第三十三話 星夜、一つだけのポラリス
一話のタイトルを少しコンパクトにしました。内容の変更はありません。
何が起きたのかわからなかった。
ただ死神がゆっくりと、私の死因を唄い聞かせようとしているように、時の流れをゆっくりと感じていて。
宙にあっても浮遊感さえ感じないほど、交錯する思考の中で最初に抱いた疑問、「どうして宙を舞っているのか」はすぐに「どうして魔法は通じなかったのか」に転じる。
単純に魔法が当たらなかったから、敵の突進を阻止できなかったのだ。
それがわかって初めて訪れる激痛と思うように動かない両腕。
衝撃を受け止めた負荷で、もしかすると折れてしまっているかもしれない。
状況を整理すればするほど、意図せず敗北の二文字を想起する。
希望は早々に打ち砕かれてしまったのだと理解するのにさして時間はかからない。
スキルによって並ぶことの出来たレベル。
突如頭に溢れた数々の魔法の引き金となる呪文。
確実にそこに実体があると目にしたからこそ生まれた勝利への道標。
そして、陽太くんがくれた勇気と未来。
その全てを以てしてもこの邪悪な存在には敵わないのだろうか?
考えたくもない未来が卑しい笑みを浮かべて押し寄せる。
そんな錯覚に苛まれた。
情けないことに、こんなに僅かな攻防だけで私はもう、打ちひしがれそうになっている。
このまま悔しさだけを遺して散って、全てを彼に押し付けるのか。
一人きりでもがいている彼の姿を空から見ているだけの日々を送るのか。
彼が救いたいと願う人々を、彼が救えるよう背中を押すことは出来ないのか。
――そんなはずが、ない。
不安はいくらだって湧き上がってくるのに、それでも不思議と私は闘うことを選んでいる。
だって、私はとっくに一人じゃない。
上空でくるり、と体勢を立て直した私は受け身を取って地面へと降り立つ。
レベルが上がったことによる影響か、そこそこの高さからの着地であったにもかかわらず足にかかる負担はない。
これなら今からの戦いにも影響は無さそうだ。
すぐに気持ちを切り替えたところで丁度、夜闇より真っ暗なそれが不気味に木々の間から現れる。
あの程度の一撃で勝ち誇っているのか先のような速度はなくゆったりとにじり寄って来ていた。
なんて憎たらしい……!
あちらの歩みに負けじとこちらも次に撃つ魔法を考える。
どれだけ未知数な敵でも怖くない。
所詮は私に倒される存在なのだから。
――瞳を閉じれば彼の不格好ながら頼もしかった背中を思い出す。
陽太君は負けなかった。
逃げてもすぐに立ち向かった。
怖くても多くを救おうとした。
そんな彼の傍にいた私が心を折られるはずがないんだ。
「大いなる断罪の力、波打つ巨岩の群れよ、今その鼓動を共にせん」
痛みは未だに引かず思うように動かない腕も僅かなら動く。
少し動かす度訪れる痛みを我慢して、私は右手を地に添え呪文を詠唱する。
威力は強力だが走りながら放つには難しい、集中を要する魔法だ。
もし敵の身体が透けるのだとしたら、いっそ此処から消してしまえば良い。
「願わくば、愚者の身体を砕き、取り込み、せめて大地の贄とせよ」
まだそれは距離を大きく詰めては来ない。
このまま詠唱が間に合えば……!
「天地転変の理、我が祈りにより来たれ!」
最後の一文を読みあげた私は右手から直接大量の魔力を流し込む。
そして――。
「アースクエイク!」
五メートルほど先の、今まさに敵がいる座標に大きな橙色の魔法陣が発生した。
あと少し近ければこちらも巻き込まれていたかもしれない距離。
走りながらだと難しかったのはこの座標を定めるという行為が安定しなくなるからだった。
幸い敵の悠長な足取りに救われた。
ここでも突進をされていたらこの魔法は発動することすらままならなかっただろう。
魔法陣のあった位置に大きな亀裂が走る。
すぐに後方へ飛び退いた私と対称にそれはむしろ微動だにせずただその場に佇んでいる。
この魔法に対象の位置を固定する力がない以上、私の目にはその行動が「逃げるまでもない」という挑戦的な態度に映った。
そう思っていられるのも今の内なのですが。
昏い敵の足元に走った亀裂はそのまま大きく口を開け、更に盛り上がった大地がかぶりつくように頭上のそれを飲み込んだ。
そのまま何度も咀嚼するように盛り上がった土がぶつかり合う。
大地を揺るがす大魔法はこれまでに聞いたこともないような唸りを上げて草木と共に敵を蹂躙した。
いくら攻撃の透ける敵でも大地に呑まれれば一溜まりもないはず。
やがて地鳴が止むと盛り上がった大地は元ある形へと戻っていき、何もなかったかのように魔法のような光景は地に潜んでいく。
「これでもダメなのですか……」
しかし沈んでいった大地を他所に取り残された闇は変わらずそこに在る。
ダメージすら入ったようには見えない。
つまりこれも魔力を消費しただけに終わってしまったということ。
けれど何をしても無駄と思えるその出で立ちを前にがっかりこそすれど、諦めたわけではない。
次はどうすれば……膨大になった魔力も無限ではない。
あと何手かの内に打倒しなければいずれはこちらの限界が来てしまう。
そうなる前に何か……。
めげずに手探りで勝機を探して、これまでの行動と記憶を振り返る。
生物なのかすらわからない曖昧なフォルム。
陽太君の当たらなかった拳。
人さえも飲み込む体。
高すぎるレベル。
木々をなぎ倒し進む、つまりはそこに在るはずの実体。
凄まじい威力を持った突進。
透かされた風魔法と効果のなかった土魔法。
どれを選んで手繰っても、手繰っても、まるでわからない。
「――っ!」
取っ掛かりを得るべく思考している間を流石に待ってくれるはずがなく、敵は身体から生えた何本もの真っ黒な腕を使って私を覆うように伸ばしてくる。
こんなことまで出来たのですか!という驚きは幾つもの黒手の猛攻を捌く中で搔き消されてしまう。
「くうっ……! 何度も、何度も……!」
右、左、右、上、右、上。
手数を武器に高速で何度も私を掴もうと手を伸ばしてくるそれを何とか回避しているが、このまま攻撃が続けばいずれは私にも限界が来るはず。
更にはこの攻撃の中敵に魔法を当てる隙はありそうにない。
良くない状況だと理解していても、この状況を打破するのも難しくて……。
勝ち筋を模索しながら、絶えず左方から伸びてきた手を僅かに前進することで躱した。
襲い来るいくつもの黒手にどうすることもできないでいる。
そんな呼吸すらままならないタイミングで、
「あっ!」
突如正面からも手が伸びてきた。
その方向からの攻撃を考慮していなかった私は、完全に不意を突かれてしまった形になる。
反応が僅かに遅れたこの状態からでは上手くよけきれるとは思えない。
それでは、と払い除けるために伸ばそうとした手も動かそうとすれば痛みが走り、思うようにいかない。
このままでは――!
「え、えい!」
そんな一か八かの場面で振り上げた右足は見事に伸びてきた黒手に命中。
弾かれた手は逃げるように主の方へ返って行ってしまった。
ほとんど無意識に講じた手が良い結果を奏したようだ。
でも、今の私を包んでいるのはそんな束の間の喜びではなく……。
蹴り上げた足をゆっくりと下ろして、冷静に考える。
間違いなく今、私の攻撃は敵に当たっていた。
透かされなかったのだ。
その事実がこの局面においてはとても大きい。
ダメージを与えることさえ出来るのなら打ち勝てる可能性が生まれるのだから。
攻撃を受けたことによる影響か敵は手を引っ込めたまま変化がない。
攻勢へと転じる機を探していた私にはうってつけの展開だった。
それに、
「もしかすると……」
ある推測が脳裏を過ぎると私は咄嗟に地を蹴り上げていて、開いていた距離を一気に詰めながら朧げな解答を形にしていく。
陽太君の話を聞いて、私はこの敵に物理的な攻撃は通じないのではないかと思い込んでいた。
だからこそ魔法での攻撃を意識していた。
だけど、もしもこの世界の黒い敵と陽太君の世界の黒い敵とが別の存在であったなら?
現にこの敵の実体は私に突進が当たっていた以上存在しているわけで、先程も黒手を蹴り返してみせた。
そうした点と点とを繋いでみると、解答は明瞭になってくる。
ひょっとするとこの場合、物理的な攻撃は有効なのかもしれない。
跳躍による勢いを殺さずに私はこの隙を逃すまいと敵のすぐ目の前まで迫る。
この一撃を決定打にして見せる。
手にしたチャンスを逃さないよう、そう固く決意を込めた。
ぶつかりそうになる直前、左足を思い切り地に踏み込むと、慣性をそのままにあらかじめ構えていた右足が敵の懐を捉えられる位置で軸を作る。
軸足となる左足が地面にめり込むのを気にも留めず、体勢を崩さないよう思い切り体を捻った。
そして、
「はあああああっ!」
勢いをつけた右足での蹴りは間違いなく高い威力を保ったままで目の前のそれを吹き飛ばす。
渾身の一撃に敵は為す術もなく倒れ、私は陽太君の一緒にお友達のもとへ。
これからの展開がすぐそばにあるように一瞬の間で、鮮明に感じ取れる。
だがどうしてか感触がない。
押し付けられたのはぐるぐるととてつもない速さで回転する感覚。
叩き込んだはずの右足に、何かを蹴り上げるのはおろか、何かに触れたという感覚すらない。
となると、これはまさか……?
「わわっ!」
慣れない蹴り上げ攻撃を透かされた私の身体はコマのように左足を軸にしてその場でぐるぐると回る。
目が回るとか、そういうレベルでない回転に平衡感覚は刹那の内になくなってしまう。
目の前のそれからすればこれ以上ない好機であったに違いない。
回転していたのも束の間、ぐっと何かに捕まれるような感覚と同時にぐちゃぐちゃになっていた視界は歪みと共に修正されていく。
天地がひっくり返ったような世界が、徐々にうねりを失っていく。
そしてそれが元通りになった頃には、黒手に身体を強く掴まれ、痛みを放つ両腕が更に残酷な現実を私に理解させた。
またしても掴みかけた答えがこの手からすり抜けていく。
「くうっ……!」
黒手に持ち上げられた身体は貼り付けにされたようにぴったりとその場から動かない。
敵は何か品定めでもするように私を見ている気がする。
これから私をどうするつもりなのだろうか。
殺されるのか、陽太君と同様にどこか別の世界へ飛ばされてしまうのか。
考えてもわかりそうにない、そう思っていたのに、答え合わせの刻はすぐにやって来た。
「ぐ……っ! あぁっ!?」
握られていた身体がとてつもない力で締め付けられる。
普段の私であれば即座に弾けていたであろうほどの力が、紛れもない殺意によって私を握りしめている。
それでも。
自らの骨が軋む音を耳にして、私が勝負を諦めることはない。
最後の最期まで私は彼のために出来ることがしたい。
叶うのなら彼とまた笑って、綺麗だねって、遍く星空をなぞってみたいから。
「潤す……は……豊穣の祖! マイム……!」
瞬間、敵の頭上に発生した青い魔法陣。
そこから大量の水が吹き上げた。
水属性の初級魔法『マイム』だ。
本来はただ水を吹き出すだけの魔法。
危険性の低さからアカデミーでも初等部で習うような馴染み深いものだ。
しかしそれも術者の魔力量によって大きく変わる。
初等部の学徒には水鉄砲にしかならないこの魔法も、今の私が扱えば滝のような質量を持つれっきとした攻撃になる。
敵に握られたままいつ力尽きるかわからないこの局面では詠唱が短いものを選ぶのが賢明なはずだ。
特大の質力に大地は抉れ、泥水が跳ね、周囲はザアアアという水の音だけが支配していた。
私はありったけの魔力を込めて魔法を継続する。
少しでも黒手の力を抜いてくれればそれで良かった。
そうなればこの危機的状況を脱することが出来ると考えていたから。
しかし、薄々はわかっていたのかもしれない。
空中で黒手に押さえつけられていた身体が思い切り下降する。
「ああああああっ!」
地面に叩きつけられ、魔法が私の制御から離れて消失する。
衝撃に意識が吹き飛びそうになるのを寸でのところで持ちこたえた。
痛みに泣きそうになるのを、悔しさが抑え込んだ。
「痛くない……痛くない……」
鼻水を啜って、それでも次の魔法に備えて言葉を紡ごうとする。
森を燃やしてしまうといけないと使わなかった火の魔法。
魔法四代元素のうち使っていない火属性があるんだ。
つまりはまだ試していないこともあって、希望もある。
そう自分に言い聞かせて、
「灯すは――」
唱えかけて言葉が続かなくなった。
呼吸も苦しくなって、今度こそ何もできなくなる。
作業的に一手一手を封じられていく感覚に何もかもを抑え込まれる。
二本目の黒手で口元を抑え込まれた私には、もう本当に一つも出来ることが残っていなかった。
呪文が魔法へのトリガーとなることを知っていたのだろうか。
考えてもどのみちこうなってしまうと私にはもう……。
段々と白くぼやけて、霞んでいく視界に黒い手を何本も生やした無機質な黒い敵の姿が映る。
これだけ抗っても意味が分からないままで私は負けてしまうのだろうか?
こんな状況でも、負けたとは思えそうにない。
この場ではこういう形になってしまったけど、一人きりのこの敵とは違って私には陽太君がいるのだから。
せめて目を瞑って、私は最期の時間を楽しかった記憶と一緒に過ごすことにする。
――陽太君。
一人きりの私に友達を教えてくれた陽太君。
一緒に笑ったり、冒険したり、悩んだり、叱られたり、怒ってみたり。
そういう色んな経験を、気持ちを、教えてくれてありがとう。
陽太君がくれた色々は私が持つ冷淡な記憶とは違って、懐かしくて温かくて、とっても愛おしかった。
間違いなくかけがえのない……大切な宝物。
――陽太君。
一人きりの私に好きを教えてくれた陽太君。
陽太君はいつも友達として私と接してくれていたのに……私は陽太君のことを、大好きになってしまいました。
いつもいつも考えてしまうし、気になってしまうし、もしかして私は惚れっぽい女の子なのかもしれません。
それでもこの気持ちが紛い物じゃないと、私は知っています。
だってそれは……苦しかったから。
陽太君があちらの世界の方の話をしている時……一人だけ、陽太君は恥ずかしそうに話していた女の子。
多分陽太君はその子を――好き――なのかもしれない、と。
なんとなくそう思いました。
今だって、考えると胸がチクリと痛い。
でもそうだとしたらますます陽太君はここにいてはいけない。
好きな人を想うのがこんなにも苦しいことなら、陽太君の苦しみはもっともっと強いはずだから。
だからこの敵を倒すことで少しでも前に進んで欲しかったのに。
――陽太君。
数えきれないほどたくさんをくれた陽太君。
もっと、いっぱい一緒にいたかった。
広い世界を見てみたかった。
――陽太君。
――陽太君。
――陽太君。
――ありがとう。
――大好き。
「リザに――」
「――んんっ!?」
「触るなあああああああああっ!!!」
心地よい声色を合図に窮屈さから一気に解放される。
既に黒手は私を放していて、目を見開くと真下には忌々しい敵ではなく一人の少年が映っている。
見間違いなんかじゃない。
この少年は……。
「陽太君……!どうして……!?」
自らの最期を覚悟したはずの私は、驚いたまま重力に従って彼のもとへと落ちていき……。
無事にその腕の中へ辿り着いた。
「大丈夫か!? リザ!?」
陽太君に抱えられて、受け止めて貰って、心に淡い光が満ちていくような気がした。
もう二度と会えない覚悟をしてきたのに、この人はどうしてこんなタイミングで現れるのか。
どうして、どうして陽太君はそんなにずるいんだろう。
だってこんなの……好きにならない方が難しい。
またしても彼は私を救ってくれたのだ。
どこか困り顔を浮かべる私の王子様。
どうしてそんな顔をしているのかはわかっている。
私が泣いているからだ。
堪えていた涙がぼろぼろとこぼれる。
黒手からは逃れたはずなのに、視界はまたぼやけてしまった。
それでも彼が彼なのだということだけは匂いや声や温もりではっきりわかる。
どうにもならない戦いの中でも虚勢を張って前を向いて。
折れずに信じたて本当に良かった、と。
せめてその感謝を私は、彼を笑顔で迎えることで精いっぱい伝えることにしたのだった。




