-錯綜する思惑-
ビルの最上階に当たるその部屋はだだただ広大であり、完全に『ルーム』というよりは『フロア』と言った方が適切である。
加え、側面がに一面ガラス張りとなっている為、さながら空間が無限に広がっているような錯覚を起こし、屋内である事を忘れさせられる。
ガラス張りの向こうに広がるパノラマ風景も絶景で、小さく動く人々や他のビル群を足元に敷く景色は、自身を人知を越えた天上の者かの様な特異な存在にさせた。
部屋中は、シックなダークブラウンで統一されており、色とりどりに飾られる絵画や花瓶、強いては生けられる花にさえ、そこはかとない上品さと高級感を漂わせている。
中でも一際高級感を放つ大きな机が、ガラス張りの壁よりほど近い絶好な場所へ配置されており、そこへ添えられるこれまた豪勢な革張りの座椅子へ腰掛けてる男は、思いふけるように中を見つめ、座椅子へ深く身を沈めると意味深い吐息を漏らした。
部屋の主であるその男は、年齢40歳半ば程で銀縁のスマートな眼鏡と鼻の下から顎のラインへ伸ばした髭が上品かつインテリっぽさを醸し出している。
「もうすぐだ……」
男は何かを待ちわびる様に静かに呟いては、まるで眠るように静かに目を閉じた。
しばらく、深い静寂を味わうようにピクリとも動かない男だったが、突然鳴った扉のノック音に遮られた。
続けて「失礼します」とスーツに身を包んだ使用人が一礼したのち部屋へと入ってくる。
使用人は主が座る机の前までキビキビと歩いて、向かいに立つとその背筋をピンッと伸ばした。
「ご報告致します。執行部の者が例の侵入者と接触致しました」
「そうか。で、彼女の方は?」
「はい、未だサンプルルームの中に。部屋からは出てない模様です」
「なら、男はさっさと摘み出してしまえ」
「承知しました。執行部の者にも迅速に対応するよう言い聞かせます」
使用人は主の不機嫌さを感じ取り、足早にその場を離れようと一礼してから入ってきた扉へと戻って行く。
そうして使用人がノブへ手を掛けたところで、扉の向こう側から慌ただしい声が漏れ出した。
(「止まれ! それ以上近づくと……」)
向こう側で混乱気味に叫んでいた警備員の声が、言葉半ばで途絶えてしまう。
ただならぬ予感を感じた使用人は、扉を開けずに外の警備員へ問い掛けた。
「どうした? 何が起こっている?」
しかし、警備員の声は帰ってこない。
使用人は不安を積もらせると、焦りの色を色濃く見せた。
「お、おい、どうした? 返事をしろ!」
以前返事のない警備員に言い知れぬ危機感を感じ取ると、握っていたドアノブから手を離し、2、3歩下がって距離を取っては腰に下げる警棒へ手を添えた。
その直後、ガチャリとノブが回り出し、ゆっくりと扉が開かれる。
「な、何者だ! 貴様」
警戒する使用人の前に扉の向こう側より現れたのは、なんとあのサイだった。
サイは、弱腰になりながら後方へ後ずさる使用人の前を堂々と横切って、主の座る大きな机の向かい側で立ち止まった。
「これはまた珍しいお客さんだな」
サイに圧倒されてロクに身動きが取れないでいる使用人とは違い、主は余裕さえ感じられる面持ちでサイをジッと見据えている。
そんな主の対応にハッとなった使用人が、ようやく警棒を取り出して三段伸縮となった刀身を伸ばしきった。
「貴様! それ以上近づくと」
ただならぬ気配圧倒され本能的に危機を感じ取ったのか、プルプルと震えて定まらない切っ先をなんとかサイの背中へと向けるが、サイは気にする様子はなく使用人の方へと振り返りもしないまま、全く相手にしていない。
「お前がかなう相手ではない、下がっていなさい」
「しかし、先生……」
「下がりなさい」
意見を遮るように重ねて命じられる強い口調に、使用人は元気なく「承知しました」と一礼してから扉へと戻っていく。
使用人が部屋から出て行きバタンと扉が閉まると、それまで声を発していなかったサイがようやくその口を開いた。
「イイご身分だな」
「ここまでするのにはそれなりの手間暇をかけたからな」
「ヤツらに対抗するためか?」
「そのつもりだ。準備も着実に整ってきている」
主はそこまで答えると、椅子を引いて姿勢を崩し足を組んでは、懐より取り出したタバコへ火をつける。
「まさか、わざわざそんな話をしに来た訳ではないんだろ?」
主の意味深な問いに、サイは表情を一変させ、敵意に満ちた鋭く冷たい目で向き直った。
「単刀直入に言う。『デウス』はここにあるんだろ?」
サイの言葉を聞いて、主が灰皿へたばこの灰を落とす動作をピタリと止める。
しかし、すぐに動作を再開させると、タバコを一吸いした後、煙を外へとゆっくりと吐き出した。
「かの英雄がデウスを求めるか……。どうやら、『片方』に肩入れしているという噂は本当のようだな」
主のどこか皮肉めいた物言いに、サイはフンと鼻で笑ってあしらった。
「ノエル研究の権威が、楽園から『玉』を持ち去ったてのもな」
皮肉で返すサイの言葉に、主も動じることはなくまるで聞き流すようにタバコの最後の一吸いを吐き出すと、吸い殻を灰皿へと押し付け、革張りの座椅子より立ち上がった。
そして、そのまま大きな机の脇へと出ては、サイへ目を向け口元を吊り上げる。
「力ずくで奪ってみろ、と言ったらどうする?」
そう言った主の体へ、突然ノエルの光が集約していく。
光は全身を包み込み、更に光量を増していくとパンッと音を立てて弾け飛んだ。
その弾けた光の下で、主はノエルの光を帯びた黒い衣を身にまとっている。
シンプルなデザインで一見ロングコートを連想させる黒の衣をバサリと翻させた。
いつでもかかってこいと言わんばかりに挑発的な主を前に、サイもニヤリと口元を吊り上げ返答する。
「それは話が早い」
そう言ったサイも同様、全身をノエルの光で包み込ませ、パンッと弾けさせては黒い衣を具現化させて見せた。
その弾けた衝撃で、二人の黒い衣がその長い丈をバタバタとヒラつかせる。
臨戦態勢は万端といった2人は、どちらかが口火を切るのを待つかのように、その場でジッと睨み合っていた。
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一樹は体よじらせて、向かってくるノエルを間一髪のところをギリギリにかわした。
背後にある壁へとぶつかって弾けるノエルの衝撃に、その威力が自身を仕留めるものであったことを実感する。
先程から原因不明に心臓部へ走る激痛に思わず跪き、痛みに顔を歪めながらも一樹は必死に美波へ問いかけた。
「どいうつもりだ? 美波」
「どうもこうも、執行部が侵入者を捕らえるは当然でしょ? それに偶然とは言え、せっかく彼らがここまで連れてきたのに、それだけ大きな音をたてれば気づかれるのに決まってるじゃない」
「執行部って、まさか、お前……」
痛みに耐えながら立っているのもやっとの一樹に、動揺が混乱を招いては不意に戦意を喪失させてしまう。
その隙を目ざとく逃さない美波は、すぐさまノエルで脚力を向上させて一樹へ向かって来た。
瞬く間に眼前へと現れた美波に、狼狽える一樹は顔面を鷲掴みにされ、そのまま地面へと叩きつけられる。
無論、美波のその腕にはノエルの光を宿しおり、一般人の腕力など凌駕したそれは一樹を体ごと横倒しにさせ、その両脚は空へ投げ出される。
尚も地面へ頭部を押さえつけられた一樹は、横目をなんとか美波へ合わせると痛みに耐えながら訴えかけた。
「お前、最初から俺達のこと……」
なんとか今の状況を打開させようと、うつ伏せの状態のなかでどうにか右腕を上げて、その手へノエルを集約させる。
「止めておきなさい。アンタのノエルの許容はとうに限界を越えてるわ。私が手を下さずとも、死ぬわよ」
対して美波は、一樹の行動を冷ややかに征してくる。
そんな中、取っ組み合う2人の姿を扉の隙間より見ていることしか出来ない瑞穂が辺りへ叫び声を響かせた。
「お願いだから止めて二人とも!」
続けて、扉へすがりつきながら震えた声を絞り出す。
「お願い、なんで二人が……」
美波が現れてから何度も叫び声をあげていた瑞穂だったが、一向に収まる気配のない状況に、遂には懇願するように泣き崩れながら力無くしゃがみ込んでしまう。
奇しくもその悲痛な叫びは、一樹が押さえつけられたことでようやく両者へと届き、一樹はその声に右手へ灯らせたノエルを解放させた。抵抗しようと振り上げられた右腕が力なく地面へと落とされる。
「懸命ね」
しかし、美波はそんな瑞穂の言葉や一樹の行動にも動じることはなく、一樹の頭部を押さえつけたまま言い放つ声には異様な冷徹さを帯びており、それでも美波へ『何かの間違いだ』と淡い希望を抱いていた一樹の心へトドメの一撃を突き立てた。
完全に戦意を喪失させた一樹だったが、美波は更に頭部を抑えつていた手へボゥとノエルが灯させた。
一樹が『まさか!』と焦るなか、瑞穂が扉を叩きながら叫び声をあげた。
「美波、もうやめて!」
もはや聞く耳保たない美波は、やはり瑞穂の問い掛けに何の反応を示さない。寧ろ反論するかの如く、灯したノエルを一層強く光せた。
「いやー!」
瑞穂が叫び声をあげると同時に、美波がドスンと低い衝突音を辺りへ響かせた。
ゼロ距離から頭部へもろにノエル受けた一樹の体は、抑え込まれながらも衝撃で2、3度体を揺らさせた。
その後、一樹は床へ吸い付くように力無くグッタリして、地面へふさいだまま全く動く気配を無くしてしまう。
瑞穂はそんな一樹へ向かって、僅かに空いている扉の隙間から目一杯に手を伸ばした。
「一樹!一樹!……」
何度も一樹の名を叫ぶ瑞穂を尻目に美波はムクリと立ち上がると、横目で瑞穂を一瞥する。
「ショックを与えただけ。軽い脳震とうを起こしているだけよ」
後ろ姿を向けたままぼそりと呟くと、瑞穂が声を掛けるより前にその場を去っていく。隙間から覗く事しかできない瑞穂の視界からは、その姿はすぐに見えなくなってしまった。
しかし、フレームアウトする間際、チラリと垣間見えた美波の表情が言い知れぬ程の悲しみを帯びていたことへ、瑞穂は思わず出掛かっていた言葉を呑み込んだ。
「美波……」




