第二十五話 あの日君と見た秋桜
リザの了承も得られたので早速オーガを倒しに……と言いたいところだが、せっかくやって来た花畑を堪能せずに去るというのもつまらないということで意見が一致した俺たち。
すっかり話し込んでしまったせいで進んでいなかった食事を済ませるとリザは足早に花畑の中へと駆けだす。
「陽太君ー! 間近で見るとさらに綺麗ですよこのお花!」
「わかったわかった、今行くからはしゃぐなよ。 踏んづけちゃっても知らないぞ」
リザの言葉通り近くで見る赤い花は眩しいほどに赤く、遠くから見るのとはまた違って見えた。
よく見ると花弁はそれぞれがくっついている。
合弁花というやつだろう。
さっき遠目から見た時には花弁がそれぞれ別に見えたので少し驚いた。
なによりこんな暑い中でもくたびれることなく咲いているだけでも凄いことなのに、これだけ綺麗で在り続けるというのはとても真似できたものじゃない。
いつでも全力で咲いている。
そんな情熱を感じる赤に後ろ指をさされているような気になった。
「この花……うーん、でも……」
と、花に思いを馳せている間にも花を潰さないようにかがんでいるリザが顎に手をしゃくりながら何かを考えこんでいた。
とても絵になる光景だ。
この状況でこんなことを思うのはどうかという意見。
わかるぞ、大変にわかる。
でも思ってしまったものは仕方がない。
だがこれこそクラスの女子たちでいう「映え」なのだろうなと思う。
俺がインスタをやっていないのが惜しまれる――どのみちこの世界に携帯持ってきてないけど。
「どうしたんだよそんなに考え込んで」
くだらないことを考えていたせいで聞きたいことを聞くのが僅かに遅れてしまった。
ありがたくもそんな事情を知る由もないリザは花を凝視したままで言う。
「この花なんですが、私の知っている花と似ているようででも何かが違うというか。 持っている知識に当てはまらなくてモヤモヤすると言いますか……」
「花なんて似たようなものがいっぱいありそうだしなぁ。 そういうものなんじゃないのか?」
「そう言われてみればそうなんですけど」
「まぁ、かくいう俺もこの花すごい見覚えあるんだけどな」
「そうなんですか?」
「あぁ」
「どうしてでしょう? でも陽太君も知っている花だってことは私たち結構地元が近かったりするのかもしれませんね!」
「地元……か」
何も知らないリザは笑ってそんなことを口にした。
でもそれはありえない話だ。
地元も何も俺たちは生きてきた世界が違っているのに。
そう吐き捨てそうになるのを俺はぐっと我慢する。
だけどどうしたっておかしな話なのだ。
異世界に咲いている花を目にして見たことがあるなんて考えているのだから。
そんなはずがないのに。
でもやっぱりどこかで……。
この花の形と、あと離弁花に見えて実は合弁花だって話も確か中学の時に……。
そうやって考えていて思い出した。
あれはまだ俺が特別だと思っていた頃のこと。
あの日みた花の名前は――。
「――そっか、コスモスだ」
花恋の家の庭に咲いていたコスモス。
ガーデニングが趣味だった花恋のお母さんが庭に設けていた小さなガーデニングスペースで一際綺麗に咲いていた桜色のコスモス。
色こそ違うもののそれによく形が似ていた。
初めて見た時にも俺がそれをコスモスだって知っているはずなくて、その時は花恋が教えてくれたんだっけ。
一度思い出してしまえば回想というのは留まることを知らず。
つい昨日のことのように彼女との思い出が海馬を染め上げていく。
どれだけ振り払おうとしてもすぐに追いつかれてしまう。
『あの花ね?コスモスって言うんだけど。 凄く綺麗なピンク色でしょ?』
『フ……夜を統べる我に花の美しさなど問うたところで――』
『そういうの今はいいから』
『そういうのってお前……』
『今はあの花が綺麗って話をしてるんだから』
『そりゃ綺麗だけどさ。 あの花が好きなのか?』
『うん、好き。 恋してるみたいなピンク色が素敵で――』
『何言ってるんだ? 花が恋なんてするわけないだろ』
『~~! ホント最っ低! 陽太のバカ!』
『いだいっ!』
『花だって――』
恋してるんだから、そう言ってた。
「――――」
頭を染めたのは花を巡る花恋とのいくらかのやり取りと頬に走った理不尽な痛みの記憶。
あまりに唐突だったあのビンタのわけは今考えてみてもわからない。
というより痛すぎてそんなこと考えている余裕がなかったというのが正しい表現かもしれない。
だけど不思議だ。
思い出されたあの時の痛みよりよっぽど苦しい。
今胸を走るずきずきとした痛みの方が、よっぽど苦しい。
結局花恋は悠人のことを好きだったのだろうか?
鮮やかな桃色の恋をしていたのだろうか?
それもあやふやなままで俺は異世界にまで来てしまった。
捨てないといけないのに、思い出さない方がいいのに、どういうわけか脳は言うことを聞かないから。
せめてもの抵抗のつもりで俺は彼女の名前を呼んでいた。
「リザ、そろそろ行こうぜ」
「あ、はい! そうですね!」
彼女はまだ悩ましそうに花を観察していたが俺の声に振り返るとすっと立ち上がる。
疑問の解明は一旦保留にしておくみたいだ。
じゃあいくか、と俺も花畑の中を出るべく方向転換して足を踏み出そうとした時。
「あ」という間の抜けた声が後ろから聞こえた。
俺は首だけを音のした方へと向ける。
そこには再びしゃがみこんで花とにらめっこをするリザの姿がある。
さっきと同じような姿勢だ。
デジャブかと思った。
「まだ考えてるのか?」
リザの余りある好奇心にやや呆れながらも声をかけたがリザは首を振って否定する。
どうやら俺の思っているのとは違うらしい。
「いえ、違うんです。 せっかくなのでお花を一輪だけ持って帰りたいなと考えてしまって」
「いいんじゃないか?それくらい」
これだけ綺麗な花だしそう思うこと自体は変なことではないだろう。
なのに何を考えることがあるんだ?
「ですがこれだけ綺麗な花だと申し訳なくて持って帰るにも勇気が……」
「あぁ……それでまたにらめっこしてたのか」
気持ちはわからなくもない。
花もこれだけ懸命に生きているわけだし。
それにこの花畑から一輪持ち帰るのは完成した作品に傷をつけるようで忍びない。
でも一輪くらいならまぁ……許してくれるんじゃないだろうか。
君は美人だから特別にって花の神様も。
そうと決まればこういうのは思い切りが大事だ。
「ごめんなさい、一輪だけいただきます。 ――よっと」
「あっ!」
中々踏ん切りがつかないリザに代わって俺は近くにあった花を一つ手折る。
手に取った際に茎からガラスのように砕けてしまいそうで心配になるほど繊細に感じたそれは今も俺の手元で眩い赤色を発している。
特殊な魔力を持った花と言われてもおかしくない見た目なので何も起こらなかったことにまずほっと一息。
あとはこれをリザに渡すわけなんだが、すぐに手渡すことはしなかった。
「――? どうされました?」
いつも通りの鮮やかな碧い双眸が俺を見つめている。
さらさらと流れる風に煌めく金髪がなびくのを彼女は左手で押さえている。
素朴な白のワンピースは出来過ぎな容姿をより引き立たせるのにいい仕事をしている。
それを見ていて俺は無意識に手に持っていた赤い花を彼女の髪に挿していた。
髪飾りとして十分な出来かと問われれば困るが子供の遊びくらいには丁度いいだろう。
「えっと……陽太君これは一体……?」
「ノリで挿してみたけど似合ってるな」
「ど、どうなってるんです!? 見たいです!」
「鏡がないから無理だろ」
「そんなぁ~!」
「取り敢えず似合ってるから大丈夫だって」
「ちゃんと見ないとわかりません~!」
情けないリザの声が静かな花畑に響く。
金色に紛れ込んだ赤色は眩しさに負けることなく、当のリザの頭上で輝いていた。