第十一話 いいよ! ……いや、決闘?
「よーし、斜めから狙って……うりゃ!」
机の上にある消しゴムを中指と親指ではじく。ポーンと勢いよく飛んだ消しゴムは、行く先にあったニカの消しゴムを場外へと押し出した。
「うわあああああっ! ブランカがやられた!」
ニカはがっくりと項垂れ、机に頭をゴンと叩きつけた。
「へへーん、俺の指さばきに恐れ入ったか!」
天を仰いで踏ん反り返るフリをすると、ニカも消しゴムを拾いながら
「おみそれいたしました」
と仰々しく敗北を認めた。
「よーし、二回戦行くか!」
再び俺が消しゴムを構えたとき、後ろからヌッと影が伸びる。
「随分と楽しそうね、あなたたち」
エレーナの冷ややかな笑みにハッと背筋が凍りつく。だがニカは言葉を額面通りに受け取ったらしい。
「おう、楽しいぜー! エレーナもやってみるか?」
「遠慮しておくわ、掃除当番なので」
そ、う、じ、と、う、ば、ん、と区切った言い方でさすがに棘があることに気づく。俺とニカは素直に謝った。
「ごめんなさい!」
エレーナは「で?」と小首を傾げる。
「掃除当番だったの忘れてました!!」
「お掃除してきまーす!」
俺たちはさながら脱兎の勢いで掃除道具を取りに行った。
「それにしても、エレーナのやつ妙にピリピリしてるよなあ。ちょっと当番忘れてただけでさー」
ニカは窓の同じ部分ばかりを雑巾で何度も往復していた。
「う〜ん、やっぱ遊んでたからじゃねえの?」
なんて適当に言葉を返したが、本当は心当たりがあった。
週末にセリョージャとお買い物に行った際に薬局でばったり出くわしてから、アスマーは積極的に絡んでくるようになった。校内で会えば挨拶してくれるし、時には立ち話もする。お昼休みに教室に来たかと思えば一緒にご飯を食べようと食堂に連れて行かれたこともある。親しくしているうちに気づけばタメ語で話すようになっていた。挙げ句の果てには掃除当番の交代まで持ちかけてきた。アスマーの頼みを、面白そうだからという理由で引き受けた。俺が掃除にやってきてお兄ちゃんは目を丸くしていたし、後日アスマーが俺の教室に来たときも、一緒に掃除当番になったエレーナはいつもより険しい顔でモップを動かしていた。それが先週までの出来事だ。
つまりエレーナは、なぜ他学年の掃除には協力的なのに自分の当番を忘れて遊んでいるのだ、と怒っているのだろう。もっともなお怒りである。
俺はエレーナに「頑張ってますよ」アピールをするために一生懸命背伸びをして高いところの窓を拭いた。
「カーチャ、無理しなくてもそこはオレが拭くぞ?」
ニカは吹き出しそうなのをこらえるように口の端をピクピク震わせていた。くそー、バカにしやがって!
「結構です! 一番上まで届くんでね!」
膝を曲げてジャンプする。するとニカはもっと高く跳ねた。
「オレなんか窓枠の上だって拭けるし!」
「くそー!」
競うように交互に飛び跳ねる。すると見かねたようにエレーナがやってきた。
「ちょっと、何遊んでるの!」
エレーナもさっきのニカと似たような表情――つまりは笑いを必死にこらえるような顔をしていた。
「エレーナ半笑いじゃん」
「違います!」
「ほっぺたピクピクしてるよ」
二人から指摘されて、エレーナは窮地に陥った。
「とにかく、あなたたちもさっさと終わらせた方がいいでしょう? 真面目にやりなさいよね」
一言残して踵を返した。長髪をさらりとなびかせるその後ろ姿は、怒っていても半笑いでも優雅なものだった。
掃除当番事件はエレーナが笑ってしまったことで大事に至らなかった。だが後に、アスマーが教室にやってきたことで再び緊張が高まる。
「おちびさん、届け物に来たわよん」
「届け物?」
不審がりながらアスマーの元へ歩み寄ると、両手のひらほどの大きさがある包みを抱えていた。
「何これ?」
「うふふふふっ、お弁当でーす!」
「おっ、お弁当!?」
思わず一歩後ずさる。俺にお弁当をくれるなんて、一体どんな見返りを期待しているんだ! ……まさか弟(妹)の俺を通してセリョージャに女子力をアピールしようとしているのか? 謀ったな!アスマー!
「カーチャったら油断ならねえなあ」
その様子を目撃していたニカがニヤニヤしながら包みを覗き込んでくる。
「違うって、そんなんじゃないって」
この人の狙いはお兄ちゃんなんです! と大声で主張したいのを我慢する。そんなデリカシーのないセリフはかえって自らの品位を貶めかねない。
そうこうしているとエレーナまでやって来てしまった。
「カーチャ、もし受け取るなら食中毒に気をつけた方がいいわよ。いくら寒冷地とはいえ今は春だもの」
やはりアスマーに思うところがあるのだろうか、エレーナは遠回しにお弁当をディスった。だがアスマーはそんな嫌味にも涼しい顔をしている。受け取るか迷い、わずかに手を伸ばすとアスマーが微笑んだ。
「これ、セリョージャがおちびさんに作ったんですって。本当は自分で届けに行くつもりだったのに、移動教室が多くてお昼までに渡せないから頼まれたの」
「え! お兄ちゃんが!」
パッと包みを受け取る。言われてみれば確かにこの萌黄色の巾着は見たことがあるような気もしてくる。
「かわいー、今の顔見たぁ? すごいニコってしてたわよ」
アスマーがニカの肩をつつく。ニカも俺の方を見て笑っていた。
「前から薄々思ってたけど、カーチャってほんとお兄ちゃん大好きだな」
「はあ!? 大好きとかそんなんじゃねえし。ただ、お兄ちゃんの料理って美味しいから」
十四歳にしてブラコンだとは思われたくなくて言い訳する。だがやり取りを聞いてエレーナは別のことを考えていたようだった。
「カーチャにお兄さんがいたなんて知らなかったわ。お弁当のこと悪く言ってごめんなさい」
「えっ。いいよ、別に気にしてないし」
「カーチャに謝るなら、あたしにも謝るべきなんじゃないかしら〜?」
確かにあそこで間接的に非難されていたのはアスマーである。
「そうね。悪かったわ」
エレーナは意外にも素直に謝った。雪解けの瞬間である。
「カーチャ、一体どこであんな美女と仲良くなったんだ?」
アスマーが去った後、不思議そうにニカから尋ねられ、つい冗談で
「俺から話しかけたんだよ」
と調子に乗った。だが、それに反応したのはニカではなく別の男だった。冷ややかな視線を向ける、黒い目に黒い髪の生徒。日本人のようなルックスをしている。それに気づいたとき、ピンと来た。主人公だ。主人公の名前は自分でつけるからデフォルト名なんて忘れてしまったけれど、新しくウートレニア学院から来た生徒のようだから間違いない。
「お前……確かカーチャとか言ったな」
初めて話すというのに、高圧的な態度。俺も負けじと睨み返す。
「そうだけど。人に聞いておいて自分は名乗らないの?」
「イザヨイ・ナナミヤ。東の国、第七の宮家第一皇子とは私のことだ」
やっぱりそうだ。『根雪のあした』の主人公は東の国の皇族で、留学生としてウートレニア学院に入学した。ゲームでは長い前髪に隠れて顔がよく分からなかったけれど、こうして対面してみると中々の美形に分類される気がする。切れ長の目に薄い唇。漆黒の髪は癖一つない。冷たいけれど気品のある容貌だ。
「そんな大層な身分の方がカーチャに何の用だよ」
ニカも彼の態度に苛立っているのか、問い詰めるような声音だ。
「正直に言うと、君の振る舞いは目に余る。男子校に通っていたから共学化してはしゃいでいるのかもしれないが、女子生徒と手当たり次第関係を深めようとすることは好ましくない」
「は? あったまきた。言いがかりも大概にしとけよ」
こいつ、自分が共通ルート半ばでうまくヒロインを攻略できないからって、ただ友達として仲良くしているだけの俺にいちゃもんつけてくるとは。しかし、どのみち俺はこいつに好意を持たれたら不都合だ。カーチャルートではセリョージャが竃病で亡くなってしまうのだから。敵対するくらいがちょうどいい。
「イザヨイ、本当は女の子にモテたいのにモテないのが悔しいんだろ。クラスメイトのエレーナにも素っ気なくされるし、碩学のクラスで一緒のアスマーにも構ってもらえないんだもんな」
「なっ!」
ゲームの共通ルートの場面を思い描きながら挑発すると、図星だったのかイザヨイは顔を真っ赤にした。
「貴様……それは私への侮辱と受け取っていいか?」
「喧嘩売ってきたのはイザヨイだろ、今更何言ってんだ!」
「おいおい、カーチャ」
いつもは俺より先に怒るニカも、俺が積極的に喧嘩しようとしているのを見てさすがに止めようとしていた。
「承知した。ならば決闘で決めようじゃないか」
「いいよ! ……いや、決闘?」
そんな言葉を聞いたのは小学生以来なんだけど、この人はマジで言ってるんだろうか。
「ああ、もちろん命は賭けない。だが、私が勝てば今後一切女子生徒に手出ししないと誓え」
「なるほどな。いいさ、その勝負受けて立つ!」
「カーチャ、本当にやめとけって。何も得しねえよコイツと戦っても」
「心配してくれてありがとう、ニカ。でもこういう奴は、一回負かさないと聞く耳持たないからさ」
ニカは言葉をなくし、泣きそうな顔をしていた。
「で、どんな方法で勝負するんだ?」
イザヨイはしばし考え、
「任せる、明日までに考えてこい」
と全て俺に投げてきた。
「いいのかよ、そんなに余裕ぶっちゃって」
「構わん。私に苦手な分野などない。どんな勝負でも公平なルールのもとでなら勝つ」
イザヨイの口調は自信に満ち溢れている。ますます燃えてきた。絶対にこいつの鼻を明かしてやる!




