-力を合わせて-
ノエルを込めた一樹の脚力は、瞬く早さで野獣の正面まで移動する。
しかし、野獣はそのスピードに翻弄されることなく、予め振り上げていた左前足を素早く動き回る一樹へ向かって的確に振り下ろして来た。
寸前のところでそれを右手にかわした一樹は、すぐさま反撃を試みるが、既に相手の次なる一撃が迫っていたことを察知する。
横一線に凪払うよう振りかぶられたそれは、左右かわすことが適わず、かといって飛んで避けようものなら野獣の牙の餌食に成りかねない。
今は出来るだけ間合いを詰めたい一樹だったが、やむ得なく迫り来る凪払いを後退してかわした。
そんな一樹の行動を、野獣はまるで待っていたかのようにすかさず飛びかかって来る。
「クソ、読まれてるか」
舌打ちする一樹に、全身で覆い被さろうと迫る野獣を避ける術はなく、両足を地面に踏ん張った一樹は両腕を前へ出して向かってくる獣へと向けた。
「もう少し間合いを詰めたかったが、仕方ないか」
一樹は突き出した両手へ有りったけのノエルを集中させると、自身の周りに先刻野獣の攻撃を防いだ時のものより一回り大きな半円形のノエルの盾を展開させた。
獣は体全体でノエルの盾へと勢いよくぶつかり、反発し合った力同士がバチバチと音をたてる。
ひしめき合う力の押し合いはしばらく続いたが、押しきる事が出来なかった野獣の身体が、勢いを盾に全て相殺されて、着地もままならない宙に浮いた格好となった。
「今だ!」
満を持しての一樹の声に、その背後よりから慎が飛び上がる。
大きく跳躍した慎は、野獣の首元を蹴り上げて更に勢い付けると、そのまま野獣を飛び越えて背後で悠々と斜に構えていた男の前へと着地する。突然目の前へと現れた慎を前に、男からは「ヒッ!」と甲高い悲鳴が漏れた。
「やぁ、随時と余裕そうじゃないか」
「な、何者なんだよ、アンタら」
「いやなに、ペットのことでクレームを言いたくてね」
「カ、カオスをかわしてくるなんて、『使徒』でもないただの凡人がありえるはずが無い」
男が漏らした聞き慣れない使徒の言葉に眉をひそめる慎だったが、男を倒すチャンスを棒に振らない為にも構わず男に迫り寄る。
「詳しい話は、後でゆっくりと聞かせてもらうことにするよ」
近づいてくる慎に、男の顔色はみるみる青ざめて異常なまでの焦りを見せ始めた。
「く、詳しい話が聞きたいなら、ちょっと待ってくれないか。アイツを外へ出してる時は不味いんだよ」
「それはご丁寧に。なら、僕らにとっては好都合ってことだ」
「ち、違うんだ、聞いてくれよ。アイツを放し飼いにしてる時に、もし気でも失おうものなら……」
その間も、男は慎に隠れて野獣に向かって手招きを繰り返すが、一樹の盾に身動きの取れないでいる野獣が要求に応えられる様子はない。
しかし、対する一樹も苦痛に表情を歪ませて、ノエルの盾は徐々に小さくなってきていた。
このままでは、いずれ獣の足が地面に着いて体制を整えられかねない。
「悪いが彼の余裕もないみたいなんだ。無駄話はここまでにさせてもらうよ」
慎は腰を落とし、引いた右拳へノエルを込めて輝かせた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
「問答無用」
慎が男に向かい拳を振り上げ、正に振りおろさんとした時だった、今まで感じたことのないような悪寒に襲われた慎は、思わず寸前のところで手を取めると、後方に飛び上がり男との距離を取った。
そんな後退する慎の鼻先ギリギリのところを、得体の知れない何かが通り過ぎていく。
その跡には一切の物質を残さない、全てをえぐり取る何かが。
驚いた慎は、自身と男との間へ割って入るように通り過ぎた『何か』が来た方へと慌てて目を向けた。
するとそこへ、最重要機密を保管する瑞穂が居たBルームとは逆側であるAルームへ続く通路より、新たな男が姿を現した。
「何を遊んでいる勇。用は済んだサッサと出るぞ」
現れた男は、つり上がった目元と逆立てた髪型、感情を感じ取れない無表情のまま放たれたその声色からは、酷く冷酷な印象を与える。
「き、桐也さんッ」
慎と対峙していた勇と呼ばれた男が、桐也と名の男へすがり寄っていく。
咄嗟に桐谷を睨みつけ警戒体勢の慎だったが、その背後に連れていた者に思わず驚愕の声を漏らした。
「まさか、彼にも居るのか?」
なんと桐也の後ろには、3mをも越す巨大な西洋甲冑を連れていたのだ。
鎧はかなり高密度な造りとなっており、肌の露出が皆無な為か、中に人が居るような気配がない。いや寧ろ、その只ならぬ雰囲気は、まさに勇が操っていた野獣と酷似しているのだ。神の化身と言われたそれに、今更中に人が入っていようがこの際問題でない。
「一樹!」
同じくして突如、瑞穂の叫び声が響いた。
野獣の動きを封じていた一樹のノエルの盾が瞬く間に萎んでいき、ついに地に足が着いた野獣が、一樹を世つんばの状態で覆い尽くして雄叫びを上げている。
「これでもぉ! 」
美波が野獣へ向かって全力でノエルを放つが、やはりは全く手応えはなく蚊に刺されたほどにも微動にはしない。
しかし、焦る美波とは裏腹に野獣は以外にも一樹をすぐに襲うことはせず、ジッとな立ったままかと思えば突然その全身を光り輝かせ始めた。
「なにを……」
更に輝きを増していく全身は、やがてその大きな体を円形状へと小さく収縮していき、不意に何処かへ向かって飛んで行く。光の玉は、その先に居た勇の体の中へと吸い込まれていった。
野獣をその体へ完全に収めた勇は、怯えるように桐也の影に隠れてしまう。窮地へと追い込まれた勇が完全に戦意を喪失して、自身の保身へと走ったのだ。
後方の危機が辛くも免れたことに一息つく慎だったが、前方の新たな敵を目の前に再び息を呑んだ。
しかも、敵はあれだけ手こずったカオスを所有し、その背後へ身を隠す勇と共に、もしかすれば2体とも相手にしなければならない。加え、頼みの一樹も胸部を押さえては苦痛に顔を歪めて、とても戦えるような状況でなさそうである。
なにより、桐也という男から伝わるピリピリ伝わる威圧感は、先程まで相手をしていた勇に比べて格が違うことが伺えた。
絶望的な戦況に、慎は冷たい汗を頬に滑らせてもう一度唾を飲み込んだ。
そんな中、先に動いたのは桐也だった。
左手を前と突き出し、右手を顔の位置まで上げると、グッと腰を落として狙いを定めるような格好を取る。
合わせて、背後に構えた鎧が桐也と同じポーズを取り始めるが、その右手には大きな斧槍を持ち、その先は正確に慎へと向けられている。
「邪魔だ、死ね」
めいいっぱいに引かれた右腕は、まるで縮こまったバネを解放するかのように、狙いへ目掛けて放たれた。
一筋の光となって慎へと向かう閃光は、瞬く速さで慎へと迫り、その速さに慎はただ呆気に取られるだけである。
そのまま、慎を貫いたように見えた閃光は、甲高い衝突音と共にその軌道を寸前の所で大きく反らした。
「チッ、またお前か」
一瞬の出来事の中、何が起こったのか認識できないでいる慎は、舌打ちする桐也の視線を追って自身の背後に人が居ることに気がついた。
長身で外向きにハネた黒い髪は肩まであり、無精髭を生やしたその男は、膝下まである真っ黒なコートを羽織り、右腕を突き出している。
その右腕の先を目で追うことで、何が閃光を曲げたのか、慎はようやく理解した。
なんと目の前には、大きな女性の形を模した像のようなものが、立派な鎧を纏い、また手にした大剣で自身を守るように庇っている。
「女神……」
余りに美しい目の前の物体に、慎は翻弄されるように無意識に口走る。
そう、それは、桐也や勇が連れていたカオスという名のものと同じ存在であった。




