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夜をのぞく水晶の眼  作者: ゆめあき千路
第三章 マジックショーの終わり、悪夢の始まり
11/20

(一)アメリカ到着、そしてお別れ


 海霧(うみぎり)が立ちこめる早朝、アデル・オーレンドリアⅡ世号はアメリカ大陸のボストン港へ到着した。


 三等乗客のデッキからタラップが掛け渡され、大きな荷物や子供を抱えた人々が我先に降りていく。

 一等のカフェラウンジの窓からその様子を眺めていたら、降りていく二等船客の中に見知った顔が見分けられた。


 リズの監視人だったジャノが、力ない足取りでタラップを降りていく。中型のトランクケースがひどく重そうだ。

 港へ降り立ったジャノは、やがて人混みに紛れてわからなくなった。


 彼がリズとユーゴに会うことは二度と無い。これでお別れ。


アデュー(さようなら)!」


 永遠のお別れをフランス風に気取ってつぶやいたら。


「なになに、なににさよならしてるの?」


 いつの間にか隣にユーゴ。

 わたしに並んで窓をのぞく。


「いま、監視人のジャノが降りていったのよ。気がつかなかった?」

「ここからジャノを見分けたの? 目が良いんだね」


 ユーゴは背伸びをしたが、とうにいってしまったジャノが見えるはずもない。

 わたしは彼が港の雑踏に混じり、街へ出るところまで透視で見届けたけどね。


 これで安心。リズとユーゴは解放された!



 祖父が最後にマリナス氏と話があるというので、その間わたしは一等船室に戻っていた。

 わたしたちはマリナス氏と同じ時間に船を下りる予定なのだ。


「私たちの旅の終わり、ね」


 ほがらかなリズの声。


「ジャノのことなら心配いらないわ。彼はボストンには留まらずに、今夜フランスへ帰る船の予約をするでしょう。そういう掟なのよ」


 寝室から出てきたリズは、英国風の貴婦人らしい上品なジャケットとスカートを身につけている。左手に下げていた真新しい大きなトランクを足下へ置いた。


「ありがとう、レンカ。あなたとあなたのおじいさまにも、なんと御礼をいっていいのかわからないくらいよ」

「わたしこそ一緒に旅ができて楽しかったわ」


 最後にリズにギュッと抱きしめてもらった優しい思い出は、わたしのなかできっと一生色()せない。

 リズとユーゴとはここでお別れ。もう一生会うことはない。……はずなのに。

 変だわ。もう一度会いそうな気がする……。




 

 さて、不幸にも大西洋横断中に海へ落ちたメルシェ親子の遺品は、船会社が手続きをして故郷へ送り返される。

 だからリズとユーゴは、海へ落ちた際に身につけていたと思われても不自然ではない物だけを持ち出し、ほかはすべて手放した。


 リズは亡き夫が買ってくれたというエメラルドの指輪を結い上げた髪の中に隠してきた。これは日本からフランスの実家へ帰った時以来、そうして隠し持っていたそうだ。日本に居た頃はリズを嫌っていた義父母に見つかれば取り上げられる危険があったから。


 フランスの実家でも、じつの両親にも見せずにいた。もしも高価な宝石を所有していることを一族の首領に知られたら、(なん)(くせ)をつけて奪われる恐れがあったのだ。

 だからこの指輪のことはユーゴしか知らない。


 ユーゴの宝物は父の形見という銀の懐中時計だ。普段から大切に身につけていたから、遺品の中に無くともユーゴと一緒に海へ落ちたと思われるはずだという。


二人がいま着ている服は、靴から下着までぜーんぶ、リーベンスロールのホテル滞在中に、祖父とマリナス氏が調達してきた新しいものだ。


 ちなみにユーゴが船で着ていたワンピース型のシンプルな寝間着はわたしのおさがりである。新品だけど。ちょうどサアラに縫ってもらったのがあったので(ゆず)ってあげたのだ。

 ユーゴには内緒だけどね。




 下船したわたしたちは、港のかたすみにある倉庫街の一角で、これが本当に最後となるお別れをした。

 リズが祖父と別れを惜しんでいる近くで、ユーゴとわたしも別れの挨拶をした。


「じゃあ、元気でね」

「レンカもな。ねえ、ほんとにボストン見物はしないの?」


 ユーゴがもじもじとわたしの顔色をうかがいながら話しかけてきた。


「あら、一度降りるわよ、どうして?」

「いっしょにこの街の見物をして、シカゴまでいかないかい? 僕のおかあさんも一緒だから、きっと楽しいと思うよ」


 わたしがリズと楽しく過ごしていたから、こういえばわたしが一緒に行きたくなると思っているのだろう。

 残念だが、リズがいなくても、わたしにはサアラという世界一の乳母(ナニー)()家庭教師(ガヴァネス)がいる。寂しくなんかないもんね。


「それは楽しいでしょうけど、わたしは欧州へ戻らなくちゃいけないのよ。事情は話したでしょ?」


 アデル・オーレンドリアⅡ世号に乗った2日目に、わたしは祖父が、わたしたちの事情をまだリズとユーゴには話していなかったことを察した。


 祖父がリズに話していなかったのは、リズのために行うマジックショーの準備に忙しかったせいかもしれないが……。


 わたしとユーゴが舞台に上がるのは一等船客の昼間のショーのみ。祖父とリズは、ディナーショーの準備がある。

 ユーゴの遊び相手は必然的にわたしだ。


 お喋り好きなユーゴのことだ、わたしがなぜ祖父とマジックショーの旅をしているのか、子供らしい好奇心で訊ねてくるのは避けられないだろう。


 その前に祖父からリズへ、わたしたちの事情を説明しておいて欲しいと頼んだ。

 まあ、ユーゴがわたしの事情を知ったところでどうなる問題でもないのだが。しばらく日常を共有することになった相手だから、あまり無神経な言葉をかけられるのもごめんこうむりたかったのが本音だ。


 祖父からシャハロ魔術団が旅する事情を打ち明けられたリズは、その夜さっそくユーゴに話してくれたそう。


 その翌日からユーゴの態度は変わった。ふざけることが少なくなって、格段に礼儀正しい少年になった。そのおかげで二週間足らずの船旅の間、わたしたちはケンカをすることもなく、楽しくすごした。


 船旅の間には、旅の貴婦人親子が海に落ちるという不幸な事故もあったけれど、シャハロ魔術団の船上公演は大成功。


 そして今日、この終着点のボストン港で、臨時雇いだった団員『サラ・ロッシ』と『ジュード・ロッシ』の契約期間は終わり、下船する。


 サラもロッシも、イタリアでは珍しくない名前だそう。(にせ)の旅券はいつの間にやら祖父が用意していた。

 リズに見せてもらったが、写真や印刷文字も本物の旅券と見分けがつかない。こんなのを手書きで作れるのか……。


 この船に乗る前に『角の偽造屋』さんとやらに依頼して作ったものだろう。時間的には出港したあとで出来てきた気もするけど、わたしの気のせいだと思うことにした。


 これから二人はありふれた移民として、ずっと前にアメリカへ移民したギリシャ系の遠い親戚の家へ身を寄せる。

 という筋書きだ。

 二人はギリシャ系移民の大富豪マリナス氏のお宅へ行くのである。


「アレッサンドロ・マリナスは信頼できる男だ。奥さんのソフィアも良い人だよ。古くからの友人だからよく知っている。母親のように思ってなんでも相談するといい」

「ムッシュ・シャハロ……。いいえ、アランおじさま。何もかもありがとうございます。なんとお礼をいったらいいか……」

「なにかあればすぐに連絡してきなさい。何も起こらないとは思うがね。こんどこそ自分の人生を幸せに生きるんだよ」


 祖父がリズを抱きしめてお別れの挨拶をしている横で、わたしとユーゴも別れの握手をした。


「いろいろありがとう、レンカ。僕の命の恩人だね。君みたいにきれいで可愛くて、賢い女の子と会ったのは、初めてだ」


 ユーゴが別れの握手のために差し出した手を握ったら、ユーゴはわたしの右手を、両手でギュッと握りしめた。


「いつか、もう一度会いに行くよ。こんどは僕が君を助けるからね。待ってて欲しいんだ」

「そんなの気にしなくていいわよ。ユーゴが元気で暮らしていればわたしもうれしいわ。お母さんを大切にしてあげてね」


 わたしがそういうと、ユーゴはひどく同情にあふれた目つきになった。


「レンカは行方不明のお父さんとお母さんを探しているんだよね。欧州のどこかで行方不明になった……。またおじいさんといっしょに探す旅に出るんだね。僕も必ず欧州へ戻るからね。僕たち、絶対にまた会おうね!」


 真面目に未来を語るユーゴに、わたしは戸惑った。


 なんて答えるべき?


 わたしたちは二度と会えない。なんて、冷たすぎるわね。


 ああ、どうしよう。気の利いたお別れの言葉が思いつかないわ。

 ところが、わたしの口は勝手に動いた。


「また会えるわ、そう遠くないうちに」


 え、なんで?

 どうして思ってもいないことを言っちゃったの!?


 これは予知?


 英国とアメリカなんて、そう簡単に行き来できる距離じゃない。

 この先いつどこで、ユーゴとどんなふうに再会するというの?

 わたしはアメリカへは二度と来ない。


 今回だって、祖父が雇った私立探偵が両親の足跡を初めからたどりなおすという少々長めの再調査期間がなければ、大西洋を越える船旅なんて遠出はしなかったわ。


 だから、ユーゴとはここで永遠にお別れ(アデュー)


 再会なんてあり得ない、わたしたちは地球の反対側にある遠い国へ離ればなれになるのだから……。


 でも、わたしの勘は告げている。

 ユーゴとはもう一度会う。

 それも、ごく近いうちに。


 どうしてだろう、胸の奥がもやもやする。


 べつにユーゴと会うくらいならかまわないわよ。それほど大したイベントではないだろうし。


「じゃあ、またね!」


ユーゴは元気に手を振って、リズのもとへ走っていった。

 マリナス氏の手配した自動車が去ってから、わたしは祖父に尋ねた。


「おじいちゃま、二人はこれからどこで暮らすの?」

「この街にあるマリナス家の別邸だ。リズにはアレッサンドロが仕事も世話してくれる」

「リズは何のお仕事をするの?」


 夫を亡くし、実家の遺産も暮らせるだけの家作も無く、幼い子どもを抱えた未亡人が自立した生活を立てられる仕事を見つけるのは難しい世の中だ。それくらい子供のわたしでも知っている。


「リズは頭のいい女性だ。アレッサンドロは手広く会社を経営しているから女性でも仕事はいくらでもある。それにソフィアがリズの後見人になってくれるそうだ」


 ソフィアはマリナス氏の奥さんだ。彼女も祖父の友人で、祖父は船内から電話したときに事情を説明ずみだ。リズもその電話で挨拶はすませたという。


 ソフィアはとても優しい人で、昔は祖父の妻つまりわたしの祖母とも交友があった。祖父が一度はマジシャンを引退し、世界中を旅行する興行をやめちゃったので、しばらく会ってなかったそうだけど。

 シャハロウ家とマリナス家は家族ぐるみのお付き合いだそう。


「心配するな、アレッサンドロは信頼できる親友だ。リズは二度と欧州へは戻らないよ」


 祖父はニヤリとした。


 アレッサンドロ・マリナス氏の家は、別邸といえどすごい大豪邸だ。警備も万全。泥棒貴族の一族がどんなにすごい犯罪組織だろうと、おいそれとは侵入できない。


 リズとユーゴは泥棒貴族一族にとって優秀な実行犯だった。それでも組織においては末端の駒のひとつでしかない。

 二人は大海原の真ん中で、大勢の目撃者のまさに目の前で、死者となった。


 リズから聞いた泥棒一族の首領は、恐ろしく欲深い嫌なやつだ。そんなドケチが、欧州から遠いアメリカにまで掴みどころのない死者の影を探すためだけに、お金と人手を裂くとは思えない。


 リズは本当に自由になれたのだ。息子のユーゴとも離れることなく、安全に。


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