その4
「呼ばれた……ッテ何やらかしたんだヨ」
「別に何もやらかしていない。ただ、『まだ考えているのか』と聞かれただけだ」
「ん? え、マジ? っかー、あの女もしつこいナ」
なはははハ、と笑うトカゲの声が部屋中に響く。その声は半年前と何も変わっていない。いや、むしろ聞き慣れた分、余計に不快に感じる部分もあるかもしれない。
(半年、か)
その笑い声で、思い出す。半年前、俺が目覚めた直後。
トカゲと初めて出会ったあの日。俺がドラゴンを狩ると、そう決めた日のことを。
ーーー
「といっても無理そうダナ。わーった、聞かせてやるヨ。お前が呑気にお寝んねしていた半年間のことを。世界の変わり様を、サ。」
半年。そのトカゲはそう言った。
あのファンタジーが襲来して、すでに半年が経っているのだと。その半年間、人間も決して指を加えてみていたわけじゃないはずだ。
すぐには反撃できなくても、きっと……。
「んー、どこから話したものカ……」
「最初からだ」
「最初かラ? それはおよそ46億年前ニ、宇宙が……ってそんなに睨むなっテ、冗談だヨ」
「…………」
黙って目から力を抜く。次にふざけたことを話そうものなら、許さない、と目で訴えてから続きを促す。
それに対して。
「っと、ちょうドご到着だ」
がちゃり、と扉が開く。場所はトカゲのちょうど後ろ。俺のいるベッドから、トカゲを挟んだ反対側の壁からだった。
そこにあった扉が開いて光が入ってきている。そして。
「目が覚めたと聞いて来てみれば、またお前はちょっかいをかけているのか?」
「しかたねーダロ? せっかくのオモチャだからナ、遊ぶなって方が無理ダロ」
コツコツ、と軽い足音を響かせながら人が一人入ってくる。髪は長い。
「気分はどうだ?」
「よくはない」
「つまり悪くもないってことか、なら良い」
ふぁさ、と音を立てて目の前で髪が揺れる。
「紹介が遅れたな。私はナツメ。……で、こっちの怪しいのが」
「オレに名前なんてないヨ、見たまんまトカゲだ。愛着持っテ、気軽にカゲさん、とでも呼んでくレ」
「……だそうだ。それで、君の名前は?」
「…………須野裕二」
「そうか、では須野。君には今二つの選択肢がある。一つは、何も聞かず、ここでゆっくりと過ごしていくことだ」
「もう一つは?」
間髪入れずに答える。それが意外だったらしく、目の前の人物、ナツメさんは一瞬目を見開く。
けれどそれもすぐに消えていく。
「もう一つは、これから話す絶望を聞いてから生きていくことだ」
「…………」
正直、そのとき心が揺れなかった、と言えば嘘になる。
今ナツメさんは『絶望』と言った。それは十中八九、あのファンタジーのことだろう。
それが、半年もたった今でもまだ、『絶望』。
(聞くな、聞いたら戻れなくなる)
心のどこかから、そんな声が聞こえてくる気もする。
けれど、俺の口は動いた。まるで、何かに突き動かされるように。そうすることを強いられるかのように、その選択肢を選んだ。
「聞かせてください。その『絶望』ってやつを」
「……いいだろう。望み通り聞かせてやる」
言って、部屋のどこかから椅子を取り出し、そこにナツメさんが座り込んだ。カゲも同じように椅子を手に取る。
「まずは半年前だ。君も覚えているかい? そう、ドラゴンの襲来から全ては始まった」
ーーー
「そんな! 銃もミサイルも効かなかったんですか?」
「ああ、その通りだ。ミサイルはともかく、人が手に持って扱う銃器なんて、ただの豆鉄砲だったよ」
それは、確かに絶望だった。
まず、襲来したドラゴンは所構わず人を襲い始めた。それ自体は俺も確かに覚えている。忘れられるはずもない。
その直後から、国は抗戦を開始した。具体的には、自衛隊、陸軍、空軍の部隊で殲滅を図ろうとしたのだ。
それらの結束があれば、必ずそのドラゴンを駆逐できるはずだと。そう、『結束があれば』。
「ナハハハハ。あァ、あれは確かに面白い見せ物だったナ」
隣で笑うカゲ。決して笑うところではないはずだが、当人にとっては笑い話らしい。
「いや。そんな地球の危機を、自らの欲でさらに悪化させたんだ。笑うしかないだろう」
ナツメさんも、笑いこそしないものの否定はしない。
理由は一つ。要は揉めたのだ。『どの部隊が先陣を切るのか』、という議論で。
確かに歴史的にも、先陣を切って戦う姿はかっこいいように言われている。
そして国自体の報酬にも色がつくだろう。だから、上層部は揉めに揉め、ついには瓦解を始めた。
もちろん、ドラゴンがそれを待つようなこともなく、軍隊は、隊を成す前に崩壊した。
といっても、軍人である以上、彼らは戦った。多数で取り囲むはずが、各個撃破のような形になってしまったが、それでも一人でも多くの民間人を守るため。その銃口をドラゴンに向けたのだ。
けれどそれも。
「効かなかった」
「効かなかった、って、当たらなかったんですか?」
「いや、当たりはしていたらしい。が、当たったその瞬間に弾が弾け飛んだ。奴らの皮膚を貫通することはついぞなかったよ」
「…………」
黙り込む。いや、喋りたくても言葉が出て来なかった。
嘘だと否定したい。そんなのは幻だ、悪い夢だと。いっそーー
「それで、どうなったんですか?」
言葉を絞り出す。まさしく、そんな感じの声の出し方だ、と自分でも思った。
聞こえづらいし、何より小さくて、床に向かって発したような言葉。
「どう、とは?」
「その後、人間は、俺たちはどうなったんですか」
「……見ての通りだとも。我々は敗北した」
ふー、と少し長めにナツメさんが息を吐き出す。
「残った、多くない人間はこうして地下に逃げ延びた。が、地上はもう奴らの領土だ。人が安心して歩ける地なんてもはや残っていない」
「そう、ですか」
足が、震える。さっきまでろくに力も入らず、動かすことすら満足にできなかった足が。
武者震いなら、それでもよかった。けれどこれは違う。カタカタカタと、止めることもできないまま震え続けている。
地上に人間の世界はもうない。そんなーー
(そんな世界に妹を置き去りにしてしまった)
その事が、黒い何かとなって心をざわつかせる。
さっきまで、まだ落ち着いていた感情が揺らいでいく。
俺だけが、助かってしまった。こんな。こんなくそったれな世界に、俺だけが。
「こちらとしてはこんなところだ。……さて、では今度は君のことも聞かせてもらおうか」
ナツメさん、いやナツメに言われて、前を見る。
そこで初めて、彼女の服が意識に入った。それはまるで、軍服のようで。
「ん、ああ。そう言えば最初に言うべきだったな。私としたことがうっかりしていたよ。……私はナツメ、この地下シェルターの指揮官をしている者だ」