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噛み付く。
首に、胸に、下腹部に。
すること事態を嫌いと思ったことはない。
楽しいことも気持ち良いことも好きだし、行為に没頭している間は
脳の芯が茹でられ過ぎたようにくたくたになるのも好きだ。
し終わった後に下腹部を中心として背中を這い上がる気だるさも嫌いではない。
むしろ、その気だるさのままに行為の熱をもった空気を孕みながら、
それでいてひんやりと体を冷やす布団の感触に包まれたて眠りにおちることに
通常では味わえない心地良さを感じるのは嘘ではない。
しかしながら、そのような体験は常に出来るものではない。
なぜならば、私にも好みというものがあるからだ。
大学に入って交友関係も広がり、そのような関係に至る頻度も増えた。
その分だけ自分の望む人以外にも私に触れる人間が増えた。
喜ばしいとは思わない。
少なくとも積極的に触れてほしいと思わない人間に触れられることは不快だ。
ただ消極的で受動的であるならば、嫌悪感も薄らぐということを知った。
麻痺しているのだと思う。
自分が特別にモテるだとかそういう自意識過剰になりたくはなかったけれど、
事実、自分の望まない状況で望む人間がいるということは私にとって供給過多であり、
不均衡な状況を受け入れるには何も考えず、諦念することが最善だった。
女になって行く自己を酷く嫌悪する。
昔はもっと自由だった。
その自由が何を指すのか、具体的なことはさっぱり分からないけれど
自分の性について苛立ちを覚えるどころか
むしろ利用しない人間を見て、何故使えるものを使えないのかと思っていたのは事実だ。
決して見下していたわけでも奢っていたわけでもなんで名も無い。
その時の私にとって、使えるものを使わないで出し惜しみする人間が信じられなかった。
私の女の性だった。
このことに関して言えば、私は酷く浅ましく、女の中の女だった。
私の浅ましくも軽快な生き方を羨ましいという人もいたけれど、
私は私が、人が思うよりもずっとずっと重たくて面倒なことを知っていた。
その根拠というわけでもないが、
シュンへの気持ちは執着という重くて気だるい意味合いを帯びるようになったような気がする。
シュンが私の知らない誰かと歩く。
そんなことに疑問も不安も感じなかった。
何故なら、自分がシュンに与える影響力の強さを知っていたからだ。
高校までの狭い世界、限定された世間でシュンを振り回す一番であった自負はある。
けれど、大学に入って唐突に自分の前に開けた世間と関係性を見て、
唐突に理解してしまったのだ。
『私の代わりなんていくらでもいる』
いつの頃からだろうか、私の体は男を峻別するようになった。
それまで何の支障もなく機能してた体が反応しないようになった。
内壁を無遠慮に弄る指の動きに嫌悪を抱くようになった。
意識して持っていこうとしても、従来のようにはできなくなったのを知って思い知らされる。
シュンは理想的なのだ。
細身であるが、それなりに筋肉のついた体。
長い間関係を持ってきたけれど、飽きることはない体。
体だけではないのだろう。
行為の最中につまらない言葉を多く語る人間は嫌いだった。
何に陶酔しているのかは知らないけれど、笑いそうになることが数え切れないくらいあった。
シュンは違う。
言葉は少ない、喘ぎも少ない方だろう。
だからこそ、時折口の端から漏れる抑制された声がたまらなく好きだった。
もっと声を聞きたい、自分の体を欲している確証が欲しい。
自分の求める人間が自分を使って気持ち良くなっていると感じられる間、
私は必要とされている人間だと思えた。
人間というのは不適格なのかもしれない。
女として必要とされている確証を得られるだけなのかもしれないけれど、
行為の後に自分の体の上に被さってくる背中に、
自分の腕を絡み付けて力を込めたときに齎される幸福感を偽者だとは決して言わせない。
ふと目が覚める。
その感覚はお酒を大量に飲みすぎてそのまま意識を放り投げた次の日のように
妙な覚醒と気だるさが纏わり付くものだった。
私はベッドサイドに落ちていたタオルを持って浴室に向かう。
新しいものを用意しようかと思ったけれど、
生憎この部屋の住人は気持ち良さそうに寝息を立てていて、
無遠慮な人間だとはいえ、少し忍びなく思われた。
ぴっと電磁的な音を立てて電源が入れられ、煩く動き出した換気扇の音を掻き消すように
シャワーの音が鼓膜を揺らす。
ボディーソープを泡立てる前に吐き出されたものを落とすかのように
念入りに胸から腹にかけて撫で付ける。
自分が男である限り分泌しないその液体に熱があると知ったのは最近だった。
断続的に、だらしなく出されるそれが腹部にのるたびに
性欲という一見怠惰な欲求が生きる上でとても大切だあるように思わされたのだった。
「・・・」
水を吸って重みのある髪を掻き揚げる。
背中を伝って流れ落ちる体温よりも少し高めのお湯に、心地良さを感じた。
白くて質の良いバスローブよりも、
コンビニで買ってきたような水色のバスタオルの方が良い。
(求めているのは刺激でも高揚感でもなんでもなく、きっと)
私は女になった。
自由奔放に生きることよりも、平凡で安定した愛を求める只の女になった。
誰のものにもなりたくないなど思ったことはない。
誰でも良いから愛してほしいなどと願ったこともない。
私は自分の愛するもに求められたいと望む、
世間一般的な女の一人に過ぎないのだ。