第八話 力を捨てた日(後編)
ドタバタしていたのと思いの外話が長くなったので投稿が遅れてしまいました。
陽光に照らされ桜の花弁もひらひらと散る校内。
もう春を感じさせるこの景色を目にできる日は来ないのかもしれない。
思わずノスタルジーに馳せた人間も多かっただろう。
卒業式を迎えてあれだけにぎやかだった校内も昼過ぎには静けさが満ちており、同級生の姿もちらほらも見られるくらいで、そんな数少ない学生たちの中で携帯をこの世の終わりみたいな顔をして見ている人間ともなればそれこそ俺くらいのものだ。
そう、俺こと秦瀬陽太は選択を迫られていた。
奇しくも親しい友人二名の手によって。
原因は開かれた携帯の画面には悠人からのメッセージにある。
お別れが済み次第合流して三人で写真を撮る予定であったはずなのだが……。
『陽太ごめん、顧問の先生にもみんなで挨拶に行くことになったんだ。 それまでに三人で写真を撮れたらよかったんだけど花恋ちゃんはまだ忙しそうだったし陽太は何処にもいないしで厳しくて。 多分そこまで遅くはならないとは思うんだけど女の子に会う用事とかがあるなら今のうちに。 本当に申し訳ない』
長々と丁寧な文字列からは悠人の申し訳ないという気持ちが前面に押し出されておりその実直さについ笑みがこぼれる。
別に悠人が悪いわけじゃないのにな。
付き合いの多い友達は多くてもいいと思うしむしろこちらとしては誇らしいほどだった。
最後の内容だけは不要だと感じたが。
『了解。 気にせず行ってこいよ。 俺は花恋と学校で適当に時間潰しとくから』
だから俺もなるべく気を遣わせないように留意して返信した。
一人でこれ以上時間をつぶすのは難しい気がするが致し方ない。
悠人は待たなくてもいいと言っていたが別に一時間もかかるわけではないだろうから。
というわけで再び暇になってしまった俺は悩まされている。
どうして険しい顔を浮かべてしまっているのか。
その原因は花恋にどのタイミングで話をするかということにあった。
そもそも俺が考えていたタイミングは三人で写真を撮った後。
悠人には申し訳ないが何とか先に帰らせて隙を作り、そこで話をするつもりだったのだ。
あいつは俺の計画に気付いているような素振りがあったし多分すぐに察してくれるだろう。
でないと先に計画を実行して振られてしまった時にどんな顔で写真を撮ればいいのか。
一生残るかもしれない写真を泣き顔で撮るほど悲しいことはない。
だからこそ先に写真を撮ってしまいたかったのだ。
しかしそこに悠人がまだ合流できないという連絡が入ってしまった。
タイミングがわからなくなってしまったのだ。
「どうするか……」
流石に花恋の方も用事は済んでいる頃だろうし合流して悠人が来るのを待ちたいところだがはっきり言って今はあまり顔を合わせたくない。
よくわからないが気恥ずかしさが勝ってしまいそうな気がするから。
ではどうするのか。
まぁ普通に考えればこのまま悠人が用を済ませるのを待って写真を撮り次第計画に移すというのが妥当な気がするのだが、俺は悠人からのメッセージに含みがあるような気がしていた。
それはメッセージの『女の子に会う用事があるなら今のうちに』という箇所。
この場合の女の子というのは花恋のことに他ならない。
泣きたくなるが俺がこれから会える女子なんて花恋くらいしかいないのだから。
そのうえで花恋とはこの後写真を撮るということがお互いわかっているわけだから、計画が失敗に終わってしまった場合に三人の空気が地獄になってしまうこともわかっているはずだ。
悠人もそこに気が付かないほど馬鹿ではない。
ではなぜわざわざ今俺に用事を済ますように言ったのか?
ここから導き出される俺の答えは……。
「なんかよくわからんけど今計画を実行するが吉ってことか?」
今計画に移すべきだという悠人からのささやかな助言であるというようにもとれた。
というかそれ以外に思い当たらない。
どういった事情で今なのかはわからないがあいつが言うのなら信頼できる。
流石は我が軍(構成員三名)の参謀なだけあるな。
今後は諸葛孔明とでも呼んでやるか。
そうして俺は気が利く親友のアドバイスに感謝の念を送りながら花恋に会うべく『体育館裏で会おう』という短いメッセージを送信した。
果たして来てくれ――ないということはないだろうが成功するのだろうか。
あぁ、俺に未来視の力でもあれば良かったのに。
ないものねだりをしながらも不安で左半身が爆散しそうだったから、緊張を諫めるように右手の包帯に手を当てる。
封印にしてはあまりに短すぎる包帯。
高校からはもう少し長く巻こう、なんて先のことを考えていたらいつしかリラックス出来ている自分がいた。
* * * * * *
成功への願掛けにとトイレで包帯を縛り直していたせいか時間を食ってしまった。
もちろん左目にかけた眼帯も鏡でチェック済みだ。
つまりどういうことかって、コーディネートは完璧だということだ。
強いて普段通りでない点を挙げるなら小走りでやって来たせいか少し息が上がっていることくらいか。
だが体育館裏にはもう既に花恋の後ろ姿がある。
怪しまずに来てくれたのは嬉しいが少し待たせてしまったのかもしれない。
花恋の見慣れた後ろ姿をやや離れた距離から見つつ立ち止まり息を整えていて気付く。
告白と言えば体育館裏みたいな知識があったから特に考えなしに呼び出したがよく考えるとあそこ結構怖いな。
日陰になっていてこの時間にしたって女の子一人残すには仄暗い。
ここが学校じゃなかったら誰も近付かないだろうなこんな所。
テンプレに甘んじた自らの行いを省みながらも待たせてしまっているという罪悪感から再び小走りで近寄ろうとしたが、その時。
花恋とは別の誰かの声が聞こえた気がした。
怪訝に思ってよく見ると体育館裏には花恋とは別の男子生徒が立っている。
陰っていたせいかパッと見た時には気が付けなかったようだ。
「おっと」
その光景に思わず近くにあった丁度いい木陰に身を隠す。
反射的にとはいえ何でこんなコソ泥みたいな真似をしているんだ俺は……すぐに引き返そう。
そう考えて一度撤退しようとしたはずが。
「好きなんだ、君のことが!」
男の大きな声に一歩踏み出していたはずの足が完全に止まった。
足から根が生えたようにその場から動けなくなった。
そうだ、どうしてすぐに告白だと思わなかった?
確かに場所の指定をしたのは俺のはずだが他にこの場所で花恋に気持ちを伝えようと思う者がいたっておかしくはない。
だからこそテンプレなんだろこの場所は。
そんな偶然が起きたっておかしくないはずなんだ。
それなのに何だこの胸の違和感は。
心のざわつきがやけに気になって、浅ましい行為だとわかっているはずなのに俺はその場から動くことが出来なかった。
二人との距離はそこまで離れていない。
この場からでも声を拾うことが出来るようだ。
「あ、ありがとう。 だけどその前に……どうしてここに? 天野君と待ち合わせをしたりはしてないと思うんだけど……」
「ははは、何を言ってるんだ! ちゃんと待ち合わせたじゃないか。 だからこうして待っていたのに!」
「そ、そうだったっけ? ごめんなさい待たせてしまっていたのなら。 謝るわ」
「いいんだ来てくれたんだから」
ひたすら快活な天野と何かに戸惑っている花恋の声。
二人の問答が聞こえてくるが何かが決定的に噛み合っていない気がする。
それに天野ってこいつ生徒会長じゃないか。
交流関係の薄い俺でさえ知っているような人物だ。
よく前に立って話しているからな。
身体が弱いらしく部活動はしていなかったものの成績は学年一位で生徒からの人望も厚く、出来る眼鏡男子のお手本とも呼べる男。
噂では俺の行く高校よりもレベルの高い都内の高校に進学するとか。
恋愛には興味がなさそうだと勝手に思っていたがそうか、花恋のことが……。
っていやそうじゃない。
おかしな点が既に二人の会話の中にあった。
それは花恋が待ち合わせたことを覚えていないということ。
美人が実は腹黒いという偏見が存在するが花恋に関しては幼馴染として傍で見てきた俺が断言しよう。
めちゃくちゃ性格が良いと。
時々……というかしょっちゅう暴言を吐かれることもあるが人とした約束事を忘れたりするような奴じゃないということはよく知っていた。
だとすると考えられるのは連絡に不備があったとかだろうか。
手紙が実は他の生徒に渡っていたとか。
それならこの場所で天野が花恋に会えたのは思わぬ偶然だったわけだ。
俺が花恋を体育館裏に呼んだのが功を奏したと。
しかしだとすればとんだ災難だったな天野。
どうやら抱いていた違和感は気のせいだったらしい。
あんな優等生にどうして疑念を抱いていたのか。
むしろ同情してしまうような状況に同じくこれから花恋に挑む者として激励したいくらいだった。
「それで返事の方はどうかな?」
天野が答えを急かす。
もう違和感は消えたはずなのにここまで聞いてしまっては興味が出ないはずもなかった。
それにここで二人が付き合ってしまえば俺の計画は消化試合みたいなものになってしまう。
そんな悲しい事態を避けるためにも俺はこの場を見届けねばならないのだ、うん。
自分に言い聞かせて二人の会話に集中する。
憐れにもそこに先程まで盗み聞きを浅ましい等と言っていた俺の姿はない。
「あの……ごめんなさい。 私好きな人がいるの」
「――――」
「人にない力があって、いつだって私を助けてくれるような、そんな人。 その人のことが私はすごくすごく好きで、だから……ごめんなさい。 天野君の気持ちには答えられません」
張り詰めた空気の中聞こえてきたのは澄み渡る青空のような声色。
なのに強い意志をも感じさせる不思議な二つの要素が共存した花恋の言霊は、きっと鋭利な刃物のように天野の心を突き刺したに違いない。
だってここから見ているだけの俺でさえ胸が苦しくなったのだから。
それでも花恋はいつもこうやって断っているのだろう。
相手自身は貶めないように。
そして自分には代えがたいほどの想い人がいるのだと伝えることで相手からの未練を断ち切れるように。
きっとそれが花恋が学んできた誠実な断り方で、そしてきっとそれは心優しい花恋にとっても辛いことで。
それは木陰から背中越しに見たって俺にはわかる。
想いに答えられない申し訳なさと辛くても突き放さなければならない現実に揺れる、これが正解なのかもわからない臆病な背中。
でもそんな優しさも含めてやっぱり俺は花恋のことが……。
と、花恋の人柄に感動している場合ではない。
聞いた感じだと天野の告白は失敗に終わったようだ。
その証拠にこの距離から見える天野の姿には悲愴が漂っている。
そうか、告白というのは莫大な勇気を要求される行為であるはずなのにこうも儚く終わってしまうものでもあるのか。
次にあそこに立つのが自分なのだと考えると途端に怖くなる。
が、天野が振られたということは同時に俺の方にもまだ望みが生まれたと取ることが出来る。
しかし天野ほどの男でも無理とか花恋一体誰ならいいんだ?
幼馴染であるはずの花恋のことなのにわからなくなりそうだ。
それに聞こえた限りだと予想はついていたがやはり花恋には好きな人がいるらしい。
つまりその男は生徒会長である天野でも名だたる運動部エースたちでも各学年のイケメンたちでもなかったということ。
更には花恋をして人にない力があるという。
それを考えればこれだけの男たちの屍の上に立つ人間が自分だとは到底思えるはずもなかった。
俺にあるのは積み上げてきた時間だけで……だけど俺にだって特別な……!
――そうだ。
俺だって特別な存在のはずなんだ。
根拠があるわけじゃないしそれを披露したことがあるわけでもない。
口で言ってるだけだということは正直わかっている。
だからって自分が特別じゃないって、力がないって認めてしまえばそこで人間は終わりだ。
成長だってそこで止まるし奇跡なんか訪れない。
諦めたらそこで試合終了なんて言葉は漫画みたいで馬鹿みたいだと思われるかもしれないが俺にはそう思えない。
だって世の中諦めてる奴ばっかりだ。
そんな奴らが信じることを笑ってるこの世界の方がよっぽど滑稽じゃないか。
それにこんな傍から見たら馬鹿みたいなことをしてる俺を花恋は笑わなかった。
呆れることはあったけど嘲ることは一度もなかった。
そんな花恋や悠人がいたから今の俺がいるとも言えるんだ。
だからもう俺はなりふり構わずこの思いの丈を伝えるしかなくて……。
「それは……まさかとは思うが秦瀬陽太君のことかい?」
「え!?」
「――ッ!?」
加速する思考を天野の声が遮った。
その狙い澄ましたかのようなタイミングに思わず目を見張る。
「いつもよく一緒にいるじゃないか。 噂しない人の方が少ないさ」
俯いているからか天野の表情ははっきりとは見えない。
だが天野の声にはどうしてか花恋とは真逆の悪意を思わせる不気味さを孕んでいた。
俺たちのことに関して何か思うところでもあったのだろうか。
それでも俺が彼の発言に飛び出していかなかったのは花恋の答えが知りたかったからだろう。
自分が計画を遂行せずともひょっとするとこのまま花恋が俺をどう思っているのか知ることが出来るかもしれない。
花恋に振られてさっきの天野のように傷つかなくて済むのかもしれない。
そんな俺の中の弱さが花恋にそうさせたのだ。
ずるいことをしようとした罰が下ったんだ。
自分から導いた答えに差し出されただけの答えが及ぶはずもないのに。
だから俺を好きだと言って欲しがった脳が、
「べ、別に陽太のことなんて好きでも何でもないわよ!」
花恋の言葉に粉々にされるのも仕方のないことだったのだ。
「ぇ……」
口元から漏れる掠れたような声。
気付けば荒くなっていた呼吸。
締め付けられるような胸の苦しみ。
「あいつってばいつも変な格好してるし!」
自分の周りの空間ごと歪められてしまったような錯覚に陥る。
「ノートによくわかんないことばっかり書いてるし!」
今花恋は俺を好きでも何でもないと言ったんだ。
「私の知らない漫画の話もしょっちゅう!」
表情はわからないし、本当なのかもわからない。
「変なことにこだわる時もあってめんどくさいし!」
それでも彼女は彼女自身の意思で今確かに俺を好きでも何でもないと、確かにそう言ったのだ。
つまり俺の中でどういった意味を持つのか。
簡単だ。
これが計画失敗ということだった。
――何故か思い返されたのは憧れの発端。
幼い頃から何でもない自分に嫌気がさして、夢を見て、見た目だけ創作の世界のキャラクターの真似事をして並び立とうとした俺の目標。
足りない距離を道具や知識で埋めようと張った数々の虚勢。
すぐ身近にお手本がいる環境は決して良い影響だけを与えてくれるわけではなくて、少なからず劣等感だって与えていく。
そんな俺たちのそばにいた花恋には二人のどうしようもない差のことだってわかっているはずだった。
だからこそ誤魔化すように見栄を張って。
好きな人の前では格好をつけたかったんだ。
馬鹿みたいな能力を持っていると言い張って。
でもあの様子だとどうやら逆効果だったらしい。
おそらく花恋が好きなのは……。
「ということはやはり佐原か……! あいつ……!」
失意の最中憎悪の声に顔を上げると目の前の二人の様子に変化が訪れている。
厳密には天野の様子だった。
何かに納得がいかないのか苛立っているような天野は既にいつも全校生徒の間で話す際の姿でも先程の告白する際の姿とも違った。
今にも花恋に飛び掛かりそうなくらいの危うさがあった。
「君まで! 君まで佐原を!」
「――っ! いやっ!」
やはりというべきかすぐに花恋へと歩を進めた天野は花恋の肩を掴むとしきりに怨嗟の声を吐いた。
そこに出来る眼鏡男子の面影はない。
理由は定かではないがただの失恋の腹いせにしては何かが変だ。
だが呑気に分析するより今は花恋を救うことの方が先だ。
俺が失恋したことと花恋を助けることは全く別次元の話だから。
だったら――。
何度も言うが距離はそれほど離れていない。
全力で二人のもとへ走ればすぐの距離だ。
天野が花恋に掴みかかったのとほぼ同時に俺は木陰から飛び出す。
もう俺自身の遂行前に終わりきった計画なんてどうでもいい。
今は乱心する生徒会長を抑えることの方が大切だ。
駆け出してすぐこちらに視線をやった天野と目が合う。
しかし奴は忌々しそうに俺を見ただけで花恋の肩からは手をどかさない。
判断に困りあぐねているのだろうか。
だとすれば好都合だ。
「助けて! ひな――」
「花恋に触るなクソメガネ!」
駆け出してきた勢いをそのままに花恋から両手を力づくで引きはがして取っ組み合いの体勢になる。
天野の両手は意外と簡単に引きはがすことができ取り敢えず花恋を守れたことに嘆息するが、取っ組み合いになっている現状の解決策は考えていない。
聞いていた通り天野の力はそこまで強くはなかったがかと言ってこちらが手を上げていいというわけでもなく、掴み合いになったまま膠着状態が訪れた。
このままだと埒が明かない。
これからどうすればいいのか……策を練ろうとしてすぐに意外にも天野の力が緩まっていく。
あれ、どうしたんだ? 諦めてくれたのか?
戸惑いこそあれど抵抗を諦めてくれたらしい天野に対し俺も腕の力を緩めるが、それは間違いだった。
「ふざけるなぁ!」
「陽太っ!」
力を緩めてすぐに左の頬に走ったのは鈍い痛み。
衝撃に一瞬反転しそうになる視界は踏み留まった足によって事なきを得る。
それから少し考えてその痛みが天野の拳によるものだと気付いた。
顎を射抜かれたせいか少し視界が揺れたような気もしたがそもそも天野の力があまり強くなかったおかげで痛みはそれほどない。
だが人生において本気で殴られたのはこれが初めてかもしれない。
その事実とその隠しもしない天野の剥き出しの敵意にたじろいでしまう自分もいた。
だが反面気持ちの変化というのは例外なく天野自身にもあったようだ。
「あ、あぁ……」
振るえる自分の拳を見つめて少しずつ後ずさる天野。
そうか。
たった今この瞬間誰の目から見てもわかる加害者と被害者、その関係性が出来上がってしまったのだ。
これまで生徒会長として全校生徒を引っ張る立場に立ってきた自分が無縁だと思っていた暴力という行為に手を染めてしまった。
その事実は正しく在ろうとしてきた優等生である彼の心に大きな衝撃を与えているのだろう。
現にわなわなと体を震わせながら後退していく天野は明らかな動揺が見られる。
そして、
「くっ!」
最後に俺の方を憎々し気に見やるとすぐさま体育館裏から走り去っていった。
手をばたつかせて走る後ろ姿は無様とも呼べる敗走っぷりだった。
これで何とか一難去ったことになるのか。
少なからず振り返った先に怪我一つない花恋の姿がある。
それだけで目的は達成できたと言えるはずだ。
「陽太大丈夫?」
「うん、問題ない」
花恋は不安そうな目をしてこちらへ歩み寄ってくる。
思わず拍子抜けしてしまうほどの幕引きに笑ってしまいたくもなるが花恋が無事で済んだのならなによりだ。
「それ、包帯と眼帯が……」
そう言って俺の立っている真下を指差す花恋。
見ればそこには身に着けていたはずの眼帯と包帯が落っこちていた。
砂で汚れてしまったのか両方とも茶色っぽく変色している。
天野とごちゃごちゃやってる間に外れてしまったのだろう。
それにしても誰が見てもこれは……ゴミと思うだろうな。
「あぁ……ほんとだ」
しかし俺はその二つを大事に拾い上げるとそのまま右のポケットの中に入れた。
「ごめんなさいそれ私のせいで……。 今度一緒に新しいやつを――」
「いや、いいんだ。 もう必要なくなったからさ、これ」
「陽太……?」
本当の気持ちを悟られないようになるべく笑顔を保って花恋の目を見る。
俺の名を呼ぶ花恋の表情は心から申し訳なさそうで今にも泣き出しそうで、複雑に幾つかの感情が入り乱れていることが窺えた。
だからこそ俺も本当は涙が出そうなくらいに悲しかったのを必死で堪えた。
汚れてしまった憧れの残骸を右ポケットに感じながら自らを奮い立たせて。
結局その日は腫れてしまった左頬を理由に写真は撮らなかった。
* * * * * *
家に帰るとポケットにあったそれらを引き出しの奥底に仕舞った。
ずっと周りから変な奴だと思われているのはわかっていて、表向きには嫌われなかったが距離を置かれているのはわかっていた。
何もかも止めたら変われるってことも気が付いていた。
そういう堪えていた部分も自分を諦めさせた一つの要因なんだろう。
――以来俺は一度もあの引き出しを開いたことはない。