第二十八話 魔法
以前に少し特殊なゴブリンに遭遇したことがあった。
他のゴブリンよりも一回り大きく、体表にも無数の傷がある21レベルのゴブリンだ。
ここまで高レベルのゴブリンを俺たちは見たことがなく、そもそも戦うべきなのかすらわからなかった。
しかし高レベルのゴブリンは群れを作らないという習性通りそのゴブリンが単独だったこと、リザのスキルがあればこちらが圧倒的に有利であることを考えて結局俺たちはそのゴブリンと戦うことにしたのだ。
すぐにリザはレベル吸収を発動する。
それに合わせて敵が脱力した瞬間を狙う俺は右腕を振りかぶる。
リザに変化が起きたのはその時だった。
『これ、は……呪文……?』
目を見開いたリザは少し頭を抱え、困惑した様子だった。
その姿はとても平気なようには見えず俺はすぐに目の前のゴブリンを打ち負かす。
リザからゴブリンの力が抜けてしまった後で俺の心配を他所にリザは花のような笑顔を向けてこう言い放った。
『陽太君! これでようやく私も力になれるかもしれません!』
* * * * * * * *
「灯すは文明の礎! ファイア!」
短い呪文の詠唱を合図にリザの手から炎が噴き出した。
事前に話していた通り確かに距離は置いたのだがそれでも熱が伝わってくる。
間違いなく本物の火だ。
地球生まれ地球育ちの俺には原理も何もわからないが見たままこれが何なのか判断するならそう紛れもない――。
「すげぇっ! ほんとに魔法だー!」
聞いていた通り彼女の魔法『ファイア』はオーガに向かって放たれた。
魔法を放つうえで必要だったラインをオーガから吸収したレベルが越えていたのだ。
――21レベルのゴブリンと戦ったあの日リザの頭に過ったのは『ファイア』の呪文だったのだという。
リザ曰く魔法を打つのに必要なのは魔力と呪文だ。
どれだけ呪文を覚えていても魔力が足りなければ魔法は撃てないし、逆を言えば魔力を蓄えていても呪文を知らなければ魔法は撃てない。
つまり普段レベルが1の魔力が乏しいうえ呪文も知らない彼女には魔法なんて撃てるはずがないのだ。
だが彼女は今オーガに向かって魔法を撃ってみせた。
それは何故なのか?
魔力の問題に関してなら説明は簡単だ。
一時的にレベルが高くなっているからに他ならない。
彼女はあの日ゴブリンからレベルを11吸って12レベルになったあのタイミングで呪文を知った。
どういう理屈で頭を呪文が過るのかはわからないが、呪文さえ知ってしまえば12レベルになった彼女が魔法を撃てる可能性は大いにある。
そこでリザには今回の戦闘で魔法を撃ってもらうことにしたのだ。
30レベルのオーガならレベル吸収でリザのレベルは16になる。
リザのレベルが12というラインを越えている以上相手にとって不足はない。
そうして今俺たちの予想は的中しリザは魔法を放つことが出来たのだ。
一方で初めて見た魔法に歓喜する俺とは異なり、魔法を向けられている当のオーガはそれでころではない。
驚きも束の間逃げる暇もなくすぐに炎に包まれると地鳴りのような絶叫を上げた。
「グゴオオオオオオオッ!」
「――ッ」
熱さに身悶えているのだろう。
叫び声を上げながらもジタバタと足踏みをしている。
苦しみに暴れる姿は見ていて気持ちのいいものではなく、早くも魔法を見た感動は薄れていく。
アニメや漫画で見る魔法はただかっこいいだけだったけど、実際目の当たりにしてみると俺の知っている魔法も本当は残酷であったように思えてくる。
現に目の前で燃え上がるオーガは苦しそうにもがいて……。
「グア……」
身体を焼く火が消えるのと一緒に膝から地面に倒れ込んだオーガは体中に黒っぽい焼け跡がついていて、もう起き上がることは無さそうだった。
流石に異世界人であるリザも良心が痛むのか倒れたオーガを前に居た堪れない様子だ。
オーガを焼いたことを何とも感じない程彼女はモンスターを殺し回っているわけではない。
力が還っていく感覚を受け彼女はオーガに近付いていく。
そして、
「ごめんなさい……名も知らぬオーガ」
瞑目して小さく頭を下げるとそう口にした。
もちろんこれまでにも散っていったモンスター全てにこうしているわけではないが、今のオーガの最期は魔法を撃つこと自体に注視していた彼女にとっては想定外だったのだろう。
彼女なりの弔いの気持ちだ。
殺しておいてどういうつもりだと死んでいったオーガは口にするかもしれない。
だがこの世界はそういうものなのだと俺は最近になってようやく理解し始めた。
オーガだってこちらを殺そうとしていただろうし、それは言ってみればお互い様だ。
確かに殺したモンスターを糧に俺たちは強くなる。
だがレベルという指標が互いに存在している以上それはモンスターだって同じこと。
これだけレベルの高いモンスターだ。
今までにも多くの生き物を殺してきたのだろう。
だとすれば殺されることだって念頭に置いておかねばならない。
誰が何を言おうと彼女が行った殺しは間違いなく野蛮ではないと俺は信じている。
「リザも俺に言ってくれたろ。 モンスターを倒すことは悪いことじゃないって」
「――はい。 そうですね」
「だったら……さ」
言いかけて俺は口を噤む。
きっと俺に言われずともリザはわかっている。
モンスターは常に糧を求めていて、誰もが敵であると考えていて。
時には同種であっても殺し合うのだと。
俺よりもずっと、色んな事を知っている。
こんなことで折れたりはしないのだ。
「行きましょう陽太君! なにはともあれ目標のオーガは倒せましたし、魔法も使えました!」
振り返った彼女の目にもう悲しみの色はない。
髪に挿してある赤い花に負けない彼女の笑顔は誰の目にも明らかに前へ進むことを選んでいた。
でも生憎と俺はそれに応えられない。
これだけ彼女を見てきても、俺はこの世界を出るつもりはない。
小さな小屋に小さな幸せがあるだけの世界を手放すつもりはない。
だからこそ彼女を裏切らないように……偽らなければならないんだ。
そんな気持ちで彼女を見つめて……見つめていたのに……。
彼女の後方数メートルにはそんな俺たちの関係を嘲笑うかのように、仄暗い、薄暗い、なのにどす黒い、果てのない、虚ろな、絶望が、最悪が。
闇が……見えた。
何もかも奪われた先の世界でさえ、全てを奪う黒色がそこにあった。