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夜をのぞく水晶の眼  作者: ゆめあき千路
第五章 過去への旅

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(一)サウサンプトンからロンドンへ

 アデル・オーレンドリアⅡ世号は順調に大西洋を横断し、私たちは英国のサウサンプトン港へ到着した。


 その足で列車に乗り、ロンドンへ移動。


 欧州での再調査を終えた私立探偵からの報告を受けるためである。

 ロンドンの私立探偵事務所の調査員は、一週間前にドイツから帰国している。


 その私立探偵事務所の所長さん直々に、調査報告書を携えて来るという。


 祖父はやけに用心して、ロンドンで列車を降りたあとは、目立たぬようにタクシーでホテルまで乗りつけた。


 ホテルの部屋では探偵事務所の所長さんと調査員の二人が待っていた。わたしも一年前に会ったことがある。


 この人たちは信用できる――と、祖父のお墨付きがある人たち。わがシャハロウ家とは曾祖母の代からお付き合いのある探偵事務所だ。祖父も利用したことがあるし、協力してあげたこともあるという。


 所長さんは再会の挨拶がすむとさっそく切り出した。


「結論から申し上げます。残念ですが、今回もご子息ご夫妻は見つかりませんでした」


 所長さんが持って来た茶封筒の中身は調査したホテルの名前や、各国の警察へ問い合わせた内容の、詳細な記録だった。見覚えのある地名もいくつか。わたしと祖父が訪れた場所だ。


 祖父は書類を受け取り、ザッと目を通してから、ローテーブルへ置いた。


「ご苦労だったね。私たちはもう一度ドイツへ向かう。そのとき、この報告書に書かれた場所は少なくともはずせるわけだね。それだけでも助かるよ」

「ええ、それは電話でもお話ししましたが……しかし、いまは報告書に書けなかった、何も発見できなかった場所で、我々の身に起きたことを報告しなければなりません」


 所長さんと二人の調査員の表情はこの上なく真剣だった。


「それを聞こうか」


 わたしたちは隣室に移動して、紅茶(ティー)が用意された卓についた。でも、わたしは報告が気になって、お茶を楽しむ気分ではなかった。


「我々はシャハロウ博士ご夫妻の足取りを順番にたどるため、雑誌記者の身分証を用意して、ドーバー港からカレー港に渡り、列車でオランダへ入国しました」


 英国から欧州へ渡るにはドーバー海峡を越えればすぐだ。英国のドーバー港からフランスのカレー港まではフェリーでたった六十一キロメートル。昔から泳いで渡った人もいるというくらい、英国=フランス間は短い。


 わたしの両親も、船と列車で移動するごく普通の旅行日程だった。途中で行方不明になるような要素は何も無かった――。


「ご夫妻の痕跡は、出発前に予約されていたと聞いたオランダのホテルでも、見つかりませんでした」


 ここまでは前回までの調査と変わらない。手掛かりがどこにもない不思議……。


 わたしの『眼』にすら見えない不思議。謎。疑問……。


「予定では、オランダの大学で開催される学会に出席されるというお話でしたが……」

「私はそう聞いていた。実際には違っていたのか?」


 父は、勤め先の英国の大学と親交があるオランダの大学の学会へ出席するといって出かけた。祖父の記憶ではそれでまちがいない。


「前回同様、学会の公式記録はなぜか閲覧を拒否されました。しかし、今回は取材を申し込んだ文化人類学の教授から、これを見せていただきました」


 書類に数枚の写真がクリップで留めてある。それには父の名前と日付が写っていた。

 所長さんは初対面だが、調査員がその教授に会うのは三回目だった。記憶力の良い方で問題の時期に開催された学会の話が出たのと『シャハロウ博士』の名を出したことで、父について調査をしていると気づかれたようだという。


 そこでこんなやりとりがあったそうだ。


「君たちは何を調べているのかね?」と訊ねられたので、所長さんはストレートに「シャハロウ博士の行方です」と言ってみた。


「誰の指示でだ?」

「英国のご家族です。十歳になるお嬢さんがご両親の帰りを待っているのです」


「そうか……。気の毒だが、我々は英国人にはなにも喋れない。だが、君たちがそこにある落書きノートを勝手に見ていくのはあずかり知らぬことだ」と博物学の倉庫の片隅にある、備品置き場みたいな所を指さした。


「それがこの写真のノートか」

「大学に来た記念にサインや感想などを残していく落書き帳だそうです」

「なるほど。日付は私が聞いていた日程と合うな。ハロルドはここを訪れたんだな」


 所長さん達は雑誌記者としてインタビューする体裁でその教授と話をつづけたが、シャハロウ博士を探しているのを見抜かれてからは、学会についての雑談になったそうだ。


「その教授によると、いまは管制下にあるので不自由だが、当時の学会ではまだたくさんの人が集まって交流する機会があったので、そこで知り合った人に誘われて、近隣のどこかの国へ招待された可能性もあるだろう、という話をしてくれました。たとえばスイスやウィーンです」

「しかし、そんな知り合ってすぐの人の誘いにのるだろうか?」


 祖父は訝しげだ。


「誘った相手にもよるでしょう。たとえば地元の有力者である貴族や名士などの可能性もあります」


 他に手掛かりがなかったから、所長さん達はウィーンへのルートをたどることにした。

 オーストリアのウィーンは、父が母に見せたいと行っていた旅行先でもあるから。


「もうひとつ、その教授は『私が話したとは記録に残さないでくれ。当時はウィーンでサロンがあったらしい』と教えてくれました」


 一般的にサロンと言えば、主催する貴族が自分の邸宅へ、文化人・学者・作家などを招いて知的な会話を楽しむ集まりだ。大勢の人が集まる有名なサロンとなれば、最新流行の情報を仕入れられる社交場でもある。


「ドイツ周辺国でもナチスの勢力が強くなってからは、反ナチスの知識人は弾圧されるようになりました。彼らは(ひそ)かに集まり、意見交換をしていたそうです。その多くがすでに米国へ亡命しています」


 そのなかには、世界的に有名な理論物理学者もいたそうだ。新聞で読んだことがあるわ。そういえばドイツの人だったわね。


 科学者や知識人が米国へ亡命した話が新聞に載るのは、最近では珍しくもない。

 しかし、所長さんはその教授の話が妙に気になったという。


「ご子息夫妻は、その亡命した学者の誰かとご友人だったのではないかと思われます。ウィーンの家の現在の住人は何も知らないと行っていましたが、こちらの身分を明かし、事情を話すと、秘密のサロンがあったことを認めてくれました。これがその建物の写真です」


 所長さんは書類に添付された写真の一枚を提示した。

 ウィーン市街によくある住宅だ。大通りの立派な建物なんかは、もとは貴族のお屋敷などだったらしいけど、いまではその多くが高級なアパートメントになっているそう。


これは裏通りにある市民の住宅だ。


 写真が、とつぜん大きくなった。

 それは、わたしにそう見えただけ。


 次の瞬間、わたしはその住宅街にいて、その建物に面した道のまんなかに立っていた。




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