-力との邂逅-
「イーツキッ、一緒に帰ろ……」
和哉は、仕事も終えて浮かれ気分に休憩室の扉の隙間から顔だけを出したが、その中の意外な光景に驚 いて思わず言葉に詰まらせた。
なんとあの一樹が、今や美波に並んでノアの2強との噂の名高い、あの瑞穂氏と楽しそうに話をしているではないか!
しかも、ご機嫌に声を掛けた自分のことなど全く気にかけるどころか、気づきすらしないで…。
和哉は溜まらなくなってツカツカと部屋の中へ入っては、一樹の前へと立ってテーブルを叩きつけた。
「一樹がそんなやつだったとはな! 俺たちの……、俺たちの2人の夢だったはずなのに抜け駆けするなんて」
一樹は、突然目の前に現れ、身に覚えのないことを言う和哉へ思わず目を丸くする。
「夢って何の話だよ」
「な、な、なんだって!! 俺たちで夜通し話し合ってたじゃないか。ノアの女の子と仲良くなって休憩室で一樹に見せ付けるっていう、あの夢を忘れただって!」
夜通しお前と話し合えるほど俺はタフではないし、後半はもうお前の願望でしかない。と、一樹は心の中で過ぎらせては合えて口には出さずにした。
「あ~ぁ、せっかくお前と2人で映画を見に行こうとわざわざ2人分のチケットまで用意したのに。まさかそんな酷いヤツだったとは」
和哉が懐から取り出した2枚のチケットを手元でヒラつかせて見せた。
ただ、そう言われたものの、一樹は和哉と2人で映画を見に行ったことなどなく、何よりそのチケットに書かれる映画タイトルの『愛し合う2人』からして、男2人で見に行くような映画ではない。
恐らく、普通に頼まれても一緒に行くつもりはないだろう。
それこそただでさえ今は、レイコのお陰で瑞穂を始め他でも色々噂されているというのに、それこそ『そっちの方面』も確立しかねない。
「でも、どうすればいいんだこのチケット、せっかく2枚もあるのに。せめて、こんな俺と誰か一緒に……」
それはもう芝居とも呼び難いくらい、いや逆にミュージカル調に、2枚のところをわざわざ強調してからわざとらしく瑞穂に気づいたフリをして見せると、こんなところにと言わんばかりの素振りをする。
「あぁ、なんて運命的な偶然なんだ! どうだい瑞穂さん、こんな可哀想な俺を助けると思って良かったら2人で見に行きませんか?」
可哀想なのは、その貧困な発想からなる演出力だよと呆れる一樹だったが、いつにも増して気合の入っている和哉のオンステージをとりあえず崩すまいと、今はまだ言葉を飲み込むことにした。
迫られる瑞穂は、彼女の優し過ぎる性格が邪魔するのか、そんな悲劇を気取った文言を無碍に断れないといった具合に返答へ戸惑を見せる。
それまで高をくくっていた一樹だったが、ここに来て「まさか有効打なのか?」と気持ちを焦らせた。
そんな瑞穂の反応に気を良くした和哉は、更に追い討ちを掛けるようにして、またもクルクル回ってミュージカルを続け始めるが、なぜか突然、その場に前のめりになって倒れこんだ。
それはもう、「ビタン」という擬音語が似合うくらい結構な勢いで…。
「あ、ゴメンね、和哉君」
その後ろから美波が部屋へと入って来た。
どうやら、入口でクルクルと回っていた和哉が眼ざわりなあまり押し倒したに違いない。
「お待たせ。じゃ、行こっか」
「うん。まずは買い出しからだよね」
今までのやり取りがまるで無かったことのように、2人は倒れる和哉へ見向きもせずまま、その横を素通りすると早々に休憩室から出て行った。
いや寧ろこの場合、まだ倒れているところを踏んだりしてあげてやった方がアイツ的には報われたのかも知れない……。
「一樹も早く。今日はアンタの為なんだから」
部屋の外から催促の声が聞こえると、和哉の様子が気になっていた一樹だったが2人を追って席を立つことにした。
去り際、和哉がムクリとようやく上半身を起こしたため、謝罪の意を込め手を合わせるが、それを見た和哉は何故かジェスチャーで何かを訴えかけてきた。
その動きは一考に理解不能なものなのだが、彼が言わんとすることを一樹はちゃんと理解していた。
それは兼ねてから2人で約束していた、どちらかが女の子と知り合ったらその友達を紹介し合おう作戦のこと。和哉は、あの2人の友達を自分に紹介するように訴えかけていたのだろう。
外に出た一樹は、和哉の拙いジェスチャーを理解したことに彼との親しみの深さを感じてクスリと小さく笑みが漏れた。
しかしながら、当の彼女達はノアを出てこの方、先程から夕食の献立についてはアレコレ楽しそうに話をしているが、それなりにインパクトのあった和哉について触れようとする気配すらない。
ハァと溜め息を漏らすと、和哉へ向けて心の奥で改めて深く謝罪した。
「……分かってるの?一樹」
そんな折り、突然美波に問い掛けられてハッとする。
「だいたいアンタの料理がお粗末だから、こうやってわざわざ教えてあげようってことになったんだから、今日はちゃんと精進するのよ」
「あ、あぁ。分かってるよ」
1人暮らしがそこそこ長い一樹にとって、その分自炊経験も長く、料理については一般の男性と比べてそれなりに出来る方なのだが、何分他2人のそこいらのシェフではじゃ太刀打ち出来ないレベルの料理と比べられては、お粗末と言われても言い返す言葉はない。
「それじゃまず、そこのスーパーでお肉を買ってまたすぐ移動だからね」
「え?」
一樹が不思議そうな顔をすると、美波が仕方無さそうに腰へ手を当てて溜め息をつきながら説明する。
「あそこじゃお肉以外は割高なのよ。それよか他のところへ行った方がお得ってこと。そんなことは朝刊のチラシで既にリサーチしとくのが基本よ。ね、ミズ……ホ?」
すぐ後ろに居るはずの瑞穂へ問いかけようとして、振り返った美波の動きが硬直する。一樹も何だ?と思い振り返ると、瑞穂が自分達の随分後ろで立ち尽くしていた。
しかもなぜだか、その表情あかなり深刻そうに見える。
異変を感じて瑞穂と共に駆け寄ると、瑞穂から驚くべきことを告げられた。
「この近くで、……ノエルを感じる」
その言葉は、ここ数日間で徐々に薄れつつあったものを一気にフラッシュバックさせた。
特にあの駐車場での生命の危機に陥った出来事が鮮明に恐怖とと共に湧き上がってくる。背筋には悪寒が走り、頬へ冷たい汗が伝う。
「まさか、アイツ等が!」
「それは分からない。でも、この近くで誰かがノエルを使っているみたい」
「場所は? どれくらい近いの?」
「そこの角を曲がった奥、だと思う」
角を曲がった奥とは、運河に面した工業地域なのだが、今はその殆どが閉鎖中であり、この夕方の時間帯でも人通りもほぼ皆無な場所である。
そして何より、そこは今居るこの場所から100m程しか離れていない、程近い場所なのである。
美波が表情を強ばらせながら「近いわね」と小声で呟いた。
「俺が見てくる」
一樹の言葉に2人とも目を丸くしながらお互いの顔を見合うと、呆れ顔で美波が一樹に忠告した。
「アンタね、そうやってまた……」
美波が言わんとしていることを理解して、強い意志で反抗の意を唱えようとする一樹だったが、どういう訳か美波は会話を途中で打ち切ると口元に手を当て悩み出した。
「……と思ったけど、やっぱり全員で確かめに行きましょう」
今度は、一樹と瑞穂が目を丸くしながらお互いを見合った。
そのまま回答を求めるように2人して美波への方へと顔を向けると、それに答えるように美波が解説し始める。
「瑞穂、確か相手はノエルを使ってるって言ってたわよね」
瑞穂はコクリと首を縦に振った。
「だとしたら、瑞穂を狙ってる可能性はかなり低いわ。場所から考えるに、こちらを狙うには立ち居地が逆よ。というよりは、他の第三者に向けられると見て間違いないわ」
確かにその場所は人目に触れず、またその先は袋小路で在る為、以前の自分達のように追い込まれているとしたら打ってつけの場所なのである。
「相手の顔や目的も確認出来るかも。でも、いい? 確認したらすぐにその場は離れるから」
美波の意図に首を縦に振って賛同すると、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
3人揃って問題の門を曲がり、物音をたてないように気を使いながら、建物の影よりその奥の方へとゆっくり覗き込む。
その奥に見た光景に、一樹は我が目を疑った。
なんと、そこには眼鏡を掛けた華奢なサラリーマン風の男が、いかにも強面そうな体格の良い若い男をいたぶるように足蹴にしているのである。
しかも、若い男は二人組らしく、もう一方の男に関しては仰向けのままピクリとも動かない。
世間一般に言うなれば、その光景はまさに『逆』であり、見るからに異様な違和感を醸し出していた。
いたぶられる若い男の「もう辞めてくれ」と裏がえった声が、溢れ出る恐怖心を物語る。
それもそのはず、よく見ると彼の右足は内側へとペタリと倒れ、骨折しているであろうことが見て取れた。恐らく、動かせないで必死に庇っている左腕もきっと重症に違いない。
また、隣で気を失っている男に至っては、口から泡を吹き出させていた。
「お前らゴミは、制裁が必要なんだよ」
そう言うとサラリーマン風の男は右手を突き出し、その手のひらを青白く発光させ始める。
「ノエル……」
横に居た瑞穂が小声で呟いた。
その言葉に驚いて一樹は男の方へと見直すが、それは駐車場の時に見た不可視なものではなく、青白く薄っすらと発光し、はっきりと視認することが出来る。
「ダメ!」
小声ながら叫ぶ瑞穂の声と同時に、男の手から青い光が離れていく。左のスネ部分を目掛けて一筋の線上に変化したひかりはその先で小さくはじける。
ドスンと重りを落としたような低い音とゴキッとくぐもった音が同時に響き、少し間を空けてから、若者が狂ったように叫び声を上げた。
骨折の痛みに喚く若者を、男が「黙れ」と若者の顔を蹴り上げる。しかし、痛みに耐えきれない若者は、うずくまって尚も喚き、男が更に何度も蹴り上げた。
「黙れ、黙れ、黙れ! 黙れと言ってるだろうが、このクズめ」
見て居られない。
一樹は湧き上がる感情に居ても立っても居られなくなって建物の影より飛び出した。
飛び出す間際、美波が「ちょっと…」と何かを言おうとしていたが、気づかないふりして振り切ると男の前へと出る。
「何してんだ、アンタ」
男は一樹に気がつくと、ゆっくりと顔を向けた。
「なんだ、お前?」
一樹を鋭く睨みつけ、掛けていた眼鏡を中指で押し上げる。
「そのまま続けたら、……死ぬぞ」
「こんなモラルの欠片もないクズは死んでいいんだよ。いや、むしろ居なくなった方が社会の為だ。育児の過保護化や摂関の抑止によってどんどん調子づきやがって。私がより良い秩序の為に制裁してやってんだよ」
「俺には、今のアンタの方がモラルがないように見えるけど」
「ハァ? 見てたんだろ、この力を。私は選ばれた特別な存在なんだよ」
一樹の言葉に取り乱し気味の男だったが、コホンと咳払いすると落ち着きを取り戻し、再度眼鏡を中指で押し上げて右手をゆっくり一樹目掛けて前へ突き出した。
「まぁ、どちらでもいい。見たからには、お前も消すんだけど」
先程と同じ様に男の手の平が青白く発光し始めた。
「一樹!」
いつの間にか瑞穂と共に倒れていた若者の側へと移動していた美波が叫ぶ。
「分かってる。ノエルが来るってんだろ」
美波の言わんとすることを悟り、男の手の平に集中しながら返事を返す。その男の手の平からは、ますます光が増してきた。
頬を伝う冷たい汗を感じながら、一樹は先程の若い男に向けられたノエルのことを思い返す。
見ていた限り、アイツのノエルは手の平から一直線上に伸びていた。ならば、男の手の平の直線状にさえいなければ避けられるはずだ。
一樹がそう考えながら身をかがませたのと、男の手の平からノエルが放たれたのは同時だった。
男の手の平から一際強い光が発光したかと思うと、一筋の光の筋が一樹の頭上スレスレを走り去る。
そしてそのまま、背後にあった工業用の分厚い鉄製のダストボックスに直撃すると、轟音を轟かせながら光は弾け飛んだ。
振り返りダストボックスを見ると、分厚い鉄板がポッカリと大きく凹んでいる。
その威力に、一樹の全身の血の気が引いていく。まともに喰らっては大怪我どころか、命の保障だって……。
しかし、今はこの場を離れる訳には行かない。
怪我人へ駆け寄っている瑞穂と美波は男により近い場所に居る為、自分が離れることで男の目がそちらへ向いてしまうかもしれない。
一樹は男の方へと向き直ると、どうしたものかと次の行動について思案する。
男のあのノエルを封じるには、懐へと潜り込んで体ごと押さえ込むしかない。しかし、ノエルを前に正目から飛び掛かる訳にもいかず、回り込もうにも男の左側には壁がある。何よりその右側には、倒れている若者達と一緒に瑞穂や美波が居るのだ。
だが、それをここで手を拱いて居てもそれこそ狙い撃ちされてしまう。と逸る一樹は、ゴクリと生唾を飲み込むと足早に男の左側へと踏み込んだ。
一樹の瞬時の行動に少し遅れて反応る男の前をクルリと90度反転させ、その左側の壁へと向かい合う。そしてそのまま、壁を垂直に2歩ほど駈け上がると、更に上空目掛けて壁を蹴っては更に空高く跳躍して、男の頭上を飛び越えながらその背後へと回り込んだ。
「凄い……」
常人離れした一樹の動作に美波から言葉が漏れる。
そう、一樹は男の前に飛び出したあの時から、体が異常なほど軽く、自身の身体能力が著しく向上していることを実感していた。
先程、男のノエルを避けられたのも、ただマグレなどてはなく、一樹にとってスローモーションにも見えた男の動作を見計らっての行動だった。
その実、男のノエルの威力に怯むどころか、この状況下で男を押さえ込む自信が一樹にはあったのだ。
未だ右腕も突き出したまま体制がままならない男へ、一樹が背後から飛びかかる。
男へつかみかかろうと右腕を伸ばした時、突如瑞穂が慌てて叫んだ。
「一樹、ダメ!」
その言葉にハッとなって、男の右脇から左手が延び出ていることに気がついた。しかも、その手は青白く発光している。
「まさか、左手でも!」と思った時には、男の左手よりノエルが放たれた後だった。
咄嗟のことに加え、手が届くほどの至近距離では避ける術もなく、ノエルは一樹の眼前でノエルは大きくはじけ、爆炎のように拡散する光が一樹の頭部を包み込んだ。
同時に低い爆発音が唸る。
「一樹ーッ!」
男のノエルをもろに受け、無事では済まされないはずの一樹の名を叫ぶ美波だったが、収束した光の後に見たものは、意外な現状と狼狽える男の姿だった。
「な、なんなんだよ、お前……」
怯える男の前にいる一樹は全くの無傷なのである。
「その化け物みたいなノエルで相殺したってのか?」
一樹は男に言われて咄嗟に振り上げていた両腕を見てみると、男と同じ様に両腕の肘から指先にかけて白く発光していた。
いや、男が『化け物』と言ったようにその輝き方は、男の薄っすらしたものとは違って白く燃え盛る炎のごとく溢れかえっている。
「なんだ、これ……」
白い光で包まれた腕先からは、熱く感じるほどの熱が伝わってくる。
「アンタ、それってまさか?」
「一樹が、ノエルを……」
美波と瑞穂の反応に、一樹は男の言った言葉の意味をようやく徐々に理解し始めた。
「ノエル……、これがノエルなのか」
そのまま拳を作って力を込めると、白い光は輝きを増して手の周りへと集約してきた。
「それなら!」
そのまま集まってきた光を、まるで手に着いた雫を振り払うようにして男へ突き出してみる。
すると一樹の思惑通り、手の平に集まった光は一筋の光の線となって一直線上に男を目掛けて伸びていく。
しかし、光は男を捕らえることなく顔のすぐ右側を横切ると、その頬にかすり傷を残すだけだった。
男をすり抜けた光は、背後にあった先程の男のノエルで凹んだダストボックスへ当たり、再び轟音響かせた。
男はそのダストボックスを見るや、驚きと恐怖の余りに腰が抜けてしまい、その場へペタリと座り込む。
なんとそのダストボックスは、その形を大きく変えて元と比べると半分になる程歪んでいたのだ。
男が声にならない甲高い悲鳴を上げながら、両腕で必死に尻を引きずり後ずさりして行く。
その動けないでいる男に、一樹は右手を上げてもう一度拳にノエルを集約させた。
「これで!」
先程右側にそれたことを修正するイメージを浮かべながら、男へ目掛けて再びノエルを放つ。手先より離れた光が一直線に確実に男へと伸びた。
軌道を外すこことなく顔面へ直撃しようとしたところで、何故かノエルはその直前で弾け飛んだ。
何故だ? と光が収束していくなか目を凝らすと、そこにはいつの間にか、新たの男が右手でノエルを軌道を遮るようにして立っている。
どうやら状況から、一樹のノエルをこの男が右手一つで受け止めたらしい。鉄のダストボックスを半壊させるほどの力を。
「なんだ、アンタ」
相当の威力があったはずのノエルをいとも簡単に片手一つで受け止められて、一樹は一見線が細く誠実そうにも見えるその男を警戒すると、後ろに下がって距離を取った。
「し、慎様?」
地面へ伏せていた男が慎に気がついて上擦った声を上げる。
男にとっては窮地を助けられてた筈なのだが、焦りは先程よりも更に色濃く感じられるようだった。
「アイツの仲間か? じゃぁアンタも制裁とかであんなこと」
一樹は瑞穂の側で倒れている2人の若者を視線で慎へと訴えると、右拳に再びノエルを集約させた。
「彼がやっていたことは謝るよ。でも、さっきの君がやろうとしていたことは、彼と変わらないように見えたけど?」
「変わらない? アイツは、倒れた相手を更にいたぶって……」
「彼も、もう君に刃向かう意志は無く、ロクな身動きも出来なかったはず。しかも、君のその膨大なノエルじゃ、それこそどうなっていたか」
「…………」
自身の右手から炎のように溢れ出る光と半壊したダストボックスを見比べ、慎が言ったその威力に納得すると、拳より力を抜いて集まった光を解放させた。
慎はそれを確認すると、男の方へと振り返る。男から怯えきった甲高い悲鳴が漏れた。
「ゆ、許して下さい。モラルを乱す勝手な者につい我慢出来なくて……。で、出過ぎたマネをしてしまいました」
男が土下座しながら必死に謝罪する。
「あなたには後ほど処分を受けて貰います」
慎はそれだけ言い残すと男の前を通り過ぎて、倒れる若い男達の前でしゃがみ込んだ。
「彼等の様態は?」
同じく、側でしゃがみ込んでいた瑞穂へ質問する。
「手足を数ヶ所骨折してるわ。左側の彼に至っては内臓を破裂させて重症よ。なんとか癒しはしたけど、早く病院に連れて行ってあげた方が……」
「癒やした?」
その言葉に慎が突然怪訝な顔をすると、それを見てか、美波が慎へ割り込むように慎へ話し掛けた。
「で、どうするつもりなの、彼等?」
「こちらで一旦引き取ります。騒ぎは避けたいので」
「じゃ、ここも早いとこ撤収した方が良さそうね。結構大きな音してたから」
そう言うと、美波は殆ど原型のないダストボックスを親指で差した。
慎はそれに同意し立ち上がると、携帯電話を取り出して誰かと電話をし始めた。怪我人を運ぶ人手を呼んでいるらしい。
「私達も行きましょう」
そう言って、横を通り過ぎた美波を一樹が振り返り見た瞬間、体から不意に力が抜けて思わずその場で倒れそうになった。
「大丈夫!?」
後から来た瑞穂が慌てて一樹の体を支える。
視界が霞み頭がクラクラする一樹は、それでもいち早くこの場を離れることを優先する。美波の言う、此処へ留まる訳には行かないが、立ってることもままならない一樹の気持ちを焦らせた。
しかし、既に足を上げることも出来なく、視界もほぼ閉ざされようとしている。
「無理して動かない方がいいよ」
支える瑞穂が必死に一樹へ問いかけるなか、その前方で待っていた美波が驚きの声を上げた。
「ちょっ……、アンタ今ごろ」
殆ど見えなくなっていた一樹には美波が何に驚いていたのか分からず、ただカツカツと自分に近づいてくる足音が目の前で止まったかと思うと、突然瑞穂が支えていた腕を掴み上げられた。
「慣れない力を使った為だ。仕方がない」
聞き覚えのある声でそう告げられると、そのまま腕をしっかりと支えられる。
それまで必死で意識をつなぎ止めていた一樹だったが、腕に感じる力強さとその聞き覚えのある声に安堵すると、赴くままに目を閉じた。
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気を失った一樹をサイが運び、瑞穂と共に一樹のマンションへとたどり着いた美波は、自室へと閉じこもり、とあることに頭を悩ませていた。
少し前まで一樹を出汁に豪華な夕食を皆でとるつもりでいたのだが、今はもう料理どころか、食材すら見る気になれない。
考えに煮詰まってハァと長い溜め息を漏らすと、頭を使って乾いてきた喉への水分補給と、帰宅後から珍しくもリビングに居座る人物へ聞きたいこともあった為、自室を出ることにする。
リビングへ入ると、正面に置かれたソファーにサイがこちらを背にして腰掛けていた。
そのまま背後を通り過ぎてキッチンカウンターの方へと回ると、冷蔵庫から水が入ったペットボトルを取り出してグラスへと注いでいく。
コポコポと音をたてながら、窮屈なペットボトルから我先に脱出せんと勢いよく飛び出してくる水が、空だったグラスを心地よいテンポで満たしていく。
そんな光景を瑞穂はぼぅと眺めつつ、不意にサイへと質問を投げ掛けた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
しかし、サイは何の返答も返さず首すらこちらへ傾けもしないまま、無言でソファーへ座り続ける。
美波にとってそれは予測出来た反応だったのか、一切顔色も変えずに質問を続けた。
「瑞穂って、いったい何者なの?」
やはりサイは一切反応を示さない。
ハァと小さく息を吐き出すと、そうくるならばと質問の内容に補足を加える。
「傷を治癒するノエルなんて、聞いたことないわ」
それを聞いたサイは、少しだけ首を傾けてとチラリと美波を横目で一瞥した。
サイに反応があったことを確認して、美波はようやくコップの水を喉へと流し込む。
「一樹のことかと思えば……。随分ノエルに詳しいようだが?」
ようやく返ってきた的外れな返事に、美波は飲み干したコップをキッチンカウンターへ叩き置いた。
「質問してるのは私の方よ」
美波の主張にサイはフッと小さく笑い、その場へ立ち上がる。
変わらず美波の目を見ることはなく、やはり質問に答えようとする様子は見られない。
「直に分かる」
そう言うと、玄関の方へと歩き出した。
美波は出て行こうとするサイを慌てて追って、別の質問を投げ掛ける。
「さっきの彼らが付けていたバッジ……」
その質問に、玄関の扉を開けようとしていたサイの動きが止まった。
「……やっぱり、いいわ」
しかし、美波が何かに戸惑って質問を打ち切ると、サイはそのまま動作を再開させ、扉を開けて外へと出て行った。
「嫌われるわよ、その性格」
扉が閉まる間際、美波が投げかける言葉にもやはりサイは何の反応も返さずまま、バタンと玄関の扉は閉められた。