2話――現実
「なぁ、痛かった?」
私を覗き込んでヤマケーは言った。穏やかな口調はしかし、心を嫌にざわつかせる。思考が止まり、言葉が何も出てこない。準備室の中はしん……と静まり返る。
「まあね、この質問に対するイエスノーは聞かなくても分かるよ。めちゃくちゃに暴れてたし苦しそうだった。麻酔とかしてないし当たり前だけどさ」
発言の意味を咀嚼していくと共に、今朝の夢が脳裏にフラッシュバックする。薄暗い倉庫、冷えたコンクリート、錆びた鉄の臭い、生暖かい液体の感触、みぞおちに走る衝撃と鈍痛――
急激に体温が冷えていく。喉がカラカラに乾いていく。歯がガチガチと音を立てる。この部屋はこんなに寒かったか。
「あ、あれは夢じゃなかったんですか」
「変な倉庫みたいな所で目が覚めて」
「体中血まみれで、ヤマケーに追い詰められて」
「な、殴られて……」
「――待て待て待て、思い出す所そこ?」
唐突に話を遮られビクリと肩が跳ねる。呑気に話をしている場合では無いのだろうが、逃げようにも自分とドアの間にはヤマケーがいる。この部屋に窓は、無い。
「……どういう事ですか」
「覚えてるのはそれだけ?」
「ほ、他に何かしたんですか。……っまさか、あの後いかがわしい事を」
「ないない。オレはそういうの興味無いから」
目の前の男はブンブンと手を振り否定した。
「――どっちかっていうと、その前に色々したんだけれども」
腕を掴まれ、不躾な視線が注がれる。触れられた部分から男の手の冷たさが伝染する。
「マジでびっくりした。お前、何? 不死身の妖怪? 神サマ? アンドロイド? ぴんぴんしてやんの。傷跡も全然残ってない」
「……ッッ!!」
慌てて手を振りほどいて後ずさる。こいつが何を言いたいのか皆目見当もつかないが、何故だか悪寒が止まらない。
「なーんだ、覚えてないんだ。つまんねぇの。殺したらダメなのかな」
「ころッ……!?」
「その反応を見るに、自分の身体の事、何も知らない感じ? まぁ、交通事故にでも合わない限り知る由もないか。それか……オレみたいな奴に襲われでもしない限り」
ヤマケーは振りほどかれた腕で頬杖を付きながら話を続ける。
「――要するに、オレは確かに石川の心臓にナイフを一刺し、ついでに手足をバッサリとやったわけ。四肢切断の趣味がある訳じゃなくて後処理のためにね。そうやってこの目で死んだのを確認した筈なのに、席を外して戻ってきたら、そこには生き返って手足もすっかり元通りの石川がいてさ」
「何度かリベンジしても結果は変わらず。オレって飲み込みが早いから、これ以上繰り返しても石川は殺せない事を理解して、ひとまず今回は断念って事で、しょ〜がないから場所を移動して道路に寝かせてみたら、普通に起き上がって『あれ?私貧血で倒れたのかな?』みたいなリアクションで帰ってくんだもんなぁ、マジ笑う。笑ったけど有り得ないよね。逃げ出さなかったオレ、偉いわ」
――この男は、一体何を言っているのだろうか。
まるで授業中生徒に話すようにつらつらと状況を説明されるが、恐怖と訳の分からなさで気を失いそうになる。
「あ、有り得ないのはこっちです、馬鹿げたことを言わないでください。生き返る? 切った手足が元通り?」
動揺を悟られないように会話を続けながら、少しずつ大回りでドアに近付く。このままさり気なく動けば逃げられるかもしれない。
「そんなファンタジー小説みたいなこと言われて、簡単に信じられると思ってるんですか。そもそも、自分が何を言ってるかお分かりですか。仮に、本当なら監禁&殺人ですよ。しかもそれを本人に自白だなんて、何を考えてるんですか」
ドアに手が触れた。今だ!
勢い良く扉を開けようとするも、ガチャリと無慈悲な音がする。そんな!鍵が掛かっている!
「――何故本人に犯行を自白したのか? それは取引をしたいから」
いつの間にかすぐ後ろに立っていたヤマケーは、私を追い詰めるようにドアに肘をつき寄りかかる。完全にドアとヤマケーにピッタリ体を挟まれる形になってしまった。背中から伝わる男の体温に、喉がヒュッと音を立てる。
「そして馬鹿げてると言うのならば」
後ろから伸ばされた長い腕が持つカッターの刃が不気味に光る。
「実際に試してみればいい」