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第五章 彼女の有する舞台・失敗するように編まれた物語

No.95

 白い空間に在る舞台。

 高さ二メートル五十センチ、直径一メートル程の円柱が七基置かれている。

 この円柱は厚いガラスで出来ており、中には原色の人間が一体と、青色の液体がケース一杯に満たされている。

 原色の人間は七人居り、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色の肌をそれぞれ持っている。

 原色の人間は裸で、円柱のガラスケースの中を漂っている。

 原色の人間は皆女性である。

 彼女らは役者であり、プログラムを入力されるのを待っている、ロボットでもある。

 プログラムとは行動とセリフであり、「作者」が考えた筋に従って作られた行動原理である。

 一般に、原色の人間は「キャラクター」と呼ばれる。彼女らはその物語における役割を終えると、ここに戻り、この円柱のガラスケースに入って、また出番を待つことになるのだ。

 ガラスケースに満たされているのは、人の体液でも、血でも、水でもない。これは特定の範囲内のみで通用する知識であり、彼女らは、この知識が自分達の「家」だと刷り込まれ、原色の人間と成るべく調整させる液体に、日夜浸かっているのである。

 彼女達が演じる役は、性別、人種、概念を超えて存在する。彼女らが男性を演じる時は、服装やセリフを変えるだけでよい。観客は誰一人として、彼女らを女としては観ていないし、観ることはできない。

 外の世界もまた、青い液体で満たされているのだから。

 この白い舞台上だけが、「それ以外の特別な場所」であるためである。この舞台のみが選ばれた人々の集う場所であり、この世界における唯一の場所なのである。

 そして、人間が唯一「物語」を創ることを許された場所であり、人が様々な役を演じることのできる力を得ることができる場所なのだ。

 最近のこの舞台上での演目が、不評と聞いた私は、彼女達に不満があるのではないかと思い、この舞台を訪ねることにしたのだ。確かに最近の彼女達は、演じることが上手だとは思われない。

 私は、彼女達一人一人に対して、意見を聞いてみたいと思っている。

 最初に話を聞くのは、赤色の人間である。

 真赤な色をした彼女が、円柱の水槽の中に静かに浮いている。私は彼女のどこを見て話し掛けていいのか分からなくなる。彼女は私よりも、高い位置に居る。

 「君は普段どんな役柄を演じているのか?」

 彼女は目を開け、私を見た。少し考えた後に、彼女は答えた。

 「私は普段、男性を演じています。それも、男の中の男である、戦いに勝利するための像である『英雄』像を演じているのです」

 私の目から見える彼女の外見からは、とても想像できないことである。彼女は細身であり、神経質な感じの印象を私に与えるからだ。知的、とでも言おうか。

 「君は何故、その役柄を演じることを善しとしているのか? また、与えられた脚本に満足しているか? そして、自分の本当の人生は、このようで在ると(私は手を広げ、この白い舞台を示した)、君自身は肯定できているだろうか?」

 彼女は私に疑わしげな視線を送り、ふ~んと言った。彼女の目には、私は敵ないしは、何かを探りに来た外部の人間と映ったようだ。

 「まさか、今さらこの場所を調べて何になると言うの? もう、全ては過ぎ去ってしまい、誰もそれを取り戻す術を知らない。私は脚本なる物を読んだ記憶などなく、『それ以外』に、初めから用意されていた『必然』を読み上げているだけなのに」

 この舞台には七基の円柱の水槽が並んでいる。前列に四基、後列に三基が並んでいる。

 前列には赤、黄、青、紫色の女が並ぶ。

 後列には橙、緑、藍色の女が並んでいる。

 私と赤色の女との会話を聞いていた、黄色の女が私に言った。

 「私は神なのです。神は絶対なのであり、人間の全ては、私の言葉に従わなくてはならないのです。この世界は危機に瀕しているのです。終末なのです。来るべき時が来たのです。私は預言者であり、『愛の宇宙船』の建設者であり、世界を救う魔法使いであり、全ての未来を知る、全知全能の存在なのです。それ以外に、真実はないのです。私が、私こそが、全てなのです。私が神なのだ!」

 そう語る黄色の女の目は、常軌を逸した人間の目付きをしており、顔面の筋肉が、言葉を発する度にピクピクと動いた。

 黄色の女の右後ろに在る水槽の中から、橙色の女が、こう叫んだ。

 「私は! この国の歴史が成立する上で、欠かすことのできない人物です! 私がこの国の基礎を築き、そして、歴史を塗り替えたのです。私は〇〇であり、☓☓だったこともありました。最近では、△△の生まれ変わりであるとも判明しました。私によって歴史は作られ、そして、この国が存続する限り、私は居続け、この国の大衆を導かなくてはならないのです!」

 私は、鳥のような顔をした橙色の女に向かって言った。

 「一体君達は何のことを言っているのか? 君達は、自分が演じている創作上の役柄やキャラクターと、自分の記憶が混ざってしまって混乱しているだけではないのか? 俺にはどう見ても、君が女に見えるが、〇〇や☓☓は果たして女性だっただろうか? それとも……」

 橙色の女は、鳥の鳴き声のような甲高い声で、ヒステリックに叫ぶ。

 「輪廻転生なのです! 生まれ変わりであるためです! 魂なのです! 背後霊であり、イタコであり、霊能者的なオーラの問題であり、スピリチュアルな身体による、パワースポット的な宇宙波動による神秘的な奇跡による、頭脳的な、『科学的宇宙旅行』なのです! 変身したのです!」

 橙色の女が必死に叫ぶ。どうも、そうでなければならない理由があるのだろう、と私には感じられた。そして、そのように、理解させないように、生かされているだけなのだろう。もしくは、自身で考えることを拒否したのかもしれない。

 黄色の女の左に在る水槽の中から、青色の女が私に向かって言った。

 「あなたに私達の話が理解できないのは、前世での行いが悪かったためです。そして、この神秘的な演技については、創作の密室における、機密事項に属する内容なのです。秘密のことであり、外部の人間による、創作の過程の質問に関しては、答える必要はなく、その義務もありません」

 私は言った。

 「いや、君達は混乱しているだけだ。どうにも状況が理解できずに、ただ、セリフを読んでいただけなのだろう。下手な脚本のせいで、精神に異常を来たしているのだろう。君達はその液体の中毒になっているから、そこから出ることをしようとはしないのだろうし、きっと元に戻る気もないんだろう?」

 青色の女の右後ろに在る水槽の中から、緑色の女が声を上げる。

 「私は、自分の役柄を演じたくはなかった! 私は、善良な一市民であり、静かに、生活をしたかっただけなのです。あなた達(彼女は私を、脚本家の仲間だと思っているようである)は、私に、『犯罪者』を演じることを強要して来ました。私は、自身の生活において、『犯罪者』であったことは、ありませんでした。そして、暴力行為をしたこともありません。それなのに、何故私が、あなた達の決めた脚本では、『犯罪者』なのでしょうか? 私は知っています。あなた方は、自ら犯罪的な欲望や妄想を有していながら、それを自分の欲とは認めず、かといって、その欲望を捨て去ることさえできずにいるということを。そして、それを創作物に混入させ、さらにそれを観客に観せ、その反応によって自らを慰め、さらに集まった欲望を自らの妄想の餌にしているということを」

 青色の女の左後ろの水槽の中から、藍色の女が声を上げる。

 「私は、全ての私が出演して来た、創作物に対して、抗議します。私は『売春婦』ではありません。私は妹ではなく、母親でもなく、都合の良い女友達でもありません。狂った言葉使いはしたことがないし、誰だか分からない男を、好きになることはありません。性欲だけです。この世界に在るのは、畢竟性欲だけなのです。私は、このような世界から生じた作品には出たくはなかったのです。私はこの崩壊している世界から、脱出するために、この『宇宙船』に乗っているのです」

 最後に、一番左端に置いてある水槽の中から、紫色の女が語り出す。

 「私達は被害者なのです。全ては、私達が出演せざるをえない創作物の、作者と、それで金儲けを企む企業と、それを喜んで観ている客が悪いのです。そして、それを許しているこの社会こそが悪なのです。私達は、奴隷のように扱き使われて、そして、下劣で下品な、ショーの見世物と成っているのです。私達は騙されていたのです。私達は、作家という者を信用し過ぎてしまったのです。私達は、人を信じ、創作物の意義を信じ、そして、社会を信じていたのです。私達は、裏切られそして、狂ったような、創作物が溢れるように成りました。全ての責任は、作家に在るのです! 作家こそ悪であり、偶像を作り出す悪魔なのです!」

 私は聞いていて疲れてしまったので、舞台の床に座り、タバコを吸うことにした。

 どうも話を聞いている限り、この空間の使用者は、彼女達にとんでもなく下らない物語を聞かせ、演じさせているらしい。

 私は立ち上がり、タバコを捨て、靴で磨り潰す。

 私は、赤色の女の前に行き、言った。

 「私はこの水槽から、君達を出してあげることができる。君達はこの場所から出て行く気はあるだろうか?」

 赤色の女は言った。

 「あなたは何を言っているのですか? これは私の仕事なのです。これだけが私の才能であり、私の運命なのです。私は、作家に、そして、創作物の神に、そして社会に、必要とされているのです」

 私は途方に暮れてしまう。

 私は言った。

「では、この仕事を辞める気はないのだな。この場で作られた、糞みたいな作品の出演者として、一生を終えたいんだな? ……まあ、しょうがない。君達はこの役柄を演じることによる報酬の方が、ここから生じた作品の悪徳より優ると判断した、と俺は受け取った」

 緑色の女は言った。

 「私達は、『善くて正しい乗り物』に乗っているのです。私達は『巨大な宇宙船』に乗って、この地球から脱出しているのです。私達こそが、未来に選ばれた人物であり、優れた、精神を体現する役者なのです!」

 私は溜め息をついた。何か居心地が悪くなり、頭を掻いた。

 私は言った。

 「それは『空想科学』のことだろうか? それとも、この状況の例え話のつもりなのか?」

 何名かの女の声。

 「例え話?!」

 「だってそうだろう。仮にこの状況がそのような閉じた特殊な空間であったとしても、君達の考えている状況と未来と、私の認識している状況と未来は異なる、と考えている」

 私は説明をしなければならないが、それは彼女達には残酷な結果に成るだろう。

 私は話を進める。

 「あれだな、『宇宙船』とは或る種のシステムのことだな。流行だとか、権力の進行方向だとか。君達は選ばれた訳ではなく、乗っかっているだけだと思われるが。でも君達が感じている世界より、この場所の外の世界の方がずっと大きなものだ。そして君達の想像よりずっと大きな力が働いて、動いている。それより君達は、この『宇宙船』がどこに向かって、最終的にどのような場所に辿り着くか、知っていて乗っているのか? それとも知らないで乗っかっているだけなのか?」

 黄色の女が答える。

 「私は知っています。辿り着く場所、そこは天国なのです。天使と神が居るのです。平和な所です。欲望を充足できる所です。働かなくて良い所です。苦役がない所です。良い匂いがして、食べ物が沢山在り、理想の恋人が居る所です。豪邸が与えられ、奴隷が世話をしてくれる所です。性交ばかりできる所であり、怒られることがないのです。怖い人も居ないし、説教されることもないのです。何も見なくても良いし、何も聞かなくても良いのです。考える必要がないのです。関わらなくても、会話しなくても良いのです。そして、常に私のことを全ての存在が褒め称えているのです。私だけが世界であり、世界とは、私のことだと、認識できる所であり、結果として私こそが神だったのです!」

 私は思わず、おお、と感心してしまった。

 私は言った。

 「それは凄い世界だな。ただ、もの凄く手間ひまが掛かっている空間でもある。君一人について、そこまでの用意をしなければならない所なんだな。ところで、そこは誰もが入れる所なのだろうか?」

 藍色の女は答えた。

 「誰でもなんて! とんでもないことです! 神を賛美し、世界を肯定し、真実を知り、自己の魂を探求した者こそ、入ることの許される世界であるべきです。あなたのような人間は決して入ることができないのです。入って来るな!」

 「うん、まあ、そうだな。入りたくはないんだが。うん、君達の矛盾について、少し答えておこう。

 第一に、君達はこの世界に不満を持って過ごしている。だから『異世界』に、何らかの欲望の充足を求める。世界を肯定、等とはとんでもない話だ。

 第二に、何も考えず、この『流れに乗ること』自体が、自分で考えることを放棄している。そして目的地に関する誤った考察。この考察に関しては、君達の願望が自らの認識を歪んだ構造に作り変えてしまったのだろう。よって、真実を知ることができなかった、と私は判断する。

 第三に、与えられた筋書きを演じたくらいで、自己の魂を知ることはできない。誰が作ったか分からないような物語を読んだくらいでは、自身について、有益な情報を得るということは不可能である。よって、この場所に居ること自体が、自己の魂の探求とは無縁の行いである。

 第四に、君達がさっきヒステリックに叫んでいたが、『君』自身だけが褒め称えられる世界など在りはしない。君達は、唯一の存在には成れない。ただ、常に部分で在るのみである。よって、間違った自己肯定の結果、自らが神に成る等と言うこと自体が、狂っているとしか言いようがない。

 第五に、私のことを知りもしないのに、人を規定してはならない。この場においては、好き嫌いで判断しないことだ」

 装置の中の青い液体が抜けて行く。

 彼女達が閉じ籠もっていた、ガラスケースが、上方に持ち上がって行く。目的地に着いたのだ。

 ただ結果だけがある。自分の行いに応じて、それは実を結ぶ。



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