第三十八話 夢想家の最期
一年が経ちました。
必死で黒手を回避する中でも足りない頭を酷使して考えていた。
勝つためには何が必要でどう活かせばいいのか。
俺に出来ることは何なのか。
そして、どうすれば一つも取りこぼさないように全部を救えるのか。
その過程でまず目を向けなければならないのが問題の攻撃手段。
どうすれば攻撃が通るのか、だった。
これまでに俺がこいつに向けた攻撃はたったの二回。
統計を取るにしてはあんまりな数だと言えるが、データ不足を敗因にするのは全てが終わった後、死んでからでも出来ること。
手札にあるくらいのものは全て使う。
そんな貪欲さがないと俺たちが明日を拾うことはない。
だから手のひらサイズの情報を何度も見返した。
思い出される、敗北の記憶。
俺が奴に立ち向かった数舜の出来事が過る。
もといた世界で振るった俺の拳はこいつの身体をすり抜けた。
しかしリザを掴む手をどうにかしたくて必死に打ち込んだ右ストレートはヒット。
ダメージを与えた様子はなかったが都合よくリザは奴の黒手から逃れた。
たったこれだけ。
これだけの行動しか俺は奴に対して起こせていない。
その事実はあまりに不甲斐ないが、自己嫌悪も劣等感もこの際邪魔でしかないので早急に排除して。
また僅かな記憶を何度も読み返す。
その繰り返しだ。
幸いここに加わる新たな情報があった。
さっき聞いたリザの話だ。
俺の経験だけじゃない。
リザの話から考えられる情報を加えて再度イメージする。
足りない部分を補い合ってより精度の高い答えに行きつくために。
『土・水・風のどの属性での魔法も奴には通じず、その攻防の中で蹴りだけは命中した』
このことから魔法での攻撃を諦めて再び物理的な攻撃を選んだ彼女であったが、考察もむなしく奴は透ける身体で一縷の望みをも砕いた。
結局俺たちの誰も決定的なダメージを与えることが出来ていないのが現状なのだ。
だがそれはあくまでもこちらが明確な攻撃手段を持たないから。
今まで当たった攻撃のどれもが確実に仕留めるという意図で取った攻撃ではなく、奴が大きなダメージを負っていないことをそこまで悲観する必要はないはずだった。
だからこそやはり注目すべきはそれらの共通点。
と、そうやってあれこれ考えている間にも。
「危ないっ!」
「――ッ!」
リザの鬼気迫る声に僅かに下げた頭の上を何かがシュッと通り過ぎたのがわかった。
命懸けのおいかけっこがまだ続いていることを嫌でも理解させられてしまう。
頭で四の五の考えているうちに幾度となく死にかける俺には実はあまり時間がないということも。
「くそっ!」
上手く頭を使えない、今は逃げることしか出来ない自分が悔しい。
何かに没頭すると周りが見えなくなる性格……なんて言いたかったが命のやり取りをしていることすら忘れてしまっていたのならどうかしている。
いい加減こんがらがったイメージををまとめよう。
俺の思い至った結論。
それは、奴にこの世界に作用出来る実体とそうでない不可侵の姿があること。
もっと言えば物理的な攻撃が出来て物理的な攻撃が通用する状態と、そうでない状態とがあること。
それがリザにはまだ伝えられていないがおそらく一番有力な解答。
今の俺に考えられる限界だった。
何を根拠にと言われれば正直どれも確信できるほどの出来事ではない。
ただそうかもしれないと思えるだけの判断材料ではあると踏んでいた。
まず攻撃が当たった時の状況。
俺の場合はついさっきリザが捕まれていた時だ。
あの時はリザを掴むことが出来ている以上間違いなく奴には実体があった。
だから俺の拳は奴に届いたのだ。
そしてリザが奴に加えた攻撃は蹴り。
聞いたところだとそれは奴がリザを黒手で掴もうとした瞬間の咄嗟の出来事であったらしい。
だとすればこの時奴はリザに手を掛けるべく実体化していたと考えられる。
実際それ以外の透かされた攻撃のほとんどが予備動作ありきのもので、フォルムを変えるだけの猶予が奴には十分あったはずだ。
ただ、さっき俺が窮地に陥っていた時に関してはその猶予がなかった。
俺に手を掛けようと実体化したタイミングでは迫りくるリザの右足を避けるしかなかったのだ。
これにより奴が瞬時に姿を切り替えられない可能性も浮上する。
つまるところ奴は透ける体と実体を使い分ける。
そう考えると今までの攻防にも説明がつくわけだ。
「――よし」
死と隣り合わせの状況で不思議と口元が緩む。
やがて来る終幕を前に覚悟を固めていく。
正体がわかってしまった以上勝てるはずのない相手ではない。
それにここまでくれば勝ち方だってもうわかったようなものなのだ。
この追いかけっこの幕引きは、やはり実体化したタイミングで奴にリザの魔法を当てられるかにかかっていると。
そこまでの見通しはついていたんだ。
ただ、どうやって奴にリザの魔法をぶち当てる状況を作るのか。
そもそも魔法での攻撃が通用するのか。
時間もないし呼吸だって荒いこの状況ではそこを考えるのが難しかった。
いや……正しくは最善の手を考えることが出来なかった、ということなのだが。
というのもリザを活かす戦いを考える中で最初に一つ思いついた手があった。
でもあまり気乗りする手でないことも確かだったから。
これが真っ先に浮かんだこと自体情けなくなる。
単純だがリスクしかないその手を俺はすぐに取ろうとは思えなかった。
だけどそんなことを五分後、十分後の俺が果たして言えるのだろうか。
そんなはずがない。
不安は消えるはずもなく俺を急かし続けた。
もしかしたらあと二メートルばかり進んだ先で、またしてもそこの苔生した木の根で足を滑らせ、倒れ込んでしまうかもしれない。
俺を追う奴の黒手を追い払うリザの手が突如として掴み取られ、おもちゃのように地べたへと体ごと叩きつけられるかもしれない。
何度も思い返すが、余裕も余力も無いのだ。
先程からぜえぜえと鬱陶しいまでに激しくなる呼吸がその証拠。
常に奴の絶望を思わせるどす黒い手はこちらに迫っていて、俺は避けることで精一杯。
どうしたってその構図は俺たちから変えない限り続いていくし、或いは不意に自分たちの死という形で終わりを告げるのかもしれない。
となればもう俺はいくら悩んだって此処で、今がある瞬間にこそ覚悟を決めるしかなかった。
だから、
「詠唱を始めろ、リザ!」
「え?」
覚悟を形にするように。
自らを奮い立たせるように。
この攻防の中でも彼女の耳へと届くような大きな声で俺は叫ぶ。
足りないピースを補えないなら他で代用するしかない。
俺が奴にとっての脅威となるためには自らを犠牲にするしかない。
俺が考えていることなど知る由もない彼女の戸惑うような声が聞こえたような気がしたが、構っている余裕はなかった。
何としてでもこいつを打ち倒すための魔法を撃ってもらう必要があるから。
この一か八かの賭けにおいて迷いは邪魔にしかならない。
「とにかく今ってタイミングで俺が合図する! そしたら魔法を撃ちこんでくれ! 他に何も考えなくていいから!」
「で、でもそれでは陽太君が――」
「いいから! ここで終わりたくないって本気で願ってる、俺を信じろ!」
「――っ。 はい!」
――また、だ。
澱みない澄んだ声色が俺の背中を後押しする。
間違っていないと肯定してくれる。
こういう時、簡単に俺を信じてくれる彼女の甘さがいつか大きな後悔をさせてしまうんじゃないかと。
そんなことを考えたのも一度や二度じゃない。
俺を信じきっている彼女の信頼が本物なのか。
俺という人間しか知らないからこその、仮初めの信頼なんじゃないか。
そもそもこの二人きりの世界において彼女は本当の意味での信頼を知っているのか。
俺がもし悠人でも、花恋でも、それ以外の誰だっていい。
彼女は誰にだって信頼を寄せていたんじゃないかって。
奴のように黒ずんだ醜い考えを、抱かなかったと言えば噓になる。
でもその度にこうも期待した。
やって来たのが俺だから今の彼女がいるんじゃないかと。
たとえそれが驕りだとしても俺と過ごした時間が彼女に僅かでも影響を与えていて。
それで外の世界に興味を持って。
誰かのために戦う覚悟を決めてくれたなら。
その瞳に似た碧く澄み渡るような優しさを損なわずに、この時まで来られたのが嘘じゃなかったのなら。
後悔させたくない。
受けた信頼に足る男になりたい。
これからも俺を頼ってもいいと思って欲しい。
そのためにも……。
「我、暴風の紡ぎ手なり!」
俺の呼びかけに立ち止まったリザの詠唱が始まる。
それはつまりこれから先、彼女が魔法を放つその時まで支援を受けられないことを意味していて。
同時にギリギリで成り立っていた均衡が崩れるという意味でもあった。
「くっそ! 案の定だな!」
リザの攻撃を回避しなくてよくなった奴は攻撃の手が明らかに増す。
一瞬で目の前に回り込んだ奴が黒手を振りかぶった。
それを奇跡的な反射速度で知覚すると俺はすぐに九十度左へ駆ける。
振りかざされた黒手によってか背後で木が倒れる大きな音がした。
いつ俺があの木のようになるかわかったもんじゃない。
それでも俺は逃げ続けなければならなかった。
彼女の詠唱が終わるその時まで。
俺が奴に飛びかかるその時まで。
もしこれまで逃げる一方だった人間が突然振り返り向かってきたのならどうするだろうか。
思わず実体化を解いて透かそうとしてもおかしくはない。
奴からすれば俺なんていつでも殺せるのだから、そんなよくわからない事態に必死になる必要はないからだ。
だがそうなれば実体のない身体にリザの魔法を撃ちこむことが出来る。
物理を無効化している時に魔法攻撃が当たるか知ることが出来る。
唯一試したことのない勝利への可能性だ。
これで効果があるのか。
それによって奴が「全ての攻撃を透かす姿」を持っているのか、はたまた「物理か魔法どちらか一方しか透かせない姿」なのかが決まってくる。
俺たちが前に進むのに避けては通れない検証。
そのために必ず稼がなければならない時間だった。
もちろん決して短い時間ではない。
奴を葬り去るつもりで放つ魔法であればそれなりに詠唱時間を要するはず。
それでもただ逃げるだけで良いのなら不可能ではないはずだ。
ゴブリンやオーガとの戦闘を終えた俺のレベルは28で奴は105。
5倍も違う数字でも詠唱を終える数秒すら稼げないほど絶望的な差ではない。
そう判断して俺は――。
「――陽太君っ!」
「――ぇ」
ふわりと僅かばかりの浮遊感。
これまで木の幹ばかりを映していた瞳が突然頭上の、空を覆い尽くす葉の数々を見せつけた。
あまりに激しく上を向いたので首にも痛みがあって。
とてつもない衝撃が背後――奴が迫る方から走ったこともわかった。
一瞬にして数メートルを吹き飛んだ後次は腹に強い衝撃が。
背後からのものと比べれば幾分マシだったが意識が飛びそうなほどの痛みである点は変わりない。
「がぁっ!」
ちかちかする視界。
思考が断絶的になる。
ぶつかったのが吹き飛ばされた先の木であること、多分内臓がひしゃげたこと、俺の名を繰り返し絶叫するリザが詠唱を止めてしまったこと。
全てに気が付くよりも早く。
不明瞭な意識の中ですらまたしても自らの浅慮を呪っていた。
レベル差を侮っていた?
少しくらいなら時間を稼げると、それですら過大評価だった?
ここがもう数えるのもうんざりな敗北の歴史の、その新たな一ページなのか?
力なく横たえる俺と、幕切れとでも言うかのように霞んでいく風景。
目の前には吹き飛ばされ大木に叩きつけられた際ポケットから落ちたのだろう赤い花が一輪あった。
花畑で手折られ、綺麗な金の髪によく映えた鮮やかな花弁。
それを見てふとあの違和感について思い出す。
彼女がセイクリッドヒールを使った後のこと。
違和感の正体は彼女の頭に挿したはずのこの花がなかったことだったと。
すっかり返し忘れていた。
たったそれだけのこと。
違和感というほどのことでもなかったのだ。
「それでも……俺は……」
白くぼやけていく景色の中で俺と同じく地べたに横たえた赤い花へと手を伸ばす。
気付けば音も聞こえない。
リザの声もどこか遠く……。
そう思って気付く。
あまりに静かだと。
まるであの日の学校のように。
瞬きをして気付く。
今まで花の落ちていたそこに誰かが立っていることに。
顔を確かめようにも首が動かない。
足しか見えないそれが夢想家の最期に別れを告げに来てくれた天使なのか。
はたまた醜く足掻くさまを嘲笑いに来た悪魔なのか。
何もわからないままでただ一言。
森の静寂に、響くような声が聞こえた。
「ここまで酷い目に遭ってまで『それでも』と手を伸ばす――貴方の望みは何ですか?」