-新たな侵入者-
ようやく対等な立場として眼前へ立ちはだかった慎を前に、一樹は口元をニヤリと吊り上げた。
「アンタには一発大きな借りがあるからな。きっちり返済させてやるッ」
一樹が勢いよく地面を蹴る。
慎との間合いを一気に縮めて、右足で上段へ蹴り掛かった。
しかし、慎は予めノエルの灯していた左腕でそれを受け流し、体勢を崩す一樹へ右手を突き出すと、尽かさずノエルを放出させた。
上体を反り返らせて何とかそれを交わした一樹だったが、体勢がままならないうちに今度は慎の左手の手刀が振り下ろされる。
一樹は瞬発的に両足へノエルを宿らせ、一気に加速してそれをかわすと、そのまま瞬く早さで慎の前から姿を消した。
しかし、慎はそれに狼狽えることなく後ろを振り返る。
「前にも言ったろ、君のノエルは垂れ流されているんだと」
慎はノエルを宿らせていた左手を突き出して一気に放出させると、手の平より直線上に光の帯が伸びていく。
しかし、その先に一樹の姿はなく、目標を失ったノエルは空を切った。
「フェイント!?」
慎の更に後方へ姿を表した一樹は、右手へノエルを宿らせる。
「アンタは目が良すぎるんだ」
一樹は移動の途中からノエルを凝縮させることで、わざと移動途中の軌道を残留させ、慎の目をあざむいたのだ。
両手のノエルを放出して隙だらけとなっていた慎の腹部へ、一樹が渾身の一撃を叩き込む。
ノエルで強化された衝撃は、辺りへ突風を巻き起こして、ガードすることもままならない慎にクリーンヒットしたように思えたが、一樹はその手応えに違和感を感じとった。
「防いだのか」
慎は一樹の攻撃に対して、咄嗟にノエルで腹部を強化していたのだ。
「あの咄嗟にそんな真似……」
一樹は反撃を警戒して、つかさず後方へ飛び上がり距離を取る。
慎はゆっくり身を起こして一樹見据えてきた。
「まさか、ノエルを自在に凝縮することまで出来るとはね」
しかし、その場より一歩も動こうとはせず、苦痛に表情を歪めるとその場へ膝を着いた。
なんとか咄嗟にガードはしていたものの、一樹の一撃をダメージを受けずに防ぎ切ることは出来なかったのだ。
「これじゃまるで、あの時と全く逆だな」
慎は痛みで体を丸めると、しばらく動けそうにもない。
「よく言う、あの時の俺は気を失う程だったんだぞ。だけど、ここは遠慮なく通らせてもらう。向こうも心配なんでね」
一樹が踵を返して足早に通路の方へと歩いていく。
「あ、そうだ」
通路に差し掛かった一樹だったが、ピタリとその足を止めた。そのまま、慎の方へと振り返ると何かを放り投げる。
うずくまる慎の足元へとコンコンとバウンドしてきたそれは、慎が以前まで身に付けていた執行部のバッジである。
「悪い、借りてた」
一樹は再び通路の方へと向き直り、皆が居るその先へと姿を消した。
腹部を抱えながら足元へ転がるバッジを見た慎は、苦痛に表情を歪めながらもフッと鼻で笑った。
通路を抜けて、美波や瑞穂の居る広場へと出た一樹はその光景に目を疑った。
そこはもう沙奈と梨奈との攻防などでなく、見覚えのない男の独壇場になっていたのだ。
男は、どういう訳かEC側の立場である梨奈の頭部を鷲掴みにして、向かいに立つ美波達へ見せつけるように高らかに吊し上げている。
美波は、それを敵意の満ちた鋭い目で睨みつけ、傍らでは床へひれ伏した沙奈に瑞穂が独特の青いノエルで傷を癒していた。
男に掴まれグッタリとしている梨奈には、先ほど沙奈と対峙していた時のような勢いはなく、抵抗する気力もなくしてただ苦しそうにうめき声を漏らすだけである。
ピッタリとしたウエスタンシャツを胸元まで大きく開き、肩まで伸ばしたウェーブががった金髪を額の上でピンで留めた格好のその男は、目鼻立ちの通った整った顔をいびつに歪めて、正面へ立つ怒りに満ちた美波を前に、更に梨奈を突きつけて挑発する。
「あれ、もう終わりなの?そんなんじゃ、この子がどうなっても知らないよ」
飽きたオモチャのように乱暴に振り回される梨奈からは、尚も苦しそうに声ならない呻き声を漏らした。
「最低ね」
怒りで震える美波の声に、男はさも心地いいようなニタリとした笑みを返す。
その態度に耐えかねないとばかりに舌打ちする美波が、感情のままに男へ向かい地面を蹴り上げた。
ノエルを宿した脚力で瞬く間に男との間合い詰めた美波は、梨奈が吊されているのとは逆方向に上段蹴りを繰り出した。
男はそれを片腕で受け流すが、その反動を利用してクルリと踵を返した美波が、しゃがみ込んでは続けて足払いを狙う。
しかし、それも男に後退され距離を取られると、美波の足は空を切った。
即座に身を起こした美波は、その手を緩めず今度は右の手を前へと突き出す。
続けざまにノエルを放とうとする美波の猛攻に、反撃する余地もない男であったが、その表情には尚も余裕な薄ら笑いを浮かべたままである。
そんな男へ更に感情を露わにさせた美波は、突き出した右手へ勢いよくノエルを装填させていく。
しかし次の瞬間、なんと男は掴んでいた梨奈を前へと突き出して盾代わりにした。
「くっ」
梨奈へノエルを当てることのできない美波は、右手に宿したノエルを解放させた。
「なんだ、打たないの?」
そんな美波を更に挑発するように、男はユラユラと梨奈を揺さぶっては、梨奈から尚も苦しそうな声が漏れる。
卑劣な行動に手も足も出せず、美波はただ怒りの余りに奥歯を鳴らす事しかできない。
なんとか、梨奈をアイツの手から離さないと……。
焦り始める美波だったが、何か策はないかと巡らせた視界にある人物が写り込むんだ。
それは、男の背後で右手を前へと突き出し、既にノエルを放つ万全の状態となった一樹の姿だった。
男へ気付かれぬまま、じっとチャンスを伺っていたのである。
機会を見定めた一樹が、満を持して美波へ声を掛けた。
「香月、その子を頼む」
その声に、男はようやく一樹の存在に気がついて慌てて振り返るが、その隙に美波が梨奈の身柄を奪い取った。
同じくして凝縮ノエルが一樹の手より放たれる。
梨奈を奪われ、更にノエルで狙い打たれた男は、混乱して何も対処することが出来ず、ノエルは男の背中へと直撃した。
「もう一匹いたのか、チクショー!」
悔しそうに奇声をあげる男は、ノエルの勢いのままに壁際まで追いやられて、轟音と共に破裂するノエルの光の渦へと巻き込まれていった。
男が光の中へと消えて行くのを見届けた一樹は、美波と合流すると抱えられた梨奈の様子を気にかけた。
「様子は?」
「少しケガしてるけど大丈夫よ。それより……」
そう言って暗い面もちで美波が視線を投げる瑞穂の方へ、慌てて一樹は掛けよっていく。
「沙奈の様子は?」
瑞穂は険しい表情で頬へ汗を伝わせながら、近づいてきた一樹にも視線を合わせず言葉を返す。
「癒やしはしてるんだけど、正直状態は良くないよ。このままじゃ……」
倒れる沙奈は、外傷こそ瑞穂に治癒され目立ちはしないが、額へ汗を浮かべて唸り声を漏らしていた。
「よほど強い衝撃を受けてるみたいで、恐らく内蔵にも……」
「治癒のノエルでどうにかならないのか?」
焦りから食ってかかるように問いかけてくる一樹に思わず多白く瑞穂の代わり、後から寄ってきた美波が答えた。
「そんなに都合良くはいかないわ。せめて、悪い箇所が解ればいいんでしょうけど、ここには医者も居なければ、機材だってないんだから」
「全体的に治癒させるとかダメなのか? 医者に見せるまでの応急処置的なものでもいいんだ」
「無くはないでしょうけど……。でも、ノエルの過多は体に良くないのよ。それこそ最悪は本末転倒になることだって」
沙奈の側で治癒し続けていた瑞穂が、面目なさそうに小声で「ゴメン」と謝罪した。
それを見た一樹が、瑞穂を責めていることに気がついて頭を振ってひと呼吸をする。
「よし! なら一刻も早く沙奈を連れてここを出よう」
立ち上がり、部屋から出ようと行動し始める一樹だったが、何故かすぐにその動きをピタリと止めた。
不思議に思った美波が一樹の方へと視線を投げると、一樹より強張った声で問い掛けられる。
「アイツ、いったい何者なんだ」
一樹が鋭く凝視する先の方を見ては、美波も息を呑んだ。
「そんな……」
その先には、凝縮ノエルをもろに直撃させたはずの男が、さも何事も無かったように服に付いた誇りをパンパンと振り払い、髪などを弄っては身だしなみを整えている。
「あの子にも危害を加えてみたいだけど、ECサイドの人間じゃないのか?」
「あんなヤツみたことないわ。そんなこと見境なく襲いかかってきたみたいだし。それに……」
身だしなみに満足したのか、向かい側で警戒している一樹達へ、男は飄々と語り掛けてきた。
「全く、後ろから不意打ちしてくるとは無粋な事をしてくれるね」
「仕留めるつもりでやったはずなんだが」
「それは怖い。俺はただ、そこの子達と遊んでただけだってのに」
男のおどけた反応に、一樹は美波が溜まらず拳を握るのを視界の端で確認する。
沙奈の様態のことと相まっては、まるで美波の怒りが伝染してくるようだった。
「此処に来てみたら、二人してじゃれあってるじゃん。俺も溜まらなくなって混ぜて貰ったんだよね。したらさ、そっちの子がよく飛ぶこと。やっぱ軽いと……」
「悪いが、お前と無駄話をする気はない」
ペラペラと語りかけてくる男の言葉を、これ以上聞く必要はないと遮るように言い放っては、腰を落として男へ対して身構える。
そんな一樹へ、美波が先程言い掛かっていた言葉の続きを耳元で囁いた。
「気をつけて。アイツ、見たこと無い力を使ってくるわ」
「これ以上、何があるってんだ」
美波の言う『見たこと無い力』に呆れ口調に鼻から息を漏らして応答しては、男へと向き直り、ノエルを宿した脚で地面に踏ん張ると一気にそれを蹴り上げた。
猛スピードで迫り来る一樹に対して、男は動じる訳でもなくニヤリと不気味に口元を吊り上げていた。




