(二)泥棒貴族と誘拐産業
盗まれた指輪は見つかっていない。
男の子が犯人だとは、まだ誰も気付いていないから。
「おじいちゃま……」
朝食の席で、わたしは祖父に話しかけた。食事はたいていルームサービスで食べている。つい千里眼の話をしても、誰かに聞かれる心配が無いからだ。
「なんだね?」
祖父はコーヒーの苦さに顔をしかめながら返事をした。
寝起きが悪いから目覚まし代わりに飲むらしいが、苦いのがイヤならお砂糖と生クリームを入れれば良いのに。甘くすると目が覚めないのでもったいないと、不思議な理屈をこねるし。
「あのサファイヤの指輪を盗んだ男の子が、トランク詰めにされているんだけど」
透視しようと思って視たわけではない。
朝食の卵二つのハムエッグのハムを一口食べた途端、男の子が縛られて床に転がされている映像が、ダイレクトに頭へ飛び込んできたのだ。
それは男の子の考えていたハムエッグの映像と重なっていた。
(お腹が空いた。そろそろ朝食の時間だよな。ハムエッグとクロワッサンと、焼きトマトにマッシュルーム……)
それは延延と食べ物の映像がリフレインする空腹の訴えだった。
うん、その気持ちはわかる。
わたし達、育ち盛りだもんね。
寝ている間にお腹が空いたら、夢の中でもご飯のことしか考えられないもの。
お腹の空いているわたしは、昨夜さらわれてから何も食べていなかった男の子の気持ちにすっかり同調してしまったようだ。意識しないうちにハムエッグをペロリと平らげていた。
すごく早く食べちゃったから、食べた気がしない!
半熟の黄身にパンを付けて食べたかったのに、ひとしずくも残っていないなんて……。
わたしが呆然とお皿を見つめていると、祖父は少し間をあけてから、口を開いた。
「詳しすぎる情報を通報すると、私達が疑われてしまうからね」
「わかっているわ。でも、このままだと、どこかへ連れて行かれちゃうか、殺されるかもしれないわ」
そのくらい、子どものわたしでもわかる。
ふむ、と祖父はコーヒーカップへ目を落とした。
「その子が誘拐された事情はわかるかね?」
「誘拐犯の方は、泥棒一族と似たような感じで、一族で誘拐稼業をしている人達だわ。男の子が仕立ての良い服を着ているから、お金持ちの子だと思ったみたい。お金を払えば解放するって、男の子のお母さんへ脅迫状を送ったけど、お母さんには要求額が払えないわ」
わたしは視線を一点に留めていた。額の右前方に四つ切りの写真くらいの映像が浮かんでいる。それは、わたしが意図せずして男の子の意識と同調し、そのせいで索敵範囲が広がってしまった透視で得た情報。男の子の母親が今まさに、脅迫状を見ている場面だった。
「ふむ、盗まれた宝石との関係は?」
「直接は、無いわ。誰も男の子が犯人だとは気付いていないもの。でも、誘拐犯はお金持ちがたくさん泊まっているから、このホテルに目を付けたみたい。獲物がたくさんいるって思っているわ」
「……泥棒貴族に誘拐産業か。まったくやっかいな連中ばかりが次々と……」
祖父は深い溜息を吐いた。
「おじいちゃま?」
泥棒貴族はわかるけど、誘拐産業ってどういう仕事なんだろう?
祖父いわく、泥棒貴族みたいに、先祖代々誘拐を稼業とする人々がいるという。
世の中には変なお仕事があるものね。
「彼らは犯罪者だよ。ともかくわかったから、なんとかしよう。でも、お前はこの部屋から出ないようにな」
「おとなしくしているわ」
朝食を終えた祖父は、部屋を出て行った。
顔なじみのホテルの支配人に会いに行ったらしい。
祖父は支配人に頼まれて千里眼で占った、という形で、男の子の監禁されている場所を示し、犯人の特徴を警官へ伝えた。
それは、警官が目を付けていた容疑者と一致した。監視が厳しくなった誘拐犯は焦り、ホテルから逃げ出そうとしたところを取り押さえられた。
前後して、警察の別働隊が男の子の監禁場所へ踏み込み、保護した。
男の子は無事にお母さんの元へ戻った。
助け出された男の子ユーゴ・メルシェとその母エリーズ・メルシェ夫人は、支配人に連れられて御礼を言いにきた。
メルシェ夫人は白いブラウスに長い濃茶のスカートという地味な服装。目の下は隈で黒ずみ、憔悴しきった顔だ。
ユーゴは、誘拐されて怖い思いをしただろうにとても元気そう。わたしを見て、ニコーッと笑った。
だが、母親の表情は変わらず硬い。祖父を見たらますます強張らせた。
こういう反応をする人は珍しい。
孫のわたしが言うのも何だが、祖父は外見だけなら画に描いたようなダンディな紳士。そんな祖父を見て気を悪くする女性はめったにいない。
「やあ、リズ、あいかわらず綺麗だね」
開口一番、祖父は言った。リズとはエリーズの愛称だ。
「嫌みにしか聞こえないわね。あなたこそ、ぜんぜん老けていないわ。本当に人間なの?」
リズと呼ばれた女性は、目をすがめた。
どういう知り合いなんだろう。
わたしは仰天したが、顔には出さなかった。
祖父のやることや人脈にいちいち驚いていたら、マジシャン失格だ。
最近ではポーカーフェイスも慣れたもの。
「私の事はどうでもいいさ。それよりどうしてこのホテルで『仕事』をしてるのかな、リズ?」
祖父の口調がずいぶん砕けた。子どもにも二人は初対面ではないとわかる。
「君はとうの昔に泥棒貴族の一族とは縁を切ったんじゃなかったのか」
祖父は、前から知っていたのだ。それで『泥棒貴族』だの『誘拐産業』だの、いろんな変わった単語も呟いていたのね。
祖父は、一度は引退したけれど、若い頃は世界中を回っていた一流マジシャン。同じように世界中の高級ホテルで活動する異業種の連中の事も、あちこちで見聞きして、知っていたわけだ。
とはいえ、わたしが知りたい詳しい情報までは読み取れない。
祖父のような能力者や、普通でも『隠す』意思が強い人の心情は、こちらがそれ以上の強さで集中しないと透視できないのだ。
祖父を相手に、そこまでやるつもりはない。
わたしは肉眼で見て、耳から聞くだけにした。
リズが、ギッと目を吊り上げた。
「どうもこうも、『仕事』をしなければ生活できないからよ。うちの稼業は知っているでしょう」
ずいぶん自虐的な口調だ。
祖父が眉間に縦皺を寄せた。
「君と最後に会ったのは十三年前だったね。結婚を機に家業からは抜けたんじゃなかったのか。確か、相手は日本の……」
「三年前、夫は死んだわ。あの国の近くで起こった戦争で。海軍の将校だったの」
リズは俯いた。
祖父は絶句した。まったく知らなかったようだ。
そりゃそうだろう、遠い東洋の国の戦争なんて、対岸の火事だ。
「そうか、それは……お気の毒に。だが、彼はそこそこの資産家だったろう。遺産は残さなかったのか?」
ふうん、祖父はリズの旦那様にも会ったことがあるのね。十三年前にこの高級ホテルに泊まって貴婦人のリズと知り合えるということは、かなりのお金持ちだったんだわ。
「ええ、少しは財産があったわ。でも、夫の訃報が届くや、あっという間に夫の義母と親族によってたかって取られたの。義母とは折り合いが悪かったし、この子を育てるためには自分の実家へ戻るしかなかったわ。ただ……私の方の親族も、夫がいる間は、私のことは他家に嫁いだ者として見逃してくれたけど、もともとそんな甘い一族じゃない。生きるには、一族のために働くしか、道がなかったのよ」
「そうか……」
祖父がリズと話している間、わたしはユーゴに紅茶とケーキを勧めた。
誘拐されてさぞかし怖い思いをしたであろう、心のケアに手を貸そうとしたのだ。
「もう大丈夫よ。怖いことは起こらないわ」
わたしの視るところ、この子の未来はそこそこ明るい。少なくとも今後一年は誘拐事件のようなネガティブな運命は起こらない。
もちろん、本人がリスク回避に気をつけることも重要だけど。
ユーゴは無邪気な様子でケーキをパクパクとたいらげ、紅茶を飲んだ。それから、おもむろに口を開いた。
「ありがとう。君が千里眼で見付けてくれたんだね」
ユーゴの口調があまりに自然でほがらかだったので、わたしもつい、「うん、そうよ」と、うなずいてしまった!
しまった!
口を押さえたが、もう遅い。
今回の誘拐事件解決の功労者は、表向きは祖父である。シャハロ魔術団の看板、何でも見通す『千里眼』透視能力者はマジシャン・シャハロなのだから。
わたしはただのマジックの助手!
「へえ、やっぱりかよ。君は『本物』だろ」
確証に満ちた、でも急に意地悪くなった男の子の口調に、わたしはドキッとした。
「な、なんで、そう思うのよ?」
つい、うろたえてしまった。
ごく稀に、わたしの特殊能力を見抜く人がいる。祖父やわたしのような特殊能力者は、世界にそれほど多くはないが、他にもいるのだ。たいていは普通の人としてひっそり暮らしているから、めったに会わないけれど。
この子もじつは特殊能力者なのかしら?
「だって、水晶玉の占いをしていたとき、カーテンの後ろから何か合図を送っていたのは、君じゃないか!」
ユーゴは得意げだった。
あれを見られていたとは恐れ入ったわ。
ちょっと驚かされたけど、ユーゴは千里眼じゃない。
観察眼が優れた賢い普通の男の子だわ。
泥棒貴族の一族ではあるけれど、思ったことを素直に口へ出す程度には、純粋で。
そう、たしかにあれは、わたしが千里眼で透視した内容以外は、トリックが使われていたのだ。