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第二章 塔に至るまでの道

No.92

 沢山の顔が浮かんで消える。

 季節は夏だ。

 窓の外は曇りで雷が鳴っている。

 土砂降りの雨。

 私を取り囲んでいた妄想の世界を終わらせることにしよう。

 それは拡大された心であり、その意味では世界とは四角い、そして立方体なのだ。

 畢竟、立方体でしかないのだ。

 私はこの世界の限界を知るために、この世界の支柱を確かめるために、旅に出ることにしたのだ。

 私と少年と少女がいる。

 私は十七歳であり、少年は三歳である。

 少女は十歳であり、この旅を楽しんでいるようだ。

 この世界を知りたがっている私達は、何かを得るため、そして失うために歩くのだ。

 それは未来のためであり、過去のためでもある。私のため、君のため、あなた方のため、類型的人物のため、出来損ないの物語のため、そして、様々な生まれては消える心像のため。

 中途半端な人間造形のために。

 私は彼を「ゼリー人間」と呼ぶことにした。彼は全身がゼリーで出来ているからだ。彼は自分の体が崩れないように、宇宙服のような物を着ている。

 汚物が彼の求めている全てだ。彼は汚物に欲情し、そしてそれを体内に取り込む。

 ゼリー人間は私達を見つけ、近付いて来る。私は少年をおんぶしており、少年は眠そうにしている。

 少女は不思議そうにゼリー人間を見ている。少女は言った。

 「なんであなたは、みどり色の顔をしているの? なんで仮面をかぶっているの? なんで体がとうめいなの? なんで宇宙服をきているの?」

 ゼリー人間が答える。

 「隠れるためです。見られたくないのです」

 ゼリー人間は右手に持った円筒形の、細長いキャップのようなヘルメットを、私達に見せた。

 そのヘルメットの中には、人糞のような物が入っていた。

 彼はそれを私達に見せた後、その人糞の入ったヘルメットを自らの方へ向けた。

 彼の首が蛇のように伸びた。そして彼の顔はそのヘルメットの中に入った。

 ゼリー人間は人糞を、そして汚物を好んで食べる。彼は排泄物を摂取する。

 長く伸びたゼリー管の中を、人糞が通って行く。

 私は何とも言えない気分になり、「もう、行こう」と少女に声をかけた。

 ここは土手で、左側には川が流れている。

 ここは世界の中心から離れた場所であり、「世界」の中心部は戦火に包まれているのだろう。

 上を見上げれば人工的夜空がある。

 私は先を急がねばならない。私達は歩き続けなければならない。

 何故なら、戦争は始まっており、私達は「それ」から逃げなくてはならないからだ。

 この世界は終わるだろう。

 人間などどこにも居ないのだろう。

 私にはこの場に居る二人しか見えない。

 私は彼を「機械的人間」と呼ぶことにした。彼は直立不動で両手を伸ばしている。彼は頭に直方体の銀色のヘルメットを被っている。

 機械的人間は幻覚を見たがる。彼は音楽が鳴っている時だけ幸福である。

 銀色のヘルメット――機械――からはコードが延びていて、「本体」と繋がっている。彼らは機械の母親と繋がっている。コードは臍の緒である。常に音楽が流れており、彼らは赤子の夢を見る。

 機械人間が佇んでいる脇を、私達は歩いた。彼らは道なりに大勢並んでおり、まるで生きた彫像のようだった。頭部の直方体のヘルメット、その前面に付いたライトが、点滅をしている。

 機械的人間は歩くことができない。機械的人間は話すことができない。

 彼らの頭脳も、表情も、言葉も、コンピューターによって管理されている。全て同じ情報を貰い、同じように物事を知る。

 生まれた時から幻覚の中に生き、死ぬまで脳内麻薬に溺れ続ける。

 道なりに機械的人間が立ち並んでいる。

 彼らは道を照らしている。街灯の様に。彼らは「戦争」があることを知らない。彼らはもうすぐ死ぬことも、やはり知らない。

 死を知りたくない。顔を見たくない、見られたくない。何も知らない、知りたくもない。

 いわゆる「後天的」な才能は、特定の生物の像の特徴に由来している。

 才能を求める人間は、特徴のある像を抽出・合成して、心に新しい像を作る。

 ただし、殆どの場合は失敗作である。

 ずっと続くと思われた川の先に、海が見える。真っ暗な海。

 川の向こう岸には白い靄がかかっていて、向こうの土地は「死の国」であると感じる。

 死は「白い靄」に覆われている。ただし、死は欲望よりは遅い。

 鳥の死がある。羽の有る動物を憎む人々がいる。そのような人々は「自ら」を天使だと思い込んでいる。この「天使」は、一つの輪と、神経でできている。鳥の模倣であるかのような神経。ただし飛べない。

 海岸に「老絵描き」が居る。岸にはごみの浮いた海水が、寄せては返す。老絵描きは絵を描いている。トンボが沢山飛んでいる絵だ。彼は頭にライトを付けている。

 懐かしさの概念に固執するのが芸術だ。目の前の景色を見ないことが描くことだ。

 彼は立って描いていたが、その腕は寸分の狂いもなく、一気に「トンボが沢山飛んでいる絵」を描き上げた。

 彼は私達にその絵を見せる。

 私は言った。

 「凄いですね。でも、何故この場所で、トンボの絵なのですか?」

 老絵描きは答えた。

 「自然に浮かんで来るのだ」

 同じ動作を繰り返すことが芸術である。過去の記憶に向かい、苦しむことが芸術である。

 汚れた海岸に魚が一匹。そして、蛸が一匹泳いでいる。私が絵描きなら、この場所に居るなら、それを描くだろう。彼らは私たちを窺っている。彼らは芸術であるのに、老絵描きは「トンボ」を描く。

 蟻が居る。列を作り餌を運ぶ。解体された昆虫の身体。小さい身体を持つ生物はすべからく協力することを学ぶ。人は大きいのか、小さいのか。

 老絵描きの絵は、四人で役割分担すれば、時間が短くて済む。大量に生産できる。

 私達は海岸沿いに歩くことにした。

 物を見ないこと。対象を確認しないこと。

 一人で遂行すること。複数で分担すること。

 私は自分の見たことを書きたい。その場所へ行き、私一人で書くことを決めた。

 海岸を歩いて行くと港があった。港には巨大な豪華客船が停泊しており、その船の前に、大勢の人間達群れを成していた。どうやらもう少しで船が出港するらしい。

 第一の船。商品化された物語を信じる人達の船。札束を全てに及ばせた人達の船。

 「商品化された物語」には、目的があり、そして用途と値段がある。流通し易いように加工され、輸送される形式と成っている。それらは人工的に造られた物語であり、自然に生じた物語に比べれば、単純であり脆いものだ。

 私は彼を「善くて正しい人間」と呼ぶことにした。彼はバッグの中に沢山の「商品化された物語」とこの国の札束を詰め込んでいる。彼の表情には流通されるための感情がある。

 彼の心は流通されるためにある。彼は失った心を、また現金で買い戻すのだ。

 失っては買い、買っては失う感情。常に流行を追わねばならぬ。ただ、彼らは忙しく生活し、現実的な欲望を余り持てないが故に、自らを「善くて正しい者」と言うだろう。だがそれを証明する「心」は既にない。

 豪華客船に乗るためには、「荷物」を渡さなければならない。ロボットのような乗組員に、心酔した商品と現金を渡すのだ。沢山有れば有るほど良い。

 豪華客船は楽園へと向かう。天国へと向かう。それは焼却されるゴミの王国。

 心を無くした善くて正しい人間には、人生がない。ロボットの乗組員と、焼却されるために作られた、「商品化された物語」と「心を買うための現金」を持って、この豪華客船に乗る。商品に描かれた楽園を目指して。

 私は見つけてしまったのだ。この豪華客船に乗る人々の中に、私の元友人を。

 私は元友人に近付き、話しかけた。

 「良い旅を……」

 心の無い人に、心を込めた言葉は不要であろう。物語は決して現金では買えない。

 私の元友人は上気した顔で言った。

 「この船は世界で一番豪華な船だ。しかも、現金とこの商品さえあれば、身分も性別も、年齢も経歴も、外見も、要らないんだよ」

 そして、人生も心も要らないんだろ。

 私がこの豪華客船に乗るために集まっている人達を眺めていると、私の元恋人である「肉体に依存する女」と、彼女の現在の恋人と思われる「白人至上主義の男」がいた。

 白人が最後に勝つという思想。白人の支配による搾取。白人の血を残すという思想。

 白人至上主義の男は、沢山の荷物と大きな全身を映すための鏡を持っている。そして、頭部には未確認飛行物体のような、円形のヘルメットを被っている。三百六十度動く目玉と、アンテナが二本付いたヘルメットである。

 彼は衆人の視線など、気にする風もなく、姿見を立てて置き、服を脱いでパンツ一丁になった。彼の体は鍛え上げられた筋肉による、ゴテゴテした身体をしている。

 鏡がなくては生きられない。衆人の注目を集めなくては夢が見られない。

 鏡には、白人至上主義の男の像は映らず、何故かモデルのような体型の女の姿が映る。馬鹿な学生が壁に描いたような、裸の女が映っている。しかも、そのモデルのような女の目はハート型をしている。

 彼はその描かれた女の像に向かって、ボディビルダーのように、ポーズを作り続けている。どうやら彼は鏡に映っている、妙なモデル体型の女の像と会話をしているようだ。

 白人至上主義の男のヘルメットに付いた目玉が、ぐるぐると回っている。自分の鏡に対する求愛行動が、衆人にどのような形で褒められ、喝采を浴びるかを待っているようだ。だが、見ているのは肉体に依存する女のみである。

 彼女は彼が一向に自分に求愛行動を取らないためにいらいらしている。

 そして彼女自身も、周囲に人が居ることなどお構いなく服を脱ぎ始めた。

 男に取り付いて精気を吸う魔女。白人至上主義の機能の一環を担っている。

 彼女が服を脱いだことにより、衆人の視線が集まった。

 彼女の肉体の前面に、無数の亀裂が走る。彼女の前面を覆うように、無数の管が現れた。

 顔も乳房も性器もへそも、全て管である。肉体に依存する女は、白人至上主義の男の背後に近付いて行く。それはいつものことであるのか、彼は気にする風でもなく、鏡の前でポーズを取り続けている。

 女は男が無限に精気を作り続けられると確信している。精神こそは食べ物である。

 白人至上主義の男の背中一面に、無数の管が突き刺さる。管は精気を吸って膨らみ、肉体に依存する女の内部へと流れて行く。

 彼の筋肉が少し衰えてくる。彼は鏡に映った女性像を凝視して、必死に耐えている。

 しばらくの後。

 割れた鏡と、干乾びて骨と皮に成った白人至上主義の男と、服をいそいそと着ている、肉体に依存する女の姿があった。

 道を意図的に踏み外すこと。自らが望んで魔女に成ったこと。もはや如何なる道もないこと。

 彼女は彼の持っていた荷物(鏡以外)を掴み、船に乗るため列に並んだ。そして、乗組員に荷物が彼女の物ではないと見抜かれ、彼女は船に乗れなくなった。彼女の顔は異様にどす黒く、道を失ったのだと感じさせた。

 私達は港を後にして、夜の海岸を歩いて行く。空には灯りが見える。

 私は内陸に向かって歩くことを決めた。

 少女は第一の船に乗りたがっていた。

 この先には第二の船へと続く道と、「心像の塔」へと続く道がある。

 私達は歩き、この二つの場所に通じる分かれ道に辿り着いた。

 私がこの場所で思案していると、心臓の塔の道から、こちら側に向かって来る男女、その二人に付き従っている奴隷達が来た。

 私は彼女を「熱弁する女」と呼ぶことにした。彼女は高価な服と宝石を身に着け、数多くの奴隷達を従えていた。奴隷達の荷物には、本や雑誌、パソコン、ゲーム機等があった。

 何よりも外見と身だしなみは大事である。そして、存在を証明する物こそ世評である。

 熱弁する女は、私達の目の前まで来ると、私を第二の船に乗るように勧誘した。

 彼女は言った

 「これから北東の海岸から出る、軍艦に乗るつもりなの。戦争に勝利するために」

 私は、今しがた第一の船を見て来たところだ、と答えた。

 彼女の顔は、厚化粧にも関わらず輝いて見えた。彼女は言った。

 「北西の船(第一の船)は良くないわ。あんな庶民の船、乗る価値もない」

 第一の船は庶民の乗る船であり、第二の船は選ばれた人々の乗る船である。

 私は、南東で起こった「戦争」と関係があるのか、と問いただした。

 彼女は言った。

 「関係有るも無いも、あれは私達が起こした戦争だもの、ね」

と、隣に居た「支配者する男」に同意を求めた。彼は重々しく頷き、言った。

 「あれでボロ儲けしたな。そして、この奴隷の数。これが徳と言う物だな」

 世評を記した物の数だけ特別さが増し、奴隷の数だけ尊敬された徳がある。

 彼女は言う。

 「勇敢な私達は、これから真の戦いを始めるために、新天地へ向かう所です。北東から出港する船は、新天地へ向かうための、最新鋭の軍艦なのです。悪と戦うのです!」

 誇らしげに熱弁する女を見つめている、支配者する男。二人による説明が続く。そして、重い荷物を背負っている、奴隷と成った人々が、この二人の会話を俯いて聞いている。

 約束された土地。約束された勝利。戦いのために選ばれた英雄と、その有能な配下達。

 ところで、と支配者する男は言った。

 「君の連れているその二人は、兵士ではなく、性奴隷なのかい?」

 彼は二人を見下ろして、にやっと笑う。

 私は彼の悪意を感じ取る。

 私は答える。

 「この二人は、私の約束のための証人です。この子らは、自らの意志でこの世界の最後を見るために、私と共に来ているのです」

 彼らは戦争を起こし、人工の不安と絶望を創り、偽の英雄像を用いて金儲けをする。

 私は言った。

 「あなた方は、塔を見ましたか? そして、塔の中に入れましたか?」

 彼は答えた。

 「あんな過去の物、入る意味もない」

 支配者する男はそう断言する。

 「俺に必要なのは、この奴隷的兵士と、この俺について描かれた世評の塊だ! この世評の塊こそが、まさに俺の存在なのだ!」

 彼と彼女について描かれた商品が、世の中に溢れている。そして、全ては戦争のためだ。

 彼は語り出す。

 「北東の軍艦に乗るには、何より奴隷の数が必要だ。どれだけこの俺がこの地で有能であったのか、を示すことができるからな。そして、この世評の数々。新天地での勝利は我が手に有るのだ」

 支配者する男と熱弁する女が去って行った。二人は仲睦まじく、手を繋いで歩いて行く。

 私達は心像を造り出している塔へ向かう道を選んだ。私には「奴隷」も「世評」もない。軍艦に用もなければ、乗る気もない。戦争をするために旅に出た訳ではないのだ。

 私は、彼らもまたあの高くそびえ建つ、あの塔によって造られた心像に過ぎないのではないか、と感じていた。

 不安を感じながら、私達はこの道を歩いて行った。道の先に白い塔が見えた。



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