(一)ホテルの盗難事件
小さな街リーベンスロールでは、事件が起これば、噂はたちまち街中に広まる。
そんな時、疑惑の目を向けられるのは、たいがい流れの旅人なのだ。
わたしたちのように。
「念のために、その時間に君達がいた場所を聞きたいのだがね」
2人の警官が訪ねて来たとき、わたしは部屋着でリビングのソファに寝っ転がり、次のマジックショーのためのアイデアをノートに書き留めていたところだった。
応対には祖父が出た。
「私と孫娘が、あんたの説明する屈強な男に何かしたと疑われるとは、笑い話にもならないよ」
祖父は苦笑いしていた。
「しかし、あんたの『シャハロ魔術団』には、道具係の青年や助手の若い女もいるだろう」
警官の言葉に、祖父は肩をすくめた。
わたしたちはシャハロ魔術団としてマジックショーをしている。といっても現在このホテルに滞在しているのは座長の祖父と祖母と、わたし。
大がかりな興行を打つときには、その公演の間だけ、信頼できるプロのスタッフを呼び集めることになっている。
今回は規模が小さいから三人で十分なのだ。
「いまいる道具係はこの街に来てからホテルの紹介で雇った人間だよ。小さいショーだからね。それにマジックショーの助手は私の孫娘だけだ。君の言っている若い女というのは、助手ではなく孫娘の乳母だよ。今日はもう休んでいる。そもそも事件が起こったというその時間は、マジックショーの真っ最中だった。疑うなら、昨日のショーを見に来ていたホテルに滞在中のお客さま全員に聞いてみるといい」
「ああ、もちろん、そちらも聞き込みはしているよ。まあ、ホテルの名簿のおかげでマジックショーの観客は全員身元が判明しているし、すぐに終わるさ。寛いでいるところを悪かったね、お嬢ちゃん」
警官の片方がわたしと目が合った。
わたしはノートの上に鉛筆を置き、体を起こしてソファへ座り直した。
「そういえば、あんたがたの出し物に『千里眼』があったな。それで盗まれたサファイヤの行方を占えないかね?」
すぐにわたしの脳裏に、暗い場所に隠された大粒のサファイヤの指輪が浮かんだ。この1粒で大邸宅が一軒買えるほどの高価な宝石だ。
盗んだのは少年。年はわたしと同じくらい。髪は薄茶で、目は濃い緑色。仕立ての良い服装。高級ホテルに泊まっていても、誰も疑わない。
顔立ちもなかなか上品だ。貴族のおぼっちゃんて雰囲気。どこへ移動するのもお母さんと一緒。
いえ、違うわ。二人の後ろに奇妙な影?
母子は行く先々で、その奇妙な影を引き連れて高級ホテルに泊まる。
何も知らない人から見れば優雅な暮らし。
でも、母子の実情は『貧しい』?
男の子からは、その日暮らしの切実な辛い気持ちが伝わってくる。だから、泥棒をしなくちゃいけないんだと……。
そりゃそうよね、泊まっている人達のことを念入りに下調べして、高価な宝石を盗むくらいだもの。
ふうん、宝石を盗まれた人は、届け出ている人が半分もいない。持ち主はニュースとかスキャンダルとか、騒ぎになるのがイヤな人が多いんだ。そういう人を狙っているのね。
でも、今回は違った。新興国から観光に来た成金大富豪の愛人は、指輪を盗まれたと悲鳴を上げて騒ぎ立てたのだ。
屈強な大男のボディガードが2人も付いていたのにね。小柄な男の子の暗躍には、誰も気がつかなかったのだ。
犯行は、ホテルの滞在客がマジックショーを楽しんでいる時間に行われた。
ふむ、男の子のお母さんは、着飾ってマジックショーを見に来ていたんだわ。とっても綺麗な人。わざと人目を惹きつけるのが役目みたい。
あら、協力者は他にもいるわ。普通の滞在客の振りをした、男の子とお母さんの血縁者みたいな人が、三人ほど……。
ああ、そうか。この人達が、この母子に付いている奇妙な影なんだわ。
時代は五百年以上昔のこと。
その頃、彼の一族の先祖は、あちこちの国の領主に兵士として雇われる傭兵だった。彼らは傭兵として戦争にいくかたわら、略奪で財を成した。そして、ある王様に仕えたとき、戦に勝った報償として領地をもらった。
豊かな領地でワインを作り、もう傭兵として危険な荒仕事をしなくても暮らしていける生活を手に入れたのに。
彼らは、略奪の旨味を忘れられなかったのだ。
それはいつしか、子孫へと代々受け継がれる稼業となった。
さすがに中世のご先祖様のような荒っぽい略奪や人殺しの強盗なんかはしないけれど、その代わりに家屋に侵入する方法や人を騙す技術を磨き、それを子孫へ伝えている。
自分たちのことを『泥棒貴族』と自称して誇りにすら思っているの。
今ではまっとうな会社も経営しているのに、裏では泥棒の顔を使い分けて生活している器用な人達……。
サファイヤの指輪は、まだホテルから持ち出されていない。盗まれた直後に愛人が騒いだので、すぐに駆けつけた警察によってホテルは封鎖され、泥棒達も足止めされたから持ち出せなかったのだ。
今、このホテルから逃げ出す人がいれば、自分で犯人だと名乗り出るようなもの。ほとぼりが冷めるまでは、誰も動かないだろう。
これらの情報をわたしが読み取ったのは、一瞬のこと。なぜって、たいがいの情報は塊(かたまり)でやってくる。わたしはそれを受け止めて、読み取るだけ。
わたしは警官に向かってにっこり笑った。
「すいません、マジックショーは見世物なので、ここですぐにはできませんわ」
「はっはっは、言ってみただけだよ。しっかりしたお嬢さんだね」
警官はわたしの言葉を「ショーとして仕掛けがないからできない、あるいは報酬が発生しないからできない」と解釈したようだ。
今日のマジックショーでは、祖父の千里眼とカードマジックを披露した。
千里眼は、祖父が水晶玉を覗き込み、観客の質問に答えるという出し物だ。観客の選んだカードの数字や、手に持ってもらったお財布の中身を当てるもの。
そんな他愛のないマジックネタだったから、わたしの拒否を良い方に解釈してくれたのだろう。
警官が帰ってすぐに、わたしは一連の情報を祖父に伝えた。
普段からこんなふうにクリアーに視えた情報は、すぐ祖父に相談するように言いつけられているからだ。
「なるほど、あの連中、まだ健在だったんだな」
「おじいちゃま、泥棒貴族のことを知っているの」
「ああ、少しはな」
忌々しげに呟いた祖父によると、彼らの生国はフランスの、片田舎にある古い街だそう。
老舗の高級ホテルでは警戒してそういった連中のブラックリストを持ってはいるのだが、相手の泥棒もさるもの、変装したり部外者を雇ったりして犯罪行為を続けている。
「あちこち回っていると、ときどき同じ顔ぶれに遭遇することがある。その人達がそうとは限らないし、向こうも私の事は知っているだろうから、犯罪の証拠がみつからない限り、何もできないんだよ」
というわけで、この件は傍観することに。
もし、警察やホテルから千里眼での協力を頼まれたら、指輪の在処くらいは占ってもかまわないが、行動にはくれぐれも慎重を期すとのことだ。
祖父が座長を務める『マジシャン・シャハロの千里眼と水中脱出ショー』は好評で、わたしたちは夏のバカンスシーズンに合わせて1ヶ月まえからこの国の各地で出演している。
マジシャン・シャハロは祖父のことだ。祖父はひとりで行うトランプなどのマジックの他にも、わたしを助手として派手やかな水中脱出ショーなども披露している。
水中脱出ショーと言えば、一般には鎖や鍵でガチガチに拘束されたマジシャンが脱出不可能な水槽から一瞬で消えて舞台の袖から出現するようなものだが、わたし達のはひと味違う。
妖精に扮した可愛い女の子が、天井から華ブランコに乗って降りてきたり、客席の後ろに突然咲いた大きな蓮の花の中から出てきたりする。
もちろん、ホテル側と裏方さん達との綿密な打ち合わせによる楽しい演出だ。
だから観客はホテルの滞在客にかぎらず、街の住人も家族連れでやってくるから、連日の大盛況。わたし達も大儲け!
祖父がホテルと結んだ興行契約は、あと一週間。
それが予定通りに終わったら……計画通りにいったら、わたしたちは故郷の家へ帰れる。
そうして長い冬の休暇を、のんびり過ごすのだ。うまくいけば、そのときはわたしの父と母も家に帰っているだろう。
わたしは祖父の言いつけに従い、サファイヤの指輪の件は忘れることにした。
だが、ホテル内での事件は、それで終わらなかった。
例のサファイヤの指輪を盗んだ男の子が、行方不明になったのである。