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ユリの下駄箱からひらりと舞い落ちたのは黄色いラブレターだった。
なんて古風なんだろう、とユリははしゃいでいるようだった。
携帯電話が浸透した俺たちの世代では、メールが恋愛のツールだ。
気になった子とメアド交換して、くだらないメールのやりとりして、
デートして、いけるかななんて思えばお付き合い。
昔に比べたら恋愛もお手ごろになったものだ。
恋愛がファーストフード感覚な自分たちにラブレターなんてキザなこと、
恥ずかしくてできたものではないし、正直重いとか思われたくない。
ユリはそんな俺たちのことをかっこつけといって笑う。
「ロマンチックなのも嫌いじゃないわ」
封筒を裏返すと名前は書かれておらず、折りたたまれた黄色い便箋を開くと
簡潔に好意を持っていることと、
今日の夕方5時に体育館裏に来てほしいという旨が書かれていた。
「少女漫画の見すぎだろ」
典型的すぎるラブレターにユリは笑うかと思ったが、
さっきとは一変して、深く黙り込むように手紙を見つめていた。
俺は冗談にして笑い損ねて、中途半端に沈黙を作ってしまった。
「行くのか?」
「多分、その方がいい気がする」
ユリは言葉通りに告白を受けに行ったらしく、
次の日には隣のクラスの男と付き合い始めたという噂が立っていた。
「どんな気まぐれ?」
俺は珍しく、自分から離れた席のユリのもとへ声をかけにいった。
それは今までが今までなのを知っているが故の幼馴染がもつ、単なる好奇心だった。
「さあ」
想像していたものよりもずっとそっけない不意打ちだった。
ユリは引き出しから教科書を出してとんとんと綺麗に揃えてから、
筆記用具と一緒に腕に抱えて立ち上がり、
「あと、暫らくは家まで送ってくれなくて良いから」
次、移動教室でしょ、と愛想なくさっさと教室から出て行ってしまった。
なんだあれ。
俺は初めて良いようのない胸のむかつきを覚えた。
気分屋なのが元々なのは分かっていたし、そんなことを言いたいのではない。
突き放すようなもの言いにひっかかってしまったのだ。
お互いがお互いのことを全部知っているわけではないのは承知していた。
ただ、ユリが俺に対して一線を引くような言動をしたのは初めてだったのだ。
ユリに彼氏ができようと、俺に彼女ができようと
変わらずに繰り返される登下校の運転席と荷台の距離。
それをいらないと言って突っぱねられたような、痛みが胸の奥にあった。
「シューン、急げよ」
男友達に声をかけられて一瞬はっとした。
わりぃと曖昧な笑みで手をあげると、「ふられたんかー」と茶化された。
ちげーよと言って投げた上履きがクリーンヒットして、
ふざけんなとわめく姿に馬鹿笑いしながらさっきの気持ちをごまかした。
(冗談じゃない)
煩わしい感情も関係も嫌いだ。
ユリの話題は見る見るうちに広がっていった。
付き合いを隠す気がなかったのか、ご飯を一緒に食べているところや
下校時によく目撃されるらしく俺も一度だけ目にしたことがある。
朝出てくる時は晴れていたはずなのに、急に午後になって雨が降り出した日、
少し雨が止むまで待とうと男友達でつるんでいた。
なかなか止まないなと思いふと目を校門の方にさげると、
ユリと隣のクラスの男が相合傘で仲良く帰ろうとしているところだった。
レモン色の安っぽい傘は2人で入るには少し小さかったらしく、
男の右肩は、ユリが濡れないようにとはみだしていた。
それに気付いたユリは、少し膨れたような顔をしてハンカチで肩についた水を払う。
ありがとう、と口が動いたように見えた。
ユリは首を左右に振った。
何だかんだお似合いだな、とぼんやりと霞む景色に消えて行く2人の背中を見送った。
7月も半ばな暑い日だった。
俺は窓を開けて、外から入る空気で髪が頬を擽るのを感じながら
ただぼうっと天井を見つめていた。
とんとんと階段を上る音が聞こえてきて、誰だろうと体を持ち上げて待ち構える。
扉を開けたのはユリだった。
「久しぶりだな」
俺は背中の下にあるユリのお気に入りのソファをベッドサイドに落とす。
隣のクラスの男と付き合ってから、ユリは一度も俺の部屋に来なかった。
こないどころか不自然なまでに、俺を避けるような行動をしていたのだ。
「デートの帰りなの」
ユリは小ぶりな黄色いバラを手にもってくるくると回した。
彼女にバラをあげるなんてキザな男だな、と思ったが、
花弁の色がピンクのようなベタなものではないことに気付き、ふと不思議に思われた。
「楽しかった?」
「うん、最後だったし」
「別れたの?」
俺の声は予期せぬ返答に、思わず上ずった。
「そうよ」
こともなげにユリはそう返す。
「珍しく上手くいってそうだったのに」
お世辞ではなかった。
少なくとも雨の日に見かけた2人はお似合いに見えたし、
楽しいデートの後に別れる理由なんて皆目検討がつかなかった。
「夏休みが始まるまでって約束だったの」
「だから?」
「それもあるけど、単純に付き合っても良いと思えたから」
ユリは黄色いバラにそっと口付けた。
(図書委員会で一緒だったの)
(優しくて、やっぱりキザでね)
(髪の毛染めてないみたいなんだけど、色素薄くって)
(さらさらして、とても気に入っていたの)
「シュンは小さな黄色いバラの花言って葉知っている?」
俺が小さく首を横にふると、ユリはふふっと笑って言った。
「“笑って別れましょう”」
胸の奥に深く突き刺さってくる言葉だった。
「最後までキザね」
ユリは哀しみに表情を曇らす様子はなく、それが余計に居た堪れなかった。
大して知りもしない隣のクラスの男の横顔が浮かんだ。
ユリと彼がどうやって最後の挨拶を交わしたのかは分からないけれど、
きっと言えなかったのだろうと思い巡らす。
言えない最後の言葉を花に託すなんてなんてキザなんだ。
俺は何かを求めるようにユリの方へ視線を落とす。
ユリは花と一緒に添えられていたメッセージカードに目を通していた。
手紙で始まって手紙で終わる。
別れの言葉は言えなくとも、大事な気持ちはちゃんと伝えられたのだろうか。
(ああ、でも、きっと大丈夫だ)
微笑みを浮かべるユリの瞳は、いつもみたいな悪戯な少年の光ではなく、
ただただ優しくあるだけの女性的な灯火を宿していた。
ユリの口から彼のことを好きだとかそういった言葉は聞かずに終わった。
だけど、長年一緒にいたから分かる。
それは、本人の気付かぬままに終わった初恋、だったのだろう。