-一緒に居るということ-
時間は午後を少し過ぎて、光々と輝く太陽が真上より少し傾いたところに位置していた。
2日前に地下駐車場で襲われた時とは違って、日の光が隅々まで行き届き、目まぐるしい程の人達が目の前を行き交う。少し歩行を早めようなら、間を縫うのにひと苦労しそうな程である。
そのせいあってか、外を出歩いていることについて思っていた以上に、2人は外を出歩く不安感を感じていなかった。
何より一樹は、ベットの上で目覚めて以来、何よりも先に現実離れした話を聞かされていた為、今ようやく平常通りに外を出歩いていることに日常を実感して、言い知れぬ安堵感で満たされていた。
「そういや、アイツはどこに行ったんだ?」
突然部屋へ入って来たと思えば、ふらっと居なくなった男のことをふと思い出す。
男が守るということに2人が同意していた事もあり、あえて意見はしなかったのだが、果たしてあの人間離れした連中から自分達を守るなんてことが本当に可能なのだろうか? 増してや、その男の素性すら知らないのである。
「たまに現れては、いつもまた直ぐに居なくなってしまうの。聞けば、相手側の組織の動向を探っているらしいんだけど」
「相手側の組織ね……。もし、その組織が人員の確保に躍起になってるのなら、アイツに保護されたことで言ってた通りに奴らは襲って来なくなるもんなのかな」
「でも、それって」
そうそれは、保護した男の組織へ自分達が組するということになる。どちらにせよ、抗争とやらに駆り出される可能性は充分にあるということだ。
「そもそもアイツとは?」
「うん……、実は私もよく知らないんだ。君と知り合った時期は殆ど変わらないくらいだから」
「え?」
美波の部屋での男との会話ではお互いを見知ったように見えていた為、一樹はてっきり瑞穂と男は以前からの知り合いなのだと思い込んでいた。
「私達が地下駐車場で出会う2時間くらい前、家へ帰る途中に声を掛けられたんだ。君は狙われてるってね。あの人……、あ、『サイ』って言うんだけどね」
「……サイ」
その姓とも名とも、果ては国籍すら定かでない、素性通りの不思議な男の名前を、一樹は思わず繰り返した。
「それからすぐに、あの大男が襲ってきたところを助けてくれて。最初はサイが優勢だったんだけど、もう1人合流したときから……」
もう1人と聞いて、一樹の中でくすぶっていた忌まわしい記憶のある人物が浮かび上がる。
「それって、髪を立てて、こんな感じで目がつり上がってる奴?」
一樹は、自身の髪や目をつり上げて見せて、男の人相をマネて見せる。
「え? うん、そうかな。最初の大男に比べると随分細身のね。で、2対1になってからは、少しずつ押され気味になっちゃって。それであの駐車場に」
合流した方が最初に自分達を襲ってきた男だとすると、突然目の前から遠く離れたり、自分達とは別の方向を睨み付けて不快な表情を浮かべていたりしたのは、そのサイが何らかの攻撃を仕掛けてくれていた為だと考えらた。
ならばサイには、本当に自分達を守れる力を持っているのだと、やはり彼もまた『ノエル』能力者であるのだと思い返していた。
程なくしてマンションへと到着すると、一樹は自室の扉を開けながら瑞穂へ手を差し伸べた。
「どうぞ」
最初は戸惑っていた瑞穂だったが、少し照れくさそうに小声で「お邪魔します」と言って部屋の中へそうっと入る。
玄関前の廊下を抜けてリビングへ入ると、瑞穂は部屋の中をぐるりと見渡した。
マンションの間取りは4LDKになっており、一樹の部屋はリビングへ隣接する部屋となっている。一樹は、その部屋から一番遠くにあたる玄関近くの部屋へと瑞穂を案内した。
綺麗に整理してある部屋の中には、角にベットが設置されており、収納には備え付けのクローゼットがついる。シンプルだが充分に生活へ支障のない環境である。
「広いんだね。部屋もいっぱいあるし、ここはもしかして来客用なの?」
「あぁ、今はね」
「今?」
「昔は両親が使ってたんだ。俺、5年前に両親を交通事故で亡くしててね」
「あ……、ゴメン。私……」
リビングに着いてからは少しはしゃぎ気味だったのが、まるでオセロの駒でもひっくり返したように元気無く俯いてしまった瑞穂の肩を、一樹がポンと軽く叩いた。
「いいよ別に、もう前の話だ。なにより、部屋が余ってて困ってたんだ、こういうのは使わない方が痛むっていうし、その方がきっと2人も喜ぶよ」
「……ありがとう。じゃぁ、使わせて貰うね」
瑞穂は顔上げると一樹へ微笑みかけた。
荷物を部屋へと置いて、続けてトイレ、お風呂、キッチンへと純に案内する。そして、一通り周り終えたところで、再度瑞穂の部屋の前へと戻ってきた。
「俺も部屋へ戻ってるから、何か分からない事とかあれば声を掛けてくれればいいよ」
「うん。ありがとう」
瑞穂が部屋へ入るのを見届けたあと、一樹も自身の部屋へと戻った。
2日間帰らなかっただけの自分の部屋にどこか懐かしみを感じる。
それだけ多様なことに見回れて、日常とかけ離れてしまったのだと自覚した。
部屋に入るや安心感からかドッと疲れが押し寄せて、その場で崩れそうになりながらもなんとかベットへたどり着くと、そのまま吸い込まれるように倒れ込んだ。
肌に馴染んだ布団が全身を包み込む。
このままどこか奥深くへ沈んでしまうかのような、重力から解き放たれたのでは? と錯覚してしまいそうなくらい心地良い感覚に陥ると、そのまま続けて訪れる深い睡魔に抗うことなく、一樹は眠りへとついた。
気がつくと、日がすでに落ちており、日の光が差さない部屋は真っ暗になっていた。
喉の渇きを潤そうと部屋から出てリビングへ向かうと、その明るく照らされた空間に目が眩んだ。
「これは?」
見ると、テーブルに2人分の食事が用意されている。
「あ、ちょうど良かった」
瑞穂がキッチンで洗い物をしながら呼び掛ける。
「寝てるんじゃないかなっと思ったから、呼びに行こうどうか迷ってたんだ。あ、それから、冷蔵庫にある物使わせて貰ったよ」
「あ、ああ」
予測しなかった出来事に寝起きの頭がついていけず、唖然としながら席へと着く。そこへ洗い物を終えた瑞穂が向かい側へと座った。
「食べてみてよ」
自身あり気な口調の割には、一樹の食べる仕草を睨むように集中する。
「いただきます」
瑞穂の痛いような視線に少し緊張しながらも、目の前に綺麗に盛り付けられた鶏もも肉の照り焼きにナイフへ入れた。
思った以上に柔らかな感触でサクッと切れた間からは肉汁が溢れ出す。
流れ出した肉汁を勿体無く感じて、もうこぼさまいと慌ててフォークで口元へと運び込んだ。
「うまい!」
甘過ぎず、辛過ぎず、まさに絶妙の甘辛さに仕上げられたら照り焼きのタレが、鶏肉の旨味を殺さずマッチしている。いや寧ろ、溢れ出す肉汁を考慮して、多少濃いめに計算されているのではなかろうか。
加えて、切るときにも驚かされたその柔らかさ。プリッとした歯応えが溜まらず、食べ終えた後も直ぐに次を欲してしまう。
一樹は、すぐさま鶏の照り焼きへ再びナイフを入れて、次の分を切っては口へと運び込むといった動作を夢中で繰り返した。
「でしょ。料理は少し自身があるんだ」
自信あり気な口調や態度こそ崩さないでいるが、瑞穂の視線か先程と打って変わり、すっかり柔らかなものになっている様子は内心で安堵しているのことが見て取れた。
今度は、サイドに置かれるサラダを盛ろうとサーバを伸ばしたとき、そのサーモンのマリネサラダの盛り付けが飾られていることに気がついた。
いや、それはサラダだけではなく、料理全体が、メニューから盛り付けに至るまで、実に手の込んでいることに改めて実感した。
鶏もも肉の照り焼きの周りには鮮やかなレタスが敷かれ、またその少し横には丸くくり抜いた人参と大根のソテーが添えられている。
更に器の外周をさながら模様囲のように照り焼きのタレが散りばめられ、色鮮やかさと相まってまさに芸術的である。
サイドメニューとして置かれるサーモンのマリネサラダに至っても、サーモンとレタスが均等に置かれているほか、一見無造作に散りばめられた玉ねぎもどこからよそっても入るようにその配列にこだわりが見えた。
最後に振り掛けられたドレッシングは、山脈に降り積もる雪のごとく鮮やかで、それでいて色合いを損なうことないよう絶妙な加減で振りかけられている。
それはあまりの完成度から、サーバーを手によそおうとしたものの躊躇してしまうほどであった。
作り込まれた料理を前に、一樹は感謝を述べずにはいられずにいた。
「ありがとう」
「え? い、いや、居候になる身だし、これくらいは」
真っ直ぐ素直に料理の礼を言われて思いのほか恥ずかしかったのか、瑞穂は顔を真っ赤にすると、誤魔化すように視線を空へ逸らした。
「でも、料理するんだね。調味料とか調理具とか一通り揃ってたから」
「1人身だからね。野菜炒めやカレーくらいしか作れないけど」
「じゃ、いつかご馳走して貰おうなかな」
「ああ、次は俺が作るよ」
「え? いいよ。居候なんだし、家事くらいは……」
「だからダメなんだ。これからはずっと一緒なんだから、そこはキチンとしとかないと」
「……ずっと?」
「あ、いや。それはずっとっていうか、四六時中? じゃないな。えーと、なんていうか……」
自信の言い回し方では誤解を生みかねないことに気がついて、慌てて訂正しようするがプロポーズさながらの言葉に動揺してしまって言葉が上手く出てこない。
「だ、だよね。じゃぁ、家事はやっぱり順番の方が良いのかな」
「そ、そうだな」
ぎこちない空気を誤魔化すようにハハハと笑うが、その後の言葉が見つからず、2人はカチャカチャと食器の音だけを食卓に響かせた。
「順番、決めようか」
「そうだね」
しばらくしてようやく調子を取り戻すと、家事の順番や細かい取り決めについて意見を出し合った。
食事を終え、部屋に戻った一樹はベットへ突っ伏した。
瑞穂との食事は、思っていた以上に楽しく、不安に思っていたこれからの共同生活は決して悪くないもの……いや、それどころか淡い期待を抱きかねるほどの最良とも言えるものだが、やはり瑞穂の今後について考えると気は重かった。
何より瑞穂は、連中から狙われている立場であることから、外へ出歩くことが出来ることもままならない。
かといって、このまま目処も分からなぬまま、ここより一歩も外へ出ないというのもどうなのだろうか? と悩む。
そんな頭を抱え込んでいた中、壁の中より「ボウンッ」低い音が響いた。
何だ?と思ったのも束の間、次に続く水がパシャパシャと弾ける音ですぐにその正体を理解した。
隣の風呂場でシャワーを浴びている時の音である。
長年、この家で1人で過ごしてきた一樹には、特にその音に気づくことは無かったのだが、風呂場に面する一樹の部屋には、シャワーが使うガスの音や水の音が響いてくるのである。
それに何より、先程の食事の後に瑞穂へ先にシャワーを浴びたるよう進めていたのは一樹当人であった。
その瑞穂のシャワーを浴びている音が聞こえて、一樹は思わずそわそわしてしまう。
先ほどまで不安に駆られていたのにも関わらず、すぐさま邪なこと考える現金な思考に負けまいと、頭を抱え必死に別のことを考えるも、一度シャワーの音が聞こえると、複雑に積み上げた思考の積み木は崩れ落ち、意識が瑞穂のシャワーへと吸い寄せられる。
何も手に着かないまま、小難しい哲学と瑞穂のシャワーとを行ったり来たりと意識の中で時間を忘れる程に葛藤し続けた。
どれぐらい時間をそうしていたのか、突然自室の扉がコンコンとノック音を鳴らした。
「ハ、ハイッ」
煩悩との葛藤中のことあって、思わず甲高い裏声が出てしまう。
知る人がみれば、疾しいこと請け合いである。
「大丈夫?」
余程悩み続けていたのか、いつの間にかにシャワーを終えた瑞穂が扉越しに心配していた。
一樹はコホンと慌てて咳払いをすると、さも何事もないよう意識して返事を返した。
「ああ、大丈夫。いいよ、入って」
「ごめんね、突然」
部屋へと入った瑞穂は、長袖のシャツにカーディガンを羽織り、下は丈の短めのズボンといった、かわいらいしのだが密かに期待していたものよりシンプルな格好であったことに一樹はほんの少しガッカリした。
しかもそれがまた、予め警戒していた美波の思惑通りのような気さえして思わず溜め息が漏れる。
そんな一樹の違和感に気がついて、瑞穂が首を傾げてきたので一樹は「なんでもない」と慌てて誤魔化した。
「ここ、いいかな」
そう言ってベットの端へ腰掛ける瑞穂の表情には、いつもの明るさが感じられず、暗く俯きがちに見えた。
「どうかした?」
「うん……」
一樹の問いに一瞬返答を躊躇っているようだったが、元気ないの笑顔で答える彼女の言葉にそれまで浮かれ気味だった一樹はハッとなった。
「……1人で居るとね、やっぱり少し怖いんだ」
当然である。
突然何者かに襲われ、しかも住居をメチャクチャにされて、見ず知らずの自分のところへ居候しなくてはならない状況なのだから、不安に感じない訳がない。
明るく振る舞っているのも、先程の手の込んだ料理も、強がりだったり、間があくと思い悩んでしまうことから、瑞穂なりに去勢を張っていたのだろうと今更ながらに気がついた。
そんな瑞穂をこの先、部屋へ閉じ込めたままになんかには当然出来ない。それは彼女の不安を積もらせてしまうだけだと、つい先程1人悩んでいた考えを改める。
「明日、一緒にノアに行こう」
「ノア?」
「そう、俺が働いてるカフェなんだけど。あそこには美波も居るし、なるべく3人で居ろって言われてるんだ、丁度イイだろ」
何よりノアは、一樹にとっても暖かく居心地が良いところなのである。
5年前の事故の祭、当事まだ高校生だった一樹を面倒みてくれたのが両親の親友でもあったノアの店長だった。それは一樹とって、第二の肉親とも言える程の存在である。
ただ、その当人には少々……、いや、それなりに難があるのだが……。
ともあれ、ノアが瑞穂にとってきっとプラスになると確信が一樹にはあった。
それにあの男『サイ』が要望したのは、3人が出来るだけ一緒に居ることであり、外へ出るなというものではなく、普段通りでいろとういうことである。
「私は寧ろ、1人で居るよりは何かさせて貰えれた方がイイんだけど、そんな突然でお店は大丈夫?」
「ああ、問題ないよ。店長には顔が効くんだ。……まぁ、少々難はあるんだけど」
後半小声で付け加えたのだが、瑞穂には良く聞こえなかったらしく「え?」と聞き返してきたので、「なんでもない」と、やはり今はまだ余計なことを伝えるべきではないと言葉を控えた。
「とりあえず、気に入るとは思うよ。まぁ、アクの強い連中ばかりなんだけど」
「そうなんだ。でもそれは、美波ちゃんも伝えちゃおうかな」
瑞穂が意地悪な表情を見せる。
「あ、いや、今のは……」
否定する訳ではないが、美波に聞かれるのはマズい。
あの一件以来、美波のことを理解してつつあるのだが、そんなこと言おうものなら何をしてくるのか分かったものじゃない。
そんなアタフタする一樹の様子を見て、クスクスと瑞穂が曇り顔がようやく晴れた。
「やっと笑った」
「うん、ありがとう。君に相談して良かったよ。明日が楽しみになった」
「お悩みとあらばいつでもどうぞ」
調子にのって胸を張って見せる。
「まぁ、せっかく一緒に居るんだし、な」
「うん。そうさせてもらうよ」
てっきり調子にのるなぐらいのことを言われるかと思っていたが、思いのほか素直な回答に、逆に一樹が照れてしまうとそれを誤魔化すように鼻の頭を掻いた。
「じゃぁ、そろそろ戻るね」
「俺も風呂に入ろうかな」
瑞穂が部屋を出ようと扉のノブへ手を掛けたところで、本来は出会った時に行なうべきであったある事を思い出して、慌てて声をかけた。
「あぁそれから、俺は緒方一樹。ほら、今更だけど自己紹介がまだだったから」
それに、『君』と呼ばれることにどうにも違和感があったのだ。
瑞穂は回しかけたドアノブの手を止めると、一樹の方へ振り返って、言葉通りの今更な自己紹介の違和感にクスクスと笑みを見せた。
「知ってる、美波ちゃんに聞いてたから。でも、私の方がまだだったよね」
そう言うと、瑞穂は一樹の方へ改めて向き直り、深々と頭を下げた。
「篠宮瑞穂です。これから宜しくお願いします」
予想外な改まった挨拶に、思わず視線を逸らした一樹が口ごもり気味に「こ、こちらこそ」と返答する。
そんな一樹へ、顔を上げた瑞穂がもう一度笑顔を作った。
「私のことは瑞穂って呼んで。名前、なかなか呼ぼうとしてくれなかったから」
そもそも相手の呼称に抵抗があったのは一樹の方であり、これを期に呼び方を変えたかった一樹の狙いが見透かされていたようで、思わず苦笑いしてしまう。
「じゃ、また明日。おやすみ、一樹」
そう言うと瑞穂は扉の方へと振り返り、開閉動作を再開させて部屋から出ていった。
1人ぽつりと残った一樹は、瑞穂の言葉に以前より強い違和感を感じて、少しの間そのまま固まっていた。
「……な、名前なんだな」
戸惑いはあったが、まぁイイかと頭を掻くと、風呂の支度へ取り掛かった。