(五)マジックの秘密は海に沈む
わたしの話をしている間に、リズは衣装を縫い上げた。幅広のヘアバンドを改造して、イミテーションの宝石と、孔雀や白い水鳥の羽根を縫い付けた髪飾りも完成させた。
わたしは衣装を身につけた。
くるりと回れば、背中に垂れ下がったレースの翼がひるがえる。さながらベルエポックの国からやってきた妖精の王女さまだ。
ドレスの裾をつまんでお辞儀をしたら、リズと、戻ってきた祖父とユーゴが拍手してくれた。
昼食後、ユーゴは祖父について熱心に簡単なマジックの練習をしていた。もともと器用なので一時間とたたないうちに、ハンカチとコップと小さなボールを使ったトリックを難なくこなせるようになった。
明日、祖父の助手で簡単なマジックを披露するのだ。
ユーゴが、シャハロ魔術団の一員『ジュード』であることを印象づける重要な初舞台。
だが、『ジュード』の印象は強すぎてもいけない。
この航海が終わればシャハロ魔術団から消え去る人間だから。
シャハロ魔術団の花形は、あくまでわたしでなければならないのだ。
お客様が真昼の第三甲板へ集まってきた。
そこには舞台が設えられている。
この船の設計当初から計画され、専門家の知識をも入れて作られた、マジック・ショー専用の仕掛け付き舞台だ。
この船のオーナーと祖父は、若い頃同じ学校にいた。親友の2人は、一緒にくだらないイタズラをしては、教師に怒られていたそうな。
マリナスさんがその記憶を思い出したらしく、ククッと笑ったので、わたしはその記憶の映像を透視した。
なるほど、カエルを先生の机の引き出しに仕込んだり、中庭に落とし穴を掘ったりしたのね。ほかにもいろいろひどいイタズラがいっぱい。この二人の担任だったなんて、なんというお気の毒な先生かしら。
さて、子ども時代の回想から現実に戻ってきたマリナスさんによると、今の時間は一等・二等・三等船室合わせた乗客の八割がマジックショーを見に甲板へ出ているという。
マジックショーの上演時間はそれほど長くない。
トランプマジックだけなら10~15分程度だ。少し大掛かりな仕掛けやマイムを取り入れたストーリー仕立ての小劇を入れても、30分もしないで終わる。
劇場なら日に2回の公演もあるけれど、この船での契約は一等船客用のレストランでディナータイムに1日1回、二等と三等船客のために2日おきに1回の公演を行う。
また、マリナスさんと船長は、乗務員にも交代で見物することを特別に許可したので、マジックショー上演中は誰でもどれかの演目を見物できる。
きっとみんなが楽しい船旅になるだろう。
そして、ショーが始まった。
マジックショーの開幕は、いつも夢と希望に溢れている。
人々は目を輝かせ、舞台に魅入る。
小さな淑女と小さな紳士が華やかな衣装で左右から登場、はためく幕を運び去る。
お次に現れたのは、華麗なドレスの謎の美女。魔法人形サアラの衣装を着けたリズだ。
次の瞬間、その背後に仮面の紳士が出現した。祖父である。
祖父とリズは舞台の上を軽やかに動き回り、祖父はリズの背後からさまざまな物を取り出して見せる。
花にハンカチ、輝く飾り。何十枚ものトランプカードが空中を舞う。七色に染められた長いスカーフがひらり、ひらりと空を切る。
台上に置かれた大きな水晶玉からは虹が生まれた。客席からは見えない位置に置かれた水晶のプリズムを利用した光のマジックだ。
最後のレースのハンカチが宙を飛んで、床に落ちたら、薔薇の花びらが吹雪のように舞い上がった。
わたしとユーゴは魔法の箱の中に入って瞬間移動する。空になった箱は、一瞬後には魔法の植木鉢となって、そこから生え出したリンゴの実は、船のオーナーへ進呈された。
さて、いよいよクライマックスだ。
祖父が大きなマントをひるがえせば、その向こう側でリズが消える。
舞台床の隠し戸から下に落ちたリズと、同じデザインのドレスに着替えたわたしが入れ替わる。
さあ、わたしの出番。
一瞬で隠し戸を押し上げて、昇ったら。
その場所を隠していた布が取り払われ、わたしはかがやく陽光の下へ現れ出でる。
さあ、わたしを見て!
観客の目が、舞台に注目する。
この瞬間。
第三甲板から少し離れた船縁で、リズ母子そっくりの魔法を掛けられた二体の魔法人形が手すりへ身体を乗り出していた。
不審な雰囲気をまとわりつかせた二人は海を覗き込んでいる。
二人を見る人はいない。
みんなマジックに夢中だから。
甲板の見張り当番である船員だけが、ときどき舞台以外へ注意を払ってはいるけれど。
舞台では祖父がマントをひるがえし、そこに再びリズが出現する。
お揃いのきらめく衣装を身につけたわたし達は舞台に並び、盛大な拍手を浴びていた、まさにこのときだ。
『エリーズ・メルシェ夫人』とその息子『ユーゴ』が、まっ逆さまに海へ転落したのは。
誰かの悲鳴が上がる。
しかし、甲板の片隅で起こった小さな騒ぎは、シャハロ魔術団への賞賛と、フィナーレの拍手にかき消された。
船員が叫んでいる。
乗客が海に落ちた。
船長に連絡だ。
船を止めろッ――……!!!
わたしがそれを聞き取れたのは、その方角へ意識を向けて、耳を澄ませていたからだ。
もちろん、透視能力も使っていたけどね。
わたしは、海へ落ちた二体の魔法人形が、白い海の泡となって消え去るのを見届けた。
海中には、魔法の媒体に使われた服だけが漂っていた。
ほどなくそれも大洋の底へ沈む。
そして二度と見つからない。
サロンルームから紳士が一人、慌てふためいて転がり出てきた。
彼は船縁の手すりへ駆け寄った。
リズ母子の監視人ジャノ。
船縁から海を覗き込んでいる。
だが、二人が見えるはずもなく……。
「なんてことだ……!?」
ジャノは頭を抱え、その場に膝から崩れ落ちた。
時速30ノットで進む船は、2人の落下地点からすでに何マイルも離れてしまった。
マジックショーに夢中だった観客は、この事故の発生にも反応が遅れた。
緊急事態発生を告げる汽笛が、甲板に反響する。
「乗客が海に落ちたんだッ、ボートを下ろせーッ!!!」
今度こそ、船中に響きわたった事故の知らせ。
船長とオーナーが艦橋を走っていく。
ショーは終わった。
大西洋の真ん中で、船は緊急旋回した。
エリーズ・メルシェ親子が落ちた現場辺りへ引き返し、何隻ものボートを下ろして懸命に捜索したが、遺体を見付けることはできなかった。
二時間後、ご婦人のものと思われる花飾りの付いた帽子だけ、発見できた。
それを見たリズの親しい友人たる石油王の愛人アメリア嬢は、その帽子は確かにエリーズ・メルシェ夫人の物であると確認した。
事故か自殺か……――。
船上では乗客の数だけ憶測が渦巻いた。
最後にメルシェ夫人と会話したアメリア嬢によれば、
「親子心中なんてとんでもない。私たち、お茶の約束をしていましたのよ。ボストンでは私の邸へ滞在される予定でしたわ。エリーズが自殺なんてするはずがありませんわ!」
アメリア嬢は乗船前から、メルシェ夫人とはとても親しい友人だったという。
皆がメルシェ夫人とその息子の哀れな運命を悼み、仲の良かった友のために嘆くアメリア嬢へ同情をよせた。
この件は、海での不幸な事故として処理されることになった。
リズとユーゴの監視人だった男ジャノは、リズの身内だけど、もちろん名乗り出たりはしなかった。
なんて冷たい?
いいえ、わたしだけが知っている彼の真実がある。
リズとユーゴが海へ落ちた(と、された)日の夜、彼は二等の船室で二人を悼んでいた。
「ああ、エリーズ、ユーゴまで……。可哀想なことをした。俺がついていながら、こんな目に合うなんて……」
一族に忠実な彼は二人に好意を持ってはいなかったが、冷酷でもなかった。
リズのことは異国へ嫁いで愛する夫を亡くして戻ってきた愚かな未亡人、ユーゴは父親のいない可哀想な子。自分が監視することで一族の役に立ち、生活できるようにしてやっているのだと、傲慢に見下していただけ。
その夜、彼は船室でやけ酒をあおっていた。
首領にリズの事を報告しなければならない。この件について彼は無関係だ。罪があろうはずもない。
だが、監視人の任務を怠ったとして、まったくのお咎め無しとはならないだろう。




