-襲われた理由-
気がつくと、そこはベットの中だった。
頭がボーっとするものの、それが見慣れない場所であることにはすぐに気がついた。
どこだ?と思って体を動かそうとすると、まるで全身筋肉痛にでもなってたような重くけだるいような感覚に加え、全身を激痛が走る。
その事に思わず呻き声を漏らしたとたん、視界の端から人影が飛び込んだ。
「緒方君!大丈夫?緒方君っ!」
切羽詰った形相の美波が覗き込んでくる。
「香月か……」
「大丈夫なの? 意識はある?」
「ん……大丈夫、だと思う」
「良かったぁ。もう2日間も寝続けだったんだから、目が覚めなかったらどうしようかと思ったわ」
美波はフゥっと息を吐き出しながら、そのまま崩れるようにして椅子へと座り込んだ。
「2日間……」
天井を見上げながら呟くと、美波が「そうよ」と返答する。
随分長い間寝ていたんでな……と、寝起きの本調子ではない思考でボーっと天井を眺めていると、美波が深い深呼吸をしたあと真剣な面持ちで一樹を真っ直ぐに見直した。
「あの日のこと、覚えてる?」
美波は、まるで古傷に触れるかのように慎重に問い掛ける。
未だに頭はハッキリする感じではなかったが、そのことについては脳裏へ焼き付いている。
「ああ、あの駐車場のことだろ」
勿論、自身の体が思うように動かないことについても。
「そう……」
美波は元気なく相槌を返すと、そのまま俯いて黙り込んでしまった。
その沈黙は、それでもあの一件が夢であって欲しいと淡い願いを抱いていた一樹にとって、脆くも打ち破られるに相応しい重くて冷たい沈黙だった。
しばらくして、ようやく美波が顔を上げて「あのあと実は……」と会話を再開させようとさせた時、美波の後ろにあった部屋の扉が突然ガチャリと開いた。
「気がついたんだ」
扉から入ってきたのは一樹とって見慣れない……、いやどこかで見覚えのある女の子である。
「ええ、ついさっき」
「良かったぁ」
安堵を浮かべてフゥと胸をなで下ろす女の子と目が合った一樹は、思わず会釈をする。とはいっても寝ながらだったため首だけを動かすつたないものなのだが。
その様子を見ていた美波が、何かを思い出したかの様な表情を浮かべると、手を差し伸べて彼女を紹介し始めた。
「覚えてる? アンタが空き缶で反撃しようとした時に襲われてた女の子よ」
美波の言う『反撃』という言葉に、怒りのこもった皮肉であることを感じ取って、一樹は思わず出掛かった飲み込んだ。
その傍ら、側に居た女の子が一樹の方へと歩みよっては、一樹へ向けて深々と頭を下げた。
「あの時は、本当ありがとうございました。おかげであの場から逃れることが出来ました」
頭を上げると、今度はズィッと顔を一樹へ方へ近づける。
「それと……」
突然、鼻と鼻が触れるのでないかというほどの距離まで接近され、よく見れば美波にも劣らない綺麗な顔立ちを前に、一樹は思わず首を引っ込めてしまう。
まさか、御礼のキスなんてこと……、と期待を想像する一樹を意図もせぬまま、女の子はクルリと踵を返しながら一樹の全身を足先まで見渡した。
「体の具合はどうですか?」
淡い夢ごごちから突然現実に引っ張り出されるような女の子の問いに、今はまだ触れたくはない内容でもあった為ガッカリと落胆する。
無論、その体の調子は決して良好とは言えたものではなく、分かっている範囲でも左腕と後頭部は重症のはずだった。
現に今も全身が疲労仕切ったかのように感覚が鈍く、少し動かしただけで激痛が走る。
一樹の容態を知らずなのか、にこやかに問い掛ける女の子の返答に一樹は思わず苦言を呈した。
そんな中、そのまた背後で今度は男の声が飛び込んでくる。
「怪我は全て完治している」
見ると、女の子が入ってきた開きっぱなしのドアに見知らぬ男が寄りかかっている。
パーマがかった少し長め髪を後方へ流し、顎の周りに無精髭を生やした年齢30歳前後に見えるその男は、ツカツカと部屋へと入り込んで来てはベッドの側に立ち、冷やかに横たわる一樹を見下ろした。
その目は鋭く、敵意さえ感じられる。
「左腕を曲げてみろ」
「いや、左腕は……」
「言ったはずだ、骨折なら完治している。痛むのはお前がそう思い込んでいるだけだ」
男は畳み掛けるように、激痛が走る左腕を動かすように催促してくる。
「早くしろ」
一樹は、男の横暴さと理不尽さに段々腹立たしくなると、逆に反発心からそこまで言うならやってやろうじゃないか! と気が立った。
歯を食いしばり、なるだけ左腕を見ないように天井へ視点を置くと、思い切って左腕を振り上げてみる。
覚悟はしていたはずなのに「いっ」と情けない声が漏れた。
「あ……れ?」
痛みはなかった。
左腕は、関節をコキッと鳴らしたぐらいで難なく曲がる。
そんなまさかと、今度は後頭部へ触れてみるが、やはり男の言う通りあった筈の裂傷もきれいサッパリ治っていた。
いや、『治っている』というより、傷なんか元より無かったように『無くなっている』という方が正しいかった。
あれだけの裂傷を縫合した跡すらもないのだから。
「傷が……なくなってる」
困惑するなか、美波へ同意を求めるよう視線を移すと、彼女もまるで『その通りよ』と言わんばかりに無言で頷いた。
「ノエルだ」
未だ全くもって状況を把握出来ないでいる一樹に、男は諭すように言い放った。
「のえる?」
「そう。お前たちがあの駐車場で見た力と同じものだ」
「ちから?……、 力ってアイツらの!」
あの地下駐車場で体感した不思議な出来事、触れずに傷つけられたことや異常な身体能力、ついては一樹の傷さえ治した『力』を男は『ノエル』だと言う。
「そうだ。今、そのノエルを扱う者通しで大きな抗争が起きている。お前たちはそれの巻き添えにあったのだ」
「まき……ぞえ」
一樹は、男の『巻き添え』という言葉に奥底からカァッと込み上げて来る怒りを覚えた。
自身や美波、それに側に居る女の子も含め、被害者達にとってそれはあまりにお粗末な真相であり、言い知れぬ苛立ちが湧き上がってくる。
しかし、その突拍子もない背景に理解しきれず、罵倒したくとも言葉が追いつかない。
そんな口どもる一樹に代わって、側に居た美波が男へ質問を投げかけた。
「アンタの言うお前たちっていうのは、そこの彼女も入っているの?」
美波は視線で女の子を差していた。
そんな美波へ一樹が「そんなの当然だろ」と発しようとするのより早く、男が返答をする。
「彼女は違う。元々奴らの狙いは瑞穂なのだからな」
え? と言う声が驚きのあまり声にならなかった。
慌てて女の子(瑞穂)を見るが、俯いて降りた髪の毛がその表情を見えなくしていた。ただ、肩を落とした姿に先程までの元気な様子はない。
「奴らの狙いはなに?」
「奴らは派閥に属さないノエル能力者を探し回っている」
「能力者を? 一味にでも引き入れようっていう訳?」
美波と男との間でテンポ良く話が進んでいるなか、理解に苦しむ一樹が慌てて割って入った。
「ちょっと待ってくれ! ノエル能力者を探してるって、じゃぁ彼女は?」
「そうだ、瑞穂もノエル能力者だ。もっとも本人はその自覚がないようだが」
一樹はもう一度瑞穂の様子を伺うが、変わらず表情の分からない俯き姿勢のまま微動だにしない。
「で、私達はこれからどうなるの? 目撃者は消されるとか?」
美波が平然と恐ろしい事を言ってのける。
あながち考えられなくない内容に、『消す』という言葉がこれほどリアリティを感じたことはなく、サァッと血の気が引いていくのが分かった。
「いや、その心配はないだろう。奴らも瑞穂をこちらで保護したことは分かっているはずだ。敵対する組織の渦中へわざわざ奪い返しに来るよりは、次のターゲットへ移った方が効率的だと考えるだろう」
男の言うことはあくまで推測の域を出ないようにも思えたが、現状で最良の答えだったこともあり、希望も込めて今はそれを信じるしかない。
「じゃぁ、これから私達はどうしたらいいの?」
「普段通りにしてればいい。しばらくは奴らが現れないか私が近くで見ていよう」
「じゃ、彼女もそれでいいわよね?」
「ああ、出来るだけまとまって居てくれた方が手間が省ける」
「確かに。あなたが保護してくれるのなら、私達はしばらく一緒に居た方が良さそうね」
これからの身の振り方が瞬く間に決まっていくなか、完全に取り残されていた一樹と瑞穂であったが、ここに来て「あの……」と瑞穂がその手をそっと上げた。
それまで塞いでいた瑞穂の意見とあって、その場の会話がピシャリと会話を止むと、全員で瑞穂へ発言に注目する。
静まり返った場からは、それまで点いていた事にさえ気づかなかったテレビが「昨夜未明……」とニュースが流れる男性アナウンサーの声を響かせた。
瑞穂は上げた右手の人差し指を差し出して、そのままスッと前へ差し示した。
「私の家」
一同が指さされる先へと振り返ると、その先にあるテレビには『深夜に謎の爆発!! マンションの1室が吹き飛ぶ!』と荒々しく文字打たれたテロップに、突撃男性キャスターが無残な部屋を前にしながらミステリアスな雰囲気を装って状況を説明している。
「……無くなっちゃった」
一瞬、まさに場の空気が凍りついた。
ハッとなった一樹は、身を乗り出してテレビと瑞穂を交互に何度か見直す。
「え? これがそう?」
美波は眉間を指先で摘んでいた。
「また派手にやられたわね」
衝撃的なカミングアウトをした当人は、もう笑うしか無いといった具合に苦笑いしている。
フゥと息を吐いた美波は、胸の前で腕を組み直すと一樹を見た。
「なら、しばらくは緒方君のとこでお世話になるしかないわね。アンタ、随分広いとこに住んでるんでしょ?」
「ん? ああ、部屋ならいくつか余ってるから、そこを使ってくれれば……」
と、美波につられて返答するが、内容の違和感にようやく気がついて慌てて否定する。
「いや、それはダメだろ!」
「どうして?」
「どうしてっておまえ、女の子なんだからそこはマズいだろ。それなら香月と一緒の方が……」
一樹の反論が言い終わる前に、美波は表情を曇らせながら小声で「それはダメよ」と呟いた。
「え?」
一瞬のことで思わず聞きそびれてしまった一樹がすぐさま聞き直したが、美波の表情はすでにコロッと変わっており、対象的なニヤリとした薄ら笑い浮かべている。
「なにそれ? なんかイヤらしいこと考えてない?」
「い、イヤらしいことなんか……」
「さっきの聞いたでしょ。しばらく私達は出来るだけ一緒に居た方がイイのよ」
「まぁ、それはそうだけど……」
「ハイ、じゃそれで決まり! 瑞穂もそれで構わないでしょ?」
「ええ、ごめんなさい。迷惑を掛けて」
抵抗のないサラッとした瑞穂の回答に、一樹はこの場に居る自分だけが意識していたことに恥ずかしくなって赤面すると、照れを隠すように頭をかいた。
一連のやり取りを無言で傍観していた男は、今後の動向が決まったところで出口の方へと向き直った。
「決まったようだな」
そうしてそのまま、開いた扉から1人静かに部屋から出て行ってしまう。
「さぁ、誰かさんも案外元気そうだし、私達も準備しましょうか」
それを見ては、今度は美波がパンパンと手を叩きながら勢いよく立ち上がる。
しかし、勢いよく立ち上がった割にはすぐに行動移る訳でなく、美波には珍しく何かを言いにくそうにモジモジしている。
一樹と瑞穂がそれに気がついて疑問に思うと、ごまかすように美波はコホンと咳払いをした。
「アンタもそこ、私のベットなんだから早くどきなさいよ。ま、まぁ、まだ調子悪いって言うなら無理にとは言わないけど」
一樹は、自分に向けられたその言葉の理解に少し時間を要すると、慌ててベットから飛び降りた。
「これ、香月の? 悪い!」
「い、いいわよ別に。仕方なかったんだから」
まるで表情を隠すように一樹に背を向けると、「さっさと仕度するのよ」と言い残して美波はそのまま部屋から出て行った。
勢いで咄嗟に立ち上がってしまった一樹だったが、念の為地面を2,3度床を踏みしめて、寝たきりだった体の感覚を確かめる。
背伸びをした後、軽いストレッチをすると、身体に異常がないか改めてチェックをするが、やはり異常は見当たらなかった。
それどころか、2日間寝ていたとは思えないほどに体の調子は良く、以前より軽い感じさえする。
「大丈夫?」
側で心配そうに見ていた瑞穂が一樹へ声をかける。
「ああ、問題ないよ。俺達も行こうか」
瑞穂と共に部屋から出ると、廊下へ居た美波がキャスター付きの旅行カバンを片手に瑞穂へ声を掛けた。
「ハイ、これ使って」
カバンを渡された瑞穂が不思議そうな顔する。
「日用品よ、適当に見繕ってあるから」
突然部屋ごと吹き飛ばされた瑞穂とって、当然生活雑貨と呼べる品はなく、着替えさえも持ち合わせていない状況だった。そんな瑞穂に、美波は自身のめぼしいものを見繕って用意してくれていたのだ。
「え? でも、これ……」
「いいわよ。お互いこんな状況だもの、遠慮なく使って」
「うん……、本当にありがとう。それじゃ、使わせてもらうね」
感謝を述べながら頭を下げる瑞穂に、美波は「大変なのはこれからだから」と激励する。
「じゃ、またノアでね」
「ああ」
しばらくは、近況を互いの共通する場所であるノアで情報交換していこうと約束すると、一樹は瑞穂と共に美波の部屋を跡にした。