第十三話 ごはん、おいちい〜
ついに決着の時が来る。アスマーに加え、ニカ、そしてなんとエレーナまで勝負に立ち会ってくれるとのことだった。一方、イザヨイも一人連れていた。
「お初にお目にかかります、イザヨイ様の親友にして侍従のシノブにございます」
直接会うのは初めてだが、ゲームの登場人物の一人だから知っている。彼はいわゆるお助けキャラで、休み時間に話しかけるとヒロインの趣味や過去、好感度などを教えてくれる。地味で無害そうな見た目をしており、実際とても頼りになるが一つだけ罠があった。それは、彼に頼りすぎると本命のヒロイン攻略の時間が奪われ、誰とも恋愛関係にならないノーマルエンドになるのだ。konozamaレビューだとプレイヤーの大半からは罠だの親友に騙されただの酷評ばかり。でも……今の俺にとっては一番いいエンドなのでは!? だってあのエンドでセリョージャが亡くなる描写はないし、カーチャはイザヨイに依存することなく笑顔で学校生活を送っていた。そうとなればこの勝負、やはりイザヨイに何としても勝ってヒロインを一人も攻略させてはならない。
「よし、頑張るぞ〜!」
「え、いきなりどうしたんカーチャ」
ニカの目が点になる。俺はえっへんと胸を張った。
「あらあら、張り切っちゃって可愛いのね、おちびさん」
アスマーは目を細める。
「それじゃあ皆揃ったし、行きましょうか」
どうやら勝負の場所は決まっているらしい。俺たちは勝負の中身も知らされないままアスマーについていった。
学院の敷地の外、住宅街に近い並木の美しい通りにそれはあった。遊具がいくつか置かれた小さな可愛らしい庭のある、煉瓦造りの建物。誰かの家だろうか。
「ふむ、ここで一体何を競うんだ」
「この施設……託児所でしょうか」
確かに看板には苗字ではなく【たき火の家】と書いてある。どうやら子供がいる施設らしい。
「たき火の家って聞いたことがあるわ、孤児院よね」
エレーナは知っていたようだった。アスマーはそれに頷き、微笑んだ。
「ええ。あたしが放課後に働いているとこ」
懐から鍵を取り出し、中へ入っていく。
「いらっしゃい、アスマー。今日はお友達たくさん連れてきてくれてありがとうねえ」
奥から出てきたのは、腰が曲がった白髪のおばあちゃんだった。しわくちゃの笑顔はまるで孫娘を見るように優しい。
「いえいえ、とんでもないです。子どもたちが喜んでくれたら嬉しいんですけど」
「私も年だから、みんな元気が良すぎてあまり遊びに付き合ってあげられないからねえ。きっと喜んでくれるよ」
おばあちゃんとのやりとりを見て、ニカが耳元で囁いた。
「オレたちひょっとして、アスマーに利用されたんじゃね?」
「子どもと遊ばされるのかな」
それ自体は悪くないけど、果たして決闘になるのだろうか。
部屋に通されると、子どもたちがわっと群がってきた。
「こんにちはー!」
「おねえちゃんのおともだち?」
「あそんであそんでー!」
元気一杯の子どもたちに、思わずこっちも笑顔になる。
「こんにちは、カーチャって呼んでね」
「カーチャあそぼー!」
五歳くらいの女の子に手を引っ張られる。
「ほらほら、皆落ち着いて!」
パンパンとアスマーが手を叩き、子どもたちの注意を引いた。
「今日はみんなと一緒に二人のお兄さんがパンケーキを作ってくれるわ」
二人、とはもちろんイザヨイと俺のことだった。わー!と嬉しそうにジャンプする子や、手をブンブン振る子の横で、イザヨイは戸惑いを隠せずにいた。
「カーチャと子どもたちじゃ、どっちが子どもか分からないわね」
「エレーナひどい」
「冗談よ」
いつからこの人は冗談を言うようになったのだろうか。
「でもケーキを作る前に、みんなには二人と遊んでもらいます。それから、どっちのお兄さんと一緒に作りたいか決めてね」
「はーい!」
なるほど、どちらが子どもに好かれるかっていう勝負か。それからアスマーはつかつかとこちらへやってきて、子どもたちには聞こえない声で説明を付け加えた。
「最後にどっちが美味しかったか子どもたちに聞くから、より多くの投票を得た方がこの勝負は勝ちよ」
「回りくどいことをする。結局料理対決じゃないか」
生徒に審査員を頼むとどちらかに買収されている可能性があるから、完全に初対面の子どもたちを審査員にしたのは公平かもしれない。
「どうした、随分自信のなさそうな顔をしているな」
「別に」
どうしたもこうしたもない。カーチャも前世でも、全くと言っていいほど料理をしたことがなかった。イザヨイもこの様子だとパンケーキ程度なら楽勝そうだ。この対決、かなり厳しいものになりそう。
子どもは全部で七人いた。最初は俺とイザヨイの周りにいる子どもの数はほとんど変わらなかった。でも俺が家族ごっこをしているうちに、イザヨイの周りにいた子どももちらほらこちらにやってきた。
「カーチャちゃん、ほら、ごはんのじかんですよ〜」
「ばぶばぶー! ごはん、おいちい〜」
なぜか俺は赤ちゃんの役をやらされていた。ニカとエレーナの視線がものすごく痛いが、ここは手を抜くわけにはいかない。子どもたちは本気で父と母を演じている。ならば俺も赤ちゃんになりきらなければ失礼というものだ!
一方のイザヨイは子どもたちの目線に合わせられないのか恥を捨てきれないのか分からないが、いまいち遊び相手としては物足りなかった。イザヨイもそれを自覚しているのか、今は一人の子どもに絵本を読み聞かせている。
「女の子が目をさますと、そこには大きなクマがいました。女の子はおどろいて、あわててベッドからとびおきます」
四歳くらいの男の子は静かに絵本に見入っていた。物静かな子には、家族ごっこよりも絵本を読んでもらえる方が楽しいのだろう。それはそれで微笑ましい光景だった。
遊びの時間が終わったとき、俺と一緒にパンケーキを作りたいと言ってくれた子は六人いた。声には出さなかったけれどその結果に満足していた。だが、キッチンへの移動中にイザヨイが不敵な笑みを浮かべて近寄ってきた。
「まさかカーチャ、本気で六人の味方を得たと思っているのか?」
「どういう意味だよ」
「その年頃の子どもなんて料理の妨害こそすれ、ほとんど役に立たない」
「そんな酷い言い方があるかよ」
むっとしたけれど、イザヨイの言うことは否定しがたい事実だ。手際がよければ一人で作れるし、子どもたちに技術面で助けられることなんてない。子どもをチームに入れるのはある意味でハンデだった。だからイザヨイはあえて子どもと遊ぶことに手を抜いたのだと気づく。
「ずるい奴」
「賢い、と言ってほしい。試合に負けて勝負に勝つ、当然の戦略だ」
イザヨイの予想どおり、子どもたちと一緒に料理するのは大変だった。あれやりたい、これやりたいと元気に叫ぶし、材料を勝手に触ってみようとする。さすがに火をつけようとしたときはアスマーが止めてくれたが、そういう危険な状況以外では介入してくれない。一方のイザヨイは涼しい顔で材料をかき混ぜ、早々に生地を焼く作業に入っていた。そんなイザヨイを恨めしく思いながらも、俺はレシピを見ながらなるべく子どもたちにやりたいことをやらせてみる。五、六歳の子どもたちは意外と頼りになるが、それより小さな子は一緒に作業してあげないとだめみたいだった。
「カーチャ、たまごわっちゃったー!」
「ん? 割っていいんだよ」
「ちがうの、たまご、たまごー!」
ボウルの中を覗くと、ぐちゃっとなった卵の殻が沈んでいた。
「あららら、これは……」
俺は菜箸で丁寧に殻を取り除いた。
フライパンにバターを溶かしながら、ちらりとイザヨイの様子を見る。一人の子どもが彼を選んだが、子どもにはほとんど作業をさせていない。どうやら味には関係のないお皿運びなどをさせているらしい。
「もうクルッてしていいー?」
質問されて、自分たちの料理に意識が戻る。
「うーん、いいんじゃないかなあ」
尋ねた子どもは小さな手で一生懸命にパンケーキをひっくり返す。少し焦げていたけれど、問題のないレベルだ。
「ぼくも、ぼくも!」
一番幼い子が駄々をこねる。ちょっと心配だったけれど、その子のために生地の量を少なめに注いだ。
「ほら、これが焼けたらやってみて」
「うん!」
ミニサイズのパンケーキは綺麗に裏返った。
「すごーい!」
拍手して褒めると、その子は目をきゅっと細めて笑った。
こうして、てんてこ舞いになりながらも無事にパンケーキは完成した。
「はーい、できました〜! それじゃあみんな席についてねぇ」
アスマーの指示で全員がテーブルに集う。パンケーキは一口サイズに切り分けられ、イザヨイのは水色の皿に、俺のはピンクの皿にのせて配膳された。美しい円形と歪な楕円形が分かりづらくなったのは幸いだったけれど、それでもイザヨイのものは均等に黄色く焼けているのに対し、俺の方は焦げが目立った。一足先に食べた子どもの感想は、どちらに対しても「おいしー!」で、差はない。むしろ幼い子どもが「舌触りが滑らかだ」とか「ほのかな甘みが口の中に広がる」とか言いだしたら怖い。
「ニカ、どう?」
「ん、んまいよ」
のん気な顔で笑っているから、そこまでの差はないのかもしれない。まあニカの味覚があてになるのか知らないけど。
「うっ」
エレーナが顔をしかめる。
「どうしたの?」
「いえ、卵の殻が……」
「ごめん」
どうやら取りきれていなかったらしい。子どもたちのには入っていないことを祈る。
「うーん、やっぱりイザヨイのやつ美味しいなあ」
自分で食べ比べてみると違いは明らかだった。イザヨイのはダマなんてないし、食感もふんわりしている。パンケーキはシンプルだからこそ違いが分かりやすい。
全員が食べ終わると、いよいよ投票の時だ。さすがにあれほどの味と見た目の差は子どもたちにも見抜かれているんじゃないかとドキドキする。俯いていたら、肩をポンと叩かれる。
「ニカ」
「どうなるかわかんねえけど、オレはカーチャが頑張ってたと思うからさ」
「ありがとう」
親友の言葉が胸にしみる。
「それじゃあみんな教えてね。カーチャのパンケーキが美味しかった人ー!」
三人が手をあげる。七人中三人、だめだ。ぎゅっと目をつぶる。
「じゃあイザヨイのパンケーキが美味しかった人ー!」
勝者は決まった……はずなのに、アスマーは「あらら?」と不思議そうに語尾を上げる。
「じゃあ残りの二人は?」
「どっちもおいしかった〜!」
「きめられなぁい!」
ハッとして目蓋を開く。それじゃあ……
「三対二でカーチャの勝ちね」
「わあ!」
嬉しくて、思わず声が出る。ニカもよくやったと言わんばかりに髪をわしゃわしゃと撫でてくれた。エレーナは安堵の表情を浮かべている。イザヨイは拳を震わせ、呆然と立ち尽くしていた。主の隣に影のように立つシノブは……無表情で何を考えているか分からなかった。
たき火の家を出る頃には外はすっかり真っ暗になっていた。ひんやりとした空気が服の隙間に入り込み、小さく身震いする。イザヨイに何か言われないか不安だったが、彼が詰め寄ったのは俺じゃなくてアスマーだった。
「料理の実力差は明らかだった。なぜ私が負ける?」
「分からないかしら? 言っておくけどあたしは子どもたちに何も指図はしていないわよ。全部あの子たちの意思だから」
イザヨイは歯ぎしりしたが、小細工は何もないという言い分を素直に飲み込んだらしい。率直な質問をぶつけていた。
「私には分からない。敗因を……教えてくれ」
「あのくらいの年の子って、結局は自分で作ったものが一番なのよ」
「は?」
「普段は大人に作ってもらってる子どもにとって、自分が頑張って作ったものは特別よ。本当に美味しく感じるものなの」
アスマーはイザヨイの目を見つめ、諭すような調子で言う。
「イザヨイくん、あれは単なる料理対決じゃなくてね、最初から勝負は始まっていたのよ」
「それに子どもにしてみたら味の良し悪しよりも好みの問題の方がでかいんじゃねえかな」
イザヨイはアスマーとニカの言葉に呆然としていた。
「そうか、私に欠けていたのは……子どもの視点か」
長いため息をつくと、イザヨイはこちらに手を差し出した。
「負けを認めよう、カーチャ。試合に勝って勝負に負けたのは私の方だ」
「おう!」
俺は手を握り返す。月の光を浴びるイザヨイは清々しい顔をしていた。これで一件落着、かと思いきや。
「目先の勝負に拘り、大局を見失ったのはあなたですよ。カーチャ」
シノブは、口の端に冷ややかな笑みを浮かべていた。