(四)五年前の夢と現実
「やあ、よくきてくれた。入ってくれ」
祖父の声だ。
バタンとドアが閉まる音。
わたしは半分目が覚めた。
寝ぼけ眼で、暗い天井を眺める。
窓から差し込む青い光に浮かび上がる、豪華な花のような模様。彫刻ではなく数百年前に描かれた絵だ。
ここは小さな街リーベンスロールの伝統あるホテル。
でも、今の音は、我が家の玄関ドアが閉まる音とそっくり!
そう思った瞬間、わたしはまた眠りの中へ引き込まれていた。
まどろみのなか、わたしは記憶の時間を遡り、『あの時』に降り立っていた。
あれは5年前のこと。
故郷の村で、わたしの家であるシャハロウ邸で、祖父は、訪問者をさっきと同じ言葉で迎えた。
「やあ、よくきてくれた、入ってくれ」
「シャハロウさん、ご無沙汰しています」
我が家の家名は正式には『シャハロウ』という。シャハロ魔術団は、言いやすく縮めただけだ。
「さっそくですが、昨日届いた情報です」
この声は、我が家がお世話になっている弁護士さんだわ。
わたしも何度か会ったことがある……。
「で、どうだったね?」
意気込んで祖父が訊ねる。
「それが……」
弁護士さんが言いよどむ。
わたしは応接室に面した中庭にいた。
曾祖母が残した薬草園はわたしが受け継いだ。植木ばさみを片手にハーブの手入れをしながら、応接室の様子をこっそり透視で覗き見する。
「残念ですが……。息子さんご夫妻の足取りは、あの街で完全に途絶えていました。周辺の街のホテルにも、宿泊記録はありませんでした」
前にも聞いた、同じ報告。
まるでお芝居の同じ場面のよう。
「あの子達が失踪してから、もうすぐ一年だ。可哀想に、レンカはもうすぐ5歳になるのに、両親の顔を写真でしか知らないのだよ。なぜ、あの国での調査にこれほど時間がかかるんだ。昔はこんなことはなかったはずだ」
祖父の哀しみを感じる。
わたしは祖父の感情に共感する。
涙がにじむ。
だって、祖父の感じているこの悲哀は、わたしのものでもあるのだから。
「あの国は変わりつつあります。報道こそされませんが、最近ではあちこちで暴動や暴力事件が多発しているそうです。こちらで雇った私立探偵は地元警察の協力を得て、周辺の街にある死体安置所まで調べましたが、それらしい身元不明者の遺体は見つからなかったそうです。しかしながら、これ以上の調査を続けるとなると……」
弁護士さんは小さく首を横に振った。
「金か。それならいくらかかってもかまわんぞ」
祖父は剛毅だ。
我が家は貴族ではなく、大商人でもないのだが、先祖代々この村の名士で、けっこうお金持ち。家作による収入があるのと、祖父が若い頃にマジックの興行で稼いだ莫大な貯金があるのだ。
「ええ、私立探偵の数を増やし、さらに捜索範囲を広げるなら、費用がかかります。しかし、これだけ調べて何の痕跡も見つからないなんて、おかしいのです。となると、もう一度、同じ街を調査することにもなります」
「わかっているさ。あの旅程はわかっているんだ。息子達には何かがあった、間違いなく何かのトラブルがね」
断言した祖父へ、弁護士さんが意を決したように顔を上げる。
「じつは今日は、その件をご相談しようと考えてまいりました。このような案件こそ、本来、シャハロウ家の方々が本領発揮する仕事ではありませんか。この村では、人が助けを求めて最後にすがるのがシャハロウ家です。せめてお二人のいる方角だけでもわかれば、我々はその手掛かりを元に、捜索範囲を狭めることもできるでしょう」
あら、この弁護士さんは、『シャハロウ家の千里眼』を知っているんだわ。
でも、村に代々住んでて我が家の顧問弁護士だから、知ってて当たりまえか。
応える祖父の声音は、苦悩に満ちていた。
「もちろん、私達も努力はしたさ。でもね、何かに邪魔をされる。非常に邪悪な何かにね。私の母ですら阻害されたそうだよ。その邪悪なパワーがあらゆる善なる力をあの国から遠ざけているのだ。海を越えてよほど近づかなければ、手掛かりをつかめないだろうとも言っていた。その母も今年初めに他界してしまった。海を渡って私が探しに行くにしても、幼いレンカを置いていくわけには……」
――そうだった、あのひいおばあちゃまでさえ、ぜんぜんわからなかったんだ。
祖父の母、わたしにとって曾祖母に当たる女性は、百三歳の長寿をまっとうした。
我が家は大昔のご先祖様から魔法使いの血を引いているという。その直系であり、優れた霊能力者だった曾祖母は、村人が持ち込む問題の相談にのり、生前は聖女のように慕われていた。
わたしは曾祖母から、千里眼を使うときの集中の仕方など、基本的なことを教わった。
千里眼のような特殊能力は『神様からの贈り物』と呼ばれ、安易に使ってはならない。悪事に使うなど、とんでもないことだ。
そういった意味で曾祖母の教育は、とても厳しかった。けれど、普段はとても優しい人であった。
母がいなくなってからのわたしは、曾祖母と魔法人形のサアラに育ててもらったようなもの。この二人が実質、わたしの育ての親である。
いろいろ考えていたら、頭の内側が熱くなり、指先が冷えだした。
嫌な感じ。前にもあった。
何かを視る前兆。
とつぜん、目の前の光景が変化した。
見知らぬどこかの街。
わたしはひとりで泣いている。
見覚えの無い風景のなかをわたしは走る。
お父さん、お母さん。どこにいるの?
わたしは自分で探しに来たよ、このリーベンスロールまで。
そうしないと、あの恐ろしい悪夢の通りになってしまうから……。
わたしの両親は旅行先で失踪した。
この世界のどこにいるのか、どんなに透視を凝らしても、わたしには視えない。
わたしは両親の顔を懸命に思い出そうとする。でも、一緒にいられた頃の記憶は三歳までだからおぼろげだ。
思い出せるのは、私のベッドの側に飾られた写真立て。
まだ赤ちゃんのわたしを抱いた母に父がよりそって写っている、一枚きりの家族写真だ。
もっとよく見たいのに、光が消えた。
わたしは暗闇の中で立ちすくむ。
けれど、恐怖に押しつぶされそうなる自分へ優しく言い聞かせる。
――だいじょうぶよ。
これは夢だから。
目が覚めれば、おじいちゃまとサアラのいる優しい日常に戻れるわ……。
そうしてあの日、目覚めたわたしは、またリーベンスロールの夢を見たと、祖父に伝えたのだ……。