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防寒着なしでは自転車には寒くて乗れない今日この頃、

風によって巻き上げられるユリの赤いマフラーが視界の端でちらちら踊る。









赤いマフラーを首にぐるぐる巻きにして、

口元から白い息を吐き、寒さで頬を赤くするユリの姿は映画のワンシーンのようだ。



俺たちは決まった時間に家を出る。

ユリは俺が自転車を車庫から取り出す間、

自分の家の黒い門に寄りかかってこちらの様子をうかがう。

自転車の前輪が見えると、もたれていた体を起こして俺に歩みよる。

俺はそんなユリを横目で一瞥してから、何も言わずに自転車に跨る。

ユリも慣れた風に自転車に横座りする。

ちゃんと座れたのを確認すると俺は右足に力を込めて踏み出す。

だらだらと続く長い坂道は夏こそ煩わしいものであるけれど、

木枯らしの吹く今頃には、まだ覚めきらない体を起こすには丁度良い。

こういう風に思うようになった俺は随分と人間が丸くなったものだ。

「おはよう」と言ってユリが微笑む。

高校に入ってしばらくは「何で俺が」と内心ぼやいていたが、

この我が侭お姫様の従者をやっているのも今ではそれほど苦ではない。

「ねぇ、シュン」

「何」

吐き出される白い息が後ろへと流されていく。

「帰りがけに肉まんが食べたいわ」

「もう帰りのことかよ」

「良いでしょ、奢ってあげるわよ」

俺の腹に回される腕やユリと接する背中からくぐもった笑いを感じる。

「珍しい」

「たまにはね」

そのくぐもった笑いが妙にこそばゆくて俺は、

霜焼けのように痒くなってしまわないようにとぐるぐる巻きにした黒いマフラーを

さらに深く頬骨ギリギリまで引き上げて、

なんとも言えないこの気持ちを誤魔化すようにペダルをこぐ力を強めた。






駐輪場でユリを降ろす折に、ユリの足元で枯葉がかさりと鳴った。

「もう冬も近いのかしら」

ユリは、足元で茶色や黄色の斑に織り成された絨毯をもう一度踏みしめる。

駐輪場はグラウンド横にあり、そのグラウンドに沿って桜並木のようになっている。

春先には仄かなピンクを咲き誇っていたその木々も、

秋になるにつれてユリの巻いているマフラーのように真っ赤に紅葉し、

気付いてみたら散っていた。

「早いな」

俺はすでに並んでいる自転車に自分のものを平行して並べて鍵をかける。

そろそろ大勢の生徒が登校してきても良いはずなのに、

驚くくらいに校舎は静まり返っており、かしゃりという普段はそれほど気にも止めないような

その音が妙に鼓膜を揺らした。

「ユリ」

俺はユリの方に視線をやる。

ユリはあんまりにも真っ直ぐに上を向いており、その視線の先には何があるのだろうと

つられて上の方に目をやると驚くぐらいに真っ青な空があった。

天高く馬肥ゆる秋に相応しいシーズンは多少すぎてしまったが、

手を伸ばしても到底届かないその青空は、朝方の薄い霞かかった澄んだ空だった。


ずっと眺めていても飽き足らないほどに綺麗だった。

しかしながら、本当にそろそろ生徒が来てもおかしくない時間だ。

いつまでも突っ立てられないともう一度名を呼ぼうとした時

いきなりの突風が俺たちの間を通過して、思わず身をすくめた。

綺麗に散りばめられていた木の葉は舞い上がり、

風が収まるのにつれて別の場所に異なった絨毯を敷いた。

ユリはその突風に手を翳すだけで、空を見上げる視線を下ろさなかった。

想像でしかないが、ユリは青空に舞い上がる落ち葉のその一瞬でさえ見逃さないように

目をこらしていたのかもしれない。


「変わらないと思っているのに変わってしまうのね」


ユリは哀しげに微笑む。

俺はそれと全く同じで全く違う光景を知っていた。

中学3年の今くらいの時期、同じ様なシチュエーションで真逆の言葉を聞いていた。


「きっと何も変わらないわ」


自信満々に発された言葉と確信を滲ませた瞳を三日月状に細めたユリの笑顔。

今は違う。

知らないうちに変わっていたのかと、今更ながらに実感されて、

胸の奥にある空っぽの中で木枯らしが吹いた。







帰りがけに食べた肉まんの味はよく分からなかった。

肉まんの温かさと外気温の温度差のせいでもくもくとあげる湯気に歪む視界のその先に

ユリの横顔を見る。

寒いコンビニの店先で肉まんを頬張るユリの頬は、

朝方見た頬の色よりも赤くて、林檎のようだと例える者の気持ちにひどく賛同できた。







ユリが俺の胸に触った。

あまりの冷たさに一瞬身が竦み、そんな姿をユリは笑った。

生憎仕返ししてやろうにも俺の手は驚くほど温かかったのでユリを喜ばすだけだった。

本格的に冬に入り、日に当たることが少なくなったユリの肌は

元来から色白だというのに、病的なまでに更に白くなった。

皮膚が薄いせいで血管が透けて見えているというのに、

血の巡りが良いためか、体のどの部分をとって見ても赤く色づいている。

一番紅潮している首元がひどく美味しそうに見えて噛み付くと、無邪気な声でユリは笑った。

仕返しとばかりにユリは俺の肩にカプリと噛み付いた。

「痛っ」

思わぬ強さで噛まれたために、血は滲みこそしなかったが、

じんわりと重たい熱が脳髄を通して伝わってくるのを感じて掌で押さえた。

「ふふっ」

あまりにも軽やかに笑うので俺は怒る気も失せ、

むしろその子供じみた行動に愛おしさのようなものが湧き出てきた。

温泉のように噴き出すその感情の中に1つの言葉が混じっていることに気付いた。

(俺のこと好き?)

今更な感情だった。

問えるはずもないものだった。









「私のこと好き?」

「好きだよ」

面倒だと思うようになってしまった。

当初は気楽な付き合いかと思っていた沙穂だったが、

実は本気だったらしいことを今更ながらに知った。

最低なことに、自分のことを真剣に好きでいてくれる彼女の気持ちが重い。

そういう風に尋ねられるたびに、瞳で本心を探ってくるたびに笑顔で遮断する。

ユリの言うように俺はやっぱり変わってしまったのだ、しかも最低な部類の人間に。

中学の頃は決して温和な方ではなかったし、普通の中学生として振る舞い感情を発露した。

やんちゃだったかつての自分は有る意味で素直な人間だったと思う。

無遠慮な言葉で誰かを傷つけたかもしれないが、

白々しい笑みと手の平と抱き返す腕で、

優しい人間の用に振舞うような卑怯な人間でなかった。



(嗚呼、ひどく空っぽだ)



沙穂を抱き締めながら、脳裏で囁かれるその言葉を聞いた。

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