第四話 いつかの二人
懐かしい。
目の前で繰り広げられているやり取りを見てふとそんな気がした。
「陽太、どうして今日は右手に包帯を巻いているんだい?」
「よくぞ聞いてくれたな我が盟友よ……」
そこにいたのは左目を右手で隠しながら向かって正面の相手にビシィッ!と指をさしている少年と心底めんどくさそうにしている顔立ちの整った少年。
右手に包帯ということはまだ青臭い中二病を全力で発症していた頃の中学生期だろうか?
そう、その両名とは過去の秦瀬陽太とその幼馴染である佐野悠人のことだった。
「これは俺の右手に秘められた能力を抑えるのに必要不可欠ないわば……いわば……?」
「――封印かな?」
「そう!それだ! 何でそんな簡単な言葉が出てこなかったのか不思議だがまあいい。 そういうことだ」
「そうかわかったよ。 だったら僕もどうしてその抑えこまないといけない程の力が包帯をつけていなかった昨日までの間に暴発しなかったのかとか、そんなに大事な封印の割には巻いている包帯の長さが短すぎないかとか、そういう都合の悪そうな質問はしないでおくよ」
「ああ、ホント頼むからそうしてくれ。 理解があって助かる」
色々と追及されてしまうと泣きそうになってくるので粗探しをされなくて本当に良かった。
包帯は中々買って貰えるものでもないので貴重なのだ。
だから少しずつ使わなければならないのが自分の中の決まりだった。
なにしろ購入する頻度が上がると母さんに心配されてしまう。
この一本目を買うのでさえ困難を極めたのだから当然だろう。
「はぁ……それにしてもベタすぎるよ包帯なんて……」
そんな奇行に対してというよりも悠人はあまりにも古典的な中二病像に憧れる俺の姿に呆れているようだった。
昔から悠人はそうだ。
クラスメイトや教師たちとも違って悠人は一番身近にいるくせに俺の中二趣味を否定したり馬鹿にすることがなかった。
――呆れられることは多々あるが。
別にこれが原因で虐められたりとかはなかったし、だからこそ続けられていたというのもあるが俺の好みや考え方を知らない一部の人間からは馬鹿にされることがあったため、こちらの欲しい反応をしてくれる悠人の存在というのは凄くありがたかった。
それに悠人や花恋がいなければ俺はもっと浮いた存在になっていたようにも思う。
賢くて人望もあり美形な幼馴染二人はあまり良くない言い方になるがよく俺の後ろ盾になってくれた。
二人がいなければ好きなことを好きだと言えない生活を送っていたかもしれない。
特に俺の在り方を否定しない悠人は紛れもない友達だった。
「でもやっぱり特別な力とかってかっこいいだろ。 誰にもないし負けない力って憧れるし持っていたいって思う」
素で漏れていた一言に悠人は一瞬面くらったような表情を浮かべる。
強い憧れのせいか設定のことが頭から抜け出てしまっていたことに気付かれたのだろうか?
「へぇ……? 宿ってるんじゃなかったの? その右手に」
「そうだった――じゃなくてそうだ、そうだとも。 宿っているよ? だから今のはほんの戯れだ。 あと今度そうやってあげ足を取ってきたら右手の力で存在を消してやるからな」
「ははっそれは怖いね! こっちも控えるから陽太もボロが出ないようにしないと」
「うるせえ」
この手の話になると大抵俺の側が後手に回ってしまうのが悔しいところ。
悠人がニコニコして楽しそうなのが頭に来るがこれくらいは許してやれないと友達としてやっていくのは難しい。
友人関係においても耐えることは肝心である。
「だけどね、僕は思うよ」
「――なんだよ?」
しかしそんな楽しそうな悠人の雰囲気が真剣なものに切り替わるのを俺は見逃さなかった。
これだけ長く一緒にいればわかる。
笑顔なのは変わらないが瞳の奥に芯のようなものを感じる時があるのだ。
今目の前でしているこの眼がまさにそうだ。
そんな真剣な悠人が零した言葉だったからだろうか。
高校生になった今もこうして思い出してしまうほどに鮮明な記憶として。
今でもこの時の言葉は忘れていない。
「陽太は誰よりも凄い能力を既に持ってる」
だって忘れられるはずがない。
これは幼馴染である以上に俺が同級生で一番だと思う男から受け取った信頼の言葉だったから。
称賛の言葉ではなかったように思う。
悠人が俺を見るあの目は上から目線だったわけでもなく並び立つ友人の力を確信している、そんな気持ちが伝わってくる強い言葉だったから。
「凄い能力って……だからもうそれはこの右手に――!」
「そうだったね。 つい余計なこと言っちゃったよ」
「やっぱりお前信じてないだろ……」
だけどこの時の俺はまだ夢を見ていたから。
その言葉の真意なんて考えようともしていなかった。
特別であることを諦めた中学生最期の日を過ぎても、あいつが言っていた言葉が俺のどんな力のことを指すのか未だに恥ずかしくて聞けていなかったりする。
だけど悠人がああ言うのならひょっとすると俺には……等と今になって考えてしまうこともしばしばあって。
そんな過去の自分たちの姿に揺れる自問自答は悠人のいる景色と共に立ち込めた霞に真っ白く染められていく。
得てして夢はいつしか覚めるものなのだから。
* * * * * *
――目が覚めると便器が一つあるだけのトイレに座り込んでいた。
鼻から吸い込んだ空気には酸特有の酸っぱいような匂いが混じっている。
一瞬当惑した頭脳は記憶を辿って思い返すことで今起きている理不尽と場所についてすぐに思い至った。
おそらくだが泣き疲れて眠ってしまっていたのだろう。
そのおかげか心なし頭がすっきりしたような気もする。
今いるのは保健室に備え付けられた個室のトイレで座り込んでいる床も清潔に保たれている。
が、便器の中は酷いものだった。
どうやら吐瀉物を流す余裕もなかったらしい。
俺は少し体を起こしてボタンを押し、胃の中にあったそれらを水で流した。
眠ってしまう前は嘔吐することすら悲しかったがもうそんなことは気にならない。
それ以上に俺は恐ろしいものを見てしまっているのだから。
「あの黒い何か……何とか出来ないのか……?」
こうなってしまってからは訳の分からないこと尽くしで、もうあれが何なのかとかどうしてこうなったのかなんて考えたって無駄なような気がしてならなかった。
だから俺が今考えるのはあの黒い何かをどうやって排除するかである。
放送室までの一本道で出会った黒い何か。
あれは明らかに無抵抗な――つまり時間が止まったままの生徒を食べているというよりも体ごと呑み込んでいて、意思自体あるのかさえ疑わしい存在だった。
ただ生態あるいは機能として動けない人間を飲みこむということを知ってしまった以上自分たちにとって有害な存在であるということだけは明白だった。
それに、だ。
危険は他のみんなだけでなく教室にいる悠人や花恋の二人にも及ぶ可能性がある。
別に二人だけ助かればいいとも思わない。
もう既に少なくとも人が一人いなくなってしまっている。
俺が見殺しにしたようなものだ。
もう咄嗟のことだったから等と言い訳をするつもりもない。
俺はあの時救えなかったのだ。
もうヒーローを名乗ることは叶わない。
だが今更そんなことも言っていられなかった。
こうして眠ってしまっていた間にも多くの人々が奴に飲み込まれてしまっているかもしれない。
そう考えるといても立ってもいられなかった。
俺は立ち上がると特に考えも無しに勢いよく個室から飛び出した。
もう奴は多くの人を、悠人を、花恋を飲み込んでしまっているかもしれない。
対処する術も何をするのが正解なのかもさっぱりわからなかったが停滞しているのは嫌だった。
『陽太は誰よりも凄い力を既に持ってる』
夢の中で再び聞いたあの言葉を思い出す。
悠人が俺に言ってくれたその言葉を信じる。
あいつが信じてくれる俺を信じてみることにする。
どんな力を俺が持っているのかはわからないが何もないよりは良い。
勢いよく開かれた保健室のドア。
目の前に現れた光景は俺の想像を遥かに超えるものだった。
思わず息をのんだがもうそこに頭のリソースは割かない。
今俺がするべきなのは変わらずみんなを救うことだったから。
「今行くからなああああ!!!」
ダサくたっていい。
怯えるな足を動かせ、恐怖で足がすくまないように大声を上げて気合を入れた。
と、同時に全力で廊下を駆け出す。
廊下は所々が底の見えない黒に変色しており、先の黒い化け物を彷彿とさせる。
世界の終わりのような景色を駆け抜ける。
もう既に此処に以前までの学校の姿はなかった。