第二十二章 絶望の淵
「前方に敵影、数は二人」
前を走る櫂が声を上げた。そして立て続けに
「黒と青の隊服を身に着けて……、え、何? ……そういうことか」
櫂に尋ねるまでもなく巴と蓮の目にも敵の姿が映った。
「あなたは……邪鬼の帝のスパイというのは噓だったわけですね」
視線の先に待っていたのは、かつて深月中将と邦坂隊でとらえた隊員。本名か定かではないが名前は確か須田、以前の階級は伍長。
あの施設の施設代や隊員の生活費の出どころは謎だった。だがそれがわかった。概ね邪鬼の帝に陽月の帝の情報を売って稼いでいたのだろう。
「ははっ! この間はわざと手を抜いてたんだ。簡単に勝てると思うなよ!」
立ちふさがる二人。
「急がなくてはいけないのにっ……!」
小声で呟く。もう片方の敵に聞こえたようで
「ちょうど今しがた始まったようね」
と、不敵な笑みを浮かべた。
始まった――察するに祐と剛一の戦いのこと。巴を揺さぶるためのでっち上げかもしれない。だがもし本当だとしたら――、いや、これを考える時点で相手の策略にはまったのと同じ。巴は首を横に振り、余念を振り払う。
直後、櫂が予備動作なしに高速弾を放った。
だが、敵は驚くことなく、不敵の笑みを浮かべたまま流れる動作で腰の刀を抜き、弾をはじいた。
弾は通常の刀ではじいたこと、はじくことができる程の威力だったことを踏まえて考えても、実際のものを見ても相当速かった。
それを目にとらえ退けたこと、また刀を抜くときの洗練された無駄のない動作からかなりの強者だとみえる。
そこで三人の後ろからたくさんの足音と「いたぞ」「こっちだ」などの声が響いた。
だが振り返る余裕などない。
「ちっ、こいつらは俺たちがやるのによぉ」
「仕事が手短に終わっていいじゃないか」
恐らくまだ少し残っていた剛一大佐の兵、足音から考えるに二十はいる。
――乱戦に持ち込めば何とかなるか、いや……相手の戦闘の要は目の前の二人になる。最後に残るのもその二人だろう。その状態になってもさっきまでとプラスマイナスゼロ、いやこっちの体力のほうが消耗は激しいはず、態勢は悪くなっているだろう。
状況は絶望的に思われた。
火印中佐から聞いた情報では施設長は”D”ではないらしい。主家の人間である彼は生まれも育ちもここ陽月の帝、誤魔化しようがないだろう。彼自身が抱いている思いは親たち”D”でない人間が”D”出ない自分に対して、というものだった。”D”でないのは間違いないとみて問題ないだろう。
だが施設長には万が一のための秘策、奥の手があってもおかしくない。いや施設長のことを考えると間違いなくある。
ならそれは早々に出させるに限る。はじめから詰めにいく感覚でいい。
「火柱よ!」
地面から天に向かって施設長を正六角形の中心にして頂点をとるように六本の炎の柱が燃え上がる。
「集え!」
号令とともに火柱が中心に集約されていき、包囲されていく。
相手はそれを涼しい顔で一瞥し
「慈救呪よ」
取り出した二枚の慈救呪で体の半面ずつを守るようにして展開する。
守られた体は炎に炙られることなく防ぎ、包囲網から抜け出す。
とっくに付与された毘沙門天呪で加速されており、一気に距離がつめられる。
「火界呪よ」
目前で火の爆発が起こる。だが俺には威圧にもなりやしない。
構いなしに爆発の中を通り、こちらから距離をつめる。
そして、炎を纏って威力を上げ加速させた腕を振り上げる。
慈救呪で守った腕で受け止められ、その勢いを利用したまま体が空中に飛ばされる。だがその程度想定済みだ。空中で身を翻し、上からもう一発叩き込む。
競り合わずに、受け流され距離を取られる。チャンスと思わせ飛び込ませる。それからのカウンターを狙っているのだろう。
相手の後退に合わせて距離をつめる。
後退途中に慈救呪を地面に設置展開。
やっぱり――。
足に炎を纏い、その火力で跳躍し慈救呪壁を越える。
そしてそのままの状態で上から炎を降らせる。相手が怯んで、我に返った時には既に背後。
「紅炎!」
四方八方、辺りで大爆発を起こす。今できる範囲では最高クラスの威力を誇る攻撃。呪術符くらいなら一瞬で焼き消すほどのもので、爆発源に隣接していた人間はただの人間なら跡形も残らないないだろう。
――そう、普通の人間なら。
「ふはは、早々にこれを見せなくてはならないとは。きみも強くなったものだ」
未だ立ち込める煙の中から少しずつシルエットが明らかになってくる。
「この力は皇綾斗と火印正斗以外には使う必要はないと思っていたが……ふむ。どうやら見解を改めなくてはいけないらしい」
口元を歪めるのを無視して炎の弾を生成し、追撃をかける。
だがそれも防がれる。
何に防がれたか、見えなかった。空間が歪んでいるように見えた気がした。何か隔つものが見えた気がした。物ではない何かで遮断されているようにも見えた気がした。
「わからない、という顔だな」
一つ笑い手を翳した。次の瞬間――
「えっ――」
力のない間抜けな声が出た。自分の左腕に大きな傷が入り、血しぶきが飛んだ。
「ああっ……!」
見えなかった。どこからの攻撃か、全く。
「これは切断能力だ。空間を切ってしまえば炎だって通れない」
――そんなことが可能なのか。いや、そもそも施設長は”D”じゃないはず。
「ははは、いいねその表情! その絶望が顔いっぱいに満ちたその表情!」
その高笑いが闇夜に響いた。




