第七話 力を捨てた日(前編)
あぁ、きっとこれもまた夢だ。
はっきりしない自意識の中でただ漠然とそれだけはわかっていた。
何故ってそれは……。
「ねえ、陽太はこれからどうする? 僕は最後に何人か挨拶をしておきたい人がいるんだけど」
「そ、そうか! それは丁度良かった! 俺も実は予定があってな」
「陽太に予定……? 失礼だけど君に別れを惜しむほどの友達がいたっけ?」
「あーあー予定が増えちまったよ。 お前をこの邪眼で闇の彼方に葬ってやる予定がな!」
「はいはい、じゃあ僕らはどうせまた会えるし今日はもう解散しちゃおうか」
「いや、そうしたい気持ちは山々なんだが花恋が中学生最後だし三人で写真撮ろうって言ってたぞ」
「そうだったね。 三人とも一緒の高校になったけど中学の制服で写真を撮るのはこれで最後になるだろうし」
「だな。 だからさっさと写真だけ撮ってしまいたいところなんだけどさ……問題はあれだ」
「え? ――はは、本当にすごいね花恋ちゃんは」
どうやら気付いていなかったらしい悠人に問題の集団を指さしてやることで情報を共有する。
それにしても本当にすごい人気だなあいつは。
指し示した方向には誰かを囲むようにして発生した巨大な人混みが出来ていた。
聞こえてくるのは「会えなくなるのは寂しい」とか「お互い元気でいようね」とか「高校でもよろしくね」とかの労いの言葉がほとんど。
そして言わずもがな渦中にいるのは東野花恋その人だ。
男女問わず彼女との別れを惜しむ人々によってちょっとした騒ぎになっていた。
取り巻きの凄まじい圧の中でも花恋は一切臆することなく等しく全員に屈託のない笑顔を向けており、
心なしかその大きな双眸は潤んでいるようにも見える。
そんな花恋らしい光景に俺だったらあんな人混み怖すぎて泣いてしまうだろうな、と遠い目をしていると状況を理解してくれたらしい悠人が俺に声をかける。
「あの様子じゃしばらくは厳しそうだからまた後で集まるようにしよう。 僕は言ってた通り他の人たちと会おうと思うんだけどそれまでは……あ、そうだ陽太も一緒に――」
「気は遣わなくていいって。 俺も中学校にはしばらく来ないだろうし適当にぶらついて感傷に浸っとくから」
「そっか……。 わかったよ。 だったら花恋ちゃんには僕から連絡しておくからまた後で合流しよう」
「おう。また」
こうして俺と悠人は一旦別れて行動することにした。
好きなようにやり過ぎた結果学年から浮いてしまった俺とは違い悠人だって花恋と同じく人気者だ。
別れを惜しむ人間だって多いだろう。
対して俺はその気になればいつだって二人に会える。
高校だって一緒なのだから。
そうして思い出されるのは二人に追いつくべく必死になって勉強した一年間の記憶。
優秀な二人が志望した高校はこの地区では最もレベルが高いと呼ばれる霞ヶ丘高校だった。
頭脳明晰な秀才キャラも格好良くて好きだった俺もそれまでは常にクラスで上位10名に入るくらいには勉強をしていたが、それでも二人のレベルに追いつくには更なる努力が必要だった。
同時に天才キャラを意識していた俺は「あんまり勉強はしてないんだけどなー」という雰囲気を出すためにもあまり二人に質問などが出来ず苦労したものだった。
勝手に装っていた設定に危うく殺されかけるところだったのだ。
まぁ合格は出来たのだし結果オーライだろう。
でも合格発表の日に言われた涙ぐむ二人の「頑張った!」の声に貰い泣きして三人抱き合ったあの時の様子を思うに間違いなく勉強頑張ってたのバレていたな、あれは。
特に花恋の喜びようったらなかった。
俺の五倍は喜んでたんじゃないか? 大袈裟とかではなく本当に。
――なんだか急に恥ずかしくなってきたぞ。
浮ついた心を落ち着かせるためにも俺は学校のあちこちで咲く桜の花を眺めながら特に宛てもなく歩く。
校内はやはり別れを惜しむ生徒たちの声とカメラのシャッターを切る音で溢れかえっており、時折吹く柔らかな風が心地いい。
今朝の時点でもまだ実感が湧かなかったけどこういうのを見ると卒業って気がしてくるな。
と、思う反面この温かな雰囲気は友達の少ない俺にとって若干の毒でもあった。
なんというか邪魔者な気がしてくる。
「フン、やはり永久を統べる我にこういった場はそぐわぬか」
だからこの場の喧騒を利用して誰にも聞こえないくらいの声量で独り言ちる。
この場を抜け出すための口実が欲しかったから。
周囲を見回して誰にも聞こえていないのかを確認しつつ賑わいの輪から脱却する。
そういえば二人は一体どれくらいかかりそうなのだろう。
今日の予定を思ってそわそわしながら卒業祝いにと買って貰った携帯で時間を確認する。
まだ十二時を回ったくらいだし帰るのはそこまで遅くはならないだろう。
であればいつ頃を狙って計画を遂行するのか、それが直近の最重要事項だった。
何とか人混みを抜けて人気の少ない水場までやって来た俺は近くにあった腰かけられそうな丁度いい高さの段差に腰を下ろす。
おしりを伝って感じる冷たさに浮かれていた心は落ち着きを取り戻していく。
が、しかし。
それはつまり式の途中から忘れることのできていた緊張が再び俺の心へ攻め入ってくることを表す。
思わず苦しくなってきた胸を押さえつける。
この緊張いつになったら完全に収まるんだ?おかげで今日一日中そわそわしっぱなしなんだぞ俺は!
何とかしてくれ!
耐えかねた俺は水道の蛇口を捻り直接頭に水を被る。
おしりで感じていた冷気とは比べ物にならない爽快感に身震いしそうになるが今はそれがいい。
冷えてきた頭で俺が考えていることはやっぱり一つ。
俺の人生で最大にして最難関の計画のことだった。
計画とは何なのか?
友達の少ない俺の予定とは一体何なのか?
それはつまり……。
具体的には……。
東野花恋に告白する、というものだった。
自分で確認してまた心が死んでいくのがわかる。
だって相手は東野花恋で学校一の揺るぎないアイドルで本来高嶺の花で、でも俺にとっては仲の良い幼馴染で……。
だから友達の域を出ないだろうと勝手に思っていた。
でもいつからだったか意識をしていた。
花恋が告白されたらしいという噂を聞くたびに花恋が俺たちのもとを離れてしまうんじゃないかというモヤモヤを感じていた。
花恋が悠人と一緒にいるのは何ともないのに他の男たちと一緒にいるのを見て変に勘繰ってしまうこともあった。
その積み重ねの先でとうとう気付かされたのだ、どうやら俺は花恋のことが友達以上に異性として好きであるようだと。
中二趣味で普通でないことを好む俺が何でこんな恋する少女みたいなことを思わなければならないのかと苛立つことも多くあったが実際そうなんだから仕様がない。
そこで高校生になって敵が増えるその前にここで一度突貫を試みることにしたのだった。
入学式前に計画を実行するのなら卒業式というのは節目みたいでキリがいい。
勝ちの目は正直言って見えないのだが。
ある程度平静を取り戻したので蛇口を再び捻り水を止めた。
なにせあまりに敵が強大だ。
悠人からこっそりと聞いた情報だと各方面で著名な同学年並びに他学年の生徒が今日花恋にアタックを仕掛けるんだそうで。
力を持つ突貫兵たちを前に俺の出番はひょっとすると訪れないかもしれない。
いや、むしろその可能性の方が高かった。
というのも俺の武器は幼馴染という称号だけ。
県大会優勝とか生徒会副会長とかもっと格好のつく称号は数あれどただ友人歴が長いというだけの頼りない称号だった。
いや、俺だって厳密には人に言えない多くの力を秘めているのだが。
ほら、千を視る邪眼とか、楔をも裂く右腕とか……。
以前に悠人も言っていたくらいだし俺には特別な力がある。
だがそれを差し引いても厳しい戦いになることは重々わかっていての大勝負だ。
ちなみに茶化されると面倒なのでこの件は悠人には伝えていない。
ただ一週間ほど前に遠回しに聞いてみたのだ。
『卒業式って告白したりされたりみたいな話多いよな。 そういえば花恋に告白しようとしてる奴とか知ってる?』
至って自然な質問だ。
やけに悠人はニヤニヤしながら詳らかに事情を教えてくれたが気付かれてはいないはず。
繰り返し言う、気付かれてはいないはずなのだ。
そう自分に言い聞かせて再び本題へと戻る。
こうした中で一つ俺には不思議なことがあった。
それは猛者たちによる数ある告白を受けてきた花恋が誰一人として首を縦に振ったことがないという事実である。
聞いた感じだと校内でも有名な男子の告白も幾度となく断っているらしい。
かと言って花恋自身見ていてわかるのだが恋愛に無頓着というわけでもなく、その証拠にいつも恋愛系のドラマを録画して目を輝かせながら見せてくるのだ。
わざわざ家にまで呼びつけておいて、それも幼馴染ものの恋愛ドラマばかりを。
はっきり言って気まずいし地獄だ。
新手の嫌がらせとしか思えん。
でも恋愛に興味があるのだとすれば断る理由として他に浮かぶのは好きな人がいるとかくらいだろうか?
その線が強くなるような気がした。
愚かしくも一瞬それが自分なのでは?と考えそうになってすぐにその邪な考えをかき消す。
いやいや、期待しすぎると後が辛いだろ。
それに幼馴染というのは利点に見えてその実近すぎて恋愛対象として見辛いという欠点だってある。
その手の知識は既に花恋と見た恋愛ドラマで履修済みなのだ。
でももしそうだったらどんなに良いことか。
高校入学初日から華の高校生活が始まることになる。
そうなれば来年の今頃は二人で昼休みに一緒にご飯を食べたりしているのだろうか?
大勢の男子の嫉妬を浴びながらになりそうだが……。
仕方ない、その時はクラス間との緩衝材として悠人も呼んでやるか。
そこまで考えたところでやっと自らに突っ込みを入れる。
これでは取らぬ狸の皮算用だと。
こんな古風なことわざ久々に使ったな。
自分に呆れながら特にわけもなくポケットから取り出した携帯に表示された時刻は十三時。
まだあれから一時間も経っていないらしい。
さてさて俺はどのタイミングで計画を実行に移せばいいのか。
いやぁ、何というか本当に。
「はぁ~~~」
長い一日になりそうだった。




