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第八話 わざわざ練習見に来てくれるなんて優しいんだな

 嵐が去り、心地よい風が吹く。通りを挟む黒い枯れ木は緑の装いをし、むき出しだった地面は小さな花々に覆われている。見慣れた景色も随分と色鮮やかになった。新しい季節の訪れである。二学期に統合する都合でクラス替えが行われたのも、はじめは違和感があった。けれどいざ学校に行ってみると、日本では春が出会いの季節だったという感覚もあり、意外としっくり来る。

 教室に入ると、ニカが手を振っていた。新しいクラスでも一緒になれたみたいだ。そもそも、クラスの半分は変わらない顔ぶれだ。元々ラスタチカには一学年四〇人ほどしか生徒はおらず、クラスも分かれていなかった。そこにウートレニアから三〇人ほど入ってきたから、それぞれの学院の生徒を半数ずつに分け、2クラスにしたのだ。教室に女の子がいるのは新鮮だ。白を基調とした女子の制服が眩い。ニカはそわそわした様子で教室を見回していたものの、女の子には話しかけず、俺を見つけると嬉しそうに手を振った。

「おはよう、ニカ。元気そうだね」

「今が一番調子いい季節だからなあ。あったかいし」

ニカの机はちょうど窓から日差しが差し込み、明るかった。

「こんなに気持ちよかったら授業中寝ちゃわない?」

「あははは、寝そうだわ」

不意に、セリョージャの警告を思い出す。

『ニカにはあまり近づきすぎないほうがいい』

どういう意味なんだろう。ニカが俺になにか危害を加えようとしているなんて、信じられない。でもセリョージャが人に根拠もない疑いをかけたり、妹にウソをついている、という可能性もあまり考えられなかった。それでも、友達を悪く言われるのは嫌だからきつく言い返してしまった。まだ仲直りはできていない。

「どうした、カーチャ。浮かない顔して」

「えっ! なんでもない」

ニカの声で我に返る。友達のことを怪しんでるなんて思われたくない。慌てて話を逸らした。

「そんなことよりさ、一学期のスニェクレース大変だったよな」

「ああ、アレな。ほんと見てるほうは冷や冷やしたぜ。スニェクがカーブの手前に来たときなんか――」

よかった。話に乗ってくれた。ニカは観客席から見たレースがいかに手に汗握るものだったかを語ってくれた。ニカの話に相槌を打ちながら、ふと教室の後方に座る女子生徒の視線に気づいた。手には本を持っているけれど、こちらをチラチラと窺っているし、ページを繰る手は動いていない。そして、目を見張るべきはその美貌だ。長髪には銀色の輝きが躍り、まるで雪原のよう。透明感のある肌はきめ細かい。そして血のように赤い瞳は銀色の長い睫に縁どられている。近寄りがたい雰囲気を醸し出してはいるが、強烈な印象を残す美しさなのは間違いない。なにより、会ったことがないのに彼女の容貌に見覚えがあった。――エレーナ・フサードニキ。『根雪のあした』のヒロインだ。ゲームと違ってラスタチカ学院に入学したカーチャとはなんの接点もないはずなのに、どうしてこっちを見てくるんだろう。ちょっと、いやかなり怖い。

「だからさー、今のうちに練習しとかね?」

「え? ああ、うん!」

俺はエレーナに気を取られて、ニカの話をよく聞かないまま返事をした。


 放課後、いきなりニカに「それじゃ行こっか」と言われ校舎の外へと連れていかれた。朝の会話でなにか約束らしきことをしていたらしい。薄暗い木陰の道は狭く、並んでは通れない。俺は黙ってニカの後ろをついていった。

「なあ、どこ行くんだっけ?」

恐る恐る尋ねると、ニカは吹き出した。

「忘れたのか? いつも忘れるのはオレの役目なんだけどな」

たしかに、と苦笑する。

「厩舎に行くんだよ」

ニカは振り返ってにやりと笑い、また前を向いて歩きだした。

 スニェクと装備一式を借り、ニカが手綱を持って誘導する。

「どこで練習するのさ」

「んー、裏庭!」

広いグラウンドを使えばいいのに、なんでわざわざ裏庭に? と思ったけれど、行けばすぐに理由は分かった。裏庭の大部分は校舎の日陰になっており、たくさんの雪が残っていたのだ。

「そっか、本番に近い形で練習するなら雪の上の方がいいね」

「だろ! グラウンドの雪は全部融けたからな」

ニカは誇らしげに裏庭を眺めまわした。

 本で読んだ技術を思い出しながらスニェクを走らせてみる。何度か往復した後はレースを意識して速度を上げてみる。でも、あのレースの恐怖が頭をよぎる時があって、なかなかうまく体が動かないこともあった。

「どうだろ、これでちゃんと出来てるのかな」

「だめね。それじゃ全然だめ」

冷ややかな声はニカのものじゃない。声の主は、校舎の壁に背を持たせかけて腕を組んでいた。いつからいたのだろう、エレーナは俺が走るところを見ていたらしい。呆れ顔で、つかつかとスニェクに歩み寄ってくる。

「降りなさい」

「待てよ、誰だアンタ」

ニカが割って入ろうとするが、彼女は御構いなしだ。

「エレーナ・フサードニキよ。さあ、お手本を見せてあげるから降りなさい」

「はい……」

気迫に圧され、俺は大人しくスニェクを手渡す。地面に並んで立ったとき、エレーナの背の高さにギョッとした。一年生男子の中ではごく平均的なニカよりもわずかに高く見える。この歳だと女子の方が成長が早いと聞いたことがあるけれど、それにしたって高い。

 エレーナは黒いストッキングを纏った長い脚でスニェクにまたがる。

「やっ」

凛々しい掛け声と共に駆け出す。エレーナは完全にスニェクを御していた。彼女の走りには全く無駄がない。コーナーでも一切速度を落とすことなく綺麗なカーブを描いてみせた。

「わあ……」

「すげえな、あいつ」

隣で見ていたニカも感嘆の声を漏らした。エレーナは裏庭を一周すると、ひらりとスニェクから降りた。

「すごく上手いんだな、俺にも教えてほしい」

指導を頼んでみると、エレーナは少し沈黙したあと、「そうね」と口を開いた。

「指示を出すタイミングも、姿勢も、あなたは無駄が多すぎる」

エレーナはスニェクに乗るよう促すと、あれこれと細かく教えてくれた。

「もっと姿勢は低くして、空気抵抗を減らす」

「そんなに頻繁に蹴ってもスニェクは走れないわ。加速すべきタイミングを見極めて」

「はっきり指示出さないとスニェクが混乱するわよ!」

実際にテクニックを披露しながら分かりやすく説明してくれたおかげで、日が沈む頃にはすっかり上達した。思ったとおりに指示が伝わるし、危なっかしいコーナーの曲がり方はしなくなった。

「あはははは、ちゃんとスニェクが走ってくれる! 楽しいー!」

疾走して風を頬に受けるのが心地いい。いつのまにか怖いなんて気持ちは吹っ飛んでいた。

「いいじゃない、これで来年はスニェクレースに出ても恥ずかしくないわよ」

いつも仏頂面のエレーナも、心なしか微笑んでいるように見えた。

「あれ、カーチャがスニェクレース出てたって知ってるの?」

ニカの質問に、エレーナは「しまった」という顔をした。

「朝、俺たちが話してるのを聞いてたんだよ」

俺が代わりに答えると、エレーナは少し口ごもり、頷いた。

「……そうよ。技術もないのにレースに出るなんて、馬鹿げてる」

厳しい言葉に、むっとしたのはニカだった。

「馬鹿なんて言うこたぁないだろ。なんでもやってみなきゃ分かんねえじゃん」

「いいよ、ニカ。俺が無謀だったんだし」

怒ってくれる気持ちはありがたいけれど、エレーナの言うことはもっともだった。

「レースに出たスニェクには痛い思いさせたんだ。でも、わざわざ練習見に来てくれるなんて優しいんだな」

不思議そうに眉を寄せて、エレーナは聞き返す。

「どういうこと?」

「下手な乗り方したらスニェクが可哀想だから、気になって来たんだろ?」

ぷい、とエレーナは横を向いた。

「勘違いしないで。騎士の誇りを持つ者として、中途半端な真似が許せないだけよ」

彼女の言葉でゲームの共通ルートをプレイした記憶が蘇る。エレーナは戦う者の家系に生まれ、自らも騎士となることを定められていた。幼い頃から訓練を受けてきたためスニェクを乗りこなすことができるし、そんな自分に誇りを持っていた。だが一方で、戦士という生き方への疑問や自分の将来の可能性に対する諦めもある。凛々しくもどこか屈折した人物だった。エレーナルートを攻略していないから、彼女がどうしたら呪縛から逃れられるのかは分からない。けれど、スニェクの乗り方を教えてくれたお返しに、友達として何かできることはしたかった。

「そうだ、来年のレースはエレーナが出たらいいんだ」

エドアルトと再戦の約束もしているけれど、彼が卒業するまでにまだまだ時間はある。それに、現時点ではエレーナの方がずっと上手いんだから、本来は彼女が出場すべきだ。だが、ニカもエレーナも俺の提案には目を丸くしたようだった。

「おいおい、なんのために練習したんだよ! エレーナのお墨付きまでもらえたのに」

「私にとってスニェクは戦の道具。レースに出る必要はないからあなたに譲るわ」

なんだか自分に言い聞かせているみたいな口調だった。

「必要とか、必要ないとか、そういうことで決めなくていいからさ。やってみたかったら何でもやってみろよ」

彼女は黙って、じっと俺のことを見つめている。

「将来のためとか関係なく、今楽しいことをするのってそれ自体に価値があると俺は思う」

エレーナが何も言わないから、だんだん照れ臭くなってきた。

「ていうか、純粋に俺がエレーナの走ってるとこ見たいだけ!」

ぶっきらぼうにそう言うと、エレーナは目を背けて腕組みをした。

「……エレーナ?」

「考えておくわ」

早口で返事すると、エレーナは踵を返して校舎の中に消えていった。ニカは彼女の背中を見送った後、俺に耳打ちしてきた。

「おいカーチャ、エレーナのこと好きなの?」

俺は黙ってニカの頭を叩いた。


 あれから、エレーナはたまに話しかけてくれるようになった。といっても聞かれるのはすごく単純な質問で、交わす会話はとても短い。「兄弟はいるの?」とか「放課後は何してるの?」とか、そんなレベル。今日はホームルームで来年度のコース選択のアンケートがあるからか、エレーナからこんな質問をされた。

「カーチャは来年どのコースを取るつもり?」

「えーっと、もし今年で創造コースに合格できなかったら来年もそのままで、もし合格できたら……育成コースとか」

試験に合格しても同じコースを再度選択することは可能だが、そんな学生生活は味気ない。

「そう」

自分が何を選択するつもりかは教えてくれなかった。今は当然戦闘コースを取っているけれど、来年はどうするんだろう。

 アンケートを書く時間、ちらりと後ろを振り返ってみるとエレーナは鉛筆をコツコツと紙に当てていた。悩んでいるみたいだ。どうやら内緒にしていたのではなく、まだ決まっていなかったらしい。

 プリントが回収されたあと、黒髪の男子生徒がエレーナに話しかけていた。

「エレーナは来年も戦闘コースに希望を出したのか?」

「いいえ、別のを選んだ」

「でも、来年以降も戦闘コースを取ると言っていただろう」

「あの時はね。でも、人間心変わりするものよ」

「そうか……」

ウートレニアでエレーナと知り合いだったらしい男子生徒は呆気にとられていた。かと思うと、彼はいきなりこちらを睨んできた。……なんだか面倒臭いことに巻き込まれそうな予感。

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