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理想郷には遥か遠く  作者: 小犬
第一章 瓦解する世界と泉の少女
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第十五話 まだ一週間なんだよ


 日が暮れると小屋の辺りは真っ暗になってしまう。

 元居た世界では街灯が普及していたおかげでここまで暗い中での生活を強いられるということはなかったが今は違う。



 森の中に街灯などあるはずがない。

 辺りに他の家があることすら確認できていないのだから。



 夜闇の中泉を前に佇んでただ夜空を眺める。

 小屋の窓から漏れる明かりの温もりを背に暗がりの中でも一人でないことを実感する。



 この世界の星空は驚くほど綺麗で、初めて見た時には思わず声が漏れてしまうほどだった。

 まるで高台にいるように星々が大きく爛々と輝いている。

 澄んだ空気は体中を抜けて悪いものや悩みさえも掬い取ってくれているようにすら感じていた。



 だからこうしてぼうっとしている。

 特に何かを考えるのもやめて、自分の抱えている疑問をまるで他人事みたいに大変だなぁとか思っている。



 耳を澄ませると鈴虫を思わせる鳴き声。

 梟のような鳴き声。



 どれも前の世界で好きだった音だ。



 「はぁー……」



 肺に溜まった嫌気を全て出し切るような深い溜息を吐き出した。

 郷愁とか孤独とかが混じった不甲斐なさと一緒に。



 次いで思い出されたのは以前暮らしていた街の友人と家族の姿。

 父と母、花恋に悠人、悲しいことなのかすぐに浮かぶのはこれだけの面子でそれでも俺にとっては代えがたい大切な人たちの顔だった。



 元気にしているのかななんてことは何度考えたことかわからない。

 ここに来てすぐの時ははしゃいでそれどころではなかったが数日経てば普通に前の世界のことが気にかかってしまっていた。

 それでも考えたって意味もないと強引に森の脱出へと意識を戻し心の手綱を握っている状態が今だ。



 この世界に来て今日で丁度一週間。



 新しい現実は思っていたような世界ではなくて、何かを殺めることも未知に囚われることも本で読んだよりずっと寂しいことだと知った。

 転移前に女神さまに会うこともなくチートなんて簡単に授かれるものでもなかった。



 それどころか異世界側の女の子に多方面で介護され非力さを痛感させられている。

 この環境が心を夜の森のように暗く蝕んでいかないはずもなかった。



 それが精神衛生上あまりよろしくないということはわかっているし、俺の不安はリザにだって影響するだろう。

 ただでさえ迷惑をかけている俺がホームシックになろうものなら完全に見限られてしまう。



 まして俺はまだリザに異世界から来たという事実を伝えられていないのだから。



 この事実も伝えたところでそんな突飛な話あるものかと突っぱねられることだって考えられる。

 あの子をいい子だと分かっているのにそれでも心からは信じられていない自分が何処かに住み着いていた。



 だから寂しさや事実とかは心の奥底に仕舞いこむことしか出来ないのだ。

 皮肉なことだが気持ちを仕舞うのには慣れているから。

 取り敢えずは森を出るまで俺自身の話はしないでおこうと思っていた。



 ある程度気持ちを落ち着けたところで小屋に戻ろうとしてふと右手に目を向ける。

 何の変哲もないただの右手。

 ()()()何の変哲もない右手――。



 違和感を感じてしまう前に体の向きを小屋へと向ける。

 小屋では今リザがご飯を用意しているところだ。

 しばらく外にいたしそろそろ準備が出来ている頃合いだろう。



 何度も手伝うと抗議したのだが休んでいろの一点張りで結果小屋を追い出されてしまった。

 別に疲れるようなことは何もしていないはずなのだが小屋の外でどう休めというのだろうか。



 そんなことを思っていると冷めていた心がじんわりと温かくなるのがわかる。

 この心の温もりがなければきっと俺は異世界を楽しもうとさえ思えなかっただろう。



 今の俺の胸の内を暗がりの森だとするならさしずめリザの存在は光の漏れるこの小屋のよう。

 言い回りが気障すぎて吐き気を催しそうだが我ながらしっくりくる表現だ。



 そんな気持ちの悪いことを考えながら小屋のドアノブに手をかけようとしたところで、



 「うおっ」


 「あ、陽太くん! ご飯が出来たので今呼ぼうと思っていたところでした」



 俺が扉を開ける前にタイミングよくリザが中から扉を開けてくれた。

 狙っていたかのような間の良さだ。



 「今日はシチューという料理ですよ。 よくわからない固形のブロックをお湯に溶かして野菜を入れた白いどろどろしたものです」


 「確かにそれはシチューなんですけどあくまでもインスタントですからね……」



 ここまでシチューを味気なく表現できる人間がいたのかと感心しそうだった。



 * * * * * *



 「美味い。 料理が出来るって凄いことですねやっぱり」


 「私がやったことと言えば冷たい魔法の箱に入っていた食材を切ってブロックと一緒に煮込んだだけですから……それよりどうしてそんな遠い目を?」


 「いやぁ、ちょっと思い出しちゃいまして」



 マジでどうして俺の母親はあんなに料理が出来なかったんだろうか。

 記憶のないリザでもこんなに美味しいシチューが作れるというのに。

 食材を切ってブロックと一緒に煮込むだけなのに。



 思わず母さんがシチューを作ろうとして天津飯のような何かを生みだした時の衝撃を思い出していた。

 あれはもはや料理の枠組みを出て創作の域に達している。



 リザの料理は俺がいなくなった後の家族の心配を加速してしまうほどの出来だ。

 花恋の腕と比較はできないがどちらも良いお嫁さんになれるということは俺が断言したいと思う。



 「今回の食材もまたあの冷蔵庫から?」


 「レイゾウコというとあの中が冷たい箱のことですよね? あれって底を尽きることがあるんでしょうか」


 「少なくとも一般的な冷蔵庫にあんな冷やす以外の機能は備わってませんよ。 原理があるなら俺が聞きたいです」


 「原理はともかく本当に便利ですよね」


 「そうですね……。 いつかただの冷蔵庫になってしまわないことを願いましょう」



 食卓に上がった話題はこの小屋の冷蔵庫の話。

 実はこの小屋の冷蔵庫見た目は白い一般的な冷蔵庫なのだがその機能が不思議なのだ。



 その機能というのが無限に食材が発生するということ。

 厳密には一日に一回一定量の食糧が中に現れるといういわば魔法の冷蔵庫というわけだ。



 異世界だし何でもありなのかもしれない。



 おかげで食材を取りに森に行く必要もない。

 毎日の献立は冷蔵庫の気分次第で、俺たちが決めるのは何を朝昼晩にどういった順番で食べるのかということくらいだ。

 リザが一人で数週間前から生きてこられたのも納得の環境である。



 だがそんな恩恵の反面恐ろしいのは冷蔵庫の故障だ。

 急に壊れたりしようものなら大変だろう。



 だからいつかご飯にありつけない日が来る可能性もあるのだとひやひやしながら生活しているのも忘れてはいけない。

 そうなってしまう前にせめて森で食料を獲れる程度には強くなっておきたいなとは考えていた。



 もちろん今後も魔法の冷蔵庫に頼れるのであればそれに越したことはないが。



 「もし壊れてしまっても食べ物の確保くらい私たちにならすぐにできますよ」



 ただ楽観的なのかそれとも励ましたかったのか、リザは何でもないような口調で言ってのける。

 シチューを上品に食べながら。



 俺が来るまでの間この森で一人過ごしていただけあって度胸がある。

 記憶がない中でも小屋での生活に慣れている感じを見るにも心の強さが窺える。



 この世界に来て戸惑ってばかりの俺と比べればその差は歴然だ。

 劣等感というよりも尊敬の念を感じてリザを見る。



 するといつからなのか俺の方をじっと見ているリザが目に映った。

 何か言いたいことでもあるのだろうか?

 この前やっていたチェスのやり方か、それとも明日のゴブリン退治の作戦確認だろうか?



 「ずっと気になっていたのですが、陽太くんはいつまで私に敬語を使うのですか?」


 「うっ」



 思わぬ方向からの攻撃を受けた。

 今更敬語の話をされるとは……てっきり気になっていないものかと思っていた。

 驚いた拍子にシチューでむせてしまいそうだった。



 記憶がないとは言うが見た目だけで見れば俺とリザは同世代である。



 異世界には見た目がロリなのに中身はババアという例外もいると知識の上では知っていたが彼女がそんな例外でなければおそらく同年代。

 ともすれば敬語を使わなければならない事情があるわけでもない。



 それでも出会った時から呼び名はリザでいいと言っていたリザに対して「リザさん」と呼ぶのも未だに敬語を使っているのもひとえに俺の社交性によるものだ。



 単に敬語じゃないと落ち着かない。

 生まれてこの方少数の人間としか関わってこなかった俺にとって出会ってすぐの人と打ち解けるのは至難の業であった。



 リザと出会って一週間の俺にそれを求めるのは無理があるというものなのだ。

 だがリザはそんな俺の心境など知るはずもなく純粋な眼差しで語り掛ける。



 「私本当にずっと気になってたんです。 見る限り私とそんなに歳も変わらないはずなのにどうして頑なに敬語で話すんでしょうって」


 「いやそれはほら……突然敬語からタメ口に切り替えるのってハードルが高いじゃないですか」


 「要はきっかけという話ですよね? では今この瞬間から私にはタメ口を使ってください」


 「まじですか? そんなにいきなり?」


 「まじです」


 「えーっと……」



 僅かな間食卓を沈黙が通過する。



 本人の許可が下りてしまったことで最早気安く彼女を呼び捨てにしない理由も敬語を使う理由もなくなってしまった。

 いつも悠人や花恋と話しているときのように偉そうに、不遜に、本性を包み隠すことなく話したっていいんだ。



 それはわかっている。

 わかっているのだがそれでも抵抗があるのが日陰者の性だ。

 女の子の名前を呼び捨てにするのは何とも言えない恥ずかしさがあるのだ。



 かと言ってこれ以上沈黙が続くのもまずい。

 そこで空気を悪くすることを恐れた俺は、



 「リザさん、明日は頑張ってゴブリンを倒しましょうね」


 「何を聞いていたんですか!?」



 自らの表情筋が引き攣っているのを感じながらもひとまずはこのままでいることを選んだ。

 不満げなリザのジト目が辛い。

 コミュ力の足りない男にとって美少女との会話は茨の道なんだ、わかってくれ。



 「なんだか陽太くんは私に隠している気がするんですよね……」



 リザは疑うような視線を俺に向けつつぼそりと一言。



 この子実は俺に内緒で読心スキルでも会得しているんじゃないか?

 何やらリザの口から恐ろしい呟きが聞こえてきた気がしたが気にしてはいけないと残りのシチューを勢いよくたいらげた。


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