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ユリの手が温かいお湯を纏って引き伸ばされる。

持ち上げられた指先から名残惜しげに雫が足れ、潤いを帯びたその指で俺の頬を触れる。

一連の動作に目を奪われて視線を上げると、うっそりと笑うユリの顔が視界に入る。

俺は慣れたようにユリの手のひらに自分のものを重ねて、

軽い力で引き寄せると抗いもせずに腕の中にすっぽりと納まる。

水滴にしっとりと濡れた黒い髪をすくって彼女の頬に張り付く髪を横に流して、

引き寄せるままにキスをする。

唇を離した後のユリの表情はさっきとは異なり、

酷く満足げな笑みを浮かべた。






興味本位でキスをしてそう経たない、やはり暑い日にユリと初めてそういった行為をした。

俺がベッドにユリを押し倒し、ユリが俺の首に細くてしなやかな手を絡めた時、

「絶対にばれないわ」と彼女は根拠もなく、しかし自信満々にそう言ってのけた。

どこに絶対があるのだろうか、そう思いながら俺はユリの首筋に唇で触れた。

ユリの呟きはそれでうやむやになってしまったが、実際、正しかった。

俺が付き合った先輩もクラスメートの女の子も、

ユリが付き合っていた会社員も、

誰も何も別れるその時がきた瞬間も、俺たちの関係を知らなかった。





夏の太陽が眩しい日だというのに、俺の部屋は遮光カーテンをきっちりと締め切っていた。

締め切れないカーテンの隙間から零れ落ちる光が、

ユリの体を薄暗さの中で唯一ぼんやりと浮かび上がらせる。

霞んで見えるはずのその体が、呼吸のために胸や腹を上下させたり、

体を捩ったり、やけに動きがはっきりと目に取れて妙に煽る光景であった。

初めてのことで何が何だかさっぱり分からず、

締め切った部屋で篭る熱気に頭がぼやけるのを懸命に振り切り、

中学に入って友達や人伝に聞かされた知識をフル稼働する。

ユリは俺と同じように初めてのはずで、

不慣れな感覚や痛みに少しつらそうな表情をするものの、どこか余裕の笑みを浮かべていた。

焦りや不慣れな触覚とユリの時々混ざる挑発に意識がない交ぜになりながら、

柔らかい肉同士の繋がりに理解のできない心地良さを感じた。

未熟ながらに人間がこの行為に行き当たっていくことに理性ではなく本能で理解を示す。

一方のユリが初めてのその行為をどういう風に感じていたのか、

表情から見取るような経験も積んでいる訳もなく、

聞いても「どうかしら」と言って笑ってごまかすから結局は分からず仕舞いだった。

できれば、自分と同じ感動を共有できていたらと小さく思ったのは

若さゆえだと今は思う。







今の関係が惰性以外の何者でもないのは俺もユリも知っていた。

生産性の関係にするためには、子供の1人でも作ればそうなれるのだろうけれど、

気持ちも覚悟もないからそうはならない。

愛情確認としてその行為を捕らえるならまだ少しは意味もあるだろう。

それさえもない俺たちはやっぱり世間的にはかなり無駄な時間を

他の人と有意義な時間を共有する以上に多く過ごしてきた。

時々自分が動物のような気持ちになる。

定期的にときは不定期に与えられる餌を差し出されるがままに

自分の意思を持たずに食べる。

あちらに思惑があろうとなんだろうと、こちらが何も考えていないのだから

あっちの罠にはまりたい放題であるだろうし、もしそうだとしても気付きもしない。

いつか気付くことがあるのだろうかといえば、そういった理性がなければ、

真実といえる事実に目を向けることもなく終わってしまうのだろう。

ユリに促されるままに触れる俺の行動はもはや反射で本能的だ。

人間としての理性に目隠しをしているような気分。

目をそらしている訳ではない。

手の平には確かに見るべき事実を掴んでいるし、少なくとも触感は知っているのだ。

しかしながら俺はそれを目にすることができないでいる。

醜いものなのか、綺麗なものなのか、便利なのか、不便なのかも分からない。

目隠しを取れば見えるというのに。

もしかしたら知っているのかもしれない。

目隠しを取ったところで俺の目は事実を捉える前にユリの白い手で塞がれてしまう。

ユリ自身がそういう風に意識しているのではないとしても、

彼女の行動は俺を束縛する。

強制力のないように思われるその手をいつでも振り払えると思って振り払わないで、

ユリの無意識の束縛を許容してきたのは俺自身だ。







ジージーと耳障りな蝉の鳴き声と肌に突き刺さる太陽がもたらす蒸し暑さを

目の前で波打つ25メートルプール一杯の塩素臭のする水が緩和する

プールの反対側に紺色の地味なスクール水着を着た女子の群れがある。

俺の横にいる男たちはその群れの中にいるユリの話をしている。

ユリ縛り上げていたポニーテールを解いて、髪の毛の水気をタオルで拭っていた。

人を人の群れの中に埋没させるための装いの中で、ユリのような人間は余計に目立つ。

服装や化粧といった装飾で個性を強調させるよりも前に

ユリの容貌や体型がすでに強烈な印象をもたらすからなのだろう。

「お前ずるいよなー」

「だから何もないっての」

俺は白を切る、ダチは怪しむようなマネをするが実際は微塵も疑ってないのを知っている。

でなければこうやってネタにすることなんてできないだろう。

「まぁ、俺彼女一筋ですから」

「両手に花とか認めねーよ」

成り行きで沙穂と付き合うことになった。

なんとなく帰りを誘われて、なんとなくキスを促されて、なんとなくしてた。

し終わって「付き合って」と言われて、可愛いからいっかとなんとなくOKした。

そのとき付き合ってた甘ったるくて可愛い感じの他校の女の子とは別れた。

泣かれたので「ごめんね」と謝ったが、自分の気持ちの篭ってなさに驚いたくらいだった。

「サホいねーじゃん」

「んープールだるいっておサボりだってさ」

沙穂のことは嫌いじゃなかった。

むしろ女の武器全開なところとか面白いと単純に思えるし、可愛いしスタイルも良い。

純ぶったりしないのもかなり気楽だ。




遠くで授業を終える鐘の音がした。

シャワーを浴びに対岸にいた女の子たちがぞろぞろとこちらに向かってくる。

未だに腰かけている俺の横をユリが何事もなく通り過ぎていく。

「つめたっ」

「どしたー?」

「水が」

何をするでもなくプールサイドに座っていた俺の肌はじわじわと熱を孕み始めており、

ユリの今さっきまで水に使って濡れた手が人に気付かれない程度に触れ、

水滴がつっと首筋を伝って、一瞬だけ暑さを沈めた。

俺はユリの方をちらりと見たが、彼女は小さく笑っているように見えた。

「両手に花ね」

俺は聞こえない程度に呟いた。

ユリはそんな可愛げのある女ではないと、何度自分にも他人にも言い続けてきただろうか。

「こんな女癖悪かったっけ?」

自問自答のつもりがあっさり隣にいたダチ全員にうなづかれた。



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