第八・五話 私が目を覚ましたのは
刺すような胸の痛みと虚無感に襲われるだけの、無意味ともいえる日々を送っていました。
目が覚めた小部屋には私一人しかいなくて、これまでを思い出そうにも何一つ私自身の記憶が頭に浮かぶことはありません。
ただ「リザ」という単語のみが頭に響いてそれ以外のことはさっぱりのようでしたから。
このままではどうにもならないのでと、真っ白で無機質なベッドから抜け出すと部屋を出て、人を探して更に小屋の外に出ました。
しかし少し小屋を離れるとそこにはスライムと呼ばれるモンスターがいて、その奥にはまだ一回り強そうなモンスターがいて、とても奥に行ける気がしません。
結局無謀だと気付いた私は小屋へと引き返したのですが、その際私には彼らモンスターのレベルを見ることが出来るという能力、それからレベル吸収という能力を持っていることを知りました。
一見この能力さえあれば森を出れる気もしましたがこの能力の対象は一人だけ。
複数のモンスターに囲まれてしまうと全く歯が立たないのです。
幸い小屋には生きていくための道具がそろっていて、謎の音と共に食料が現れる魔法の冷たい箱に、スイッチを押すことで明滅する何か、捻ると水が出る銀の筒。
理屈はよくわかりませんが便利なそれらのおかげでなんとか生活は出来ていました。
それでも私はただこの箱で生かされているだけ。
感情の起伏が起きない平坦で陰鬱な生活を夜が十度明けるまで過ごしていました。
最初の数日は誰か迎えに来てくれるはずと期待していましたがそのうちその願いは叶わないものらしいと気付かされます。
そんな生活の中で殊更苦しめられたのは時の流れの遅さ。
一人きりの生活というのはあまりにすることがなく、ひたすらに退屈でした。
寝室にある壁を覆うほどの大きな本棚には様々な本がありましたがほとんどが難しい内容で私にも理解できる本はほんの僅かでしたから、暇を潰せるようなものではありません。
「実践人類学入門」、「科学は如何にして進歩したか」、「研究室への道」。
どれも難しそうで手に取ることさえ億劫です。
やむなく白黒の盤で自分なりの遊びを考え時間を浪費するだけで何も生まれることはありません。
枯れることなく毎日零れる冷たい涙。
それを拭ってくれる人も慰めてくれる人もいない凍えた世界。
「どうして私だけ……?」
いつも予期なく溢れ出す涙を誤魔化すように決まって悲しさを覚えると泉に身を浸した。
そのうちこの泉のすべてが私の涙なのではと考えてしまうほどに多くの雫を。
だからその時も私は例のごとく誰に見られるでもないのに泉で身を清めていて、まさか本当にその誰かがやって来るなんて思いもしなくて。
彼に出会った時、最初に気にしたのはあられもない格好の自分よりも泣き腫らした目の方だった。
「えーっと。 先に聞きたいんだけどどうしたら許してもらえ――」
「きゃああああああああ! 変質者あああああああああ!」
あまりの恥ずかしさに彼を変質者と呼んでしまったことは今も申し訳が立ちませんが、私が真に目覚めたのは無機質なベッドの上なんかじゃなくこの瞬間なのだろうと思うんです。
不思議な格好の心優しい少年が私を救いに来てくれたあの瞬間だろうと。