-ひょんな共同生活-
翌朝、一樹は瑞穂と共に勤務先であるカフェ『 L'arche de Noe( ラルシュ ドゥ ノア ) 』へと向かっていた。
朝ながらに太陽の光が眩しく、そのせいあってか普段よりほのかな暖かさ感じる。まさに清々しい朝だった。
それはとても心地よく、爽やかな気分にさせられる為なのか、そもそも2人がなぜ一緒に居るのかさえも考えさせない程である。瑞穂も一樹の傍らで、店へ到着した際の挨拶いついて何やらブツブツと考え込み、緊張している面持ちである。
程なくして店前に辿り着くと、途端に瑞穂が歓喜にも似た驚きの声を上げた。
「ここ、私知ってる!そっかぁ、だからどこかで聞いたことのある名前だったんだ」
そもそも 『 L'arche de Noe( ラルシュ ドゥ ノア ) 』 は、某有名情報誌の行きたいカフェランキングで1位を得る程の店であり、そういった情報に疎い者でない限り一度は耳にしているであろう有名店である。
「おぉ一樹、なんか久しぶりだな」
そこへ、同じく出勤途中であった和哉が声を掛けてきた。
一樹は例の事件以来3日ぶりの出勤となるが、ちょうど同じタイミングで三連休を取っていた為、誰も違和感を抱くものは居ない。もっとも本人は、待ちに待った連休の2日間を寝たきりだったことに対して、言いようのない喪失感を感じているのだが。
「そうだ、聞いてくれよ。あの後さぁ……」
和哉が数日前の美波との食事についてに語るであろうと、オチの知ったる話にどう対応しようか迷っていた一樹でだったが、途端に話を打ち切っては肘でコンコンとこついてきた。
「誰よ?その子」
瑞穂を視線で指すとヒソヒソ声で伺ってくる。
どうやら瑞穂が和哉の興味を掻き立てたらしい。
更に面倒なことになったと一樹は頭を掻くと、言葉を選び慎重に返答する。
「いや、その……、友達だよ」
下手なことを言っては、和哉の興味を逆に刺激し兼ねない。
「この前、たまたま……」
語りながらも、尚も思考を巡らせつつ慎重に言葉を探していた一樹だったが、和哉の興味は既にそこには無く、いつの間にか一樹に背を向けて瑞穂へ握手を求めていた。
「俺、和哉。一応、コイツの大親友なんだけど。よろしくね」
覚えのない『大親友』の言葉に何故か力が入っている。しかも『一応』のくだり、やけに上からの物言いが妙に鼻に付く。
「ど、どうも、篠宮瑞穂です」
瑞穂が、突然のスキンシップに戸惑いながらも軽く握手交わした。
「ほら、コイツって手際悪いでしょ?ま、いつも俺がフォローしてるんだけど」
オイオイと思うも、こうなってしまっては下手に訂正すると余計に和哉の口数を増やしかねない。
気に入った相手へまずは自信を他者より優位に語るのは、和哉のいつもの常套パターンなのである。
そのまま調子に乗ってあることないこと身振り手振りで語る和哉は全く止む気配がないまま、気分が乗ってきたのか目を瞑っては何かに耽り出し、こっちの反応をそっちのけで語り続けた。
それを見ては、今がこの場から離れる好機であることを悟って瑞穂と二人で店内へと向かう。
その後、扉の前で念の為振り返って確認するが、未だ気づかずに陶酔しながら語り続けている和哉を尻目に一樹は気にせず店内へと先を急いだ。
店内では、廊下を通り抜ける一樹達を見ては、瑞穂容姿に惹かれた男達が声を掛けてくるなかを一樹がそれとなくあしらってまわるが、その数の多さに改めて瑞穂の魅力を実感させられていた。
「さっきの和哉さんといい、話通り賑やかなとこなんだね」
「言ったろ、アクの強い奴ばっかりなんだって」
しばらくして最奥の扉の前へと辿りついたところで一樹は足を止めて瑞穂の方へと振り返った。
「言っとくけど、今までのヤツらなんてほんのウォーミングアップ程度に過ぎないから」
「え?どういう……」
瑞穂が聞き返してくるよりも早く、一樹が扉の方へと向き直りコンコンとノックする。
「店長、入りますよ」
部屋の中に居る相手の返答を待たずして一樹は扉をガチャリと開けた。
その扉の向こうに待ち構えていたのは、両腕を大きく広げた身長が190cm程の大きな女性? の姿である。
その圧倒される程の骨太のガッチリしたガタイとは裏腹に、バッチリメイクされた綺麗な顔立ちが妙にミスマッチで、一目見ると目蓋どころか脳裏に焼き付くほどのインパクトである。
「イックーン、会いたかっ……」
バタンッ
野太く響く声を最後まで聞かずして、一樹はそのまま扉を閉めると再び瑞穂の方へと振り返った。
「分かったろ? もう一度言うけど、これからが本番だ。……準備はイイか?」
閉めた扉の向こうから「やだちょっと、なんで閉めんのよ」と籠もった声が響くなか、瑞穂はゴクリと生唾を飲み込んだ。
突然の想像を越える出来事に汗ばんできた手をギュッと握り締める。早くなった鼓動を深呼吸でなんとか落ち着かせた。
「う、うん」
「ヨシッ、イイ返事だ」
一樹は瑞穂へ微笑みかけると、改めて扉へ向き直り再び一気に扉を開けた。
「イックンー、会いたかったわ」
それはまるでデジャビゥのように、巨体が全く同じポーズと同じ口調で目の前で再現される。
一樹は一歩だけ部屋へ入ると、すかさず飛び込み前転で右手へ転がった。同時にブゥンと一樹を掴まんと振り下ろされた両腕の空を切る。
それはまさに間一髪である。
「んもぅ。相変わらず連れないのね」
空を掻き、何も掴めなかった両腕を交差させた姿のまま、巨体が首だけを一樹へ向けては舌打ちした。
「私がようやくヒポポ族の集落から帰って来たっていうのに、イックンったら3連休とか入れてるんだもん」
「そりゃ、店長がこのクソ忙しい時期に旅行とか行ってるからだろ。俺はただ休み返上で働いた分の代休を貰っただけだ」
「んもぅ、またイックンったら店長なんて無粋な呼び方するぅ。レイコでいいって言ってるでしょ。イックンと私の仲、な・ん・だ・らっ」
「お断りします。店長」
図らずとも語尾に力が入る。
「まったくぅ。イックンの恥ずかしがり屋さんッ」
全く噛み合おうとしない会話に呆れて瑞穂の方へと目をやると、彼女は目をまん丸にしながら手に口に当てて硬直していた。
やっぱり普通の女の子には刺激が強すぎたのかと少し心配になる。
「大丈夫?」
一樹が近寄り声を掛けると、瑞穂は耳元へ近づいて小声で囁いた。
「どういう仲なの?」
不安どころか瑞穂の目、好奇心を抑えられずランランと輝いていた。
……オイ
一樹は返答の代わりに大きな溜め息をこぼして、眉間を押さえながら大きく左右へかぶりを振った。
「で、その子はどうしたの?」
一通り楽しんで気がすんだのか、レイコはガラリと雰囲気を変えて一樹へ問い掛ける。
本来の声色であろう男性トーンのレイコの声色に、一樹はようやく本題を話す流れとなったと安堵した。
超が付くほど有名な店舗を切り盛りするだけありレイコはひとたび仕事モード(通称:男モード)へと切り替わると、その性格は一変して行動には無駄がなくなり、下される判断は的を得てブレることもない、皆が信頼をおく姿となるのである。
一樹はレイコのそれを感じ取ってフゥッとひと呼吸入れると、ゆっくり話を切り出した。
「瑞穂をここで働かせて欲しいんだ」
その言葉にレイコは眉一つも動かさずにしばらく間を置くと、カツンカツンとピンヒールを鳴らしながら瑞穂へ近づいていき、その姿を下から上へとじっくりと眺め見た。
先程とはがらりと変わった鋭く厳しいレイコの目に、瑞穂も思わず後ろへたじろいてしまう。
そんな瑞穂の前でクルリと踵を返したレイコは、自身専用の豪勢な革張りの椅子へ身を預け足を組むと、大きな楢製の机へ肘を立て頬杖をついた。
「いいわよ。じゃ、とりあえず一樹と一緒にホールに出て」
「え?」
思いもよらないレイコの即答に、瑞穂から思わず困惑の声が漏れる。
一樹の紹介であるため無下に断られることはないにしても、自信の素性も明かさぬままに即採用されるとは思ってもみなかったのである。
「あ、でも履歴書とかは……」
「要らないわよ。一樹の紹介でしょ? 他に何がいるのよ」
それは、レイコの一樹に対する絶対の信頼だった。
「ありがとう、店長」
一樹がレイコに礼を告げ、早速支度に取り掛かろうと瑞穂を連れて部屋を出ようとした時、レイコが瑞穂だけを呼び止めた。
「あぁ、それと……」
一樹はレイコが言わんとすることをさも知っているのかのように、気にも留めずに扉へと手を掛けるなか、振り返った瑞穂にレイコが妖艶に微笑みながら見つめる。
「私、こう見ても両刀だから。油断してると……」
唇をペロリと嘗めて瑞穂を誘惑してみせる。
しかし、瑞穂はあっけらかんと動揺する素振りも見せないまま、にっこりと微笑えんだ。
「ハイ、よろしくお願いします!」
ペコリと頭を下げて一樹の跡に続いて部屋を去った。
ガチャリと扉の閉まる音が響き、部屋に1人となったレイコはつまらなさそうにぐるりと椅子を180度回転させて扉へ背を向ける。そのまま、背もたれへ体重をかけて全身を心地よい弾力の中へ沈ませた。
「……くえない子」
一樹達が部屋から出ると、扉の前で美波が待っていた。
「レイコさん、どうだった?」
美波からの咄嗟の質問に思わず「え?」と声を漏らしてしまうと、彼女はそれを見て「ハァ」と仕方なさそうにため息を漏らした。
「頼んだんでしょ? 瑞穂が一緒に働けるように」
「あ、あぁ、まぁな」
瑞穂をここへ連れて行くと決めたのは昨夜のことで、美波へは知らせてなかったにも関わらず、さも当然のように接してくる美波に思わずたじろいでしまう。
棚卸しの時もそうであったが、彼女のそういった先見力にはほとほと驚かされるばかりである。
「で、どうだったの?」
待ちきれず催促する美波に、瑞穂が代わって返答した。
「OKだった。一樹、レイコさんに信頼されてて、彼の紹介なら問題ないって」
「い……?」
その内容は、むしろ良い結果のはずなのだが、美波がほんの一瞬困惑した表情を浮かべる。
「そ、そっか、なら安心ね。私もここで3人一緒の方がいいと思うし。しっかしアンタ、噂通りレイコさんに愛されてるみたいね」
「変な言い方するなって、それでなくても……」
もしかしたら瑞穂が要らぬ誤解しているのかも知れないと顔色を伺う。瑞穂はそのまさかと言わんばかりに、興味深々のランランと輝いた目を一樹へ向けていた。
本当に信じているのか、ただ楽しんでいるだけのか判断し難い。
ため息を漏らし、思わず眉間を摘みそうになった一樹に美波が勢いよく指差した。
「あと、こういうことはちゃんと事前に相談しなさいよね。私達は、もうある意味運命共同体なんだから。次は承知しないわよ」
美波は少し怒っていた様子だったが、むしろ彼女なりに心配していることが分かりあまり悪い気はしない。
「行こ瑞穂。こんな奴なんか放っといて、更衣室に案内するわ」
そう言うと美波は瑞穂を先導して、女子更衣室のある方面へと歩き出した。
「一樹、アンタももういい時間なんだから、早く支度しなきゃ」
美波に促されて「へい、へい」と聞こえない程度に相槌を返すと、1人つまらなさそうに後頭部を掻いては反対側にある男子更衣室へと向かう。
「あれ? 今、俺のこと」
美波とはこれまであまり会話の機会がなく、そもそも名指しされることが少なかったのだが、呼ばれる時には名字で『緒方君』だった気がしていたが……と違和感を感じた。
特別こだわりがある訳では無いのだが、昨日の瑞穂の時といいどうにも調子が狂ってしまうと、一樹はもう一度後頭部を掻き直した。
支度終えホールへ出ると、開店前の勝手知ったる準備作業を従業員達がたわいもない世間話を織り交ぜながらテキパキとこなしていた。
一樹もまずはテラスへテーブルを並べようとウォーミングアップのストレッチをする。
そこへ制服へと着替え終えた瑞穂がホールへと降りてきた。
途端、それまで各々がそれぞれに会話していたはずが一斉に会話が止んだ。開店準備に取りかかっていたはずの者達が、思わず手を止めて瑞穂へと注目したのである。
「あれ、誰よ?」と言う声があちらこちらで聞こえだし、それ程までして制服へと着替えた瑞穂の姿は皆の意識を集めるほどに魅力的だったのである。
ただ、それは何も制服が特別という訳ではない。制服そのものは実にシンプルなデザインなのである。
白いシャツに細身の黒いパンツ、足元まであるダークブラウンの長いエプロンを腰に巻着付けているだけのものなのだが、あの店長が言う「本当に美しいものは、なんの飾りも要らないものよ」という言葉に、その通りだと一樹は珍しくも共感させられた。
「よろしく」
瑞穂が一樹へ挨拶したことで、周りの男たちがドッと押し寄せる。
「一樹さん、紹介してくださいよ!」
彼女と知り合おうと男達の声が飛び交う中、「ハイハイハイ」と手を叩きながら意外にもそれを制したのは、いつの間にかにその場に居た和哉だった。
「瑞穂ちゃんはね、一樹と俺の友人なの。残念ながら、お前らに紹介する義理はないね」
和哉の言葉には、『俺の』に強くアクセントがおかれてあり、そして『一樹と』には聞こえないくらい小さい。
部外者の登場に、当然にも「お前なんかに頼んでねぇよ」「引っ込んでろ」とブーイングが返ってくるなか、「誰に言ってんだ?」と多勢を相手に和哉も一歩も引くつもりはない。
言い争いを始めだす和哉と男達の隙を見ては、一樹が瑞穂をバックヤードへと連れ出した。
「え? いいの?」
「構わない。今のうちだ」
面倒なことになる前にこの場は一先ず一旦和哉へ預けることにする。
和哉が言っていることを肯定する訳ではないが、こんな面倒くさいことに首を挟むつもりは毛頭ない。
人けのないバックヤードに退避させた瑞穂にはその場に残ってメニューを覚えさせるように指示だし、持ち場へ戻った一樹は途中だった開店準備作業を再開させた。
そうして、バタバタしながらも時間通りに店が開店されると、いつものように忙しない営業が始まった。
一樹は、ホール業務をこなしながら瑞穂の様子を伺いつつ午後には接客の指導したりと、忙しなく休む間も惜しみながら時間は瞬く間に過ぎていった。
19時も過ぎて、開店から出勤していた者は帰る時間となり、一樹と瑞穂はお互い支度を整えて休憩所で落ち合った。
美波も同じシフトである為、一緒に帰りたいとの瑞穂の希望を聞き入れ休憩室で待っていることにした。
勿論、一樹にとって美波を待つなんてことは今まで一度としてなく、今更ながらに言い知れぬ緊張感が湧き上がってきていた。
「あ、そろそろかも」
廊下の人通りを気にかけていた瑞穂が、厨房から人が数人出てくるのを見て合図をくれる。
それに合わせて一樹が廊下へと出たところで、丁度厨房から出てきた美波と出くわした。
「よ、よう。お疲れ」
「お疲れ様、今日も忙しかったわね。て、あれ? 二人してどうかしたの、こんなとこで」
「え?あ、いや……」
今まで常に先を予測して行動していた美波なだけに、声を掛けさえすれば察してくれるだろうと思っていた一樹だったが、それに反したシレッとした美波の対応に思わず戸惑ってしまう。
加え、『一緒に帰ろう』と口にするのは思った以上に勇気が必要であり、言葉が思い通りに出て来ない。
「ま、いいや。じゃ、私まだ少しだけ仕事残ってるから」
そう言い残すと、美波は足早にその場を立ち去り廊下の奥の方へと消えてしまった。
「行っちゃったね」
瑞穂が残念そうに美波の去った廊下を見つめるなか、一樹はただ何も言えずに面目なさそうにする。
その反面、美波のあの日常通りの応対に必要以上に気負いしていたことを感じて少し安堵していた。
「帰ろうか」
未だ忙しそうな美波を見て共に帰ることは断念すると、瑞穂と二人でノアを跡にした。
一樹は二人で帰宅する照れくささを感づかれない様に自然に努めながら、ようやく到着した自宅へ入ると、昨日決めたばかりの家事当番である瑞穂が早速夕食の支度に取り掛かった。
昨日の既に夕食が用意された状態とはまた違い、一樹にとって誰かの手料理の出来上がりを待つことは久しく、しかも瑞穂の丁寧な料理とあってはまさに楽しみを隠しきれずにリビングでソワソワと夕食の出来上がりを今か今かと心待ちにしていた。
そんな折、突然マンションのインターフォンが部屋へ響いた。
これまでこのマンションは一樹一人で生活していた為、来客してくる事態はほとんど皆無であり、そのインターフォンを鳴らすといえば胡散臭いキャッチセールスや宅配業者くらいしか居い。
しかしそれも、この夜の時間帯ではまず考えにくく、駐車場での一件の様な瑞穂を狙う連中のことを脳裏に過らせては、一樹は一際慎重に物音をたてず玄関へ移動すると、そうっと恐る恐る扉の魚眼レンズに目を当てた。独特の歪みのあるレンズの奥を目を凝らして覗き見る。
しかし、そこに映ったのは、なんとあの美波だった。
「え?」と間の抜けた声が漏れると、その様子に安堵したのか、駆け寄っていた瑞穂が交代で魚眼レンズを覗き込む。
早速、瑞穂と共に玄関の扉を開けては、瑞穂と共に美波を中へ向かい入れた。
「やぁ」
「お前、どうして?」
「どうしてって、なぜここが分かったかってこと? それなら店の履歴書で調べさせて貰ったんだけど」
個人情報が平気で漏洩している現状に、管理しているであろう人物の顔を思い浮かべては一樹は思わずかぶりを左右に振った。問い詰めたところであの店長のことである、きっと理解不能な中性的回答が返ってくるに違いない。
「よいしょ」と重そうに美波が大きなキャリーバックを玄関へ伸し上げて、そのまま玄関へ座り込み、履いていたブーツの紐を緩め始めた。
「旅行でも行くのか?」
一樹が大きなキャリーバックを指差しながら問うと、美波はそれに返答する代わりにムクッと立ち上がってそのままツカツカと部屋の中へと入って行く。
玄関先の廊下とリビングをつなぐ扉のノブへ手を掛けながら一樹の方へと振り返った。
「何言ってるの? 私もここで一緒に住むんじゃない」
「は?」
そのままガチャリと扉を開けてリビングへと移動する美波に瑞穂が楽しそうに後を追って行った。
1人ポツリと玄関先で取り残されて驚きのあまりしばらく放心気味の一樹だったが、バタンと扉の閉まる音を聞いてハッと我へと返る。
「はーー!!」
転がるようにしてバタバタとリビングへ流れ込むと、既に美波は瑞穂と共にキッチンで楽しそうにキャッキャッと騒いでいた。
「どういうつもりだよ!」
「何よ、騒がしい。どうもこうも無いわよ。サイが言ってたじゃない、私達3人は極力一緒に居て欲しいって」
「いや、それはそうだけど……」
「それに、アンタと瑞穂とで2人っきりじゃ、いろいろと危ないでしょ」
美波の言うとこの『危ない』が、この場合どういう意味かは定かでないが、一樹は昨日のシャワーの一件を思い出して思わず返す言葉に詰まった。
ただそれでは、美波が来たところで何の解決にもならないのだが……。
「そういうことだから、私の部屋は用意出来そう?」
美波がただでさえレベルの高いノアで、看板娘だ唄われる要因となった最高の笑顔をここぞとばかりに一樹へ振る舞う。
それは勿論申し分ないのだか、どうにも使うタイミングが可愛くない。
しかし、冷静に考えてみると状況を共有できる者が側にに居ることは一樹にとっても、いや、瑞穂にもとても心強い。それが頭の切れる美波であれば尚更である。
一樹は色々と問題はあるもののそれが最善であることに納得すると、ハァと息を吐き出して後頭部を掻いた。
「案内するよ」
美波へは瑞穂の隣に位置するもう一つの来客部屋へあてがった。
来客部屋といえ元々は一樹の部屋であったのだが、リビングに近い方が生活するうえで便利であった為、部屋を移動するとともに両親が使っていたツインベットの一つを移動させて、もう一つの来客部屋として拵えたものだ。
「へぇー、ホント広いのね」
感心しながら美波が部屋へと入る。
一時はパタンと扉を閉めるが、すぐにガチャリと少し開けると、扉から顔だけ出して玄関に置き放しだったキャリーバックを指差した。
「あれ、持ってきて貰っていい?」
一樹は仕方無さそうに後頭部を掻くと、玄関のキャリーバックを取りに向かう。
「へいへい」
美波の荷出しが一段落したところで、3人で瑞穂の作った夕食を済ませ、家事についてのローテーションを改めて決めなおした。
美波の意向で、家事は炊事だけでなく洗濯や掃除と細かく分担され、更にノアの出勤シフトを考慮すると役割分担は至難を極めた。
3人とも翌日は朝から出勤だったにも関わらず、深夜に致まで意見を出し合ってなんとか形になったところで各々ようやく床へとついた。
一樹はこれからの共同生活に不安を抱く一方で、それとは別にほんのり期待している自分に気づいて、それを払拭するかのように布団の中へと潜り込んだ。
「こりゃ前途多難だな」