退院して家に戻っているかもしれないと考えて、以前より頻回に見に来ることだって考えられる」
「……だといいな。僕だったら、あっさり諦めちゃいそうだけど」
「お前はそこまで誰かを好いたことがないのか?」
アカガネに指摘されて、ウグッと言葉を詰まらせた。
そうかもしれない。いままでも好きになった子や付き合った相手はいたけど、肉吸いのような強い想いを抱いたことなんてあっただろうか。
「実は、三年間つきあってた彼女がいたんだ。でも、会社の研修でアメリカに留学することになってさ。しばらく遠距離恋愛してたけど、彼女、あっちで別の彼氏ができて妊娠してることまでわかってさ。分かれてほしいって言われて、……別れたんだ。それが三か月前。新しい彼と末永く幸せにね、って伝えて。寂しさはあったけど……それほど未練とかなかった」
それ以前だってずっとそんな感じだったんだ。付き合えば相手のことを好きにはなるけど、たぶんそれは好きというより気に入っているくらいの意味合いしかなくて。別れを切り出されたところで、たいして未練はなかった。
僕はもしかしたら、肉吸いみたいにあそこまで誰かを好きになることってできないんじゃないだろうか。
人だけじゃなく、モノに対しても、仕事も住処も……。ほどほどには好きになるけど、情熱を傾けまくれるほどでもない。いつも、ほどほど。
「なんか、肉吸いがうらやましくなってきた。僕一生、こんな感じなんだろうな」
窓の外を見ながらぽつりとそんなことを言うと、アカガネがハッと鼻で笑った。
「そんなの、これからのことなんて神でもなければわかるわけないだろ」
そのアカガネの言葉が、ちょっぴり嬉しかった。