その2
「うああああ”あ”あ”あ”!!!」
咆哮を上げて突撃する。が、もちろん手にロクな武器もない。これでよく出陣したものだと、自分でもそう思う。
が、今は。
今はそんなことはどうでもいい。敵意を剥き出しにして、声を上げながら目の前のドラゴンに接近する。
もちろんそんなことをすれば、相手も気がつく。そして。
「よし、今だ!」
「うぉ!!」
隣を同じように駆けていた男、マークが急制動。ドラゴンに向かっていた足を右に向ける。
それに合わせるように、自身の足を左に向けて突き動かす。
その瞬間、さっきまで俺たちのいた場所にはドラゴンの腕、そして爪が叩き込まれた。
これが今回の作戦。要は囮だ。
奴も、一撃で仕留められなかったことに苛立ったのか、すぐさま腕を引く。そしてその巨体を動かし、
「はっ! こうやって相対するのも久しぶりだな!!」
反対側に避けたマークの方へと向き合う。俺の前には無防備に向けられた背中……。
(舐められたもんだな)
実際、侮っているのだろう。人間にドラゴンは傷つけられない、と。
その通りだ。だからこそ、人間は地下に逃げた。
そうすることでしか、生き延びられなかったから。
『間違っても、倒そうなどとは思うなよ?』
「分かってるっての」
耳に入れていたインカムから声が聞こえてくる。
その声に止められる形で、踏み出しかけた足を戻した。今まさに、無防備にさらされている背中に突き立てようとしたナイフも元に戻す。
『それにしては、気合の入った声だったが?』
「……その方が奴の注意も引けるだろう?」
言い当てられてギクリとする。が、幸い次に出た言葉はいつも通りの声音だった。
「それよりそっち側はどうなんだ? どのくらい進んでる?」
『順調、とは言えないが、それなりに進んでいる。あと十分も稼げれば十分だろう』
『「了解!」』
同時に通信を開いていたマークと声が重なる。
そう、今回の俺たちの役割は囮。こうやってドラゴンと向き合っているうちに、近くでは別部隊が動いているはずだ。
そちらに意識を向けさせないように、またそこへ向かおうとするのを阻止するのが俺たちの役割。
人類はまだ、こいつらには勝てない。
(それでも)
こいつらの好きにさせておくわけにはいかない。俺はまだ妹を、諦めたわけじゃない。
そのためにも。
「今は、生きることだ!」
ナイフを完全に手放し、腰から別の筒状のものを取り出し、放り投げる。放物線を描いたそれは、そのままドラゴンの背に張り付いた。それを確認してから。
「生きてるか? マーク」
『お、準備できたか。残念ながら生きてるぜ』
「ちっ!」
『おい、なんだ今の舌打ちは!』
「気のせいだ。それよりも、そろそろ時間だ。こいつを引き連れてこの場を離れるぞ」
『……ったく。了解だ……っとと、うわ!!』
直後にインカムと目の前の両方から、風を切るような音が聞こえてくる。
ついで、目の前からは何かが焦げ付く匂い。いつまで経っても捕まらないマークに郷を煮やしたのか、火を吹いたようだ。
物凄い熱気があたりを包み、一部の壁は溶け始めている。
「今度こそ死んだか?」
『んなところで死ねるかよ!!』
耳と、瓦礫の奥から声が聞こえてくる。どうやら物陰に隠れて、やり過ごしているようだ。
と言っても、その『物』もすぐに限界が来るのだろう。
(2、1……)
だから、3カウント数えたところで躊躇いなく発動する。手元の起動スイッチを押し込んだ。
ピピッ!
甲高い電子音の後、ドラゴンの背中で衝撃が発生し、マークを襲っていた火が途切れる。
先ほど貼り付けた仕掛けから発生した電流が、ドラゴンの背中を駆け巡ったのだ。普通なら、一発で黒焦げになるような威力。それが、ただの気逸らしにしか使えない。
「これだから、ファンタジーって奴はよ……」
小さく、一人でごちる。
「いやー危なかったぜ、サンキューな」
「お互いにな」
火が止んでいる隙に抜け出したマークが駆け寄ってくる。
その髪先が少し焦げている。完全には避けきれなかったらしい。全く持って悪運の強いやつだ。
マークがこっちにくるのに合わせて、ドラゴンもこちらに向きを変え、大きく息を吸い込み始める。
標的が二つから一つになった。その瞬間を見逃してくれるほど、甘くはないらしい。
それでこそ、だ。ようやくこちらに敵意を持ち始めたらしい。
だから当然の抵抗として、手の中のスイッチを押し込んだ。
ラァアアアア!!
耳をつんざくような雄叫び。
さすがに二度目は頭にくるらしい。火のブレスは中断され、奴の尻尾が暴れ回った。
それを見て、少しぞくりとくる。一度目の時にそうされていたら俺は……。
「で、やっぱりあれを使うのか?」
マークの声で我に帰る。今はそんなことを考えている場合じゃない。
頷き、そして。
俺たちは奴に背を向けて走り始めた。なんてことはない。逃走だ。
「その方が楽そうだからな。なんにせよ」
「まぁ、ここにいられちゃ邪魔、だもんなー」
そんなことを言い合いながら、足を前に進める。奴から少しでも距離を取る。
ふと、振り向けば後ろーー
ゴァアアアア!
後ろからは咆哮と風圧。
ついでズシンズシン、と重そうな足音。
どうやら問題なく追ってきてくれているようだ。ただし徒歩で。
(やっぱりまだ俺たちは敵わない、ってことか)
悔しさに唇を噛む。
あいつらの背にある翼は飾りじゃない。その見た目通り、奴らは飛ぶことができる。
それは、初めて出会った時にも散々見た。なのに、今はそれをしない。
人類は、人間は舐められたままだ。
「よし、このまま誘導するぞ」
「分かった」
スイッチを持っていない方の手に、自然と入ってしまっていた力を抜く。
いい加減頭を切り替えろ、と自分に言い聞かせる。
今は個人的な感情は切り捨てるべきだ。いつか、来るはずの日のために。
「着いた!」
「まだ気を抜くなよ」
「わーってるって」
たどり着いた場所は、広間。
いつかは華やかに水を吹いていたであろう、噴水の残骸。それが中央に陣取った、いつかは公園のようだった場所。
入ってきた俺たちは、その噴水を横切り、ちょうど入り口とは反対側にあたる場所に陣取った。
その直後。
ゴァアアア!!
咆哮のあと、奴が入ってくる。性懲りもなく息を吸い込みはじめたので、こちらも性懲りもなくスイッチを押し込む。
アアアアア!!
三度目ともなると、さすがにあいつも分かり切っているのか、ブレスを中断した後そのままこちらに踏み込んでくる。俺たちの近くへ。もっと言えば『噴水の上』に。
「今だ」
「あいよ、っと」
今度はマークが手の中のボタンを押し込む。それに反応したのは、噴水。
別に水が吹き上がるわけではない。むしろその逆。
グシャア、ベチャ……ドロ……ベチャ
ドラゴンの足元。そこにあった噴水の残骸が、怪しい音と共に沈み込む。
落とし穴だ。
「はっはぁー!! 足元には気をつけな!!」
噴水を中心とした、半径五メートルに及ぶ落とし穴。ちょうど俺たちの数歩前あたりまでが範囲に入る。
それにドラゴンを落とし込んだ。
もちろん、ただの落とし穴ならばすぐに出てこれるだろう。最悪翼もあることだし、対して時間稼ぎにもなりはしない。
が、そこはそれ。落とし穴の中には大量の粘着性物質が詰まっている。
要はゴキブリほいほいに近い。
「おい、行くぞ」
「え、なんでだよ、もうちょいからかって行こうぜ?」
「俺たちの役目はここまでだ」
『その通りだ』
インカムから、指揮官の声が流れ込んでくる。この女がそう言う、ということは。
『先ほど、食糧調達班の帰投を確認した。お前たちのミッションも成功、と言うわけだ』
「だそうだ」
「分かりましたよっと」
『では、こちらも迎えの準備をしておく。一応念のためだが……帰ってこいよ?』
「「了解」」
敬礼はしないものの、はっきりと告げる。
今目の前にはドラゴン。妹を、俺の元から奪い去った張本人、の仲間。
俺の憎むべき仇。けれど、今はまだ敵わない。
「いつか、必ず」
そう呟いて、背を向ける。
今はまだ、生きるために。