第三十二話 風を切った先で
問題なく発動するに至ったレベル吸収は彼の敵のレベルを半分に削ぎ取り私のもとへ流れ込む。
スキル使用前、瞳に映った敵のレベルは以前と変わらずレベル210。
それが私に吸われたことで105まで減退しているのが確認できた。
これで私のレベルは106。
覚えのない知識を参照してもレベルが100を超えた存在を私は知り得ない。
それだけで目の前の敵がどれほど規格外な存在であったかがわかる。
「すごい……! これがレベル106!」
スキルの使用によって流れ込む、これまでとは比較にならない力の奔流に私は思わず声を漏らす。
まるで体の内側が爆発するようなこの感覚……誰にも負けないとすら思えてしまう。
これなら相討ち以上の戦果を望めるかもしれない。
私は湧き上がる能力の向上を肌で感じつつ目の前の敵を見据える。
間違いなくこれまでで最強の敵だ。
陽太君から話を聞いていることを踏まえても未知数な箇所が多い。
僅かに得た拳がすり抜けたという情報も、敵の強大さを物語るだけで攻略法までもがわかったわけではないのだから。
それでもこの絶望的な状況を少しでも前向きに捉えるのであれば、スキルの発動が出来たというところでしょう。
スキルが通らなければ万事休すだったのでこれは大きな一歩です。
陽太君の道を作るなんてあれだけ大口を叩いておいて一歩目から躓くなんてありえません。
目の前の闇はレベルが半減してこそしているものの、見た目に変化はない。
それどころかこうして対面してから攻撃する素振りすらも見せてきていない。
陽太くんの話からして敵意がないとは思えませんが……。
そう考えた時、突然にそれは動き始めた。
私よりも一回り大きな輪郭のない体でこちらへ突っ込んできたのだ。
あまりに急で、あまりに速い。
「――っ」
反応の遅れた私はそれでも触れそうになるギリギリでその場から飛びのく。
やはり敵意がないというわけではないようです。
静かな森の中でズザザ、と足が地に着いた音だけが響く。
ついさっきまで私がいた場所で佇むそれも今の私と同じ、しかし正反対の変化を実感していることでしょう。
だって私自身僅かな動きだけでこんなに驚かされているのですから。
凄い速度で敵との距離を取ったことも、あんな速さで敵が距離を詰めてきていることに反応できたことも。
普段の1レベルの自分とも、レベル吸収を用いた10レベルくらいの自分とも似つかない圧倒的な速さ。
敵が迫ってくるのを避けただけで、あらゆる能力が向上していることを実感できた。
でも、変化はそれだけじゃない。
またしてもこちらへ距離を詰めてきた仇敵とレベルが並んだ時から、思い出したように脳裏を巡る文字列がその証拠だ。
私は先の攻撃を皮切りに幾度となく繰り返される突進を躱しながら自らの身に起きている変化を整理する。
この文字列はレベル1の私には必要のない情報だ。
だって魔力を持たないレベル1の私じゃ知っていても発動することは出来ないから。
扱えないと分かっていてどうしてわざわざ記憶する必要があるのか。
成長することのないイレギュラーな私がどうしてこんなことを知っているのか、どうしてもわかりそうにない。
だけど今のような疑問には覚えがある。
同じようなことを私は以前陽太君と一緒にゴブリンと戦った時や、先刻オーガと戦った時に経験したはずだ。
凄まじい速さで走る私は木々をなぎ倒しながら最短で距離を縮めるそれを時折振り返り視界に捉えつつ、憎き敵を討ち倒すための二手目を投じるべく言の葉を紡ぐ。
「我、暴風の紡ぎ手なり」
あの日、レベル12になった私は初めて初級魔法『ファイア』を放った。
本来撃てるはずのなかった魔法が二度発動出来たのは偶然などではなく、大きく二つの条件を私が満たしたことにある。
それは世界の常識であり、つまりは魔法の常識。
「汝、草原を凪ぎ、海原を駆け、世界を渡る、飽くなき無窮の探索者」
一つ、必要な魔力量の確保。
それは魔法を撃つうえで必要だった魔力量をレベルが上がったことによって、一時的にとはいえ達していたことでクリアしている。
初級魔法であればあれだけのレベルでも問題はない。
人によっては魔力の素養がなくどれだけレベルが上がっても魔法を行使できない者もいるが私はそうではなかったらしい。
「澱みなく無垢な白風よ、我が手にて束ね、織り成すことを赦せ」
そしてもう一つの条件、呪文。
これを引き金にこの星は不思議な力の行使を術者に委ねてくれる。
神秘に溢れたこの文字列を先人たちが遺した魔導書で学び、それぞれ引用するのだ。
私が今詠唱しているものがそう。
さっきまで記憶になかった呪文を、こうして当たり前に詠唱している事実はやはり納得のいくものではないにせよ、この敵を倒すのに使わないという手はない。
もしかするとこれは神様が憐れな私に託した最後の希望なのかもしれないから。
詠唱を終えた両手に心地よい風が纏うのがわかる。
ただ風を切って走っているからというわけではない。
紛れもない魔力の高まりによるものだ。
迫りくる敵の速度は一切緩むことがない。
それでも互いに平行線かと思われた短い逃避行はここで終わる。
森を抉りながら進む昏い存在に森のモンスターたちが逃げ惑うのを流し見て私は急ブレーキ。
向けていた背中を反転させしっかりとその禍々しい姿を見据える。
陽太君は拳が当たらなかったと言った。
しかし今もそれは森を壊しながら進んでいて、つまり間違いなくそこに実体が存在している。
だったらその身体に魔法を叩きこんでしまえばいい。
これまで多くの人々を喰らった異形を。
陽太君を苦しめた仇敵を。
私がこの手で打ち砕き、償わせて見せる、そう覚悟して。
敵はもう手の届きそうなほどの距離にいた。
回避はもう不可能であろうほど僅かな距離。
それでも魔法が失敗したら――という不安はなかった。
私はいつか習ったように落ち着いた所作でその敵に両手を交差し、構える。
そして――。
「ウィンド・ブラストッ!」
風属性最上位魔法『ウィンドブラスト』。
大気中の風を織り、収束させて放つ大魔法だ。
世界でもこれを行使できるものはそういないと私は知っている。
レベルアップによって一時的に得た、いくつかある私の魔法の中で総合的に見て最も強力な魔法だった。
それをほとんど直撃するという、あちらも回避不可能なタイミングで放ってみせた。
確実にここで仕留めるという強い意志を以て。
これが陽太君の新たな旅路の足掛かりになると信じて。
「かはっ!」
なのに、あの一瞬の攻防でどうしてか私の魔法は暗闇をすり抜けていくのが見えて……。
いつしか激痛を帯びた私の身体は宙を舞っていた。