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ユリの体はいつもひんやりとしている。






沙穂の体は柔らかくて温かい。

欠食児なみにガリガリで胸もあんまり無いのに、男のそれとは明らかに違う。

背中の肉を摘んでみると、骨と皮みたいに見える体でも

皮膚と一緒に脂肪の柔らかさがついてきてあまり伸びない。

男は引っ張っても女の子よりも筋肉に覆われているせいか、

皮だけがただみっともなく伸びるだけで、それほど温度も感じない。

「サホは俺のこと好き?」

「好きだよ」

女の子らしくフワフワの綿菓子みたいな笑顔。

ご褒美とばかりに抱っこしてあげれば、「なぁに」といってクスクス笑う。

沙穂の肩に額を乗せると、首筋からバニラの甘い匂いがした。

体を起こしてクルクルにまかれた髪をかきあげて、キスをすると喜ぶ。

何をすれば喜ぶとか全部手の平に乗せたように分かるのが良い。

本当に喜んでいなくてもそういう風に振舞ってくれる子で良い。

振り回されたり、感情をかき回されたりするのは嫌いだ。








30℃を超える真夏日にすっかりサウナ状態になってしまった俺の部屋は換気も虚しく、

ジメジメと不快な暑さに満ちていた。

昔からずっと使っている黄色の扇風機を回してみるものの、

むしろ熱風が送られてくるばかりで逆に気持ち悪くなったので、観念してクーラーをつけた。

「寒くない?」

「丁度良いわ」

ユリはブラウスの首元を揺るめてふっと一息吐く。

鞄の中からクリップを取り出して口に咥えると髪の毛を纏めて一捻りする。

クリップを咥える唇の血色の良さと開いた口の中の赤さと後れ毛の垂れる項。

妙に心惹かれる風景にそっとクリップの離された唇を触った。

ユリは唇に乗った俺の指先に一瞥をくれ、すっと目線を立っているこちらに向けた。

「いつ触っても冷たいな」

「特に冷え性ってわけでもないのに、不思議よね」

唇に触れても、頬に触れても、首筋もお腹も足もどこもかしこも

女の子らしい温もりを感じないというのに、

それがどんな女の子の温もりを感じるよりも安心する。



ユリの中はとても温かい。

湿っていて、ぬるいより少し熱を帯びていて、すっぽりと俺を収める。

見られないようにと顔の上で交差された腕をどかすとぎゅっと強く目が閉じられている。

睫毛はどこかしっとりと濡れたように豆電球のオレンジを反射する。

ユリ、と小さくと呼ぶと彼女瞼はそっと開かれて、

熱に浮かされて潤んだ瞳でこちらを見上げて

シュン、と普段出さないような甘ったるい声を出す。

初めてのような仕草に少し頬を緩ませると睨み付けられるが全然怖くない。

動きに連れて熱が増していくような感覚に陥る。

どちらの熱かはもうどろどろに溶け合っていてよく分からない。

また一度、シュンと息も絶え絶えに呼ぶユリの唇に自分ので蓋をして、

舌を挿入させるとしっとりと肉厚なユリの舌が俺の舌の裏を舐める。


よく分からないけれど、シュンと呼ぶこの声だけはとても好きだと思った。





ユリに温度を感じることはあまりない。

触れたときの皮膚もそうだけれど、顔の造作も可愛いというよりは造作が綺麗だし、

その綺麗さはどこか鋭利で人を緊張させるものだ。

性格もどうだろうか、知っているユリの外面は完璧な優等生だ。

淡々としていて冷静で、おおよそ普通の女の子が憤る瑣末な理由で感情を乱さず

ただ、優しそうに見えるように表情を作っている。

声も甘くない。滑舌が取り立てて良いわけでもないのに、氷柱を軽く叩いた様な声音。

「ユリはずるいな」

それなのに、繋がれているその時は確実な温度を感じる。

体温も感情も表情も声も。

使い分けることで混乱させて楽しんでいるのだろうか。

狙ってそんなことができるならユリはやっぱり魔性の女で、俺は余計に振り回される一方だ。









雨が降った。

俺は黄色い100円傘を開いて俺の左手を差し出すと、沙穂は慣れた用に右手で握った。

体をぴったりと寄せれば小さい傘にもすっぽりと収まる。

ユリと元隣のクラスの男子が並んで歩くように、俺は右肩を濡らすことはない。

「今日はどこに行く?」

「カラオケとか」

「いーね」

沙穂と付き合うようになってからユリと帰る時間が減った。

自転車の荷台からかかってくる重さも温もりも慣れたものと違うけど、

世間的には相応しい姿なのかと思うと変な感じがした。

彼女の小さくて柔らかい手は好ましいのだが、

ラインストーンが散りばめられた長い爪が少し刺さって痛い。

「シンプルは方が良いな」と言えば「女の子の努力を」と言って

不機嫌にされてしまうからやめておく。

そういえば、ユリの爪には飾り気が全然ない。


ふと、視線を自分たちの教室の方へと向けた。

去年は今の教室の1階下からユリたちの背中を眺めていた。

もしもユリが教室で俺たちを見ていたら昨年と逆のシチュエーションだな、と思って

特に何にもならない賭けのようなものを自分の中でした。

(あ、)

窓際の後ろから3番目の俺の席にユリは座っていた。

何をしているのかさっぱり分からない。

けれど、こっちを見て笑っているのは確かであった。

『ま た あ と で』

声にはならなかったが唇の動きですぐ分かった。

俺は思わず足を止めてしまった。

何も知らない沙穂の「どうしたの?」と尋ねる声で我に返る。

「何でも無い」

驚きのあまり外れてしまった手を慌てて、さっき繋いでいた力以上に繋いだ。

何なのーと繰り返し聞かれたので、むりやり別の話にしてごまかした。









ずるい、ずるい、ずるい









玄関にユリの靴が綺麗に並べられている。

俺はその横に汚く脱ぎ捨てると、勢いよく階段を登って自分の部屋のドアを開けた。

「お帰り、濡れ鼠ね」

誰のせいだよと心の中で叫ぶが、息が切れて言葉にならない。

ユリは俺のベッドに寝転んでいたが、雰囲気を察したのか起き上がって俺の前に立った。

「今日はシュンの方が冷たいわね」

差し出された指が俺の頬に伸ばされた。

灰色に濁る部屋の中で唯一ユリだけが白く大理石のように白光して見える。

びしょ濡れになって情けなく項垂れる俺に優しくするユリに

怒りともなんともつかない激情が渦巻く。

いつもそうだった、ユリだけが特別に心惹かれた。

我が侭で、どうしようもなく厄介で、それさえも彼女を際立たせる材料にしかならなくて

どうしようもなく惹かれている。

それにも関わらずユリはいつも自由で振り回されるのはいつも自分ばかりで、

同じ気持ちを味わえば良いのにと何度思ったことか。





「シュン」




また、甘ったるい声で俺を惑わす。


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