その1
魔物やドラゴン、妖精や亜人種、もしかしたら天使なんかもそうか。
ゲームやライトノベルのような創作で見かけるような、現実にはいないフィクションの存在を好いている人は多いだろう。無論、俺もそうだ。
と言っても、それは当然、フィクションの中だから好きだという側面が強い。誰だって、自分を殺しにくる存在と、仲良くなりたいとは思わない。
……まぁごく一部には、なりたいと思う輩もいるかもしれないが、少なくとも俺の周りにはそこまでのやつはいなかった。
さて、なぜ俺がこんな語り口調なのか。それはこれが一つの記憶だからだ。俺の記憶、そしてある種の『未知との遭遇』の記憶。
そう、現れたのだ。そのフィクション、いや、もういっそファンタジーとでもいうべき存在が。
何の前触れもなく、突然。街の空を覆い尽くした。
それはちょうど2年前。
俺と、妹の白奈が街に出かけていた時だった。もう、何を話していたかなんて覚えていない。
それぐらい、ただの日常だった。
日常、だった。
「なんだあれ?」
「んー?確かに何か見えるな」
「何かって、ただの鳥とかなんじゃないの?」
少し離れた場所にいる男が、突然空を指差した。つられた他の人が見て、鳥や飛行機ではないかと言った。
それだけのことなら、俺も妹も特に気にしなかっただろう。
だが。
「なぁ、おい……」
「あ、ああ」
「鳥じゃ、ない……?」
にわかに周りが騒がしくなり始める。
まるで、初めて見るものに対する反応のように。
それにつられて俺は、そしておそらく妹も空を見上げた。
その視線の先、確かに何かが空を飛んでいる。初めはもちろん鳥かと思った。だが、違う。
『それ』は近づいてくるにつれてどんどん大きくなってくる。鳥を超え、飛行機を超え、ついには。
「おい、おいおいおいおい!!やべえって!!」
「逃げろ!!!」
周りの声は叫びに。声に宿る感情は興味から畏怖、恐怖へと変わる。
そして。
俺たちが、踵を返し逃げようとするより早く。
ドズン!
『それ』は現れる。明確な重量を持って、幻でない現実を俺たちに叩きつける。
実際に見たことはなくても、ゲームをやらないような人でも間違えないだろう。『それ』は、その姿は間違いなく、ドラゴン。
そこから先は地獄だった。
「うわああああ!!」
「逃げろ!逃げろ!!逃げろ!!!」
「どけ!邪魔だおら!!」
泣き叫ぶ人、逃げる人。そして、自分のために周りを押し倒す人。
「兄さん!」
「っ、ああ!!」
俺も妹の手を引いて走り出す。
が、当然そこかしこに人がいる上に、ドラゴンも1匹、いや一体だけじゃない。さっきのような轟音と一緒に、次々と降りてくる。何体も何体も。道を塞ぐように、俺たちを逃さないように。
そしてついにそれは起こった。いや、降りてきたのだから、最初からそのつもりだったのだろう。
「ひっ、やめ……」
逃げているうちの一人が捕まった。引きつったような声を出すその人を掴んだ、巨大な腕は。握りつぶすこともせずにそっと。
「やめてくれええええ!!!」
ぞぶり、ぶちぶちぶち……。べちゃ、ぐちゅり、ひた……。
その人の上半身を引きちぎった。もっというと、食した。
考えてみれば当然だ。なぜ、わざわざ地上に降りてきたのか。殺すだけなら、上空から炎でも吐いていればいい。それだけで人間は簡単に死ぬ。
なのに降りてきたのはもちろん、そうしないとできないことをするためだ。そして、それが今まさに行われた。
一度始まったそれは止まらない。
こちらで一人、あっちで一人。さっきまとめて聞こえた悲鳴は複数人の声だっただろうか。
逃げようにもどこに逃げていいのかすら分からない。
「クソ、大丈夫だからなお前、は俺が……」
汚い言葉を吐いてから、妹の存在を思い出して声をかける。が、その声が途中で尻すぼみとなって消えて行く。
声をかけようと、気を使おうと横を向いて初めて気がついた。自分の手に握っていたものが、すでにないことに。
「うそ、だろ……」
気づかなかった、気がつかなかった。色々あるが、今はそんなことはどうでもいい。
「白奈……どこだ、白奈!!」
周りを見渡すが、どこにも見当たらない。俺の家族、俺の大事な、妹。それが姿を消している。
決して離さないようにと握った手は何度確認しても、もうなにも掴んでいない。
あるのはただ、『握っていた』という感覚のみ。
となれば当然、残る可能性は一つだ。
すでに奴らの腹の中。
そう思った時の感覚はよく覚えている。
怒り? 悲しみ? 憎しみ?
違う。その程度の言葉で表してはいけないような激情。
今まで感じたこともないような感情が体を駆け巡る。そのまま感情は足に移り、駆け出す。
向かう先は、目の前にいたドラゴン。強大な力、凶暴な存在、俺たちを捕食しにきたこの事件の原因。
そんな存在に、俺は飛びかかる。勝算なんてない。ただ足が勝手に動いただけ。
降ろされていた尻尾の元にたどり着き、しがみつく。そして。
当然のように振り払われる。
さっきまで立っていた場所よりも少しだけ遠くに飛ばされた後、地面に落ちる。
妹を食われ、その仇を討つこともないまま、俺も食われるのだと、近くのドラゴンを見上げながらぼんやりと思った。
そう思ったことを最後に。そして、地面に落ちた衝撃と共に、俺の意識はあっさりと途切れた。
「やぁ、目が覚めたカイ?」
気がつくと、知らない天井があった。
そしてその隣からは、知らない顔が覗き込んでくる。
「…………」
「あれ? おーい、もう目開いてるんだから見えてるダロ?」
もちろん見えてはいる。が、その見えているものが信じられない。
まずは、肌。決して人のものとは思えないその肌、いやいっそのことこういった方が早い。鱗と。
目の前のそいつは人、いや、少なくとも俺の知っている人間ではない。
「っかしーな、もしかして目を開けて寝てるノカ? 寝ながら開眼して、なお眠れるとは器用な奴ダナ。いっそ解剖してみるか?」
「それはやめろ」
なにやら怪しい手の動きをし始めたところで、ようやく声を出す。
なんだやっぱり起きてたノカ、とそいつは言うが、起きなければどうなっていたのだろうか。
そのことを少し想像して身震いする。が、そのおかげでようやく頭が動き始めた。
(こいつ、手が……)
よく見ると、手も普通じゃない。鱗に覆われているのはもちろんだが、その指は三本しかない。
やはり目の前のこいつは人間じゃないのだろうか。
いつもならその容貌に大騒ぎしそうなものだが、不思議と心は落ち着いている。いや、さっきまで、ファンタジーのど真ん中にいたんだ。受け入れられても、何もふし、ぎは……。
「ここはどこだ!!妹は!!?」
「うわぁ!なんダイ、とつぜん!?」
叫んだ勢いのまま体を跳ね起こす。足はふらつくが関係ない。目の前のそいつにもたれかかるようにして掴まり一気にまくし立てた。
「妹だ。俺を回収したということは近くに妹もいたはずだ!!」
「落ちつけ」
とん、と頭を突かれて、ベッドに座り込む。足は、まったく踏ん張ってくれなかった。
「さっきまで意識不明だったんダゾ? 無理するんじゃナイ。」
「…………」
「といっても無理そうダナ。わーった、聞かせてやるヨ。お前が呑気にお寝んねしていた半年間のことを。世界の変わり様を、サ。」
じゃり、ざら、ざざ、じゃり……。
足元の砂利を踏みつけながら進む。ビルの頂上のヘリにたどり着き、下をーーー。
「よぉどうした、兄弟。ご機嫌な顔だな」
「これが『ご機嫌』な顔に見えるなら、今すぐ医者にでもかかったらどうだ? ガラス玉に取り替えた方がよく見えるかもしれねぇぜ?」
「たっは!相変わらずキツいねぇ……。それで、どうしたよ。今にも倒れそうなツラしてんぜ?」
「……別に。少し昔を思い出しただけさ」
言って、改めて下を見る。ビルの下には、竜、ドラゴン。
昔、俺たちの住む街に、この星に突如として襲いかかってきた『ファンタジー』。それが当然のように闊歩している。それが、今のこの星の『日常』。
あの日、妹を見失い、意識も失った俺は偶然にもあのトカゲに助けられた。それから半年。俺が目を覚ますその時までに、世界は変わり続けた。
まずは政府。抵抗しようとしたが、他の国との疑心暗鬼、そして手柄の奪い合いによって内部崩壊を招いた後、自滅して行った。もちろん協力を言い出す組織もあったが、周りの国や組織にいいように扱われて瓦解した。
それから人々。ネットなんかの掲示板では、ヒーローやヒロインの登場を心待ちにする声が上がっていた。確かに、RPGなんかでは主人公が覚醒したり登場するのに絶好の機会だ。……だが、俺達に都合のいいファンタジーは起こらなかった。
人は人のまま。ドラゴンに蹂躙され続けた。
そこまできてようやく、一部の人間が地下シェルターに避難を開始。それが、俺が目覚める少し前のことだ。
それからさらに半年。
ついに地下の食料は尽きた。後は、『狩る』しかない。
何を? 当然、あの『ファンタジー』を。
「…………」
息を、吸って吐く。
冷静に己の心の中を覗く。あるのは、あの時感じたものに近い感情。
(狩れ!狩れ!!狩れ!!!)
「ぅあ……」
言葉が漏れる。
(幻想を狩り尽くせ!)
「うああああ”あ”あ”あ”!!!」
(己の価値を、その証明を、掴み取れ!)
そんな心の声に押されて足を踏み出す。体が宙を舞う。
復讐のため、仇を討つため。そしてなにより。
生きる、ために。