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理想郷には遥か遠く  作者: 小犬
第一章 瓦解する世界と泉の少女
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第十八話 星空の誓い


 あれから日が暮れるまでめそめそ泣いて、日が沈みきる前に二人で小屋へと帰った。

 リザはその帰路でゴブリンを鈍器で殴り殺した感触を忘れられない俺を何度も励ましてくれた。



 帰り着くといつも通り冷蔵庫から出てきた食材でリザは料理を作ってくれて、その間またしても休んでいろと言われた俺は特にすることもないからと布団に横たえていた。

 ただそれだけ。



 結局その日はリザの作ってくれた料理を食べて水浴びを済ませると早々に眠ることにしたのだった。



 それから、いつになく眠れない夜に。



 俺たちは風呂がない代わりに小屋の外で泉の水を浴びることで清潔を保っているのだが、一度水浴びから戻ったはずのリザが再び小屋を出ていく音がした。



 言うまでもなく夜に小屋を出るのは危ない。

 リザにもそれがわかっていないはずもなかったので泉に何か忘れ物したんだろうくらいに考えていた。



 しかし戸の開く音がしてからしばらく時間が経つ。

 まさかとは思うが森へ行っていたりしてしないよな?

 ただでさえ昼の出来事で落ち着かない心が更なる波を立てているような感覚に陥る。



 リザの性格を思えば俺が眠っている間に森の探索を進めておこうと考えている可能性だってある。

 この短期間でもわかるほどに彼女は気を遣える子だから。



 耐えかねた俺は心配になって小屋を出た。

 そして心配が杞憂であったことにすぐさま気付かされる。



 小屋を出るとすぐそばにリザの姿があったから。



 「どうしたんですか? こんな夜更けに」



 見慣れた小さな後ろ姿に安心してほっと一息つくと、俺の心配を悟られないように意識して泉のほとりに座る彼女に問いかける。



 「いえ、特には。 ただここは本当に星がきれいだなあと」



 対してリザの方は戸の開く音で俺が来ていることに気が付いていたようで、振り返ることもせずに答えた。



 彼女は俺がこれだけ苦悶しているモンスターの殺しについて怯えたりしない。

 そんな強いリザだからこそ頼りない俺を他所に一人で物思いに耽りたいこともあるのだろう。

 邪魔をしてしまったなと部屋に戻ろうとした時だった。



 リザが体を左へとずらした。

 その行為が意味することなんて俺には一つしか浮かばない。



 「一緒に星でも見ませんか?」


 「――はい」



 彼女にそう促されては言うことを聞かないわけにいかない。

 女王様のお願いは絶対なのだ。



 というわけでご所望通り俺はリザの隣に座ることに。

 座ってみると分かるのだが泉の辺りはそこまで草が生い茂っていないため土壌が剥き出しになっておりひんやりと冷たい。



 なのに俺の座った場所には柔らかな温もりがあった。

 悪戯めいた表情のリザが言う。



 「陽太くんのために温めておきました。 どうですか?」



 からかうように笑うリザを見るとこちらも負けたくないなと考えてしまう。

 だから冷静を保って、



 「温かいですよちゃんと」


 「そ、そうですか……温かいですか」


 「自分で言っておいてそんな反応あります?」


 「いえ、なんだか私恥ずかしいことを言っているような気がしてきて」


 「はは、だったら言わなければ良かったのに」


 「ちょっと大人ぶろうとして失敗しました……うう」



 照れて顔を覆うリザの横顔はちゃんとは見えないが水面に反射した柔らかな月明かりが包んでいていつもより一層綺麗に見える気がした。

 頭上の星空と彼女をキャンバスに描いたなら間違いなく美術館に飾られるほどの傑作になるだろう。



 等と、馬鹿な事を考えていたのは束の間。

 俺は彼女にまだ言えていなかったあることを思い出す。



 異世界から来たとかそういう話ではなくて、今日散々迷惑をかけてしまったということについてだ。



 「今日は本当にすみません。 情けないところを見せてしまって」



 もうこれで何度目なのかもわからない。

 この世界に来てからというもの彼女に謝りっぱなしの毎日だ。



 それもこれも全部俺が使い物にならないせい。

 モンスターもろくに殺せない、スキルも使えない、あまりに無能な自分のせいだ。



 少しでも無能が露呈しないようにこんな気取った口調で話して取り繕っているがもう俺があらゆる面で弱っちいことはとっくにバレてしまっていることだろう。

 それなのにリザは全く俺を罵ることなく朗らかな笑顔でこう言うのだ。



 「いえ、私だっていつも情けない姿をお見せしていますから」



 そうだ、こうやって俺を責めることはしない。

 それどころかいつも自分の方が至らないのだと謙虚に俺の言葉を受け止めてくれるんだ。

 リザの持つ寛容さに思わず俺は、



 「本当に優しいですね、リザさんは」



 そうぼそりと呟いて視線を彼女の横顔から星空へと移す。

 眩いばかりの美しさから目を逸らすように。

 今の俺には星空よりもリザの方がよっぽど綺麗に映っていたから。



 しかし星空に見惚れてしまうよりも早くリザは否定する。



 「優しくなんてないです。 それを言うならずっと陽太くんのほうが優しいですよ。 私は死んでいくモンスターに対して深く悲しんだりできませんから」


 「俺は悲しいとかよりも臆病なだけですよ。 リザさんの方がうんと強い」


 「違うんです。 そんなことは全くなくて……」



 どうしたんだろう?

 いつも以上にリザの主張が強い。

 日頃から謙虚なようには感じていたがここまで褒められることに難色を示すことはなかった。



 実際リザの横顔に先のような朗らかさはなくて、むしろその表情は曇っているようにさえ見える。

 何かあったのだろうか?

 彼女にそう聞きたい気持ちはあったが生憎俺はそれを聞き出す勇気を持ち合わせていなかった。



 だって俺とリザには一定の距離というのが在ったから。

 別に仲が悪いとかそういう話ではなく互いのことを聞き出さないという暗黙の了解、或いはそういう認識があったのだ。



 原因もわかっている。

 俺が前の世界での話を彼女にしていないからだ。

 異世界から来たという話を抜きにしてもこれまでの話というのを俺が憚っていたからだ。



 地元にはこういう友人がいるとか、こういうことをしていたとか。

 そういう話を俺からしたことはなかった。



 自らの話をしない人間が相手の話ばかりを根掘り葉掘り聞こうとするのは不躾だと思うから、彼女自身の話をこちらから聞くことに抵抗があるのだ。



 だから彼女も察してか俺自身のことについてこれまでも必要以上には聞いてこなかったし、俺からも彼女自身については名前のことくらいしか聞いてこなかった。



 それで今彼女がそんな暗い顔をするのか聞くことが出来なかったんだ。

 きっと彼女の顔を暗くする原因が彼女自身にあるのだろうと感じておきながら。



 「この小屋で初めて目が覚めた時――」


 「えっ」



 だから彼女がそう切り出した時俺が面食らったのだって当然のこと。

 まさか彼女の方から触れてこなかった俺と会うまで(二週間)について話し始めるとは思わなかったから。



 「此処が何処かわからなくて、自分がどんな人間かさえわからなくて、それでも友達や家族、食事や文化ということについて知識としては知っている自分の存在があまりに奇妙で……整理がつかなくて戸惑うばかりでした」



 そう、忘れてはいけない。

 彼女に記憶はないのだ。

 なのにこうして喋ることも料理もできて、しかしそれを教えてくれた人に覚えはない。

 そこに矛盾を感じるのは仕方のないことだ。



 「それでもすぐに小屋を出ようと考えて色々やってはみたんですが脱出は厳しそうだと分かって、それからは……。 お恥ずかしい話ずっと泣いているだけだったんです」



 何が恥ずかしいことなのか。

 いきなり知らないところで目が覚めて冷静な方がおかしい。



 そう口にしようかと考えたがリザの物語に今ここで口を挟むべきではないと直感的に悟っていた。



 「私の世界はこの小屋から数十メートルの範囲だけ。 そんな窮屈な世界に生きている人間は私一人。 誰かといた記憶なんてないのに、孤独だって本当の意味では知らないのに、それなのにずっと胸の奥が空っぽのまま埋まらなくて」



 視線を星空に向けたままで寂しそうに、それでも和やかに笑って話すリザからはかえって当時の悲痛が伝わってくる。



 世界に一人だけかもしれない。

 そんな状況に遭遇したとして俺は正常でいられるのだろうか?



 ――その不安は凄まじいものだろうな、きっと。



 ()()()()()()()()()()()だが不思議と彼女の孤独がわかるような、そんなおこがましい考えがある。

 彼女の孤独を少しでも理解できるような気がしていた。



 そして、あるタイミングで星を見るリザの視線がこちらへと移る。

 二人の視線が交わった。

 それを確かめるような一泊を置いてリザは再び口を開く。



 「たった十数回の夜が明けただけでもう全部諦めてしまった私の前に、ある日陽太くんは現れてくれた」


 「――――」



 リザの物語に加わった新たな登場人物の名前に、わかっていたにも関わらず申し訳なく思う。

 彼女を孤独から救ったのは白馬の王子様なんぞではなく無能な高校生だったのだから。

 どうしてここにやって来たのが何の役にも立てない自分なのかと怒りさえ覚えた。



 しかし心優しい彼女が紡いだ物語は俺を使えないと揶揄する物語でも泣き虫だと小馬鹿にする物語でもなくて。



 「一緒にこの森を出ようと言ってくれた」


 「え……」


 「一人じゃなくなっただけで私には十分だったのに、私を小屋から連れ出そうとしてくれる陽太くんはすぐに諦めてしまった私とは違って、涙を流しても苦悩しても諦めることなくモンスターと戦っている」


 「それは俺が弱いからで――」


 「もし陽太くんが自分のことを弱いなんて考えているのなら、それは違います。 陽太くんは涙を流してでも努力することが出来る。 森の探索中も私を気遣って前に出てくれる。 そんな強い人なんです」


 「リザ……」



 彼女の語った話には力が籠っていて、それこそが彼女の話が即席に作った出鱈目でないことを証明していた。

 つまり俺は彼女にとって足手まといではなかったということ。

 俺のことを強い人間だと思ってくれているということだった。



 「そっか……邪魔じゃなかったのか俺……」



 安心のあまり漏れた心の声を聞いて真横に座るリザは嬉しそうに笑っている。



 純粋に嬉しいと思った。

 また泣いてしまうかと思うほどに。



 スキルも使えない、来歴もわからない、モンスターを殺すのにも抵抗を示す。

 そんな無力な人間は頼りないと思われて当たり前だろうから実は嫌われているんじゃないかと考える時もあったから。



 リザの話にこの森を二人で出ようという気持ちが強くなっていくのを感じる。



 孤独を味わっていたこの子に外の世界を見せるのがきっとこの場に召喚された俺の使命なんだと。

 そう強く理解した。

 だから誓うんだ。



 「リザ、やっぱり俺は君をここから連れ出してみせるよ」


 「陽太くんまた口調が」


 「そんなことは良いんだって。 もう変に気取るのはやめたんだよ。 それより……ほら。 指切りだ。 君をここから連れ出すって約束」


 「指切り、ですか?」


 「そうそう。 小指と小指をこうやって……こう」



 半ば強引に彼女の手を取って俺の小指と絡ませる。

 一瞬リザの指も強張ったがすぐに力を弱めてくれた。



 「俺のいた所ではこうやって約束をしたんだ。 嘘吐いたら針千本のーますって」


 「そ、外にはそんな怖い習わしがあるんですね……。 ちょっと外の世界が怖くなってきました」


 「いや、本当に飲ませることはまずないから安心してくれ」


 「そうなのですか? ではその文言には何の意味が?」


 「うーんそうだな……。 まあ、口約束みたいなもんだよ。 そこまで深い意味はないんだ」


 「深い意味はないんですか」



 あまりしっくりきていない様子だがそれもそうだろう。

 そもそもこれはこの世界の文化ではないわけだし。



 しかし説明に困りあぐねていた俺に対しリザは何かを思いついたようで小指は繋がれたままで言う。



 「ではこうしませんか?」


 「ん?」


 「針を飲ませるのは怖いので、ただこの星空に誓いましょう。 互いにこの空を穢したくないと願うのなら、誓いはきっと破れません」


 「なるほど」



 互いにこの空を穢したくないと願うなら、か。

 もし誓いを破ろうものなら俺たちになってこの美しい星空は約束以下のちっぽけなものになってしまう。

 いつ見上げても約束を破ったという事実が脳裏をよぎることになる。



 罰を恐れて約束に従う、言うなれば恐怖政治を思わせる消極的な手段ではなくあくまでも相手を信じて誓いを立てるという、いかにもリザらしい優しい提案だなと感じた。



 もちろんこれは俺が信じて貰えているからこその提案で、だとすれば俺はその期待に応えなくてはならない。



 「わかった。 ならそれで」




 「では、この星空に誓って。 私を外に連れて行ってくださいね?」


 「おう。 この星空に誓って。 俺は君をここから連れ出すよ」




 繋がれていた指と指とが離れる。

 二人笑いあうと一緒になって約束の星空を見上げた。

 それからはしばらく取り留めのない話を始める。



 「実は陽太くんに出会った水浴びの時も私泣いちゃってたんですから」


 「あー、確かにあの時目元が赤かったような。 そういうわけだったのか」


 「ふふ、やっぱりその口調の方が陽太くんらしいですよ」


 「そうか? でも確かにこっちの方がずっと楽だな」



 星明りの下、二人きりの世界で夜の座談会は続く。

 約束が二人の中でより確かなものになるように。

 二人がそれを疑わないようにと。



 此処から出ていくという未来はもはや確信に近い形ですぐそばにあったのだ。



 だから俺は気付かない。

 こんな真っ白な世界でさえ二人の誓いなんて知る由もなく、昏く深い闇は着実に忍び寄っているということに。


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