第十話 招かれざる客
――まずい。
「では貴方は気が付いたらこの泉のそばで倒れていて、どうしてここにいるのかも覚えていないうえたまたま歩いていたら偶然水浴び中だった私に出会ってしまったと?」
「そうです間違いありません」
「むー……」
まずすぎる。
泉のほとりには白いバスタオルで全身を隠しながらやや疑ったような眼差しを俺に向けている少女とズタボロの小汚い制服を着た俺の姿。
彼女が疑るような眼を向けているのも当然だろう。
今彼女が述べた事実に嘘はないしやましい気持ちだってなかったが、どう考えても疑われて仕方のない状況だ。
そもそも何でこんなところにいるのかわからないという主張も理解に苦しむだろうし、こうもタイミングよく人が現れたとあらば以前から覗いていたのではと考えるのも頷ける。
裸を覗かれたショックに泣いてしまったのか目元も赤いし、それが彼女の受けた苦痛をありありと物語っていた。
このままだと森から抜け出すことを目標に掲げていたというのに不審者として警察沙汰にされてしまう可能性すらあるではないか。
あまりに前途多難すぎる。
このまま遭難して一人で死んでしまうよりはよっぽどマシかもしれないがこのまま悪者扱いを受けるというのも振り回されている身としては辛いものがある。
が、少女の裸体を少しでも見てしまったことは事実。
大事なところこそ見えなかったがこれによって受けた彼女の精神的苦痛を思えば俺が罰を受けることくらい――。
「わかりました。 それでは仕方がないのかもしれません」
「そうなんです仕方ないんです俺が罪を問われるのはだから……え?」
「いえ、そういう意味ではなくて。 こちらこそ見苦しいものをお見せてしまい申し訳ありませんでした」
「いやいや見苦しいとかそんな! 綺麗でしたとっても! 細部までは見えませんでしたけど!」
「あ、改めてそういうことを言うのはやめてください……」
どういうことか俺を罪に問わない少女はそれどころかこちらに気を遣い始めてしまった。
過失であることを踏まえても完全にこちらが謝るべき立場であるはずなのに、だ。
ひょっとして何らかの罠に俺をハメようとしているのでは?とも思えてくる寛容さである。
しかし俯いて頬を染める少女からはそういった邪悪な感情が一切見られない。
感じられるのは申し訳ないというお詫びの気持ちと恥じらいだけだ。
だとしたら何か? この子は本当にただ心優しいだけの少女だということだろうか。
あくまで偏見でしかないが美人は性格が悪いなんて考え方もある。
花恋という反例が存在している以上この考え方を覆してしまうことは容易なのだが初対面ともなればそんな偏見が頭を過らなくもない。
それでも今もこうして接してくれている彼女に対してそうした不信感を持つというのは失礼なことだと思ったから。
「本当にすみませんでした。 それから信じてくれてありがとうございます」
もう一度深く深く、頭を下げた。
「本当にもういいんです、だから顔を上げてください」
顔を上げると気さくに笑いかけてくれている少女がいる。
こんな笑顔が出来る彼女を疑ってしまった自分の情けなさにこちらからは目を合わせることもままならなかった。
だから誤魔化すように話を続ける。
「それと本当にここがどこなのかわからなくて。 俺は霞ヶ丘高校の学生なんですけど大体高校がどの辺にあるかってわかりますか?」
「高校……ですか?」
「はい。 あー、それとも名前を聞いてもわからないくらい遠くにいるのか……弱ったな」
霞ヶ丘の名前を出しても見るからにピンと来ていない様子の彼女を見てすぐに今いる場所が元いた街よりも離れている可能性に行き当たる。
歴史や難関校であることもあって霞ヶ丘は地域では……というか県内では年齢を問わず多くの人が知っている高校だ。
しかし歳も俺と近そうな彼女が知らないということは県境さえ越えたどこかにやって来ているのかもしれない。
一体俺の身に何があったんだ?
益々謎は深まる。
俺がどうすればいいのかと頭を抱えていると、少女はまだ申し訳なさそうな面持ちでこちらを見ている。
「どうかしました?」
「いえ、申し訳ありませんがその……コウコウとはどういったものなのですか? 心当たりがあれば家の中を探してみますので」
「え……高校って高等学校の高校ですよ?」
「コウトウガッコウ?」
あれ、こうこうって同音異義語は他にあっただろうか?
後攻と間違えていいるということはないだろうし。
だめだ何と勘違いしているのかわからない。
「みんなで勉強をする場所としての高校ですよ」
「なるほど。高校というのはそういった特定の場所を意味しているのですね。 アカデミーのようなものということでしょうか?」
ん? 微妙に話が噛み合っていないような気がする。
「多分そういうことだと思うんだけどあれ……ひょっとして高校っていう存在そのものを知らなかったんですか?」
「申し訳ございません私の知識不足で。 私としたことが家の中を探すなんて言い出してしまって」
「いやいやいいんですよ! 知らないことなんてあった方が楽しいくらいですから! これからもっとたくさんのことを知れるという点で」
「わあ、そんな素敵が考え方があったんですね! ありがとうございます」
ふふふ、と楽しげに笑う美少女からはやっぱり嘘の気配を感じない。
つまり本当に高校という言葉の意味を知らなかったのだろう。
だとしたらどういうことだ……?
もしや俺はとんでもない田舎に来てしまったということか?
一瞬浮かんだ馬鹿げた考えを頭を振って消し飛ばす。
流石に現代日本でそんな環境は存在しないだろう。
むしろ田舎というものを馬鹿にし過ぎている。
それより考えられるのは彼女の綺麗な金髪から推測できる異国人だからという線だろう。
日本語はペラペラ話せているがバイリンガルなだけという可能性もある。
アカデミーという英語も日本ではちらほら聞くし。
でもそれだったら高校くらい単語として知っているような気もするぞ?
考えがうねりにうねり、最終的にこの子はきっと超箱入りのお嬢様なのでは?という考えにまとまりかけたところで少女が口を開いた。
「でもアカデミーを知らない人がいたら当然驚きますよね。 おかしな人だって」
「まぁ驚きはしましたけどおかしな人とは……」
「いいんです気を遣わなくても。 それにその私自身のおかしさが先程のあなたの話を信じさせたのですから」
「ん? それってどういう?」
彼女自身のおかしさ?
それは常識を知らなかったというところだろうか?
確かにおかしなことなのかもしれないがでもそれがさっきの俺の話を信じてくれた理由になるのか?
表情を曇らせた彼女に俺は詳しい説明を求めようと口を開きかけて――。
「わかりやすいようにもう少し詳しくお話ししますね。 あ、でもその前に」
彼女はぶるりと体を震わせてから小屋の方を指差すと。
「立ち話もあれなのでよろしかったら小屋の方へ」
またも恥ずかしそうに小屋へと招いてくれた。