第一章 私の心臓と彼女の存在
No.91
心は舞台である。
心を管理している心臓は劇場の入り口である。
押し出される血液は脚本である。
そして、(私の心臓)の内部には管理人が居る。
(私)は脳であるかもしれない。
(私)は私の心臓の管理人ではない、現時点では。
(私)は彼女を追い出そうと思っている。
(私)は私の心臓の、そして、全ての(私)に関する脚本の正当な管理人になろうと決心した。
(私)は私の身体を、私の意志で管理する。
(私)は私の血液を、私の意志で管理する。彼女は長きに亘って、私の心臓部を支配してきた。私はそれを自覚していたが、彼女を追いだすことができなかった。
私は彼女が好きだったのだろう。
(彼女)は現実には居らず、目に見えず、触ることも、会話することもできない。だが、確かに私の心臓の中に居るのだ! しかも、三角座りをしている。
よって、私はこの作品を創ることにより、彼女をこの場で表現し、存在させることで、この世界(この舞台上)の構造において、彼女がここに居るべきではないことを証明したい。
(彼女)は表へは出てこない。
(彼女)は閉じこもったままだ。
(彼女)は運動が嫌い。
(彼女)は私の血液を吸う。
(彼女)は私の人生を食べ、そして私の運命を脚色して来た。
私は死ぬつもりでいた。
私は死ぬことを毎日考えた。
私はある日、小型の包丁で自分の首を刺した。私は目が覚めてしまった。私は自殺に酔うことができなくなった。
私は私の人生の管理人であり、私の身体の持ち主である。私は私の心を取り戻すため、彼女にここから出て行ってもらう。
この作品は(小説)ではない。この作品は如何なる(文学)でもない。(映像シナリオ)でもなく、(詩)でもない。(脚本)ですらなく、(他)の何物でもない。これは私の心臓の描写であり、この描写の一文字一文字が私の血の一滴である。
私は母ではなく、女でもない。
彼女は私の子供であり、彼女は私の心臓で育ち、私の血液により生きている。そのような意味においては、私は母のようであり、きっと女のようなのであろう。
私は幻想ではなく、類型的人物でもない。
彼女は私の幻想であり、彼女は私の空想より生じ、私の記憶により構成されている。そのような私と彼女の立場においては、私自身が幻想であり、きっと多くのあなた方、つまり(私)という類型的人物なのであろう。
彼女は私が考案した、記憶による構成物である。その外見を記す。
彼女は痩せている。
彼女は真っ白である。
彼女には顔が無い。目が無く、耳が無く、鼻が無い。髪の毛も無く、当然口も無い。
そして、後頭部に方錐形(ピラミッド型)の装飾品を着けている。この物体は、本当は装飾品と呼ぶべき物ではなくて、これ自体が、彼女がここに居ることが許されている理由であり、私が彼女から距離を置いている理由でもある。
この後頭部から飛び出している方錐形は、左上が緑色、そして左下が赤色、右上が紫色で、右下が青色である。
彼女は全身が白く、服を着ていない様にも見える、私には解からないが、後頭部の四色の面から成る(下部の面は、後頭部に当たるため、色は不明である)方錐形以外は、ただ白く在るだけなのだ。
次に私の外見を記す。私自身の姿もまた、私の記憶による産物であり、幾分幻想的な人間の姿をしている。ちなみに(私たち)が生じたのは、現実的な時間で言うならば高校時代である。ただ本当の所は(私の記憶)の構成物であるため、いつ、どこで、どのように、生じたのかは、今の私(三十二歳)にも解からないのだ。
私の外見は緑色である。
私は青色の服を着ている。その服は青いつなぎかもしれないし、上下に分かれた青い作業服かもしれない。
私の頭には髪の毛が生えている。顔には、目が有り、耳が有り、鼻が有る。当然口も有る。
ただ、私の顔には仕掛けも有る。私の目の部分(両眉の少し上から鼻筋の上の部分まで)が取り外し可能なのだ。
この仕掛けについて説明する。
私が私の目を取り外すと、私の脳内に本来見えるはずのない映像が映し出される。
この作品において創られた、(私)という人間において、映し出される特殊な脳内映像。この特殊な状況と状態を、そのように説明したらよいのだろうか?
まず、通常の目から通した場合の、この空間の様子を記すことにする。
この空間は、劇場内にある舞台の上である。私は下手よりに立っている。彼女は透明な、一辺が一・五メートル程の立方体の、閉じた容器の中に入っている。体育座りで。
この容器は上手奥(角)の、高さ二メートル程の所から伸びて来ている、直径七十センチ程の一本の長い軸によって支えられている。そのため、この透明な四角い容器は、空中に浮かんでいるようにも見える。
もし、あなた方が客席からこの舞台を観ているならば、このように(私)と(彼女)と(彼女の入っている容器)だけが見えているはずである。
そして、(目)を取り外した時の映像は、このようである。
(私)が居る。そして容器に入った(彼女)が居る。彼女の見た目は変わらない。ただ、一つ違うのは、彼女の座っている目の前に、(容器の中に)人形が幾つかと、その人形に合わせた、小さな舞台があることだ。私は、彼女がその人形を動かし、自作自演、もしくはままごと、人形劇を一人でしていることを知っている。ただし、客席からこれを見ることのできる人物は一人も居ない。
そして、もう一つ大きな違い。
この舞台上にはもう一人(一人では無いかもしれない)の登場人物が、舞台中央で蠢いているのだ。
彼をどう記述したものであろう。
高さは一メートル程であるが、横幅は三メートル程もある。緩やかな丘のような形の生物である。
軟泥状であり、ナメクジ等を連想させる動き方をする。色は朱色がベースであり、その中に、黄色や緑色も混じる。吐しゃ物のようでもある。
巨大な黄色の目が縦に二つ並んでいる。人間の腕を模した触手のようなものが幾つか飛び出している。
彼の目的は彼女の捕食である。
彼の目的は彼女の有している方錐形を手に入れることである。
ただ、彼はこの空中に浮かんでいるが如く存在する、この透明な容器に届かないため(壊せないため)、この舞台上をうろうろしているのだ。そして、彼女は彼のことを知ってか知らずか、出て行くふしもなく、自分で演じる人形劇に高じている。
この様子が、私の目を取り外した状態の脳内に映るのである。もちろん、これらの映像は客席からは見ることができない。
さて、と(私)は考える。
私は彼女に出て行ってもらいたい。
彼女は彼を認識できていない。
彼は彼女を捕食したがっている。
そして、(彼)は私以外の誰にも見ることはできない。
以上のことが、私が彼女を不快、不愉快に感じていながら、追い払わなかった理由である。
ただ、ここは、この場所は、私の心である。この舞台では私が脚本家なのだ。よって、私は私がこの劇場の主人であると証明するために、彼女がこの舞台、及び透明な容器から出て行くための脚本(文章物語)、を書き記さなければならない。そのために私は、二、三彼女に尋ねなくてはならないことがある。
私は彼女に尋ねる。
「君は、この容器の中から、出て来てくれるだろうか?」
彼女は私に答える。
「もちろん。出ては行きます」
「いつ出て来てくれるのだろうか?」
「この世界を了解することができたなら。あなたの心臓と心が壊れるなら」
「君は、俺にそれができないと踏んで、そこに閉じ籠もっているのか?」
「じゃあ、あなたは私を殺す気なのですね」
彼女はこの透明な空間、私の心臓である、この四角い容器から出て行くつもりがない。
それならば。
私は透明な四角い容器を壊すための物語、彼女を解放し、私の心を取り戻すための物語を書き記さなければならない。