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第四話 図星でしょ、その反応は

 セリョージャの兄弟だと分かった途端、態度を硬化させたアントン。一体二人の間に何があるのだろう。夜、俺は寄宿舎に与えられた自室のベッドの上で頭を抱えていた。

 アントンに頼らずニカと一緒に課題をやり遂げようと考えたけれど、試しに二人でやってみても出来は酷いものだった。特に香石を削り溶かす作業は力とスピードを要求される。もともと運動は得意だったけれどカーチャの細い体では腕力もスタミナも出せない。ニカもそれほどこの作業は得意ではないらしかった。そもそもグループが三、四人で構成されているのだから作業量もその人数に見合ったものだ。やっぱりアントンの手を借りたい。

「まさかお兄ちゃん助けて~、なんて言うわけにもいかないし」

課題を手伝わせるなんてもってのほかだし、アントンがいじめるから助けてって泣きつくのも嫌だった。あのセリョージャだもの、カーチャが困っていれば助けてくれるに違いない。だけど、自力で困難を切り抜ける力がなければ兄を心配させてしまうし、最悪の場合転校させられるかもしれない。それはどうしても避けたかった。

 落ち着きなく寝返りを打ちながら唸っていると、誰かが戸を叩く音が聞こえた。ベッドから跳ね起き、恐る恐る覗き穴から外を伺う。見慣れた青年が姿勢を正して立っていた。

「お兄ちゃん」

ドアを開けながら、思わず頬が緩む。今回の件でセリョージャは頼らないって心に決めていたはずなのに、その姿を見て安心している自分がいた。

「カーチャ、元気でやっているかい?」

一瞬固まって、こくりと頷く。だけど聡い兄はその躊躇いを見逃さなかった。

「何か困っているの?」

優しい眼差しに思わず甘えそうになるけど、我慢する。

「ううん、何も問題ないよ。でも、久しぶりにお兄ちゃんに会えたから、ちょっとお話したい」

助けは求めない。自分でちゃんと解決するためにアントンの話を聞き出すだけだ。セリョージャの服の裾を引っ張って招き入れる。

「カ、カーチャ。夜中に部屋に入るのはさすがに」

部屋の前で足を踏みとどまるセリョージャはなんだか生真面目で可笑しかった。

「バレないよ、今誰も見てないし怒られないって」

「そういう問題じゃ」

三年生にもなって校則を気にしているなんてセリョージャらしい。部屋の前で騒ぐ方がまずいと判断したのか、渋々中へ入った。

 兄と二人、ベッドの上に並んで腰を下ろす。話したいことはたくさんあった。入学式で周りの生徒に圧倒されたこと、それでもすぐにニカが話しかけてくれたこと、おかげで友達も何人かできたこと、勉強は難しいところもあるけれど楽しいこと。ありきたりな近況報告に、セリョージャは頷いたり、表情を変えたり、しっかりと耳を傾けてくれた。

「それでね、創造コースで一緒になったアントンって人がお兄ちゃんを知ってるみたいなんだけど、お兄ちゃん分かる?」

本題を切り出すと、セリョージャは意外にも明るい調子で「もちろん」と頷いた。

「ねね、どんな人なの?」

「うーん、そうだな」

セリョージャは膝の上で組んだ手をじっと見つめる。

「学院では有名だよ。喧嘩が強くて、戦闘コースでは成績優秀だったと聞くね。怖いとか暴力的だって噂もあるけど、僕が直接話した限りでは悪い人じゃなかったな」

「そうなの?」

「うん、あくまで僕の知る範囲でのことだけどね。アントンは不器用だけど、たぶん根は素朴で真面目だよ」

「そうなんだ」

同じグループなのに堂々と協力しないと言ってのける奴なんて意地悪で不真面目としか思えないのに……セリョージャはどうしてそう思うのだろう。

「納得できないって顔をしてる。アントンに何かされたの?」

セリョージャは首を傾げ俺の表情を覗き込もうとする。慌てて頭を横に振った。

「ううん! なんでもないの。ただ、見た目が怖そうだったから」

そう誤魔化すと、優しく頭を撫でられた。

「ここ最近のカーチャは随分と気が強くなったと思ったけれど、臆病なところもあるんだね」

どきり、と胸が鳴る。セリョージャは感じ取っているのかもしれない。俺の意識が目覚めた前と後で、カーチャの性格が変化しているのを。

 セリョージャは部屋を去る前に「困ったことがあればいつでも相談して」と念を押していった。両親を失ったカーチャのために親の役割を果たそうとしているのかもしれない。


 一人になって毛布にくるまっていると、涙がぽろりと溢れた。まぶたの裏に浮かぶのは、”私”の両親。今は亡き二人の背中。大釜をかき回すお父さんの隣で、お母さんはハーブや木の実をすり潰す。二人はいつも一緒に、楽しそうに仕事をしていた。それから、前世に残してきた家族との思い出。会社から帰ってきた父ちゃんに抱きつくと、スーツの独特の匂いがした。絵本を読んでもらうために母ちゃんの膝の上に座るのは、小学一年生で終わりにしたような。妹が生まれて、お兄ちゃんらしくしたかったんだ。年の離れた妹を抱っこするとキャッキャと笑うのが可愛かった。……会いたい。もう一緒に暮らせないのなら、せめてお別れだけでも言いたかった。

 ぶかぶかの寝間着からはほんのりとセリョージャの匂いがする。兄に見守られているような気がして、少しだけ心細さが和らいだ。


 今日こそはアントンを説得して課題をやり遂げないといけない。根は素朴で真面目だという情報を心の支えに、休み時間にあいつの姿を探して回った。

 始業前、グラウンドでランニングするアントンを見つけるがそのまま走って逃げられる。

 授業間の小休憩、三年生の教室でアントンを見かけたがセリョージャに見つかりそうになったので諦める。

 そして昼休み。食後にトレーニングルームを覗いてみると、そこには懸垂に励むアントンの後ろ姿があった。黒いタンクトップの背中には大きなシミができていて、汗ばんだ肌はつやつやと輝いている。壁は一面鏡張りになっていて、鏡に映るアントンと目が合った。

「運動は真面目にやるんだな、香癒(こうゆ)じゅちゅはサボるクセに」

だめだ、噛んだ。やり直したい。アントンはバーから手を離して俺の方を向き、不敵に笑った。

「舌足らずのお子ちゃまが俺を挑発するとはいい度胸じゃねえか」

かあっと頰が熱くなる。

「俺のことお子ちゃまって言うなら手伝ってくれたっていいだろ! アントンこそ大人げないね!」

もはや先輩に対して敬語を使うことも忘れていた。きっと睨み付けると、アントンの巨体が目の前に迫ってくる。圧倒されそうになるが、俺も負けじと近寄り、視線は決して外さない。

「セリョージャの弟だろ。あんな課題くらい一人でも出来るくせに」

「はあ?」

決めつけるような物言いに腹が立つ。拳を握り締めると、爪が手のひらに食い込んだ。

「どういう意味だよそれ。俺がお兄ちゃんに宿題手伝わせてるって言いたいのか?」

そんなことしない。自分で頑張って解決しようとしてる。

「違う。セリョージャの香癒術は完璧だったと聞く。お前もそうじゃないのか? 英才教育を受けたんだろ、両親に」

ぽかんとしていると、アントンは怪訝そうに眉を顰めた。

「知らないのか? セリョージャは学院一の秀才と言われているが」

首を横に振る。自分の知らない兄をこのいけ好かない男が知っているとは。

「お兄ちゃんが学校でどうとか、俺が知ってるわけないだろ。入学したばっかりなのに」

両親がセリョージャの成績を褒めていた記憶はあるけれど、それほどまでに凄いとは“私”も思っていなかった。

「ふん、あいつ家で自慢しなさそうだからな」

アントンは興味なさげに肩をすくめた。

「とにかく俺はグループワークなんてする気は無い。どうしても困るなら四人班から一人引き抜いてくれば済む」

アントンは話を打ち切ってその場を立ち去ろうとする。

「そんな……っ」

そんな簡単に言うけど、自分のグループ以外のクラスメイトなんてまだ覚えていない。そう言って引き止めようとしたが、アントンは聞く耳を持たず、シャワールームへと入ってしまった。


「あいつほんと大人気ないよ。自分がサボりたいだけじゃん」

アントンの説得が実を結ばなかったことをニカに説明し、ため息を漏らす。

「カーチャ、あいつと話に行ってくれたんだ。悪かったな、任せちゃって」

「え、いいよ。俺が勝手にしたことだから」

「アントン、怖いじゃん。オレだったら一人で文句なんて言いに行けないぜ」

誰とでも仲良くなれそうなニカが俺に出来たことを出来ないはずがないけれど、そう労ってもらえただけでムカムカは引っ込んだ。

「愚痴っちゃってごめんな。文句言ってても仕方ないから、放課後に二人で作ろう」

「おうよ!」

ニカは白い歯を見せて笑った。


 七時限目が終わる。ニカは掃除当番だったので俺は一足先に調合室へ向かい準備をすることにした。部屋に入ろうとしたとき、廊下の反対側からアントンが歩いてくるのがわかった。アントンは俺に気づくと、即座に回れ右する。

「待てよ、おい!」

「諦めろ。俺はお前に協力しない」

アントンはこちらに顔すら向けず、言い放つ。

「だったら、なんでここに来たんだよ!」

三年生の教室から寮へ行くのにここを通る必要はない。それに、調合室以外に行く場所があるなら俺を無視してすれ違えばいい。

「俺に見つかったから引き返すなんて変だよ。調合室に用があったんだろ?」

「いや」

「嘘つくなよ!」

俺はアントンを追いかけ、その腕を掴んでいた。課題はニカとやろうと心に決めていた。けれど、ここに来てアントンと会って、俺は思い当たることがあった。

「アントンは香玉作りをサボりたいんじゃない。俺らと――いや、俺と課題をやりたくない理由があるんだろ」

「違う」

雷の訪れのような低い声だった。アントンは灰色の目で冷ややかに俺を睨むが、ひるまずに畳み掛ける。

「お兄ちゃんだろ、アントンが怖がってるのは。俺と作業して、香癒術が下手くそってバレてお兄ちゃんに伝わるのが嫌なんだろ!」

「違うっつってんだよ!」

否定するアントンの耳は真っ赤だった。肩を大きな手で掴まれ、指がギリギリと食い込む。泣き出しそうになるのを堪えて、睨み返す。

「図星でしょ、その反応は。いい加減に意地張るのやめなよ」

肩を掴む手が小刻みに震え、眉根を寄せた。視線は俺の顔、足元をふらふらと彷徨い、やがて手の震えが止まる。アントンは力を緩め、大きく息を吐いた。

「カーチャ、お前には敵わないな。全部、言う通りだ」

ぱん、と自分の両頬を叩くと、その表情から怒りの色は消え失せていた。


 アントンはおとなしく調合室に来て、事情を話してくれた。アントンとセリョージャは話したことはあまりないものの、お互いに学院では有名人だったから認知はしていた。アントンは腕っぷしの強さで多くの生徒から恐れられ、時に尊敬されている。だが残念なことに、一年生で戦闘コースを終えた後にとった創造コースは彼に向いていなかった。不器用なアントンは一年で香癒術をマスターすることは出来ず、二年目に持ち越した。しかも同じグループにはあのセリョージャの弟がいる。もしカーチャ経由でセリョージャに自分の無様な姿が知れたら。秀才のセリョージャに知られること自体恥ずかしいし、学院で注目されている者同士、弱みを握られるのは回避したかった。それで、実力がバレないよう最初から「協力しない」と宣言してしまったというわけだ。

「下手くそな俺なんてグループにいてもいなくても一緒だと思った。それに、俺がやらないと言えば後輩はビビって口答えしてこないと高を括っていた」

「あはは、そしたら一年坊主がしつこく食い下がってきてビックリしたんだ」

アントンは渋い顔をして頷く。予想に反して切実に協力を求められ、少し心が動いたとアントンは言う。さっき調合室に来たのも、一人で練習して上達したら協力しようと考えていたかららしい。プライドは高いけど、根は悪い奴じゃないのかも。

「大ごとになると思ってなかった。でも、一度言ったことは撤回できなくて……意地になった。悪かったな、カーチャ」

「いいよ。俺もお兄ちゃんには何にも言わないからさ、……ん!」

俺は手を差し出す。

「なんだ、その手は」

「仲直りの握手!」

アントンの口から笑みがこぼれた。

「お子ちゃまだな、お前は」

毒づきながらも、アントンは手を握り返してくれる。ゴツゴツと骨ばっているけど、温かい手だった。

「だけど――子どもみたいな見た目のくせに、芯がある」

あんな猛々しい男が、こんなにも穏やかな表情を持っている。なぜかそれが嬉しかった。


 遅れて教室にやって来たニカはアントンがその場にいることに目を丸くしていたけれど、三人で課題に取り組むことに喜んでいた。確かにアントンは不器用だけれど、やはり力強さと体力にかけて右に出る者はいない。大釜で香石を溶かす作業ではその腕力を活かして素早く中身をかき回してくれた。三人の力を合わせて作った香玉は黄金色に輝き、美しい球体をなしていた。こうして俺たちの初めての課題は無事に終わったのだった。

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