7話ーー住居【★】
最後痛い表現注意です
ヤマケーの家は驚く程広く、そして綺麗だった。
白を基調とした吹き抜けのリビングには変わった形の――デザイナーズソファというんだろうか、丸い近未来的なソファがテレビに向かって置いてある。そのテレビもとんでもない大きさだ(横幅、私の身長くらいあるかも)。大きな窓からは日光がこれでもかと差し込み、天井からは輪っかが幾重にも並んだモダンなシャンデリアが吊り下がっていて、開放的で明るい空間が生まれている。床暖房を導入しているのか、足元はじんわり暖かい。キッチンはダイニングと向かい合っているタイプ――アイランドキッチンっていうんだっけ?――であり、黒い大理石のようなひんやりした石で出来ている。本物だろうか。しかもピカピカのIHだ。いいなぁ、うちの油臭いガスコンロとは大違いだ。
「ホテルみたい!! こんなキッチンテレビでしか見た事ないですよ! ヤマケーはここでいつも料理してるんですか?」
「んゃ、基本はしないかな」
「えぇ!勿体ない」
「そういう石川は料理するの」
「いえ。火も包丁も危ないので」
んなこったろうと思ったよとヤマケーはボヤく。私はそのまま振り返ろうとして、すぐ後ろで冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを飲もうとするヤマケーとぶつかってしまう。
「おっと」
「わー! ごめんなさい……」
水がこぼれてヤマケーの袖口がびしょ濡れになってしまった。慌ててハンカチを差し出す。
「ん、いいのいいの」
ヤマケーはそれを受け取らず、キッチンペーパーで辺りに飛び散った雫をささっと拭き取ると、そのままリビングに行ってしまった。
「着替えなくていいんですか」
「すぐ乾くから。あ、冷蔵庫のもの好きに飲み食いしていいよ」
(袖まくりしないんだ……)
ひとまず怒られなかった事に胸を撫で下ろすと、お言葉に甘えて冷蔵庫を開ける。そして顔をしかめる。
(お酒とミネラルウォーターしか入ってない……)
仕方がないので自分もミネラルウォーターを手に取ると、先程のソファに座るヤマケーの隣で、立って飲み始めた。
「あ、ごめんなぁ このソファ1人用だから そこの椅子持ってきていいよ」
ヤマケーはダイニングの椅子を指さす。
「いや、いいんです。それより……」
――先程から妙な違和感があった。開放的でモダンなこの家は、とても清潔で、オシャレで、
「……ヤマケーは本当にここに住んでるんですか」
――あまりにも生活感がない。
「そうだけど?なんで?」
「えっと……なんだか広過ぎて寂しいなぁと思って」
「男の一人暮らしなんてこんなもんだろ」
「そうなんですかね……ヤマケーは趣味とか無いんですか」
「趣味ねぇ……あ」
ヤマケーは何かを思い出したのかこちらを見る。
「ひとつ、ある」
*****
「うわぁ……!!」
天井まで続く大きな本棚にギュウギュウに詰め込まれた大量の本に思わず胸が高鳴る。ヤマケーに案内されたのはリビングの奥にある書斎だった。
「こんなに沢山……! 図書室よりも多いかも!」
「石川、本好きだっけ」
「はい! 特にファンタジー小説が好きで。これもこれもこれも、このシリーズも読んだことあります! あ、これは今読んでる本です。」
私は「戦場のメフィストフェレス」と書かれた赤い本を手に取る。
「小さい頃から大好きな作家さんの新作で。臆病な新米兵士だった主人公が、悪魔と契約して無類の強さを手に入れ、やがて血で血を洗う戦いに溺れていくっていう話なんですけど、ダークな雰囲気がたまらないんですよ。あ、ここにあるんだからあらすじくらい知ってますよね、すみません。」
「へぇ、そういうテイストの話読むんだ。意外。オレもその本好きだよ」
「へへ。昔から引っ込み思案だったから、本の中で冒険していたようなもんなんです。ヤマケーも、本がお好きなんですね」
「まぁね。国語のセンセーになるくらいですから」
そのまましばらく小説の話に花が咲く。ヤマケーの書斎には、ファンタジーや推理もの、サスペンス、ホラー、青春もの、古典、果てにはエッセイやら小難しい学術書まで様々な本が置かれていた。
「文章はいいよなぁ。いつだって知らない世界を教えてくれる」
ヤマケーの言葉にブンブンと首を縦に振る。この人と意見があったのはいつぶりだろうか。本を前に話をしている時のヤマケーは、授業中のイメージのまま……いやむしろ、それにも増して優しい顔をしているように見える。
ページをめくりながら楽しそうに話すこの男を見つめる自分の顔もきっとまた、ほころんでいるんだろう。
「さてと」
ヤマケーは持っていた本をパタリと閉じた。
「本題に入ろうか」
「……はい」
――そうだ、私はこんなほのぼの談話をしにヤマケーの家に来た訳では無い。
ヤマケーは持っていた本を元の本棚に戻さず机の上に置いた。そして、本棚の隙間に手を突っ込むと何やらごそごそと動かし始める。
カチッ
微かに響いたスイッチ音の後に、低い地鳴りのような振動が起こる。
「な、何……!?」
原因はすぐに分かった。なんと、奥の本棚がゆっくりと床に沈んでいくではないか。その奥から、他の部屋とは似ても似つかない、無骨なコンクリートの階段が現れた。
「さっき言い忘れてたけど」
ヤマケーは入口に近寄ると、ようこそと腕を広げる。
「オレの趣味、もう一個あるんだよね」
*****
ヤマケーが階段の数字パネルを操作しロックを掛けると、ゆっくりと本棚が上がってくる。
「逃げられたら困るからこっち側は厳重にしてるの」
完全に通路が遮断されると、途端に辺りは薄暗くなってしまった。
階段を一段降りる度に気温が下がっていき、ブルりと震える。ここには暖房が付いていないようだ。今、私は道中着ていた厚手のセーターではなく、ヤマケーに渡された入院患者が着るような薄手のガウンを羽織っている(夢でも同じものを来ていた気がする)。非常に肌寒い。ヤマケーもいつの間にか白衣に着替えている。寒さは平気そうだ。
地下には幾つか部屋があった。ひとつは作業部屋のような小さな空間。机の上にごちゃごちゃとした書類とデスクトップPCが見える。もうひとつはシャワールームのようだ。それからトイレ。最後の部屋は扉が閉まっていて分からない。
作業部屋の方に入ろうとすると、グイッと両腕で肩を掴まれた。
「先にこっち」
そのまま、先程まで扉が閉まっていた部屋に押し込まれる。途端に淀んだ空気と錆びた鉄の臭いが押し寄せ、思わず鼻をつまんだ。
(ここって……)
散乱する刃物と手術台。見覚えのある光景に足が竦む。床の血溜まりは流石に掃除されていたが、よく見ると壁や床、勿論天井にも、至る所に赤黒いシミが目立つ。
刹那、脳内に映像が蘇る。視界に飛び散る鮮血、肉が引きちぎれ骨が削れる音、胸に深々と刺さる刃物、ギラついた目
――先程まで自分の腕だったもの
「あ……あ……」
この場で起こったことを全て思い出し、ハァハァと息をつきながら力の入らない腕で自分の体を抱きしめる。上手く呼吸が出来ない。淀んだ血なまぐさい空気が肺に送られる度、体が蝕まれて行くような感覚がする。肩が小刻みに揺れる。この震えは寒さのせいだけではないだろう。
「どうやら全部思い出したようで」
冷えた感情のない声のする方向を振り返る事が、どうしても出来ない。
「あ、あんな……恐ろしい事、どうして、どうして楽しそうに出来るんですか……」
その答えが返ってくることはなく
代わりに、鈍い音と共に背中に衝撃が走った。
「かっ……は……」
自分の胸部から、真っ赤に染まった刃物が突き出していた。ガウンがみるみるうちに同じ色に染まっていく。
「うそ……つき……ころ……さないっ……て……」
「命を取らなければいい話だろ?」
――ああ、私は何も分かっちゃいなかったんだ。自分の置かれた状況も、これから待ち受ける地獄も。
この、本好きで、ユーモアに溢れた、綺麗な顔のおぞましい悪魔は、口から血反吐を垂らしながら、穴の空いた肺で、送られるはずのない酸素を必死に取り込もうとする愚かな女の耳元で、そっと囁いた。
「さ、お楽しみはこれからだ」
ストーリー内の小説、最初は実在のものを引用しようと思ってたのですが
話の流れにピッタリ合うものが無く最終的にでっち上げましたw