その8
「ハハハ! そいつは痛快だ」
「ちょ、笑い事じゃないですって」
広い部屋には俺とマーク、それからナツメ。そして。
「くふフ、くふふふふ」
そしてトカゲ。
そう、ここは警察署ではない。俺とマークは既に、作戦室まで帰ってきていた。
「ったく……」
そうやって頬を撫でながらぼやくマーク。その手の下の頬は赤く染まっている。
と言っても別に照れているわけじゃない。最後の最後に頬を張られたのだ。その救助に向かった警察署、その二階に避難していた人に。
ーーー
助けに来た…? 今、彼女は確かにそう言った。
そしてその隣には二人の男。
(……そう、彼らが)
「恵さん…?」
ふらりと立ち上がった私を、隣の奥さんが見上げてくる。
その視線に、立ち止まりそうになる。けれど、私の足は止まってくれなかった。
一歩、また一歩と彼らに近づいていく。
途中で子供たちとすれ違い、そして。彼らの前までたどり着いて。
パァン!!
乾いた音が響いた。
「…っ痛!」
「め、恵さん!?」
同時に私の手にも痛みが走る。
「どうして! どうしてもっと!!」
早く来てくれなかったのか。
分かっている。彼にぶつけても意味のないことは。それでも、ぶつけられずにいられなかった。
だって、彼が。彼らがもっと早く来てくれていれば。もしかしたら。
『あついよ…おかあさん。たすけて』
思い出すのはそんな言葉、情景。
そう言いながら目の前で黒くなっていく子供。私の大事な、ただ一人の子供。
そして、すでに黒くなって身動き一つしない、私のたった一人の愛した人。
『誰か!! 誰か助けてください!! お願いします!!! 私の子供が!!!』
あたりで燃え続ける火がさらに勢いを増していき、私の目もかすみ始める。
もう目を開けていられない。そのまま、眠るように目を閉じて、そして。
『大丈夫ですか!? よかった、目が覚めたんですね』
何がよかったものか。
私は大事な人を二人も失ったのに。
けれど、目の前の人を責めるのも間違っているのはわかる。
「助けていただきありがとうございます」
「ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとう」
周りから聞こえる、そんなお礼の言葉。
「……ええ、ありがとうございます」
だから私は頷いた。頷くしかなかった。
ーーー
「あ、あのぅ……」
「っと、これは失礼した。改めて、ようこそ『桜花戦線』へ。我々はあなたのことを歓迎する」
ふと、柚木博士の声で思い出しごとをしていた意識が戻る。
マークが頬を張られた後。蚊がいたのだと誤魔化し、なんとか子供たちを落ち着かせた。
流石にその言い訳はどうなんだろうか、とは今でも思うが……。
まぁそれはともかく。
そうして俺たちは、柚木博士や避難民の人たちと共にシェルターまで帰還した。
「い、いえ。助けていただきありがとうございました」
「それで、早速なのですが柚木博士。移動中にお話したことはお考え頂けましたか?」
「……それは」
ナツメの言葉、『移動中にお話したこと』とは、柚木博士の力を桜花戦線に役立てる、と言うものだ。
「私の力が役に立てるなら、喜んでお邪魔させていただきます。けれど…、私なんかがお役に立てるのでしょうか?」
「もちろんです。我々は敵についてあまりにも知らなさすぎる。その敵について調べるならばやはり、あなたの力が必要になるでしょう」
「……わかりました。微力ながら、お手伝いさせていただきます」
そう言って頭を下げる柚木博士。
「ああ、いえ、お願いするのはこちらの方だ。改めてよろしくお願いする」
ぺこり、とナツメも頭を下げ、その二人が頭を上げてから。
「では、柚木博士。早速で恐縮ですが、今日から解析に入って欲しい」
「え、と。それはもちろん構いませんが、研究には検体となるものが必要となります」
「ああ、それなら心配ありません。そこの、ぶっきらぼうな方が今回、その検体を持ち帰ることに成功したのです」
ナツメの指差す先には、俺。後ろを振り返っても、誰かがいる気配はない。
と言うことは間違いなく、その『ぶっきらぼう』とやらは俺のことなのだろう。
「本当ですか!? では…」
「はい。あなたの準備が整い次第、今すぐにでも研究は始められます」
「では、今! 今すぐ行きましょう!!」
確かに、その検体とやらも、既にここにいる研究者に渡してある。今すぐにでも研究が始められる、というのも間違っていない。
が、そう聞いた柚木博士の声が急に大きくなる。よく見れば目の色までも変わりそうな勢いだ。
彼女も歴とした研究好き、と言うことなのだろうか。
「…っと、わかりました。マーク、案内を頼む」
「了解っす」
その柚木博士の勢いに負けるように、身を引きながらもマークに指示を出すナツメ。
彼女のそんな態度も珍しい。
「で、では失礼します!!」
「あ、ちょ! そっちじゃないっすよ!!」
慌ただしく部屋を出ていく柚木博士に、それを追って出ていくマーク。
最初の印象では、もっと大人しそうな人だと思ったのだが、それも違ったらしい。
「まさか柚木博士が、あんな……」
ナツメのその言葉には、心の底から頷いた。