信念
それをやりにおれが生まれてきた。そのことだけを考えればよい。 ヘミングウェー
誰かが覆さない限り、世の中のものは覆らない。 ジェームズ.A.ガーフィールド
正しかろうが間違っていようが、自分らしく生きよ。安易に服従してしまう臆病者よりずっと立派だ。
アービング・ウォレス
―隼人の死刑執行日、当日
本来、死刑のときは、それ用の部屋でひっそりと行われるのだが、今回、隼人の右目に悪魔がいるという理由から、別室で行われる事になった。
それが斎藤の思惑なのか、単なる偶然なのか、それを知る術は無い。
その別室というのが、古びた法廷であり、三年に一度修復されるはずにも係わらず、他の法廷や部屋に比べると、そこだけ修復していないように見えるほど古びている。
その古びた法廷に足を進めながら、斎藤は緩んだ口元を隠して笑っていた。
「今日という日が、こんなにも愛おしい。今日は絞首か、磔か、それとも火やぶり・・・?それは無いか。西洋じゃあるまいし・・・。電気ショックかもしれないが、それはちょい地味だな。」
まだ時間まで六時間以上あるというのに、斎藤は部屋の前まで着いていて、時間までゆっくりと待つことにした。
―あいつさえいなくなれば、後は上手くいく。そうだ。上手くいく。
―あの忌々しい男さえこの世からいなくなればいい。
―あいつは『特別』ではなく、『異端』なんだ。
嬉しさに歪む口元を押さえて隠しても、さらに歪んでいくだけで、隠しきれない。
「フフ・・・。ハハハハハハハ!!!」
斎藤の横を通り過ぎていく人が、次々に避けて行った。
そのころ、梓愛加も法廷へと向かっていた。
喪服を思わせる黒いワンピースを身に纏い、黒いヒールに、黒いバラの飾りまで付けている。
その顔はいつもと変わらず無表情だ。
だが、瞳の奥には得体のしれない輝きを放っていて、頬もチークを塗っているわけでもないのに、ピンクに染まっている。
―隼人、隼人、隼人。
胸躍らせているその姿に気付く人は少ないが、好きな男性に会うよりも遥かに興奮しきったその心は、『異常』そのものだった。
―愛してくれる。悪魔なら私を愛してくれる。
―普通の『愛』を私にくれる。
梓愛加は自分の中に潜んでいる、膨れ上がる感情をそのまま表に出してしまった、子供のような純粋さであると斎藤は梓愛加に対して言ってはいたが、それは間違いであることは、誰よりも梓愛加本人が一番良く分かっていた。
だが、自分を利用し、イイ様に駒として使おうとしている斎藤の目論見に勘付いていながらも、黙って斎藤に、自分の殺人の手伝いをさせていた。
自分自身、それでいいとも思っていないのだが、斎藤の献身的な幇助のお陰で、今まで何度も捕まることから逃れられたのだ。
梓愛加はただ、自分の本能に正直に従う為に。
ただ、欲求を満たすために。
そして、今尚感じることのできない、『愛される』ということを、感じる為に。
「鳴呼・・・亜蛙唖吾阿亞・・・・・。」
紅蓮と渋沢も法廷に行く準備をしていて、そこに聖と叶南もやってきた。
互いに、軽く挨拶を交わしただけで、それぞれ違うソファに座っている。
部屋の中は静まり返っていて、誰一人として口を開かないまま、時間だけがただただ過ぎていたのだが、その沈黙を破ったのは、渋沢だった。
「証拠も何もないのに、隼人の死刑を止めることなんて出来るのか?」
不安からか、声がいつもよりも低く、震えている様にも聞こえる。
渋沢以外の三人は、一度目を合わせてすぐに渋沢に視線を戻すと、紅蓮が盛大なため息をつきながら投げかける。
「お前は、どう思う?」
棘があるわけではないのだが、貫禄のある空気から放たれた言葉は、渋沢の心臓を、鋭い刃で切り裂くようだ。
紅蓮は優しい言葉をかけるような人ではなく、それは渋沢も分かってはいても、いつものふざけた空気で言われているのとは異なり、今の状況で、紅蓮の口調を聞くと、厳しく咎められている気分になる。
唾を呑みこんで落ち着こうとした渋沢だが、上手く唾さえも飲み込めず、軽く息を飲んだ程度だった。
「・・・難しいよ。推測だけじゃ、俺達は何も出来ないんだ。隼人を助けることも、裁判官一人納得させることも出来ないんだ。」
聖と叶南は、二人の会話を黙って聞いていた。
渋沢の弱気な発言を聞くと、紅蓮の表情が曇ったように感じる。
見た目では分からないが、渋沢の言葉が、紅蓮にとって不愉快だったものだということは、聖も叶南も感じ取れた。
二人とも、紅蓮と昔から仲がいいわけでもなく、今も親しいわけでもないが、紅蓮は意外と顔に出るらしく、その微妙な変化を見ているようだ。
聖と叶南が同時に紅蓮の変化に気付くと、紅蓮は渋沢を睨んでいるのか、それとも自然な目つきなのかは分からないが、二人からしてみると、睨んでいるように見えた。
「なら、お前は来なくてもいいぞ。」
紅蓮のその一言を聞くと、渋沢の表情がより一層暗いものへと変わった。
「助けられないと思ってるなら、来るな。」
「じゃあ、絶対に助けられんのかよ!?」
突き放すような事ばかり言ってくる紅蓮に対して、渋沢も怒りが爆発し、ソファから立ち上がって怒鳴り付けた。
もう何が自分であって、どれが正しい選択なのかが分からなくなって、普段なら紅蓮に食ってかかったりしない渋沢が、不安や焦りから、本心をぶつけた。
走ってきたばかりのように肩を上下させて呼吸をし、泣きそうな目は潤んでいて、拳を強く握りしめている。
悔しそうに唇を噛みしめている渋沢は、きっと紅蓮から見ると子供っぽいのかもしれないし、もしも今この場に隼人がいたら、それこそ笑って馬鹿にしそうなほど、今の渋沢には、冷静な判断は出来なさそうだ。
叶南がそれを宥めるような仕草をして、渋沢は渋々腰を下ろす。
「100%じゃねえと、行っても怖い・・・。隼人が死ぬとこなんて見たくねえし、変な期待させても、隼人を苦しめるだけだろ?」
半泣きになり、下を向いて小さな声で紡いでいく渋沢の言葉を、しっかりと聞くように、みんな耳を澄ましていた。
自分たちが助けに行くことが、隼人にとってイイことだとは限らない。
曖昧な証拠と推測しか手元には無い今、隼人を助ける絶対的な術など、此処にいる中の誰一人も持っていないのだから。
「なら、何もしないで、隼人の死亡報告を待つか?」
「絶対嫌だ!」
またため息をつきながら、紅蓮が渋沢に聞くと、顔を上げて声を張り上げて答える。
その目には涙が溜まっていて、いますぐにでもボロボロ泣き出してしまいそうだが、そんなことお構いなしで、さらに渋沢に言葉をぶつける。
「なら、どうしたい?どうすべきだ?助けたいのに法廷には行きたくない?此処で待ってるのは嫌なのに何もすることが無い?お前は何がそんなに怖いんだ?自分の今の地位がなくなることか?人から白い目で見られる事か?隼人が死ぬことか?何だ?」
「・・・。」
「渋沢。お前は先日、自分の仕事が何の為にあるのか聞いたな。じゃあお前は、今まで何の為にこの仕事をしてきたんだ?」
「・・・それは・・・。」
言葉が詰まってしまった渋沢に助け船を出そうとした聖だが、叶南によって止められた為、二人を見守ることにした。
紅蓮は腕組をしたまま、渋沢を射抜くように見る。
「勿論、大前提として生きる為、金を稼ぐためってのはあるだろう。けど、それだけの理由で続けられるような仕事か?」
「俺は・・・。」
「裁判の判決が不服だと言われても、マスコミに厭味書かれても、斎藤に『棒暗記』だって言われても、それでも止めなかったのは理由はなんだ?意地か?」
「俺は・・!!」
渋沢の神経を逆なでするようなことばかり並べた紅蓮に、意を決したように、口調を強めて語りだす。
「俺は・・・人を裁けるような立派な人間じゃないよ・・・。わかってる・・・。でも、泣いてる人がいたら助けてあげたいし、悪さをしたら、人間とか悪魔とか関係なく罰したい。正義とか、そういうのはよく分かんないけど、その・・・なんていうか・・・。」
髪をかき乱しながら話を続けようとする渋沢に、紅蓮も軽く頭をかきながらため息をつく。
「隼人のことばっかりで、それを疎かにしてただろう。」
「・・・してたけどさ・・・。」
隼人は別だ、と言おうとした渋沢だが、その言葉は呑んだ。
「それが俺たちの仕事だ。一人一人に感情移入してたら、それこそキリが無い。隼人だけ特別扱いするわけにもいかねえだろ。自分の仕事に責任持て。隼人のことも何とかする。死なせねえから、お前はちゃんと前を見ろ。」
そう言って、ソファから立ち上がって、渋沢の頭をグーで殴りつけると、紅蓮は清々したようにドアに向かって歩き出す。
聖と叶南も後に続き、最後に渋沢が部屋を出る。
紅蓮の隣まで行くと、『泣いてんじゃねえ』と言われ、渋沢は服の袖で目を擦り、真っ赤に腫らしながらも前を見据える。
「・・・イイ面になったな。」
―拘置所内
隼人は、死刑時間まで悔いを残さないように過ごせ、と言われた為に、看取付きでうろうろと散歩をしていた。
―此処で悔いを残すなって言われてもな・・・。
思い出すらないこの場所で、何をすればいいのやら、と考えている隼人は、ふと、一番見晴らしがいいと言われているガラス廊下まで来た。
「おー、すっげ。街が一望出来んだな。」
ほとんど室内で過ごす隼人にとって、とても感心させられる光景だったのだが、一緒に見ているのがむさ苦しい男の看取というのが、なんとも、物寂しい。
―この街で、俺は産まれた・・・。
隼人は風も吹かない廊下で、ポケットに手を突っ込んで、目を細めて懐かしむように見つめる。
―まあ、悪い人生では無かったな。
自分の今までを振り返ってはみたが、思い出というほどの思い出など、自分には無いことが分かるだけで、さらに虚しくなった。
―そういや、あいつらとも最初は喧嘩したよな。
―数年前
「あいつが隼人?超~頭いいんだろ?」
「らしいぜ。でも、なんか近づきにくくね?」
「確かに・・・。てか、呪われてんだろ?あいつの右目。」
「触らぬ神に祟りなしってか?」
「神じゃなくて、悪魔じゃねえ?」
「・・・言えてる!ハハハハ!」
―あー・・・。うるせえ。
教室の窓際で一人、本を読み耽っていた隼人だが、もうとっくに読み終えている本を捲っているだけで、周りの学生の話声が、嫌でも耳に入って来る。
―低レベルな会話。くだらねえ・・・。
隼人は教室を出て、図書館へと足を運ぶ。
ほとんど人がいない図書館の、更に奥へと行けば、埃っぽい臭いが鼻をくすぐる。
「あれ?」
貸し出し中になっていた本が、そろそろ戻っているだろうと思って来てみたは良いが、まだ本は戻されていないようだ。
「ったく。読むの遅ぇよ。」
ため息をつき、仕方なく別の本を探す。
「あ?」
隼人が探している本を、手に持ったまま寝ている男がいた。
その男のもとまで行き、本をすぐに読んで返せば問題ないと思った隼人は、寝ている男の手から本を抜き取った。
「何をしてる。」
男の目の前の椅子に腰をかけて、いざ本を読もうとしたとき、別の男が本棚の合間から現れて、隼人を見下すようにしながら話しかけてきた。
「何って、見りゃわかんだろ。本読むんだよ。」
「そうじゃない。その本は、そいつが読んでる途中だろ。終わってから借りればいいだろ。」
「・・・あのな、俺は先週からこの本待ってんだよ。けど、全然返って来ねえ。そしたら、本なんか読まねえで寝てるじゃねえか。それに、すぐに読み終わる。その方が、有効な時間の使い方だと思うがね。」
そう言って、足を組み、肩肘はテーブルに乗せて、男から奪った本を読み始めた隼人。
「そういう問題じゃない。なんにしても、その本は今そいつのだ。」
「・・・あんた、話が分かんねえ奴だな。」
「お前こそ。常識が無いのか?」
「それは自覚してるよ。それに、常識が無いのは、この男もだろ。」
未だにテーブルにうつ伏せで寝ている男の方を、顎で指しながら非難したとき、その男がムクリ、と起きた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。あ。ああ。あ?」
まだ頭が起きていないようで、目を半開きにしたままテーブルの上を眺めている。
「起きたぞ。返せ。」
男に言われ、隼人は無視して本を読み進める。もうすでに三分の一は読み終えている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああああああああああああああああああ!!!」
寝ていた男が急に叫び出して、隼人も言い合っていた男も、目を丸くして、その声の主の方を見る。
「ぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「っるせーよ!!!図書館で大声出すんじゃねぇよ!」
「・・・お前も五月蠅いよ。」
二人を指さしながら、口をあんぐりと開けた男の頭を一発殴り大人しくさせると、隼人は腹立たしげにその男を睨む。
「隼人だ!だろ!?すげー!!学校始まって以来の超天才だ!!!」
「・・・隼人?」
男の言葉に、言い合っていた男が眉を潜ませながら、怪訝そうな顔で隼人を見た。
「お前が、あの隼人か?こんな不真面目そうな奴が?」
「あんた、初対面なのに失礼過ぎ。」
「俺!俺、渋沢っていうんだ!今度、勉強教えてよ!」
ニコニコと笑いながら、隼人に話しかけるのは、渋沢。
「断る。」
「え~。いいじゃん。聖にも断られてさ、俺もう路地裏に捨てられた仔犬の気分。だから、そんな哀れな俺を救って!」
第一印象としては、『面倒な奴』であった。
聖と面識があったことにも驚いたが、隼人の事をしっていながら、遠ざかるのではなく、逆に親密になろうとするなんて、余程の馬鹿か、神の領域を超えた策士だとさえ感じていた。
渋沢が何やら喚いているのを聞き流しながら、隼人はペラペラと本を読み続けていたが、ふと、渋沢以外の視線も感じた。
「・・・なんだ?まだ文句があるのか?俺、そういう無駄な体力は使いたくねえんだけど。」
さっきまで強めの口調で隼人を指摘していた男は、しばらく渋沢の独り言を聞きながら隼人を観察していた。
声をかけては見たが、何も言ってこないのを不思議に思い、隼人は顔を上げる。
「お前がなぁ・・・。」
まだ疑っている男を他所に、隼人は本を読み終えてしまい、それを渋沢に返すと、椅子から立ち上がって入口へと向かって歩き出す。
「あ~、待ってよ!俺を弟子にしてよ!」
「なんだよ、弟子って・・・。自力でやれ。」
そんな隼人と渋沢のやり取りを見ていた男がもう一人・・・。
「止めとけ、渋沢。そいつの勉強のやり方じゃあ、お前は伸びないぞ。」
「・・・聖。」
「聖!」
同じく、図書館で本を読んでいた聖が現れ、ふと隼人たちの後ろを見て挨拶をする。
「紅蓮も、隼人のこと知らないなんて、らしいな。」
「紅蓮?」
その名前には聞き覚えがあった。
―紅蓮・・・。隼人と聖ほどではないが、やはり才能に満ちた男であるが、冷静沈着過ぎるところがあり、クールというよりは、『冷めてる』男。
「確かに、人間味はねえな。」
隼人が口元を歪めて笑いながら言うが、紅蓮は返事をするでもなく、ただ隼人を見ていた。
「俺今日、すっげーラッキーじゃん!隼人に聖に紅蓮!両手に花どころか、両手片足に花だよ!」
渋沢の訳のわからない言葉は図書館に虚しく吸収されていく。
―悪魔を飼っている天才と、人間味の無い冷めた紅蓮と、素直で純真な渋沢。
この三人が、いずれこの世界を震撼させるタッグを組むことになるとは、この時、誰も予想もしていなかった。
「・・・。」
薄れかかっていた記憶を思い返して、隼人は優しく笑った。
―ホント、迷惑な奴らだよな。
自分の事を、恐れて、気味悪がって、嫌ってくれたのなら、きっと今ほど思い出に浸ることもなかっただろう。
人が折角張った『他人との境界線』を越えて、土足で入ってきた。
「・・・。」
街を眺めた後、空を見上げて、眉を少し下げて笑う。
―ま、今回は俺が迷惑かけちまったか。
運命だとか、神様の試練だとか、そんな言葉で納得できるほど、人生は簡単じゃないし、寧ろ、変えられようのない事実だと諦めるしかない。
自分が死ぬ時は、潔く死ぬと決めている。それは今でも変わらない。
だが、どういうわけか、気を抜くと今すぐにでも足が震え出してしまいそうになる。
―怖くは無い。大丈夫だ。少し、痛むだけだ。
他人に言い聞かせる様に、柔らかく、優しく響かせる。
―ああ。俺、いつの間にかこんなに、この世に縋り付いてたのか・・・。
この世に未練なんて、これっぽっちも無いと思っていた隼人だが、自分が思っていたよりも、この世を好きになっていたことに気付く。
―今更気付いても、遅ぇか・・・?
どうでもいいと思って生きてきて、どうせ死ぬなら、どんな生き方でも、どんな他人の評価でも、どんな死に方でもイイと思っていた。
こうして景色を眺めること自体、興味なんて無かった。
変わっていく景色を眺めても、変わっていく人を眺めても、なんとも思わなかった。
景色が綺麗だとか、そんなことを感じるような人間じゃないが、ゆっくりと景色を見ている自分になっていることは、予想外だった。
―こんな景色、幾らでも見れただろうにな。
「梓愛加!早いな!今日は記念日だからな。あの男ともおさらばか・・・。」
「・・・。不安。予感。」
「平気だ。俺も梓愛加も、絶対に捕まらない。安心しろ。今日が終われば、何も心配することはない。」
「・・・。油断、大敵。」
「そうだな・・・。まあ、でも、今回は流石に手詰まりだろう。」
斎藤と梓愛加は、二人並んで開廷まで待つ。
―胸騒ぎがする・・・。嫌な予感しかしない。
―なんでだろう・・・。証拠は何もないはずなのに。
―興奮もしない。快感も感じられない。
梓愛加は、胸中に蠢くものを感じながらも、斎藤にいうことはなく、一人でざわめきを聞いていた。
隣では、斎藤が好き放題言っているが、それを聞いても愉しくなく、梓愛加は、天井を仰ぎながら隼人との会話を思い出していた。
―あの人も、愛を知らない。
―違う。・・・『知らなかった』。
―愉しくない、愉しくない、愉しくない、愉しくない、愉しくない。
―こんなの、私の求めていた快楽じゃない。違う。違うよ。
「どうした?梓愛加?」
斎藤に声をかけられたが、梓愛加はじっと天井を見つめていて、斎藤の方を見ようとはしない。
「梓愛加?梓愛加?」
―梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加梓愛加
死 愛 華
『死んだ人間を愛することが出来る日、あなたも愛される人間になれるわ。』
『どんなに綺麗で可憐な華だって、枯れなければ愛されないのよ。』
梓愛加は、自分の中に眠る母親の言葉を反芻しているうちに、気分が悪くなって、その場に座り込んだ。
―華は枯れて愛される。
―人は死んで愛でられる。
「梓愛加?体調が悪いのか?無理はしない方が・・・。」
斎藤が、梓愛加の肩に触れようとしたとき、梓愛加は思い切りそれを拒絶した。
―私はこの世界に赦された存在でいられる?
―それとも・・・。
「・・・平気。眩暈。」
「・・・そうか?まあ、無理はするな。」
壊されたのは、自分か?歪んだのは、自分?
初めて人を殺した日、何も感じなかった。
―罪悪感って何?
梓愛加にとって、人を殺すという行為は、動物が動物を殺して、その肉を食して生き延びることと同じ感覚だった。
人間がピラミッドの頂点であるわけが無い。
人間は、他の動物と比べると、力もなく、戦う能力の低い、『本能の指示』に従わない生き物だからだ。
それなのに、武器を手にすることで、自分たちが一番強い、一番偉いと錯覚してしまっている、とても可哀そうな生き物だと、梓愛加は思っていた。
だから、本能に従っている自分が悪いなんて、思っていないし、考えもしなかった。
斎藤がそれを受け入れていたせいもあるが、梓愛加自身が、戦わなければいけない状況に追い込まれていたのかもしれない。
それは斎藤だけのせいでは無く、梓愛加の弱さのせいでもある。
だが、それを認めることは、自分の本能を認めないことになるのではないかと、事実と成り得る為の根拠を、全て掻き消そうと頭を振る。
―死刑執行日、十五時前
法廷には、ぞろぞろと人が集まっていた。
見世物とすることに腹立たしさを感じた渋沢だったが、今から此処で他人と喧嘩するほど馬鹿では無いと自分に言い聞かせ、我慢した。
紅蓮たちは最後列に座って、集まった奴らの動きを観察できるようにした。
斎藤は、マジックショーでも見に来たように、恍惚とした表情を浮かべて、最前列に座り、今か今かと待っている。
その後ろの席には、紅蓮たちが隠し子だと推測している女が座っていて、女は斎藤とは違い、興味無さそうに真っ直ぐ前を見ていた。
「そろそろか・・・。」
紅蓮が時計に目をやって、時間を確認すると、いつも自分が出てくる場所から、死刑執行人たちが現れた。
彼らが出てくると、周りは一斉に身を乗り出して、隼人の登場を心待ちにする。
法廷の入り口のドアが閉められて、中にいる人達はみな、席に着かされる。
「死刑囚、隼人。磔の刑に処することとする。」
執行人の中の、一番偉そうなのがそう言うと、キリストが磔にされたときに使われたような、大きい十字架が用意される。
木製で作られたそれは、死刑人が磔と決まってから一つ一つ新しく作られるらしく、まさしく、『死刑人専用の死刑道具』なのだ。
死刑人の血が染み付いた十字架は、毎回死刑後に屋外に運ばれて、磔にされたままの死体の火葬も兼ねて、一緒に燃やされるという。
罪を重ねてきた囚人には当然の罰なのかもしれないが、それでも気分が悪くなる。
十字架を用意し終えると、執行人は手に槍のようなものを握りしめていて、一列に規則正しく並ぶ。
「では、死刑人、入れ。」
ギィ・・・と音がし、監獄から繋がっている地下通路の扉が開き、そこから麻袋を被った男が出てきた。
死刑人らしからぬ、黒を基調としたシャツに身を包んでいて、それだけでも、紅蓮たちにとっては隼人だと確信がもてるものだった。
だが、頭の部分には麻袋がかけられていて、首のところで締まらない程度に緩めてある。
執行人が麻袋に手をかけて、一気に剥ぐ。
ターバンを頭に、眼帯を右目に、両耳にはそれぞれ異なったピアスをつけていて、眩しさで瞑っていた目を開ければ、人の心を射抜くような目つきが見える。
「ターバンと十字架以外のピアスを外せ。」
偉そうな執行人が、隼人の付き人に対して命令し、付き人がまずターバンを取り外し、次にピアスを外そうと手を伸ばした時、隼人が止めに入る。
「別にいいだろ、つけてたって。磔なんだから支障ねえだろ?ほら、ターバンも首にかけろ。」
飄々とした口ぶりのまま、執行人と付き人に言うと、執行人と付き人は一旦目を合わせて、隼人の言うとおり、ターバンを首にかけた。
「では、これから死刑人、隼人の死刑執行となるが、何か言い残すことはあるか?」
「・・・いい残すこと、ねぇ?」
隼人は、考える様に天井を見つめ、しばらく悩んでいた。
―キヒヒヒヒヒヒヒ!!!ほら、早くしろ!死刑だ!!
―少しだけ脈拍が上がってるぞ!!!怖いって言え!助けて~って!!
―キハハハハハハハ!!!そりゃあいい見世物だ!
悪魔の言葉など今更どうでもよくて、隼人は特定の誰を見るわけでもなく、前を見据えた。
「そうだな・・・。コレと言って無いような・・・あるような・・・。」
―遺言!遺言!遺言を残せええェ!!
紅蓮や渋沢と目が合うと、ニッと笑った。
―言い残すこと・・・なんてねえけど・・・。
隼人は、淡々と話し出す。
「ま、自分の人生に対しての感想なんて、『まあまあだった』の一言に尽きるし、俺の価値なんてもんは、ほっとんど無いに等しいだろうけど、世の中ってのは不思議なもんで、いざ死ぬとなると、普通は後悔が押し寄せてくるらしい。なんでかねぇ?どの道選んでも、結局人生に満足して死ねる奴なんて、余程好きに生きてきた奴か、心の広―い奴だな。言いたいこと言える奴、なかなか言えない奴、自己主張激しい奴、全然主張しない奴、一人が嫌いな奴、一人が好きな奴、色々いるけどよ、自分失くした奴よりは、何があっても自分持ってる奴の方が、胸張って生きていけるとは思う。・・・まあ、俺が言いてえのは、俺は俺の生きてぇように生きたって話だ。」
隼人が話し終えると、法廷内はシーン、と静寂に包まれ、数秒後に反応し出した執行人達が、十字架に隼人を磔始めた。
両足は揃えて、両手首はそれぞれ左右に縛られ、執行人たちが槍を構える。
「おい。」
いよいよ執行、という時に、いきなり椅子から立ちあがり、執行人だけでなく、法廷にいた全員の注目を浴びてしまった聖。
「お前に貸した本、まだ返してもらってねえぞ。」
「あれ?そうだっけ?」
緊張感のない空気に戻ってしまった法廷では、みんな緊張の糸が途切れて、隣の人と話しだす人も出てきた。
「どこの本屋にも無いからって、貸しただろうが。あの本、高かったんだからな。ちゃんと返せ。」
「やだやだ。細かいこと根に持つ男って。聖さ~、もうちょっと今の状況考えてくんねえ?それ、今言うべきことか?」
「言うべき事だ。」
そんなやり取りを見ていた渋沢の隣にいたはずの紅蓮がいない事に気付き、渋沢は周りをキョロキョロ見渡す。
すると、叶南がクスクス笑いながら渋沢に声をかけてきた。
「紅蓮なら、聖と一緒に前にでてるよ。」
驚いて前を見ると、執行人に紛れる様にして、聖は隼人に文句を言っているし、紅蓮は壁にもたれながらそれを聞いている。
「俺達も行くか。」
「・・・はい。」
二人に出遅れないようにと、渋沢は叶南の後をついて、傍聴人席の前に出る。
「集結しちまったな~。んなとこいると、返り血浴びるぞ。」
縛られている右手を動かして、呆れたような仕草をしている隼人に、渋沢が怒鳴りつける。
「いい加減にしろよ!!!」
隼人は勿論、紅蓮たちや他の人も執行人達もみんな、渋沢に目を向ける。
「隼人はいつもそうだ!自分一人で生きてきたみたいな顔してさ!そんなん、何も自慢にならねえよ!!勝手に現れて勝手にどっか行って、別に隼人の右目なんか怖くねーよ!悪魔が見えるからって、いい気になってんじゃねーよ!!!バーカ!アーホ!!」
「てんめぇ・・・。この俺をバカ呼ばわりたぁ、いい度胸だなぁ・・・。ああ?」
勢いに任せて言ったはいいが、渋沢はそのあとあたふたとして様子で、叶南に助けを求める様にして、隼人から離れる。
「まーまー。若い子ってのは、どうも血の気が多いねぇ。見てて飽きないけどよ。」
呑気に言いながら、愉しそうに笑っている叶南の背に隠れながら、渋沢は隼人を睨むようにして見ている。
―睨む癖になんで隠れるんだ。
「はぁ・・・。若いって・・・。久々に言ってもらえた気がするよ。」
「ああ、お前のことじゃあねえぞ。渋沢の事だ。」
叶南の言葉に若干頬を緩ませた反応を示した隼人だが、叶南によって、再び頬を引き攣らせることになった。
「俺だってまだ若いぞ。」
拗ねたように口を尖らせた隼人を見て、叶南は豪快に笑う。
隼人たちの行動に、執行人達はどうしてよいか分からず、ただ槍を手に持ったまま、大人しく立っている。
「だから、本返せ。」
「まだ言うか。」
しばらく黙っていた聖が、また口を開く。
隼人が縛られていなければ、ただの友達の喧嘩ともとれる光景なのだが、隼人を縛る縄と十字架が、それを全部覆す。
「紅蓮も何か言ってよ!隼人の馬鹿さを世間に知らしめる良い機会だよ!」
「俺は馬鹿じゃねえって言ってんだろ!少なくとも渋沢よりは頭いいだろ!」
「俺よりっていうか、ずば抜けて頭いいんだよ!」
「なんで貶したあとに褒めてんだよ。」
叶南は渋沢と隼人の会話を聞いて笑っていて、聖は隼人に本を返せと言い続ける奇妙な光景を、ただ一人、壁にもたれかかって興味無さそうに欠伸をしていた。
隼人に文句を言うでもなく、助けようともせず、ただもたれている。
「それが、人が死刑になるってときの態度かよ。もうちっと何かあるんじゃねえの?・・・お前らもだ。」
隼人が、紅蓮から、渋沢、聖、叶南を順に睨みつけながら言って、ため息をつく。
欠伸をしていた紅蓮が、目を擦りながら不機嫌そうに呟く。
「俺だって暇じゃあねえんだ。殺すならさっさと殺ってくれ、執行人さん。」
気だるそうに、首を回しながら執行人達にそう告げる紅蓮に、執行人も顔を見合せて、隼人の死刑を始めようとした。
「・・・その前に、俺達の話も聞いていただけますか?」
壁にもたれかかっていた背中を浮かせて、隼人と執行人の前に割って入るようにし、死刑を見に来ていた奴らの方を見て話し出す。
「私は、最高裁判所で裁判等をしている、紅蓮と言います。以後、お見知りおきを。」
「自己紹介なんて誰も求めてねーよ。」
紅蓮の言葉に茶々をいれた隼人を睨みつけ、咳払いをして続ける。
「今回の事件は、ある男が殺されたことから始まりました。」
紅蓮が話し始めると、執行人も含め、みな一様に真剣な顔つきになり、ゴクリ、と唾を飲む。
「その男は体中鉄パイプのようなもので殴られてはいましたが、内臓などの損傷は、それほど酷くはありませんでした。発見したのは散歩で近くを通りかかったご老人。鉄パイプには指紋が残っていて、男の身体の下からは毛髪が発見されました。」
「だからそいつが捕まったんだろう?」
紅蓮の概要に口出ししたのは、今まで椅子に腰かけたまま、紅蓮たちのやり取りを見ていた斎藤だ。
野次を飛ばすような大声が、法廷内に響き渡る。
「・・・そうです。その毛髪と指紋によって、今此処にいる男が、犯人として逮捕されました。」
斎藤を一瞥して、少し不愉快そうにしながら、紅蓮はまた全体を見る。
「ですが、私が思うに、この『隼人』という男、証拠を持って帰らないような馬鹿ではありません。もしもこの男が人を殺すなら、全身タイツを着るか、他の誰かに殺させるかです。」
「お前・・・俺をそういう目で見てたのか。」
全身タイツという単語が出てくると、渋沢たちは笑いを堪える様にして、口と腹を押さえていた。
隼人がギッと睨むと、頬を膨らませて笑いに堪える。
「内臓の損傷の件に関しても、何度も殴っていながら、酷くは無い。それに、指紋を残した凶器を、発見してくれと言わんばかりに現場に置いてあったのもおかしい。」
紅蓮の話を聞いていた人達は、なるほど、と首を縦に振っていて、それを阻止するかのように、斎藤が椅子から立ち上がって反撃する。
「動揺していたのではないか?聞いたところ、初犯らしいじゃないか。」
「では、初犯にもかかわらず、死刑になった、ということですか?」
「そうらしいな。」
「・・・私は悪意を感じますが。」
紅蓮の表情からは確認が難しいが、きっと睨んでいる。
斎藤は隼人の方を見て、勝ち誇ったように鼻で笑うと、椅子に座りなおして、足を組みだした。
「それにしても・・・。」
紅蓮が何も言わなくなり、余裕をかましていた斎藤が、声の主に対して、ピクリ、と片眉を上げて不機嫌さを見せる。
それは、斎藤が嫌っている叶南の声だったからだ。
「隼人くんにはアリバイがあったのに、捕まるなんてね。」
叶南の、世間話をしているかのような話し方から出てきた事実に、斎藤だけでなく、他の人達はざわつき始めた。
「確か、隼人君は男が殺された時間、買い物に行っていて、防犯カメラにも映ってる。それなのに、どうして捕まったんですかね?斎藤支部長?」
叶南は、ワザと斎藤に話をふり、答えを求める。
急に形勢逆転へと持ち込まれた斎藤は、口を噤んで、墓穴を掘らないように、慎重に言葉を選ぶ。
「それは裁判長の決定事項。私には分からんよ。」
「そうですよね。すみません、変な事言って。変な事次いでに、もうひとついいですかね?」
斎藤を挑発している心算はないのだろうが、本人無自覚で完全に挑発しているとしか思えない態度で、叶南は笑いながら話す。
「隠し子の娘さんって、後ろに座ってる子ですかね?」
「・・・!!!」
一気に顔色を変えた斎藤を見て、叶南は満足気に口元を弧にし、椅子を一脚持ってきて、前後逆向きにして座る。
叶南がそういった動作をしていると、今度は聖が斎藤に向かって投げかける。
「被害監獄支部長、最高責任者の斎藤。お前が支部長になってからの東監獄内での悪魔の動きを調べた。お前は、地獄行きになった悪魔を一旦地獄へと送り、それと入れ替わるようにして、悪魔を一体解放していただろう。」
「ハッ。何を証拠に。私はそんなことしていない。きっと部下が勝手にしたんだ。それに、そんなことして私にメリットなどあると思うのかね?」
聖を睨みつけながら強めに言ってはいるものの、額には嫌な汗が流れているのが、斎藤には分かる。
斎藤の心臓は、周りにも聞こえているのではないかと思うくらい、バクバクしているが、それを悟られないように、必死に余裕を見せる。
それを見ている梓愛加は、少しも表情を変えない。
「これは推測だが、お前は娘を悪魔にとり憑かせて、あわよくば島流しや死刑にさせようとしていたんじゃないのか?」
「どうして?そもそも私に隠し子などいない。家族構成に書いてあったのかね?」
その言葉を聞くと、紅蓮はニッと笑い、全員に見える様に、持ってきていたノートパソコンを接続した。
渋沢はポケッと見ていて、叶南はみんなが見える様に座る場所を移動した。
画面を出して、紅蓮が説明をして、聖が画面を変えていく。
「これは、そこにいる斎藤支部長のDNAです。そして、後ろに座っている『梓愛加』という女性のDNAがこちらです。二つは、親子関係であることを示しています。また、女性のDNAから見つけた女性の母親がこちらです。」
映し出された女性が、斎藤の妻とは別人であることは、斎藤が一番良く知っていた。
その間に、思い出したように叶南が動き出し、隼人の縄を解く。
あまりにも自然なその動きに、見ていた人も、執行人たちでさえ、誰も止めに入ることはなかった。
「まあ、娘が大きくなって、十字架のタトゥーを入れてせいで、悪魔をただ逃がしただけになってしまったようですが。」
射抜くような目つきで、聖が斎藤を威圧する。
指紋や毛髪を採取することなど、法廷に来た事あるものなら、それほど難しい事ではない。ましてや、隼人のように有名な人が法廷に来れば分かるし、本からなら幾らでも指紋は盗める。
紅蓮たちの筋の通った推測、的の得た主張の方に関心が高まったためか、隼人ではなく、斎藤に突き刺さる様な視線が向けられる。
「まあまあ。」
そんな空気を一変させたのは、誰であろう、死刑にされそうになっていた隼人本人で、斎藤も驚いている。
「あくまで、梓愛加は娘じゃねえって言うんだな?」
「・・・ああ。赤の他人だ。」
斎藤の言葉にも反応しない梓愛加を見て、隼人はため息をつきながら、頭をかき、手を腰に当てて首を数回回す。
「梓愛加!」
「!!!」
いきなり怒鳴るように名前を呼ばれ、梓愛加は身体をビクリと動かし、今まで据わっていた目を上げ、隼人を見たつもりだったが、その前に斎藤と目が合ってしまった。
『余計な事は言うな』
そう言っているかのような鋭い視線から逃れ、梓愛加は隼人へと目をやる。
「・・・だと。」
隼人の発した単語の意味が分からなく、頭の中でクエスチョンマークを並べた梓愛加だが、すぐに理解して、また無表情に戻る。
「他人。肯定。同意。」
梓愛加の答えに、斎藤は口元を歪め、隼人の方を見る。
フフン、と鼻を鳴らしているような笑い方に、多少の苛立ちを覚えたが、一瞬目を細めて、すぐに元に戻し、ため息をつく。
「DNAが認めても、本人たちが認めねえか・・・。」
欠伸をする隼人の隣に来て、叶南が斎藤に仕返しをする。
「共犯の、あなたの部下は吐いたんですけどね、隼人くんの指紋のことも毛髪のことも、あなたに言われたと・・・。」
「くだらん。私のせいにするなど、そんな部下は即刻クビだな。」
法廷にいるものは、斎藤の言葉をあまり信じていないが、このままでは隼人が犯人だと言い張って終わってしまう。
それでも紅蓮たちは焦ることなく、斎藤の反応を見ていた。
「じゃあ、最後の手段に出るしかねえか。」
隼人がぼやくように言うと、紅蓮はその意味が分かったようで、隼人のほうに近づき、胸倉を掴みあげる。
「なんだよ。」
「なにするつもりだ。」
「分かってるから掴みかかってんじゃねえのか?」
「・・・。」
二人の会話は聞こえるものの、渋沢には何をするつもりかは分からない。
聖と叶南も大方の予想がついたようで、いつもならこういう時止めに入るが、今は止めないでおこうとしていた。
今の二人の間に割って入るほどの言葉を用意できないし、用意できたとしても、どちらかはそれを認めない。
紅蓮が、ここまで感情に従って動くのは珍しい。
それほどまでに、隼人渋沢の存在、それから二人と一緒に過ごしてきた時間というのは、色付くものだったのだろう。
「なんでお前はいつも一人で突っ走るんだ。」
「いつもは寝転がってるだろ。」
「悪魔を出したら、殴るぞ。」
「お~、怖い。」
「もうお前の命は、お前だけのモンじゃねえんだよ。」
「・・・。」
ふざけたように笑っていた隼人が、ピタリと笑うのを止め、真剣な眼差しで紅蓮の心臓を抉るように見つめる。
時々、隼人はこういう、鋭くて冷たい心臓を射抜くような視線を向ける。
悪魔が係わる時や、紅蓮たちと本音を言い合えるようになるまでは、今のような目つきでいることが多かった。
他人を近づけない為か、自然とそうなってしまったのか、知る由は無いが、流石の紅蓮も、隼人のこの目には慣れず、怯みそうになる。
隼人の視線に、紅蓮は息を呑んだが、ここで食い下がるわけにもいかず、隼人を睨み返す。
「例えそうだとしても、俺の命は俺のためにしか動かねぇ。寿命削られようが、このまま命落とそうが、今の状況じゃ、俺の悪魔を使うしか道は無ぇだろ。」
ポケットに手を突っこんだまま紅蓮と対峙している隼人は、傍から見ればとても余裕そうなのだが、余裕というよりも、色んな意味で諦めている表情だと、紅蓮や渋沢、聖も叶南は分かっていた。
すると、いきなり隼人は紅蓮の胸倉を掴み、自分の方へ近づける。
「今ある証拠や言葉で攻めたってダメなんだから、それしかねぇよ・・・。」
さきほどよりも小さめの声で紅蓮に意志を伝えると、掴んでいた手を離して、またポケットに突っ込んだ。
紅蓮も、掴んでいた隼人の胸倉から手を離し、髪をガシガシかく。
「ま、そういうこった。後は俺に任せろや。」
首にかけたままになっていたターバンを頭に戻すと、両耳についているピアスがキラリ、と光る。
自分がいた、法廷の前方の方から、真ん中のあたりに移動すると、両手を思いっきり広げて身体を伸ばす。
「じゃーまぁ、とりあえず、親切心から言わせてもらうとよ、あんたの周り、悪魔だらけだぜ。」
隼人が、斎藤を見ながらそう言うと、斎藤は軽く頭を振って確認しようとするが、見えるわけもなく、ただ怪訝そうに隼人を見る。
そんな斎藤の行動をみて、隼人はケラケラ笑う。
隼人は早速眼帯を外そうとしたが、何かに気付き、その手を止める。
「?どうしたの?」
停止したままの隼人に、渋沢が声をかけると、隼人は部屋全体を見て渋沢に伝える。
「十字架持ってない奴は出ていくように言え。嘘ついて此処に残って、悪魔に喰われても知らねえとも言っとけ。」
「え・・・。ああ。」
隼人に言われたとおりにするべく、渋沢は視線と身体を隼人から後ろへと移動させて、言われたとおりに言う。
「悪魔に喰われたくない人は出て行ってください。喰われないようにしてる人はいてもいなくてもいいです。」
渋沢の言葉を聞くと、数人の人が椅子から立ち上がって法廷から出て行った。
残った人は、持ってきていた十字架を手元に置き、ギュッと力強く握りしめている。
その光景は、まるでどこかの宗教団体のようにも見えるが、一方では紅蓮たちが欠伸をしているせいで、何の集まりかが分からない状態だ。
「・・・で、まあ、どーっすか・・・。いきなり始めていいのか?コレ。」
「お前次第だな。右目は平気なのか?」
隼人が髪をかきながら呟くように言うと、紅蓮が眉を潜ませながら、隼人の右目を見る。
自分の右目に手を覆うようにして軽く触ると、隼人は両目を閉じて、何かを考えている様に眉間にシワを寄せた。
しかし、すぐに目を開いて、目を覆っていた手をゆっくりと下ろすと、目を開けて前を見る。
「じゃあ始めるぞ。お前らも離れてろ。」
隼人がそう言うと、紅蓮たちと執行人たちは壁の方に近づいて避難する。
全員が自分から離れた事を確認すると、隼人は眼帯に手を近づけて、そっと外して目を開き斎藤を見る。
赤い右目が晒された瞬間、法廷内の空気が一変する。
始めは、目に見える変化は無かったものの、身体が何か異変を感じ取ったようで、神経が体中に張り巡らされ、身震いした。
徐々に、隼人の方から何とも言えない不思議な空気が漂ってきて、足下を冷やしていく。
そしてこの間よりもさらに強力な、『憎悪』や『邪悪』といった類の黒いものが、隼人の身体の周りを包むように龍のように渦を巻いて動いている。
右目からは赤い煙のようなものが出ていて、焔の如く蠢いている。
身体に纏っていた黒い影が、いっきに斎藤へと向かっていき、斎藤の身体にも巻き付いていく。
「・・・!!」
声にならない悲鳴を発しながら、黒い影から逃れようとするが、足にも腕にも喉にも、体中に巻きつかれた為、抵抗も出来なくなってしまった。
必死に離そうとする斎藤だが、黒い影は密着しているわけでもないのに、斎藤の身体から少しも離れようとせず、掴もうとしても掴めない。
斎藤の後ろに座っている梓愛加も目を見開いて、その様子を見ている。
しばらくすると、隼人の右目の焔がいきなり勢いよく法廷を包む。
この間と同じように、法廷が真っ赤な血の海のようだ。
さらに、右目から何か黒いモノが動いたと思ったら、ヌッと、毛のようなものが出てきて、何かが産まれた。
隼人は激痛に耐えているようで、額には汗をかいていて、眉間にシワを寄せている。
そして、隼人の右目から出てきたモノが、『人間以外のモノ』だという事しか、他の人には分からなかった。
しかも、一体だけではなく、数体出てきて、陰の上を歩くようにして斎藤の方に寄っていく。
マジマジと斎藤を見ながら、不気味に嗤っている。
「ひぃッ!!!」
斎藤が、黒い影達を追い払おうと、懸命に手を動かしているが、その陰にぶつかることは無く、通り抜けてしまう。
「あッ・・・悪魔だぁぁあぁア!!!何故十字架を持っている私のところに来る!?」
―キヒヒヒヒヒヒヒヒ!!こいつァ、面白ぇ!!!
「!!!!????!?」
何が起こったか分からなかった。
少なくとも、隼人以外は。
今まで聞いたことの無い声というか、超音波でもなく、血液や神経を通って脳に直接響いたその鈍痛に、斎藤だけでなく、紅蓮たちでさえも耳に手を当てたりして驚いている。
落ち着いているのは隼人だけだ。
冷めた目つきで斎藤を見ている姿は、普段からは想像しにくいほど、このまま斎藤が殺されても平気だというような、とても残酷な目つきだった。
―おい見てみろ!!こいつ、ただの人間のくせに、勝手に悪魔と取引してるぜ!!
―馬鹿な野郎だ!腎臓の一部を悪魔に喰わせてやがる!!!
―キハハハハ!!!喰わせたが最期!!!全身喰い尽くすまで、こいつに憑きまとうだろうよ!!
―十字架でなんとか時間は稼げてるみてぇだけどな!!!キヒヒヒヒ!!!
―愉快だなぁああぁああ あああ ァアああ ァ あぁァああ!!!
「・・・いいから。早く取引の内容話せ。」
一人冷静に、悪魔と同等に話をする隼人。
その発した声も、いつも以上に低音で響いている。
それが苛立ちからきているのか、本来の隼人なのか、区別するのも難しかった。
―キシシシシシ!!!我らが御主人は、大変ご立腹だぞ!!!
―なに、この男は、地獄行きになった悪魔を逃がすことを条件に、女を喰うように言っただけだ・・・。
―そのたった一度払った代償が、これか!!!笑わせるぜ!!!
―隼人!!!てめえを陥れる為に、この男は危ない橋を渡っちまったんだ!!!
―死亡!死亡!死亡!死亡!死亡!死亡!死亡!
―キヒヒヒヒ!!!喰え!喰え!喰え!脳味噌喰っちまえば、その人間は俺達のモンだ!!!
「止めとけ。腹壊すぞ。それに、こいつにはそれ相応の罪を償ってもらわねえとな。」
―甘ぇんだよぉ!!!お前はあァああ あ あぁァあアぁ あ ァあ!!!
―甘ぇえええぇぇぇぇええェエぇえ!!!
黒い影が、斎藤では無く隼人を見て叫ぶ。
影の上半身だけが斎藤から隼人に移動しても、隼人は何事も無い顔のまま陰を見て、ため息をつく。
斎藤は口をだらしなく開けたまま、瞳孔も開いたままで、気を抜けば今すぐに泣き出してしまいそうな表情をしている。
隼人に顎で『あっちに行け』と指示され、面倒臭そうに悪魔が斎藤のもとに戻る。
そして、悪魔たちが、斎藤の後ろにいる梓愛加に気付き、三日月のように目を歪め、口元はニヤリ、とする。
―この女だァアああぁぁァア!!!
一体の悪魔が狂ったように歓喜の声を上げると、梓愛加は目の前の異様な光景に、興奮を覚え、目を輝かせる。
梓愛加は椅子から立ち上がって、悪魔との対面を喜ぶ。
「欲しい・・・。」
梓愛加の言葉を聞くと、悪魔は咆哮し続ける。
―血の臭いだァああ あァァああ アぁ!!!
―身体に沁みついてる!!血に飢えた魔女だ・・・。鬼だあアあぁァア ああ!!
喜びに浸っている悪魔を他所に、梓愛加は淡々とした口調で、両手を胸の前で重ねて、言葉を続ける。
「快楽、刺激、興奮、本能。心臓、腎臓、小腸、大腸、脳味噌、膵臓、脾臓、咽頭、横隔膜、下垂体、眼球、肝臓、筋肉、骨髄、舌、胆嚢、肺、睾丸、皮膚、耳・・・。」
いつものように単語だけを並べて、気味悪いことを綴った梓愛加だが、様子がおかしくなったのは、この後だった。
「鳴呼・・・!!!!人間の身体が軋む音はなんて美しく響き渡るのでしょう!!ほんの小さな傷跡からでも血液が絶え間なく流れ出てきて、酸化されて黒に染まってゆく化学反応という神秘!!皮膚が捲りあがってきたときに微かに見える筋肉は艶やかに輝く!!痛みに耐えている悲痛の表情は色っぽくて、命乞いをするときの叫び声はなんとも心地良い!!!骨が軋む度に湧き上がる歓声、鼓動が弱まる度に小さくなっていく呼吸音・・・。本能と理性の狭間で歪みゆく人間の欲情!!本能に跪いて行動することの心地良さを知らない愚者達・・・。それを知っている賢者達!鷹だって小鳥たちを屠るのは本能に従っているだけ。自分の中に埋もれている野生としての生きたいと思う本能になら狂わされても構わない!!!私は悪魔に身も心も委ねた!もっと感じたい!もっと喜びたい!もっと逝かせたい!!!!」
人が変わった梓愛加を、呆然と見ている斎藤に、再び悪魔が近づく。
―あの女は、もうとっくに悪魔に喰われてんだよ!!!十字架つける前にな!!
―身体は喰われてねえが、脳だけ喰われてるぜ!!キハハハハ!!!
―余程この女と波長が合ったんだな!
「・・・なるほどな。」
納得したのは隼人だけで、訳が分からないという顔をしている紅蓮たちが、隼人に説明を求める。
「つまり、あの十字架はフェイクだ。女の脳を喰った後身体から抜け出して、どっか逃げたんだろ。喰われたことを隠す為に、十字架を後からつけた。」
それでも釈然としなかった聖が、眉間にシワを寄せている。
「一度憑いた悪魔が、その宿主となる身体から抜けることは珍しい。それも、脳だけ喰って逃げるってことはな・・・。きっと、波長と気は合ったが、もっとイイ宿主を見つけたか、この女についていけなくなったかで、逃げた。脳だけ喰っときゃ、人間は自分で自分をコントロールできなくなる。」
隼人が説明をしていると、梓愛加が隼人の方に寄ってきて、左手で隼人の右頬に触る。
「欲しい・・・。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい!!!」
恍惚とした表情を浮かべ、さらに高揚した気持ちを表すかのように頬を紅潮させ、隼人を見つめている。
『愛』への執着心なのか、歪んだ『本能』の現れなのか、梓愛加が隼人を崇める様にして見つめているが、実際は、隼人の右目から出ている悪魔に対しての崇拝なのだろう。
隼人は梓愛加の狂った愛情表現を知りながらも、同情は一切しない。
「・・・てめぇの手には負えねえよ。止めとけ。」
冷めた目つきで、梓愛加を見下しながら告げる隼人に、梓愛加は最大級の愛を提示する。
「私、悪魔を愛してる・・・!!!」
斎藤さえも口をパクパクさせて、まるで映画のワンシーンのような光景を見ている。
梓愛加の赤く染まった顔に、口から出た言葉だけを聞けば、そう取れなくもないが、相手である隼人が梓愛加を見下しながら遠まわしに拒否する。
「そんなら、地獄に行けば、幾らでも会えるぜ。」
そう言うと、梓愛加の手を払いのけ、右目を瞑って、その上から眼帯をつけ直す。
悪魔たちが一斉に隼人の右目に入っていくのを、梓愛加は頬を染めながら、名残惜しそうに、まるで愛しい人との別れを惜しむかのように、眺めていた。
悪魔が吸い込まれていくとき、梓愛加が隼人の右目に触ろうとしたが、軽く後ろに避け、拒否の反応を示す。
黒い影も赤い焔も、次第に隼人に吸い込まれるように消えて行き、法廷内はいっきに静まり返った。
隼人は、壁の方へ歩いていき、背中から脱力するようにもたれかかり座り込んでしまった。
「隼人、大丈夫か?」
汗をかきながら息を荒げている隼人のもとに、誰よりも早く渋沢が駆けつけてきて、声をかける。
「ああ。」
膝を床につけながら隼人の顔を覗き込むと、顔面蒼白で強く目を瞑ったままで、半開きの口からは苦しそうな呼吸が聞こえる。
額から滲み出ている汗が、体調の悪さを知らせている。
渋沢はどうしてよいか分からずにおろおろしてると、背後から足音が近づいてきて、振り向くとそこには叶南が立っていた。
叶南も渋沢同様に、床に片膝を付けて隼人の様子を見る。
「医務室行くか?」
叶南の言葉に、首を横に振る隼人。
一方で聖が、執行人に向かって隼人の死刑執行についてもう一度決議するように伝えると、執行人達は互いに顔を見合わせて、頷いた。
「貴様あぁアアああァぁ!!!」
響き渡った怒声のした方へと、法廷内にいた者がみんな目を向けると、斎藤が首筋に血管を浮かび上がらせながら、鬼の形相で隼人を睨んでいた。
「こんなことをして、ただで済むと思っているのか!!大体、執行人!お前らも、あんな悪魔などの言う事を鵜呑みにするのか!!?私はこいつらにハメられたんだ!人間、それも支部長をしている私よりも、悪魔を信じるというのか!?」
椅子から勢いよく立ち上がって叫んだせいで、椅子が後ろに下がってしまったが、斎藤にとって自分が罰せられる事の方が、当然一大事だ。
「人間だけが特別な生き物じゃあねえんだよ。寧ろ、人間なんて一番弱い生き物だ。自分たちだけが特別だと考えてること、人間の命だけが優先して守られること、感情を持ってるが故に憎しみ、恨み、悲しみ、嫉妬、欲求に振り回される。理性を持っていながら使いこなせず、本能を携えていながら従えない。自分に不幸が降ってくれば、他人のせいにしないと自分を制御出来ない、何かのせいにして自分を守ってる。それが人間っていう、聖書によると神様が作った土塊だ。」
斎藤の方を鋭い視線で見つめながら、紅蓮が強めの口調で綴る。
それを聞いて、斎藤は紅蓮を睨みつけながら歯ぎしりをし、自分よりも遥かに優秀な紅蓮に対して掴みかかろうとした。
しかし、執行人達の中の一人が斎藤の前に立ちはだかり、斎藤と睨みあう。
プライドの高い斎藤は、執行人が立ちはだかろうとも、執行人を見下しながら睨みつけ、威圧し続ける。
「執行人代表としての意見を述べます。私たち執行人一同は、『千石家』の所有する悪魔の意見は、一般人や同僚、支部長や裁判官、裁判長よりも最優先することとなっています。」
だが、執行人の代表者は落ち着いて、隼人の悪魔についての結論を述べる。
思いもよらない執行人の解答に、斎藤は目を丸くする。
「なっ・・・!何故だ!悪魔だぞ!?人間を騙し、誑かし、喰い尽くすような・・・!!!」
「通常の悪魔に関しては信用性は低いとされていますが、『千石家』においては別となっています。」
「そんな馬鹿なこと・・・!!!あってたまるか!!」
冷静に意見を主張する執行人に対して、斎藤は苛立ちを隠せないまま、仁王立ちをしている。
目の前の執行人はなおも悠然と立ち尽くしている。
それにさえ癇に障った斎藤は、獲物を見つけた獣のような目つきをし、足に力を入れて、執行人に向かって踏み出そうとした。
「あるんだよ。」
執行人に飛びかかろうとした斎藤だが、それは聞こえてきた低音によって、ギリギリ執行人を殴らずに済んだ。
「まだ立たない方がいいぞ。」
「ああ。」
叶南に止められながらも、のろのろと斎藤に近づいて説明をしようとするが、足に力が入らないようで、叶南が使っていた椅子に腰を下ろす。
―俺だって、好きで受け継いだんじゃない・・・。
「俺の家系は、代々悪魔と契約を交わしてる。俺達は悪魔に住み家を与え、悪魔は俺達に情報を与える。俺達の言う事に逆らえば地獄に落とされる。だから、『千石家』の悪魔が、俺達に嘘をつくことは皆無ってわけだ。」
―俺だって、普通に産まれたはずだった。
―右目さえ無ければ、同じだった。
「俺の悪魔に文句があんなら、俺がその喧嘩買ってやるけど。」
隼人の言葉に絶句した斎藤を、執行人達が脇を抱える様にして捕らえ、隼人や紅蓮たちに向かって会釈し、法廷を去って行こうと背を向ける。
斎藤の足取りは重く、別人のようにやつれていた。
斎藤の背を見ながら、隼人がポツリを呟く。
「・・・but luck・・・。」
誰の耳に届いたかは定かではないが、静寂の中に微かに木霊した。
―右目のせいで、会わずに済んだかもしれない奴にも、会っちまったし。
そうは思いながらも、自分の周りを思い出して、苦笑いをする。
―ま、それも悪くはねぇけど。
斎藤が連れられたあと、残った執行人達が梓愛加のもとに向かうと、梓愛加はもとの精神状態に戻っていて、大人しく執行人についていく。
法廷から去り際、足を止めて隼人の方を見ると、憂いを帯びた表情を浮かべ、再び足を動かし始めた。
漆黒の髪を靡かせながら、梓愛加は斎藤の後から出て行く。
「あの子、どうなるんだろうな・・・。」
紅蓮の隣に移動してきた渋沢が、心配そうに眺めている。
「・・・さあな。脳を喰われたんだから、どっかで軟禁されるか、脳死と判断されて地獄に落とされるか・・・。」
斎藤と梓愛加が連れて行かれると、法廷からは人が次々に去っていき、紅蓮たちだけが残っている状態となった。
「俺は、これから斎藤を監視下におく手続きをしてくる。後は、お前たちだけで出来るな。」
「ああ。ありがとな。」
支部長が捕まってしまった今、東監獄は誰が指揮をするか、これから自分たちはどうなるのかということに不安を抱えていた。
隼人を捕まえていた憎き監獄だと言っても、その中で働いてる者は、忠実に仕事をこなしていただけだと、叶南は自分が東と南、両監獄を、東監獄の新支部長が決まるまで面倒を見ることにしたようだ。
南監獄内には、それを反対するものも最初はいたようだが、叶南が説得して、みんな納得し、同意してくれたという。
「俺も、そろそろ戻るぞ。」
「おお。世話になったな。」
聖も門番の仕事に戻ってしまった。
本来、門番が地獄行きになった悪魔のことを調べることは許されていないのだが、今回の場合は特例とされ、聖は処分されることなく、次の日から普通に仕事に戻れた。
なんだかんだ言っても、隼人のこと心配してたんだな、と紅蓮が言うと、聖は大層不満そうな顔をして、全否定をして去って行こうとした。
「照れんなよ。」
体調が少し戻って若干の余裕が出来た隼人が、ふざけて言うと、聖は隼人の頭を思いっきりグーで殴った。
「地味に痛ぇ。」
隼人が殴られた頭を抱えている間に、聖は足早に帰っていった。
「お前はいいのか?ちゃんと医者に診てもらえよ。」
「いーのいーの。どーせ『貧血です』って言われて終わりだからよ。ってわけで、今日はなんか精のつくモン食いてぇなあ。」
身体をうーんと伸ばしながら廊下を歩いていく隼人と、その後ろを並んで歩く紅蓮と渋沢は、同時にため息をつく。
「俺、ホントに隼人死ぬかと思ったよ。心配しちゃった。」
「俺も俺も。いやー心配した。」
心のこもった言葉を隼人に告げた渋沢に対して、便乗しただけの紅蓮の言葉。
「・・・せめてもっと顔だけでも心配そうにしろよ。棒読みじゃねえか。」
わざとらしく隼人がため息をつくと、渋沢は紅蓮と隼人を交互に見て、なにやら嬉しそうに笑った。
二人に気味悪がられながらも、三人の部屋につき、ドアを開ける。
「あーなんか、懐かしい気がする。」
そう言って、部屋に入るなりいつものソファにドサッと座る隼人を見て、紅蓮と渋沢は顔を見合わせて、クスリと笑った。
紅蓮が向かいのソファに座り、渋沢は台所に行ってコーヒーとコーラの準備をする。
「あー・・・本読みてぇ。」
「読めばいいだろ。」
「あ、そうだ。叶南の野郎に、監獄にももっと多種多様な本置いておけって言っておくの忘れてた・・・。」
足を組み、肘を背もたれにかけながら、右手で額を押さえてため息をつく。
「叶南が本の差し入れしたって言ってたが?」
「そうそう。そういや差し入れで貰ったな・・・。けど、一冊だぜ?すぐに読み終わっちまうだろうが。」
「それはお前だけだ。」
ぶつくさと文句を言う隼人の前に、コーラが差し出され、それは紅蓮の前にも出された。
「コーヒーまだだから、それでも飲んでて。」
渋沢は、自分のコーラを飲みながらソファに座って、テレビをつける。
「どういう本があったの?」
留置所、拘置所内での話とは思えない、まるで本屋にでも出かけていたような口ぶりで、呆れたように話す。
「それがよ、『君も更生出来る!』とか、『罪を償う理由』とか、『人生というのは、私たちにとって通過点でしかない』とか、そんなんばっかだぜ?読んだことある本だらけ。動物学の本とか、解体新書とか、和訳されてない本とか、色々あんだろうに。なんでよりにもよって、囚人に読ませるような本ばっかりなんだか。」
首をフルフルと左右に揺らしながら話す隼人に、紅蓮は当たり前のように返す。
「当たり前だろ。そういうとこなんだよ。」
紅蓮の言葉を聞いているのかいないのか、隼人は渋沢の持ってきたコーラを口に運んで、一気に飲み干す。
「っか~!!炭酸なんて久しぶりに飲んだな~。」
「親父臭い。」
風呂上がりにビールを呑んだ親父の反応であると渋沢に指摘された隼人だが、気にすることなく天井を仰ぐ。
「・・・・・・・・・・・・・・寝みぃ。」
その後、松田も共犯とまではいかなかったが、判決の不平等さや、裁判長としての本質を欠如したとして、裁判官全員の判断によって、『裁判長からの永久追放』となった。
その場にいなかったのは紅蓮だけだったらしい。
あとでどうして行かなかったのか、渋沢に聞かれた際、紅蓮は欠伸をしながら面倒臭そうにこう答えたそうだ。
「なんであいつの為に時間割かなきゃいけない。」
助けるとかそういう事では無く、単に松田の為にわざわざ足を運ぶ行為、話す行為、同じ空気を吸う行為、その為に時間を作る行為、全てが嫌だったそうだ。
『松田の為に』というのが、例え裁くことだとしても、癪らしい。
そこまで松田を嫌っていたとは思っていなかったため、渋沢が仲が悪くなった理由を聞いてみたが、紅蓮は離そうとはしなかった。
さっさと自室へ籠ってしまった紅蓮を見ると、隼人が喉を鳴らしながら笑っていた。
「隼人知ってんの?」
「あ?ああ。ま、人伝に聞いただけだけどな。」
本を読みながら渋沢に返事をする隼人に、渋沢は小声で教えろと言ってきた。
「紅蓮には言うなよ。」
隼人が笑いながら言うと、渋沢はブンブンと頭を上下に振り続けた。
「大したことじゃねえんだけどな。一回廊下ですれ違った時、紅蓮の奴、松田に足引っ掛けられて転びそうになったんだってよ。」
「・・・それだけ?」
「まあ、松田はもともと自分より若いのに、実力も人望も自分より上の紅蓮を、勝手にライバル視してたらしくてな、偶然紅蓮を見かけて、転ばせて自分の前で跪かせようとしたんだってよ。紅蓮は、初対面のくせにそういう行動を取った松田を良くは思わねえだろ?んで、今みたいな微妙な距離を保ったままの仲なんだと。」
明らかに悪いのは松田なのだが、その時から、紅蓮は松田とはあまり接したくないと感じたようで、会う度に一定の距離を取って歩くのだとか・・・。
隼人も、自分がその松田によって死にかけたというのに、そんなこともう忘れたかのように、笑いながら話している。
「あ。」
渋沢がある気配に気づき、声を上げるが、隼人は気付かずに肩を震わせて笑っている。
「隼人・・・。楽しそうだなぁ・・・?」
「・・・・・・・・。あ。」
顔を引き攣らせながら、自分の背後に立っている紅蓮の方を振り向く隼人の頭に、資料の束が、鈍器のように振りかぶってきた。
「ブッ!!」
「それ、三時間後の締め切りまでにやっておけ。いいな。」
有無を言わさずに資料を置いていくと、また部屋に戻って行ってしまった。
隼人は頭を押さえながら、頭に乗っている資料を受け取り、本をソファの脇の方に置いて文句を言いながら仕事を手伝う。
「ったく・・・。人使い荒いよな。」
そう言いながらも、真面目に手伝っているのだから、隼人は偉いと思う渋沢だった。
―数日後
隼人の死刑執行だったはずの日から数日経ったある日、隼人は珍しく部屋にはおらず、ターバンを巻いてピアスをし、眼帯を付けていつものラフな格好のまま、欠伸をして歩いていた。
紅蓮と渋沢が仕事の間に出かける姿はあまり見られない光景のため、物珍しさから、わざわざ部屋から出てきて見ている者までいる。
―有名人じゃねえんだから・・・・。
遠くの方からも、『隼人だ!』という声が聞こえてくるが、走ってくるほど何の価値も無いと思いながら、歩を進めていく。
そんな周りの視線や行動に気づきながらも、気にすることはなく、廊下を歩く。
―あいつに借りなんて作るんじゃなかった・・・。
心の中で文句を言いながらも、目的の場所まで辿りついた。
ドアの前で、部屋の中にいるであろう人物の顔を思い浮かべ、口をへの字に曲げながら、ため息をついてから、ドアをノックする。
コンコン・・・
「・・・。」
しばらく沈黙が続き、隼人は首を傾げる。
「・・・あれ。いねえのか?ったく、自分から呼び出しといて、なんだよ。」
ドアの前で髪の毛をかき回しながら文句を言っていると、いきなりドアが開いて、隼人の顔面に直撃した。
「ブッ・・・!!!」
「あ~、悪ぃ悪ぃ。入れ。」
ドアを乱暴に開けたのは、南監獄支部長兼、東監獄支部長代理の叶南だった。
隼人はドアにぶつけた鼻の部分を押さえて叶南を睨みながら、案内された部屋へと入っていく。
「ってぇな・・・。ワザとだろ。」
殺風景な部屋だった。
本棚には本が埋まっているが、背表紙を見てみると、仕事には関係ないようなものばかりだった。
コンビニに売っている雑誌が数冊並んでいる隣には、趣味なのか、釣りやテニス、ゴルフのスポーツ系の本もあり、さらには、健康に関する本も一緒に並んでいる。
一応健康このことを考えているんだと、同情半分、失笑半分。
「何の事だ?」
声が聞こえ、さっきのことを思い出して恨めしそうに叶南をみると、口元を三日月にして笑っている。
「で?俺は何すればいいんだ?」
「コレ、今日中に頼むぞ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
隼人の前に差し出されたのは、三十㎝は高さのある資料の山だった。
今の隼人にとっては、富士山よりも、ましてやチョモランマ級の高さに匹敵するほどに感じられた。
そして、紅蓮にさえも渡された事の無い資料の山に、文句を言う。
「いやいやいやいや、ねぇって。これはねぇって。一応俺、病み上がりだから。」
差し出された資料を突き返しながら拒否をするが、叶南は隼人と同じくらいの資料の山を見せて、ニコリと笑う。
「斎藤のことで時間割かれたうえに、斎藤不在で、東監獄の分まで仕事が溜まってんだよ。紅蓮も渋沢も仕事で忙しいだろ?暇なの、お前しかいねぇだろうが。」
効果音は『ニコリ』なのだが、背後に纏っているオーラは、それとは真逆のものだ。
斎藤の動きを調べてくれたのも、共犯を探してくれたのも叶南であって、感謝はしているが、それとこれとは話が別だと思う隼人だった。
「・・・聖は。」
叶南の言っていることは正論で、隼人自身も、微かながらも自分に非があるのは理解しているため、口を尖らせながら悪あがきをしてみる。
「あいつもしばらく休みなしで働くみたいだ。」
悪魔のことを調べるのに、同僚に時間を変えてもらったり、無給休暇を取ったらしく、事件が解決した今、休んでいた分はきっちり働くようだ。
「耳が痛ぇよ。」
自分だけが休んでいるわけにもいかず、隼人は叶南の手伝いをすることにした。
コーヒーも好きなだけ飲んでいいと言われ、叶南の仕事場にある、少し硬いソファに座って、仕事を開始した。
かれこれ数時間経ち、とっくにお昼が過ぎていることに気付いた叶南は、お腹が空いたので隼人に買い出しに行かせようと隼人に目を向けると、真剣な眼差しで資料に目を通していた。
叶南とほとんど変わらなかった資料は、叶南の倍以上見終わっていて、色んなところに印がついていたり、妥当な懲役が書かれている。
叶南は隼人に声をかけずに部屋を出て、身体を動かしながら、近くを通りかかった部下に、昼を買って来てくれるように頼んだ。
部屋を覗いてみるが、隼人の集中力はまだ続いている。
―流石だな。
一人感心しながらも、お昼が到着するのを待つ。
叶南が隼人のことを知ったのは、風に乗って流れてきた噂による。
噂と言うのは、学校始まって以来の秀才にして天才、神の使命を果たす為に産まれてきた隻眼の男が、神の命に背いた、というものだった。
叶南自身、特に興味は無かったが、周りが騒ぐものだから、嫌でも耳に入ってきた。
そして、紅蓮に会って、隼人の話を聞いた。
すぐに噂の男だと分かり、一度廊下で見かけたときに、あまりにも浮世離れした雰囲気を持っていたため、関心を持った。
その後も、隼人の噂を聞く度に、直接話して見たいと思うようになっていた。
実際に話して見ると、なんとも適当な男だと感じた。
確かに浮世離れしたところはあるが、以外に素直で真面目な部分もあると分かる。
こうして無駄口を叩かずに、黙々と仕事をしている姿だけを見れば、そこらの裁判官や支部長よりもそれらしく見える。
「叶南支部長!どうぞ!」
「お。サンキュ。」
部下から二種類の弁当を受け取ると、部屋に入っていき、隼人の前のテーブルの上に置いてみるが、隼人は気付かない。
しばらく、弁当を二つ持ったままで仕事ぶりを観察していた。
・・・とくに面白くない事がわかった。
放っておこうとも思った叶南だが、何も食べないのは身体に良くないと思い、声をかける。
「隼人。弁当食え。ええ・・・と、こういう時使う言葉・・・。」
何かカッコいい言葉を言おうと思ったが、なかなか出てこない。
「『腹が減っては戦は出来ぬ』」
「それだ、それ。」
隼人が気付いたようで、資料を置いて目頭をつまみながら返事をする。
「紅蓮から聞いてはいたが、すげぇ集中力だな。しかも、読むのも予想以上に早ぇ。」
「やっぱ資料読むのは疲れる。目がシバシバする。」
「目薬あるぞ。」
「あ、貸して。」
弁当の周りにくっついているビニールを剥がしていた叶南は、デスクの引き出しに入っている目薬を隼人に渡し、弁当のフタを開ける。
目薬をさして叶南に返すと、隼人も弁当を開けて、割り箸を口で割って食べ始める。
食べ始めてから、食後のコーヒーまでしめて二十分間。
ゴミ箱に捨てると、またすぐに資料を手にする。
「隼人。どうせ裁判長にも何にもなる気なかったのに、なんでわざわざ、こんな面倒な仕事に関する勉強したんだ?」
まだ弁当のだし巻き卵を口に含んだままで、隼人に話しかける。
「知らね。なんか気付いたら入ってた。」
「なんだそれ。お前、全国の浪人生に謝れ。全力で。」
「なんでだよ。それに、例え仕事に就いたとしても、楽じゃねえぞ。誰でも彼でも儲かるわけじゃねえんだからな。」
「まあ、それは言えてるな。」
隼人の言い分に納得した叶南だが、肝心の、無駄なことが嫌いな隼人本人が、一番面倒かもしれない学部に入ったことを曖昧にされてしまった。
もう一度聞こうかとも思ったが、隼人があまりに真剣にやり始めてしまったため、諦めることにした。
「あー!終わった!」
夕方五時過ぎに、隼人は自分の分の仕事を終えて、全身を伸ばしていた。
首をコキコキと回し、腰や肩を叩きながら、テーブルに置いてある、すでに冷めているコーヒーを口に含む。
のんびりとコーヒーを飲みながら寛いでいると、叶南がため息交じりに、独り言を呟く。
「ああ・・・。誰か、心の優しい奴が、仕事手伝ってくれねぇかなぁ・・・。」
隼人はそれを聞こえないふりをして、さらにコーヒーをおかわりする。
「誰か優しい奴はいねえかなー!!!」
声を張り上げて、何とか隼人に手伝いをさせようとする叶南だが、思ったよりも隼人はしぶとくて、なかなか叶南の方を見ようとしない。
「てめぇ・・・。手伝え!」
最後は乱暴に隼人に資料を投げつける。
「なんなんだよ。奥さんにも子供にも構ってもらえない父親みたいな面倒なことするなよ。それに、俺は心優しくねえし、手伝いならもうしただろ。」
耳の穴に指を入れて、五月蠅い事を訴える隼人に、叶南は徹夜をしたかのように、実年齢より上に見える目の下のクマ・・・。
どうしてこんな短時間でクマが出来るんだと、叶南の生態が理解出来ないまま、隼人はしれっとした態度を取る。
叶南がそんな隼人を見て、背筋を伸ばして目を細める。
「ああ。お前の仕事ぶりは見届けた。仕事を片付けるのが早いと言われてた俺よりも早いってのが、なんか気に入らねえ。」
「知るか。俺はもう帰って寝るんだ。」
そう言って、終わった資料をテーブルの上に置きっぱなしにしたまま、叶南の部屋を出ようとした時、叶南に告げられた。
「あ、そうそう。明日もよろしくな。」
「は?」
「くっそ・・・。紅蓮の奴・・・。」
叶南の部屋から、自室へと向かって廊下を歩いている隼人は、不機嫌な顔をして、ポケットに手を突っ込んで足早に通り過ぎる。
叶南に手伝ってもらったということで、紅蓮は隼人のいないところで、勝手に、隼人をしばらく貸すと言っていたようだ。
仕事が溜まっているのは紅蓮だけじゃないのを知っているし、隼人は仕事が早いことも知っていた。
恩を仇で返すのは好まないからと言って、隼人は紅蓮の行動に文句を言おうとしていた。
「おい!紅蓮!」
部屋を開けるが、まだ誰も帰ってきていないようだ。
仕方なく、本を読むことにした隼人は、自分の部屋から本を数冊持ってきて、ソファに寝転がって読み始める。
だが、二、三冊読んだところで、眠気に襲われることになった。
身体を使った時とは違った、頭を使った疲れというのは、なんとも中途半端な疲労感が襲ってくるもので、ボーっとする脳を起こそうとしてコーヒーを飲んでも、眠気は飛んでいかない。
ソファに寝ているせいか、余計に眠たくなる。
紅蓮や渋沢も、まだ帰ってこないだろうと思い、隼人はしばらく寝ることにした。
・・・・・・のだが。
バァァアアアァァアンッ!!!
勢いよくドアが開き、その音に隼人の目は一瞬だけ覚めた。
「・・・なんだ。渋沢か。脅かすな。」
「え、何それ。てか、そうじゃなくて、今の俺の状況見てよ!」
今の渋沢の状況は、両手にずっしりと、昼間隼人が叶南から渡された何倍もの資料が重なっていて、ドアを蹴飛ばして入ってきたようだ。
「・・・大変そうだな。」
「手伝ってよ~!!」
「嫌なこった。」
渋沢が重そうな資料をテーブルに、やっとの思いでおいた時、すでに隼人は目を瞑って、安らかに眠ろうとしていた。
ため息をつきながら台所でコップにコーラを注ぎ、一気に喉へ流し込む。
「あ~・・・。腹減った・・・。あ、そういや、隼人は昼飯どうしたの?」
ソファの上でウトウトとしている隼人は、もう少しで渋沢の声が聞こえない世界に旅立とうとしていた。
隼人が夢の中に行く前に、渋沢は隼人の頬をビンタして起こし、もう一度同じ質問をした。
「・・・やっぱ最近よぉ、渋沢、俺の扱い雑になってねぇ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そんなことないよ。」
「なんだ、今の間は。」
ヒリヒリする頬を摩りながら、渋沢に仕返しとばかりにチョップをする。
すると、さらに渋沢がやり返す、という行為が何度も繰り返された結果、数分間にも及ぶ激戦となった。
休戦という形をとり、二人はそれぞれのソファに倒れ込んでいった。
「昼は、弁当奢ってもらった。ま、叶南が金出したかは知らねえし、きっと部下に買いに行かせたんだろうし・・・。」
「いいなー。俺はあんぱん五個と牛乳だけだよ。」
「・・・お前、誰かを張り込んでたのか?」
お腹をぐうぐう鳴らしながら、隼人の昼飯を想像した渋沢は、恨めしそうに隼人を見て、キッと睨んだ。
「やっぱり手伝ってよ。そんな快適な生活送ったんならさ。」
足をバタバタさせながら隼人に提案という名の強要を求めるが、一向に渋沢の意見に対して首を振ろうともしない隼人。
「ね~ね~ね~。可愛い弟のような存在の俺が言ってんだよ~?」
「スル―していいか?」
テーブルに伏し、頬にあとがつくくらいにテーブルに顔を横向きにして乗せている渋沢のお腹からは、再び奇怪なハーモニーが聞こえてくる。
しまいには、何かの替え歌を歌い始め、カレーだのクレープだの、チャーシュー麺だのざるそばだの、最後の方はアンパンマンまで登場してきた。
渋沢の足がバタバタと動いているのも気になり、隼人はため息をつく。
「五分の一ならいいぞ。」
「・・・半分。」
「どつくぞ。」
「・・・・・・・・三分の一。」
「・・・はぁ。しょうがねぇなぁ・・・。夕飯は渋沢が作んだぞ。」
隼人が額に手を当てながらもう一度ため息をつくと、渋沢はパッと顔と身体を起こして、テキパキと資料を分け始めた。
それを見ながら隼人が欠伸をしていると、ドアが開いて、紅蓮が帰ってきた。
「なんだ、二人してもういたのか。」
紅蓮は溜まった仕事を、きちんと仕事場で終わらせてきたようで、何も手には持っていなかった。
「紅蓮!お前、勝手に叶南にしばらく俺を使うように言ったらしいな?」
「ああ。悪いか?どうせ暇だろ。」
全く悪びれた様子の無い紅蓮に、隼人は何も言う気が無くなり、諦めて渋沢の仕事を手伝う事にした。
資料を手に取れば、瞬時に頭を切り替えて集中することが出来る。
渋沢が夕飯を作るとなると、仕事の効率が悪くなるが、下手に手伝ったりしたら、渋沢の為にもならないという葛藤が起こったが、料理を作る気にもならなかった為、渋沢に十五分だけ仕事を手伝うから、その間に飯を作れと指示する。
ソファに座って、紅蓮と隼人は淡々と仕事をこなす。
その間、渋沢は愉しそうに鼻歌を歌いながら料理をしていて、紅蓮の耳には微かに届いているが、きっと隼人は聞こえていない。
―こいつの集中力は、相変わらずだな。
ちらっと隼人の方を見て、黙々と素早く読んで手早く直していくという仕草の、正確さとスピードで、隼人の右に出るものはいないと再認識する。
そうこうしているうちに十五分が経ったようで、渋沢が焼きそばを両手と腕に乗せて、二人が仕事しているテーブルに運んできた。
「はーやーとおぉぉぉおぉおおぉ!!!」
渋沢が叫ぶと、流石にすぐに反応して、資料をどかす。
テーブルに並べられた大盛の焼きそばを食べながら、渋沢が二人に話す。
「今日さ、聖見かけたよ。相変わらず無表情な人だよね。あ、そういえば、聖に本返したの?」
「本って?」
「言ってたじゃん。なんか知んないけど、高い本借りたんでしょ?」
聖と隼人の会話を思い出しながら話す渋沢に、眉を顰め、考えていた隼人が、ああ、と言葉を零した。
「あれな、嘘だ。」
「嘘!?」
驚いた拍子に、口に入れていた焼きそばの麺が少し飛び散ってしまった。
「あ~あ~。布巾で拭いとけよ。」
紅蓮もあまり驚いてないようで、何も気にせず焼きそばを口に運んでいた。
「ごほっ・・・。だって、嘘って・・・。聖ってアドリブ利く人なの?」
「利くも何も、あいつ結構アドリブ好きじゃねえの?学校の発表とかもそうだし、『嘘も方便』を座右の銘にしてる奴だからな。」
「どんな座右の銘だよ。イメージ崩れるし・・・。」
口元をタオルで覆い、台所から持ってきた付近でテーブルを拭きながら、渋沢は咳込み、聖に対する今までの『真面目』のイメージを払拭した。
「紅蓮も知ってたの?」
自分と違って落ち着いている紅蓮に聞いてみる。
「いや。だが、隼人が聖に何かを借りたりはしないだろうとは思ってた。」
「なるほどね。」
一人ため息をつきながら、渋沢は焼きそばを食べる。
焼きそばを食べ終えると、渋沢は片づけをしてから仕事に入り、隼人はハイスピードで手伝う。
紅蓮は隼人と渋沢の仕事の早さを見比べてため息をつき、渋沢の前に積み重なってる資料の四分の一ほど持って、自室に入って行った。
隼人の分が終わったのが午後九時二十五分。欠伸をしながら風呂場へ向かい、シャワーを浴びて一人で先に寝始めた。
紅蓮が部屋から出てきたのが午後十時三十分。隼人が寝たことを理解すると、隼人同様にシャワーを浴びて、コーヒーを一杯飲んでから就寝する。
最後に残った渋沢が仕事を終えたのが深夜十二時五十三分。資料をまとめながら、そのままソファで寝てしまった。
―翌日 午前五時
プルルルルル・・
三人が寝ている部屋に電話が鳴り響く。
「・・・もしもし。」
半分寝惚けたまま、渋沢が受話器を受け取ると、今の状態で一番大きい声を出して、隼人を呼ぶ。
ターバンもピアスもしていないまま隼人が、髪を乱しながら部屋から出てくると、渋沢は手に受話器を持ったまま寝ていた。
「はい。誰ですか、こんな時間に電話してくる非常識な叶南さんは。」
《分かってるんじゃねーの。》
電話の相手は叶南で、もうすでに起きているようで、声がはっきりと聞こえてくる。
「なんだよ。俺はまだ眠ぃーんだよ。若いから。」
《若さ残ってんなら起きろ。お前、俺の手伝いするっつったろ。俺の勤務時間知らねえのか。》
「知るか。寝るぞ。」
《待て待て。》
受話器を置こうとした隼人の耳に、ため息交じりに聞こえてきた停止の言葉は、なんともやる気の無いものだった。
《俺は五時から仕事だ。部下は四時半からなんだからな。お前は五時にこっちに来てろ。終わりは資料確認の手伝いが終わったら帰っていいから。な。すぐ来い。》
隼人が返事をする前に叶南に電話を切られ、仕方なく部屋に戻って、着替えてターバンとピアスを付けて、顔を洗ったり歯を磨いたりと一通りの朝の行動をすると、ドアを開けて叶南の仕事場へと向かう。
ただし、走って行ったり、背筋を伸ばして行ったりはせず、それとは逆に、見るからにダルそうに、起きてばかりの柔軟性に欠ける身体は若干猫背になったまま、髪をワシワシかき乱しながら歩いていた。
「早かったな。」
「・・・。」
仕事場についた隼人だが、叶南はのんびりと椅子に腰かけて朝食タイムを楽しんでいる。
文句を言おうとしたが、今はそんな気力もなく、目を細めて睨んだ。
「・・・なんか文句言いたげだな。」
叶南が、何もつけていないパンを頬張りながら隼人に投げかけるが、朝食も食べずに叶南のもとにやってきた隼人からすれば、嫌がらせにしか思えなかった。
実際、叶南はそういう意地悪というか、ちょっとした嫌がらせといった類の行為をすることが、度々ある。
「飯、食わないで来たんだけど。よこせ。」
「まあまあ、落ち着け。カルシウムが足りないようだ。」
相手の言いたい事や、思っている事を分かっていても、それを観察して楽しむのが、この叶南という男だ。
「飯付きじゃねえなら、俺帰る。」
隼人が踵を返そうとしたとき、叶南が笑いながら隼人の分を持ってくるように、部下に指示する。
丁度パンが焼けたところのようで、温まってるパンとコーヒーが出てきた。
「・・・あんた、性格改善しろよ。」
呆れたように言う隼人に対して、叶南はケラケラと笑い続けて、パンを食べる。
「この歳になって、もう無理だな。お前が我慢しろ。」
「・・・(こいつ、何歳?)。・・・そうだな。」
叶南の年齢だけは読めない・・・。
それほど歳にも見えないような、見えるような叶南は、斎藤と同期という事は、やはりそれなりに『おじさん』なのだろうとは思ったが、斎藤と並んでも、同じ歳というのは違和感を感じてしまう。
だからといって、若くはないのは分かる。
仕事柄忙しく、髭など剃る時間も無いはずなのにも係わらず、髭が伸びているわけではない。
『ダンディ』とは程遠いように見えて、話して見ると完璧『おじさん』であったりする。
「叶南って、何歳だ?」
モヤモヤしたまま会話を終わらせるわけにはいかないので、隼人は思い切って聞いてみることにした。
「・・・。年齢を聞くなんて、野暮だな。」
「お前はマダムか。」
軽く流され、また笑って誤魔化されてしまい、隼人はため息をつく。
―南監獄 拘置所
「ハハハハハ!!!俺を死刑に出来ると思っているのか!!!貴様らごときに、この私がッ・・・。斎藤寛治を裁けると思っているのか!!??人間を裁くなど、人知を超越した存在で無い限り、無理なのだよ!あの『隼人』だって、所詮は人間の力で封じれる程度の悪魔だ!!あんな奴に・・・あんな奴に私はあぁァああ ぁアアァ・・・!!!」
鉄格子の中から、看取たちに向かって叫び続けている斎藤は、毎日朝から晩まで、迷惑考えずに暴れている。
梓愛加が斎藤のしたことを告白したことで、殺人幇助として斎藤も罰せられる事となった。
隼人に罪を被せたことも含めて、斎藤の裁判は速やかに行われ、第一審判決では『死刑』となった。
手口が巧妙で、自分のことしか考えていないという理由からのようだ。
当然、梓愛加も死刑を宣告されたが、ただ黙って頷いていた。
「梓愛加あぁァアァアあぁああ アぁあ アぁああ!!!」
手錠をつけられている腕からは、血が出てきているが、斎藤はそれでも痛みを感じていないように、ひたすら叫んでいた。
あまりに暴れる為、身体を固定するように縛られて、口にも薄手のタオルを入れられたが、それでも身体を捻って暴れたり叫べるだけ叫んでいる。
一方の梓愛加は、大人しく清掃活動をしていた。
しかし、両手両足には頑丈な鎖がつけられていて、重りまでついていて、梓愛加が動く度に、ジャラジャラと金属同士の擦れる音がする。
「・・・。」
自分に対する誰かの愛情は感じることが出来無かったが、梓愛加はそれでも幸せだった。
自分の死を愛する事が出来れば、それでいいと・・・。
「最期。幸福。」
小さいころから描いていた、誰かに愛されたいという本能に従って生きてきた結果、今のような状況になってしまった。
愛され方も知らず、愛し方も知らず、やり方を間違えてしまったために、悪魔に脳を喰われてしまった梓愛加だが、後悔はしていない。
例え、自分の身体が、脳が、全てが喰われて無くなってしまったとしても、梓愛加にとって、それは誇りとしてしか受け取れない。
望まれない存在では無かったと、愛された存在でいられたのだと、それが証明出来るのであれば、梓愛加はどんな事をされても良かったし、どんなことも愛する事が出来ると思っていた。
―私は悪魔に愛された。
―私は、悪魔の一部になれた・・・。
自分の身体の一部が悪魔に喰われたことによって、悪魔の一部へと姿を変えることが出来、それは即ち、生まれ変わったのだと認識している。
梓愛加は嬉しそうに笑いながら、頬を紅潮させた。
―私は、望まれた。
―私は愛の副産物なんかじゃなかった。
―ちゃんと、一つの固形物として、この世に存在した・・・。
此処に捕まってからも、飢えた男が梓愛加に手を出そうとしたが、その狂気に満ちた顔を見て、逃げ出してしまう。
それでも梓愛加は、幸せそうに嗤った。
―門番休憩室
聖は、自分の仕事のスケジュールを確認していた。
自分から言ったことだとは分かっていても、普段なら文句を言ってもおかしくはないほど、毎日何時間も仕事が入っている。
「はぁ・・・。」
今日も、午前三時から仕事が始まり、六時と九時、そして今お昼休憩で三十分だけ休むことが出来ているが、午後も四時と七時と十時に休憩があるだけで、それ以外は深夜十二時まで仕事となっている。
何度もスケジュールと睨みあいを続けるが、睨んだところで何も変わらない。
同僚や後輩から交代すると言われるのだが、隼人の死刑執行日までの間、ずっと休んでいたので、それは悪いと考えたのだ。
門番の仕事は楽なようだが、たまに、極たまに、暇をしている裁判官(松田とか)に厭味を言われる事がある。
ただじっと立っているだけでは無く、定期的に悪魔の見回りをすることもある。
見回りと言っても、実際に地獄に行くのではなく、遠隔操作で監視をしたり、地獄行きになった悪魔の資料作りをしなければならない。
「はぁ・・・。」
もう何度目になるか分からないため息をつきながら、時計に目をやると、休憩終了時刻に迫っていた。
―こんなに一気に仕事は入れるもんじゃねえな・・・。
後悔をしながらも、どうしようもない自分の仕事の予定に、多少の憤りを感じながらも、ドアに近づく。
聖が休憩室から出ると、どこかの監獄の部下が走ってお昼を持って走っているのを見かけた。
「・・・。」
部下らしき男が通り過ぎて行ったのを見届けると、自分の仕事場である門まで向かう。
―過労死しそうだ。
ふと、『過労死』とは縁遠い人物の顔を思い出し、急に険しい顔つきになる。
聖とは犬猿の仲といってもイイが、犬猿の方が仲はいいだろうと思うほど、聖と隼人は仲が良くなかった。
実際はどうなのか、それは本人たちにしか分からないが、隼人の存在を知ったのは、学校の入学直後の試験の時だった。
満点だと思っていた試験は一点減点されており、本来百点満点のはずが、百二十点という、満点以上の点数を叩きだした男が隼人だ。
満点以上の理由は、模範回答よりも分かりやすく、正確で的確な回答だったためだ。
そして、試験中も、与えられた時間全部を使って解いたのではなく、半分も使わずに終わってしまい、欠伸をしていたくらいだった。
先生からしてみれば、『あいつは試験を捨てた』と思われていたようだが、隼人の答案用紙を覗きに行った先生の一人が、目を見開いて驚いていた。
終わっていることに驚いたのかと思っていた他の先生も、答案を見た途端に、互いの顔を見合わせていた。
「暇なんすけど。」
肘をついて頬杖をつきながら、隼人は何とも暇そうに呟いた。
他の生徒たちが、初日ということもあって失礼の無いような正装を身に纏っている中で、隼人だけは七分の白のVネックという、爽やかな格好であった。
その日から注目を浴びることとなった隼人だが、本人は注目されるのが大嫌いなため、人目を避けるようにして学内を歩いていた。
「勝負しろ。」
いつも一番を取る隼人に、初めて話しかけた言葉が、喧嘩を売る言葉だった。
「勝手にやってろ。」
そう言われ、毎回勝手に勝負をしていたが、毎回負けていた。
今思えば、大した会話をしたことは無いが、隼人の勉強方法を調べたり、読んでいる本を借りたりしてはみたが、隼人は脳の活性化が半端じゃないんだという結論にとどめた。
本を読む速さは勿論、問題を解くスピードもケタ違いのもので、本気で追いつこうとするならば、半年、もしくは一年以上はかかることだった。
生まれながらにそれが出来ている隼人は、それがスゴイ事だとは思っておらず、それがまた聖の神経を逆撫でする結果となっていた。
返却された回答用紙を見せてもらおうとしたときには、すでにゴミ箱に捨てられていて、どうして捨てるのかと聞けば、『邪魔なうえに嵩張るから』と答えた隼人に、聖は初めて本気で呆れて、全身からため息をついた。
紅蓮や渋沢と会って、隼人は少しずつ変わったとは思う。
根本的な性格は変わっていないが、物事の捉え方とか、他人に対する感情とか、そう言う事に関しては、丸くなったようだ。
思い出にふけっていた聖だが、ハッと我に返り、自分の仕事に集中することにした。
―ああ。嫌なこと思いだした・・・。
叶南にいいようにこき使われながらも、きちんと仕事をこなしていく隼人を見て、叶南は顎に手をあてながら呟く。
「お前、やっぱり俺んとこで働けよ。」
「断る。俺が何の為にあの部屋で生活してると思ってんだ。」
「あ~。引きこもりなんだっけか?お前。」
「違う。」
叶南と共に、監獄内の見回りをしている隼人は、ため息を何度も何度もつき、その度に叶南に『幸せが逃げるぞ』といわれる。
それに対して、隼人も毎回『誰のせいだ』と言い返してはいるものの、叶南は知らん顔を続ける。
「あ、斎藤もいるぞ。『危険・要注意人物』のブラックリストに載ったから、少し離れたとこの地下だけどな。会うか?」
「会いたくねえ。虫唾が走る。」
苦虫を噛んだように、思い切り嫌な顔を見せる。
その表情を見て、叶南は滑稽な物語を見たかのように、大笑いする。
「ハハハハ!そう言うと思った!」
見回りをしている間だけで、隼人はもう数人が悪魔に喰われているのを見ていた。
悪魔を見かける度に、『同志だ』という声が、神経を、脳を、血液を巡って隼人に伝わってくる。
気分の悪さは残るが、以前とは何かが違う。それがなんなのかは、隼人にはまだ分からなかった。
いつものように、悪魔が血の臭いに誘われて隼人の耳に本能である『殺戮』を綴るが、隼人はそれが聞こえないような態度を取る。
人間の本心に比べると、悪魔なんて可愛いものだと感じ始めていた。
「お前、今悪魔見えてんのか?」
突然叶南に聞かれて驚いた隼人だが、ため息をつきながら頷く。
「その右目、お前はどう思ってるんだ?」
ずっと前に、紅蓮にも聞かれた事のある質問だった。
だが、その頃とは少しだけ違った感情を持っていた。
「最初は・・・憎かった。」
小さく響き渡る弱弱しい隼人の声は、二人の靴音と呼吸音に交じりながら耳に届く。
「もともと、継承されなかったはずなのに、無理矢理移植されて『受け継いだ』っていう形にされて、俺は生まれながらに『異端』だった。」
その後も、ぽつり、ぽつり、と話す。
「受け継がなくても『異端』、受け継いでも『異端』。悪魔が見えてる世界がどんなものか知らない奴らに、後ろ指さされてきた。俺だって欲しかったわけじゃない。見えたってイイことなんかなんもねぇ。ただ気味悪がられて、距離置かれて、いない存在にされて・・・。この目が嫌で、何度も失明させようとした。鉛筆で刺せばいいかとか、殴ってもらえばいいかとか、目ん玉をえぐり出せばいいのかとか、色々考えた時期もあった。」
ポケットに手を突っこんで、斜め下を見つめながら、口元だけ自嘲気味に笑っているが、その目は、酷く深い悲しみに満ちていた。
「何度もやろうとしたけど、出来なかった。いざ右目を壊そうと思うと、怖くなって、震えて、泣いてた。だから、他人とは一線引くことにした。そうした方が、色々と都合が良くて、楽だった。綺麗事ぬかす奴も、優等生ぶってる奴も、偽善者気取りのやつも、客観的に、傍観者として見ることが出来た。そしたら、そんな奴らのこと気にしてるのが馬鹿らしくなってよ。どうせそいつらと一生を共にすることなんて有り得ねぇんだから、別にどうでもいいやって思えた。悪魔が見えようが見えまいが、俺は俺の生きてぇように生きればいいって分かってよ。ま、これからも何言われるか分かんねえけど、誰に何言われようと気にしねえで、悪魔共々、俺の生きてる時間の背景として受け入れようって思ったんだ。」
隼人が話終わった頃には、丁度叶南の仕事部屋に戻ってきていた。
二人が部屋に入って、ソファに座りながら、テーブルの上に出しっぱなしにしてあったコーヒーを口へ運ぶ。
隼人は、足を組んで片腕はソファの背もたれにかけ、優雅にコーヒーを飲んでいる。
「隼人。」
「あ?」
ふいに叶南に声をかけられ、隼人はカップから口を離して返事をする。
真面目な顔をした叶南を見たのは始めてかもしれない、と考えていると、叶南はコーヒーカップをテーブルに置いて、真剣な目で隼人を見る。
「もし、悪魔が見えねえ普通の目にしたいってんなら、俺の知り合いに頼んでみるぞ。性格は保証しないが、腕は確かだ。」
口ではああ言ってはいたが、やはり身体に異物を組み込まれたような右目を、そう簡単には受け入れられないだろう。
そう思った叶南だったが、隼人は目をパチクリさせ、その後顔をくしゃくしゃにして笑いだした。
「ハハハハッ!!・・・叶南。それには及ばねえよ。確かに今でもこいつらは受け入れ難い存在だ。・・・でも、俺は最近、この目のお陰で、他人には分からねえもんが見えて、聞こえねえもんが聞こえるってことに、感謝してる。」
「感謝?」
隼人の言葉に、眉を顰めた叶南。
「ああ。人間だけの世界じゃねえってことだ。」
そう言って、叶南から渡されていた仕事を始めた隼人だが、叶南は隼人の言った意味を少し考えて、何か理解したようで、フッ、と笑って、自分の仕事を始める。
「それにしてもよ、叶南が紅蓮とか聖と知り合いだとは思わなかったな。」
仕事を始めて数分経った頃、唐突に、隼人が思い出したように、叶南に話しかける。
「ああ。ま、聖とは仕事柄良く会うしな。紅蓮は、昔俺が検事だったころに話した事があってよ。」
「へー。あいつ、そういうの話さねえからな。」
「ずーっと無表情だからよ、一回聞いたことあんだよ。」
「?何を?」
ピタリ、と仕事をしていた手を止めて、叶南の方を見るが、叶南の顔は手元になる資料によって確認できないが、声が笑っていた。
「『なんでいつもそんな顔してんだ?』ってよ。」
どんな聞き方してるんだ、とツッコミを入れそうになった隼人だが、叶南は豪快に笑って終わるだろうと思い、何も言わなかった。
叶南はその時の事を思い出したようで、隼人に聞こえるか聞こえないくらいの大きさで、プッ、と笑っている。
「紅蓮の奴、なんて言ったと思う?『表情作るのが疲れる』だと。そりゃ、無理に笑う必要は無ぇけど。」
紅蓮の言葉の部分だけ、紅蓮の真似をした叶南だったが、隼人はそれが誰の真似か分からなかった。
隼人は相槌を打ちながら、また資料に目を向ける。
隼人からしてみると、逆に叶南はいつも笑っていて疲れないのかと聞きたくなるが、意外と仕事をしているときは真面目な顔だ。
いつも笑っているという印象を持たれている人は、それはそれで大変そうに感じた。
そんな感じで、叶南のもとで手伝いを始めてから一カ月ほど経った頃、休みを貰えることになった。
とはいっても、本を読むしかすることがない隼人は、ごろごろと過ごそうと考えていた。
「俺も休みもらったよ。」
渋沢も紅蓮も珍しく休みになったようで、三人は朝から個人で好きな事をしていた。
お昼を少し過ぎた頃、渋沢が徐に口を開く。
「・・・なんかさ、三人でちょっと出かけたくねえ?」
「「出かけたく無ぇ。」」
渋沢の提案に、紅蓮と隼人は息のぴったり合った拒否を示した。
「え、なんで。ちょっとだよ。ちょっと。」
「ちょっとってどんくらいだ。」
「んっと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。千里くらい?」
「お前、それどんくらいの距離か分かっていってるか?」
「知らないけど、確か『母をたずねて三千里』でしょ?だから・・・。まあ、いいや。でさ、どっか行こうよ。こんなんじゃ俺漬物になりそう。」
「なれるもんならなってみろ。漬物だってな、生半可な気持ちじゃなれねえんだよ。」
「隼人って漬物信仰してんの?」
渋沢と隼人のどうでもいい、全くもって興味無い会話を聞きながらしながら、紅蓮はテレビのニュースに耳を傾けている。
しばらく隼人と渋沢の抗争があったが、それも電話が鳴ったことで終結を迎えた。
「はい。はい。・・・・・・分かりました。」
受話器を置き、紅蓮は自室に入っていく。
隼人と渋沢は二人でのんびりとテレビを見ることにしたが、見たい番組が違った為、リモコンの取り合いになった。
隼人がリモコンを奪ったところで、紅蓮が部屋から出てきた。
「あれ?紅蓮、何で仕事服に着替えたんだ?」
渋沢が紅蓮に質問した一方で、隼人はいち早く嫌な予感をキャッチし、自分の部屋に逃げようとしたが、紅蓮に首根っこを掴まれた。
「俺、体調悪いかも。」
「室内に籠ってるからだ。」
あっさりと切られ、諦めのため息をつく。
隼人を離すと、さっさとドアの方に向かい、ドアの前で後ろを振り返り、二人に告げる。
「仕事だ。行くぞ。」
隼人と渋沢はキョトンとしていたが、すぐにニッと笑う。
「「はいよ。」」
紅蓮の後に続いて部屋を出て行く。
見たことのある風景も、違う景色に見えてくるのは、人間が勝手に勘違いしていることなんだろうけど、それはきっと心があるからだ。
窓からは景色が一望できる廊下を歩きながら、渋沢が紅蓮と隼人に問いかける。
「なあなあ。人って、なんで不平等なんだろうな。上手くいっちゃう奴もいれば、頑張っても結果が出てこない奴もいるし・・・。」
自分のことを言っているのか、それは分からないが、前を歩く紅蓮は何も答えずに歩いていて、その歩調に合わせながら歩いている隼人が、窓の外を眺めながら答える。
「笑って暮らすも一生、泣いて暮らすも一生。ってな。」




